変化1
「……なんだ? この空気は」
「うわー……くっらー……」
ジルとシャーリーンの呟きに答えるものはいない。
……いや、いるのだが例のごとく俯いてぶつぶつと落ち込んでいるのだ。
その呟きを聞きつつ納得した二人の反応は違った。
ジルはむすっとして、シャーリーンはけらけらと笑い出した。
「聞いた!? ジルぅ~!! あれだけ教えてあげたのに、玉砕!! ぷはははは!!!」
「お前、男なら押し倒すぐらいの……いや、それは駄目だ。他の女ならまだしもアイリスにそんなことをすれば殺す」
二人の声が聞こえていないのか、ゼノは死んだ魚のような目をしていた。
それを見てシャーリーンがまた笑う。
ひーひーと言いながら「び、美形のくせに……」とぷるぷる震えている。
余りにもうるさいため、やっとゼノが反応した。
「……昨日の今日で何で伯爵家に来るんですか」
「来たら駄目なのか」
「ごめーん! 我慢できなかった!!」
そう、二人は朝早くからゼノとアイリスに会いに伯爵領へ来ていた。
勝手に。
共も連れずに馬で駆けて来たようだ。
シャーリーンは白いパンツを履き、男装をしている。
「……もう、別にいいですけどね」
「あらら、私のこの格好には何も言う事ないの? ……これは重症ねぇ……どうする? ジル」
「どうもしない。これ以上失敗するようならアイリスを俺の側室に……」
「それだけは駄目です!!!」
ばさぁぁっと書類が舞う。
ゼノが勢いよく立ち上がったせいだ。
机の両側に積んであった仕事の書類。
整頓され、塵一つない執務室が一瞬にしてカオスと化す。
それを見て、集めもせずに撃沈したゼノ。
ジルとシャーリーンは顔を見合わせて頬を掻いた。
「流石に可哀想ね」
「……そうだな」
「じゃあ、教えてあげる?」
「……そうだな」
次に二人が告げた言葉はゼノに希望をもたらした。
「グレニー卿が来ている」
「昨夜こちらにいらっしゃって、ここに一緒に来たの。今、アイリスちゃんのとこに行ってる」
「!!!」
すぐさま挨拶に行こうとして、二人に押さえつけられた。
+++++++
憧れの人の突然の訪問にアイリスは心臓が張り裂けそうだった。
他国……いや、アイリスたちが住むこの国の首長国の公爵。
本来なら侵略され、従属国となるはずだったこの国を救ってくれたブロレジナ国の公爵様。
グレン・グレニー。
高齢でありながらその美貌は衰えることなく、優しく柔和で皆が慕っている。
離れたこの国でさえ、’華の園’の一員がいるほどだ。
’華の園’と言うのは、グレンの信者と言っても過言ではない人たちの集まり。
顔を隠したりはしないが、それぞれを花の名前で呼び合い、身分関係なくグレンを褒め称えているのだ。
華の園の創立者は本国の人間で、白薔薇の君と呼ばれている。
……ちなみにアイリスも入っている。
本名が元から花の名前なので、そのままアイリスの君だ。
「こ、紅茶です……」
紅で統一された応接室。
かたかたと震えながら紅茶を差し出すと、紅茶を受け取りアイリスの震える手をそのまま包み込んだ。
びっくりしすぎて真っ赤になる。
そんなアイリスを見て、グレンが微笑んだ。
「相変わらず、可愛らしい方ですね。……ご結婚おめでとうございます。まさか、あのロペス伯爵と結婚するとは思いもしませんでした」
「あ、ありがとうございます……その、グレン様も後妻を娶られたとか。心からお喜び申し上げます」
アイリスが震えながら言うと、グレンは今まで見たこともない心からの笑みをアイリスに向けた。
とても嬉しそうで、甘い笑み。
見ているだけで、後妻を心から愛しているのだと分かった。
「ふふ、ありがとうございます。年が離れていますがとても上手くいっているんですよ。美しくて可愛らしくて強い女性なんです……でもどこか弱くて幼くて放って置けないところもあって」
「……愛していらっしゃるんですね」
「ええ。……でも」
「?」
先ほどまでの幸せそうな笑みを引っ込め、少し困ったような顔をする。
「でも、甘えているようで、思うように甘えてくれないんです。寧ろ私の方が甘えてしまっているくらいで……。今も妻に頼って、城に1人残して来ているんです」
「…………」
華の園の情報は確からしい。
情報通り結婚したにも関らず別居状態。
このことを聞いたとき、アイリスはがっかりしたのだ。
グレンもか、と。
でも、グレンは妻を心から愛していることが分かった。
やはり、グレンはグレンなのだと思った。
落ち込んでいるようにも見えるグレンをぼぉっと見つめていると、無意識に言葉を零していた。
「私……私、ゼノ様のこと……好きになるのかなって。でも、嫌なんです。好きに、なりたくない」
「……どうしてですか?」
アイリスの思考を邪魔しない、流れるような声に促され自然と思いを口にしてしまう。
人を落ち着かせる声と雰囲気。
「私、嫌なんです。……怖いんです。もう、嫌なんです」
「……母君のことですか?」
グレンの静かな声にこくりと頷く。
「ゼノ様、眩しいんです。……お母様と同じに見えるんです。怖い……」
「…………」
昔を思い出して顔が歪むアイリスの手を優しく包み込んでくれるグレン。
その優しさに思わず涙が零れた。
「でも、でも、ゼノ様は優しくて……信じたいのに、怖くて。分かってるのに、分からないフリをして……私……最低なんです」
「アイリス殿」
「わ、たし……怖い……!!」
今まで溜め込んでいた物が一気にあふれ出した。
失礼に当たることだとは分かっていても、グレンの柔らかな空気に、気づけば縋ってしまっていた。
グレンの膝で子供のように「怖い」と言って泣いた。
グレンも子供にするように優しく頭を撫でてくれた。
しばらくそうしていると段々落ち着いてきて恥ずかしくなってきた。
もう、泣き止んでいるのに、顔があげられない。
どうしようか内心おろおろしているとグレンが撫でながら言葉を紡ぐ。
「……私の妻に会わせて差し上げたい。妻を見ていると、悩んでいることが馬鹿らしくなってしまうんです。どんなに辛いことや悲しいことがあっても、それを辛い、悲しいと思わないんです。いかにそれを楽しむか、そう考えているんだと思います」
「……それは……すごい方なんですね」
「ふふ、私の妻は誰よりも素晴らしいですから」
「まぁ……」
惚気られて、笑ってしまう。
それを見てグレンは満足そうに笑い、しゃがみ込んでいたアイリスの手をとり立ち上がらせた。
「……あなたは、ありのままで良いのです。きっとロペス卿は分かってくださいます」
「……はい」
結婚してから、初めて誰かに甘えられた気がして、アイリスは気恥ずかしそうにグレンに笑みを浮かべたのだった。
+++++++
「お久しぶりです、グレニー卿」
「ええ、お久しぶりですねロペス卿。ご結婚おめでとうござ……おや」
’ご結婚’の件でゼノの纏う空気が明らかに下がったのでグレンは苦笑した。
「……そう言えば、弟君にも会いましたよ。ほとんど入れ違いになりましたが」
「ああ、ロベルトは舞踏会に招待されていたんでしたね」
実はゼノにはロベルトと言う双子の弟がいた。
一卵性双生児で瓜二つなのだが、髪の色が違った。
ゼノが金髪なのに対して、ロベルトは銀髪。
性格も全く違う。
ついでに身分も違う。
生まれて直ぐ双子は不吉だと言って、ロベルトは跡取りのいなかったラングール公爵家の養子に入ったのだ。
舞踏会とは、毎年本国で開かれる盛大な催し。
ゼノも招待されていたが、二人揃って行くと迷惑になる可能性が高いため、出来る限りどちらか片方だけが行くようにしていた。
「ええ、そのことなんですが……どうやらラングール卿は私の妻に懸想を抱いてしまったようで」
「「なっ!!」」
「ええええええええええええ~~~~!!!!!!」
ゼノとジルが驚きに目を見張ればシャーリーンがおお声でそれを遮った。
そんなシャーリーンにグレンはにっこりと微笑んで見せる。
すると、シャーリーンは茹蛸のように真っ赤になってジルの背に隠れた。
……向日葵の君、ここに。
「そ、それは……申し訳ありません」
「おや、あなたが謝ることではありません。私の妻が美しすぎるのがいけないのですから」
「「「…………」」」
「それに、妻が私以外の男を愛するわけもありませんからね」
……今、物凄い惚気を聞いた気がする。
その場にいた三人は、目を細め妻のことを考えているであろうグレンに呆然とした。
特に、ゼノは羨ましい……と見つめてしまった。
「あ、あの無愛想高慢サド男が、懸想……?」
「シャーリー、グレニー卿が選んだお方だぞ? ありえん話ではない」
ジルとシャーリーンがこそこそと話している間に、グレンはゼノの肩に手を置き優しい眼差しを向ける。
グレンの全てが、何故か人を落ち着かせる。
グレンの前では子供に戻ってしまうかのような錯覚をしてしまう。
「ロペス卿、頑張ってください。あなたの気持ちはちゃんと届いていますよ」
「!!! あ、アイリスが何か言ったのですか!?」
身分も忘れて勢いよくグレンに聞いてしまう。
そんなゼノを見てグレンはふっと笑いゼノの肩をぽんぽんと叩く。
ゼノは急激に恥ずかしくなり「す、すみません!」と謝った。
「いいえ……弟君と比べると、あなたはどこか愛らしい……と、男性に向かって愛らしいは失礼でしたね、申し訳ありません」
「い、いいえ! そんな……グレニー卿にそう言っていただけるのは、光栄です」
「私も言われたい~!」とシャーリーンが小声で言えば、グレンが今度はシャーリーンに向かってふっと笑った。
「きゃー!」と言ってジルの背に隠れている。
ジルはジルで’愛らしい’がつぼに嵌ったらしく口に手を当てて俯き震えている。
……笑いを堪えて。
そんなジルをグレンが見つめる。
「ジル様、ロペス卿に教えて差し上げてはいかがですか?」
「……俺の一存では無理です。一応国家機密ですので」
「一応、でしょう?」
「…………」
むっつりと黙り込むジルにグレンは苦笑した。
皆、自分の孫ほどにも幼い。
「若いですね……」
「…………」
グレンは頭に疑問符を浮かべるゼノに向き直ると優しく微笑む。
「私は、もう帰らなければなりません。あなたとアイリス殿が結婚したと聞き、様子を見に来ただけですから……仕事も溜まっていますしね」
「あ……」
散らばったままの書類を見られてまた恥ずかしくなった。
……片付けておくんだった。
「……ゆっくりと進んであげてください。大きな愛で包んであげてくださいね。あなたなら大丈夫ですよ」
「グレニー卿……」
愛とか言っても決まるお爺様に、ゼノもジルもシャーリーンも心の中で’かっこいい’と思ってしまった。
グレンが帰って行くのを見つめる四人。
アイリスも窓から見送っていた。
ジルとシャーリーンを見てグレンは子供を叱るように囁いた。
「結婚したばかりなんですから、もう少し遠慮してあげてくださいね」
最後に笑顔を残して馬車に乗り込む。
……どこまでもかっこいい。
やはり皆の憧れの的、グレン様なのであった。
コラボっちゃいました。えへ。
公爵夫人からグレン様、出張でございます。