第105話 義弟
急いでコテージへと戻る。今日は海とコテージを行き来してばかりだ。
コテージの庭に差し掛かったとき、誰かの姿が目に入った。月明かりに照らされたその立ち姿は、見慣れたものだった。
そこにいたのは紛れもなくナイトのはずだった。
ただ、俺の知っているナイトとはどこか違う。
いつも以上に落ち着いた雰囲気で、まるで年輪を重ねたような余裕が滲んでいた。いや、実際そうなのだろう。
「ナイト、なんだよな?」
俺が問いかけると、ナイトはゆっくりと微笑んだ。
「あなたにそう呼ばれるのは、なんか新鮮な気分ですね」
いつもと違い、彼の口調は敬語だった。その違和感に思わず背中がむず痒くなる。
「ヨシノリがどこにいるか知らないか?」
「由紀さんなら女子部屋にいますよ。今は他に誰もいませんから、気にせずどうぞ」
ナイトも俺が何を求めているのか理解しているようだった。彼の表情には余裕がありながらも、どこか感慨深げな色が滲んでいた。
「サンキューな、助かるよ」
息を整えながら礼を述べると、ナイトは静かに俺を見つめたあと、ふっと笑みを浮かべる。
「高校時代に、あなたに出会いたかったな」
その言葉に、俺の足が止まった。急いでいるというのに、どうしても聞いておかなければいけない気がしたのだ。
「……どういう意味だ?」
「いえ、妻からよくあなたの話を聞いていたものですからね」
彼は穏やかに微笑みながら言葉を続けた。
「あなたは眩しいほどに真っ直ぐだ。愛夏とそっくりなその真っ直ぐさに僕は憧れていたんです。といっても、直接会話をしたのはほんの数回だけですが」
ナイトは遠くを見つめながら静かに言葉を紡ぐ。夜風が静かに吹き抜け、俺たちの間に一瞬の沈黙が流れた。
「お前、まさか……」
髪の色や髪型が違うのと、未来では眼鏡をかけていたから気がつかなかった。俺は彼と会って言葉を交わしたことがあるのだ。
結婚後も、愛夏の苗字は変わっていなかった。それは何故か。
理由は簡単だ。結婚相手の苗字も、俺たち兄妹と同じ〝田中〟だったからだ。
「ご想像にお任せしますよ」
ナイトは苦笑しながら肩をすくめる。その仕草はまるで、すでに全てを悟っているかのようだった。こいつのことだ。非現実的なこの状況も落ち着いて分析できているのだろう。
彼の目には俺の知るナイトとは違う、長い年月を経た大人の色が浮かんでいる。さっきの愛夏やアミと同じ、まだ手にしていない未来を知っている者の目だった。
「愛夏のこと、頼んだぞ」
「はい、お義兄さん」
俺の言葉に、義理の弟は微笑を崩さず軽く頷いた。
静かな夜の中で、その言葉がやけに心に響いた。