新婚生活3
「アイリス、愛しています」
困ったように笑うアイリスを後ろから抱きしめふわふわの髪に顔を埋める。
小さくて、華奢で。
少しでも力を入れてしまうと折れてしまいそうだ。
そんなところがとても庇護欲をそそる。
腕に中に仕舞い込んでしまいたい。
……何度同じことを思ったことか。
「お帰りなさいませ、ゼノ様」
いつも通りの口調でアイリスが少し微笑んでゼノの言葉をさらりと交わす。
城から戻りアイリスを見た瞬間、ゼノは昨夜のことなど忘れてアイリスを抱きしめていた。
もちろん無意識。
しかし、アイリスに愛の言葉を流されてシャーリーンの言葉を嫌も自覚することとなる。
信じていないのだ。
ゼノがアイリスを愛していると言う事を。
愕然とした。
それでは何故アイリスは自分と結婚したのか。
そう思ったところで腰に鈍い衝撃が走った。
そしてそのままぽかぽかと足を殴られる。
……リュカだ。
色んな意味でリュカだと思った。
リュカを無視してそのままアイリスを抱きしめ続ける。
「ちーちーうーえー! アイリスはぼくのー!! はーなーしーてぇー!」
「……リュカ」
「リュカ様、そのように叩いてはいけません」
「えぇー? だって、ぼくとあそんでたのにぃ……」
うるうるとリュカに見上げられたアイリスからずっきゅーん……という音が聞こえた気がした。
アイリスはゼノの腕から抜け出そうとゼノの胸に手を置くが、むっとしてさらに強く抱きこんだ。
「あの、ゼノ様。離してください」
「……まさか実の息子に嫉妬してしまうことになろうとは」
「……ゼノ様?」
困ったように見上げるアイリスの顔。
ゼノに向けられるのはいつもこの顔だ。
息が苦しい。
心が痛い。
心臓が、止まりそうだ。
自惚れていた。
愛してくれていると。
自惚れていたのだ。
嫌っておきながら、自分の容姿、地位に。
自分を嫌う女などいるはずがないと。
「……リュカ、向こうで遊んできなさい」
「ええー!?」
「リュカ」
ゼノがリュカを睨みつける。
リュカの顔が泣きそうに歪む。
「ゼノ様、そんな……」
「アイリス、少し二人で話したいのです。……そんな顔をしないでください」
リュカよりも泣きそうになっているアイリスの顔に苦笑するしかない。
アイリスの一番はゼノではなく、リュカであることを告げているような気がした。
(泣きたいのはこっちだ)
離せといってもアイリスが抵抗することはない。
それをいいことに自分の胸にアイリスの顔を押し付けるように抱き込む。
すると、はーっとため息が聞こえた。
嫌な予感がして後ろに視線を向けると、そこにはリュカ。
先ほどの泣きそうな顔はどこにもない。
呆れたような大人びた顔。
……どこで育て方を間違えたのか。
「父上、アイリスは僕と遊んでいるんです。離してください」
「お前にはいつも驚かされる」
リュカに幻想を抱いているアイリスの耳を塞ぐようにさらに頭を抱きこむ。
亡き妻にリュカは生まれたその時から英才教育を受けさせられ、大人の中で育ってきた。
そのためか、幼いながらどこか達観したところがある。
顔はゼノにそっくりだが、中身は間違いなく亡き妻にそっくりだ。
あからさまなほどの二重人格。
リュカはその天使と言われる顔を最大限に生かして微笑んだ。
「今の父上にアイリスを任せるなんて馬鹿なこと、誰がするものですか。少し頭を冷やしてから出直してください」
「……私は冷静だ。お前はアイリスに近づきすぎだ。……アイリスは私のものだ」
睨みを利かせて言うと、リュカははっと笑った。
「父上、アイリスは僕のですよ」
「……本当にベアトにそっくりだな、お前は」
ゼノの言葉にリュカがニヤリと笑う。
亡き妻、ベアトリス。
ゼノよりも位の高い王族の姫。
王弟の娘。
おしとやかで気品溢れる彼女は……二重人格だった。
気が強くてわがままで。
欲しいと思ったものは何でも手に入れる。
ゼノはベアトリスの’欲しいもの’だったわけだ。
そのベアトリスにそっくりなリュカが、アイリスを欲している。
睨み合っているとふっとリュカが笑った。
そして小さな手でゼノの胸元を指差す。
「父上、アイリスが窒息してしまいますよ?」
「え……? あ、アイリス!? すみません!!」
「ぷはっ!」と離された瞬間口を丸く開け、空気を求めた。
相当我慢していたらしく、顔が真っ赤になっている。
「アイリスぅ~、だいじょうぶ?」
「え? あ……は、はひ……大丈夫です」
表情も雰囲気も話し方も全てが元通りだ。
そんなリュカを忌々しげに見つめ、今度はアイリスの苦しくないよう、包み込むように柔らかく抱きしめる。
「アイリス、すみません。苦しかったですか?」
「だ、大丈夫です」
「アイリス~あそぼ? まだお絵かきのとちゅうでしょ?」
「あ、はい」
満開の笑顔を向けるリュカに満開の笑顔を向けるアイリス。
……確かにリュカの言うとおり冷静ではないようだ。
ゼノは腕を解き、アイリスを自由にした。
「一先ず、引きます。でもアイリス、夜二人で話しましょう」
「夜、ですか?」
昨夜のことを思い出したのか、アイリスが不安そうな顔をした。
「決してあなたの嫌がることはしません」
真摯な瞳で、じっとアイリスを見つめる。
「でも……」
「だめだよー! アイリスは今日もぼくと寝るんだから!!」
……言いたいことは多々ある。
しかしここは冷静にならねば。
アイリスのドレスにしがみ付いて引っ張っているリュカを、大人気なく引き剥がしてはいけない。
顔が引きつりそうになるのを懸命に堪えた。
「アイリス、お願いします」
懇願するように言えば、アイリスがまた困ったような顔をする。
駄々をこねるリュカと目線を合わせて頭を優しく撫でる。
「夜は約束通りリュカ様のお部屋で寝させていただきます。だから、先に寝ていてください」
「え!? え、え~? やだ! だめ。やだよー!」
両手を握り締めて駄々をこね続けるリュカにぐらぐらしながらも、アイリスは言った。
「リュカ様、私は仮にもゼノ様の妻なんです。ですから、少し我慢してください」
「う~……」
「……仮ではなく、れっきとした妻ですよ」
大きな目に涙が盛りあがったリュカを「……もう我慢できません」と言って抱きしめたアイリス。
アイリスは自分の胸で泣くリュカをそれはもう、愛おし気に見つめる。
……冷静になれ。
ゼノは自分に言い聞かせる。
ぐすぐすとするリュカを抱き上げ、アイリスがやっとゼノを見る。
「それでは夜にお伺いさせていただきます」
「ええ……!?」
アイリスに返事をしながら、見てしまった。
リュカの嘘泣きを。
アイリスの腕に中で舌を出してゼノに「べー」としている。
……冷静に。
「アイリスーあっちのお部屋にいこー?」とリュカが言うため、二人が部屋を出て行く。
……冷静に。
しばらく、その場でぷるぷると絶えるゼノであった。
+++++++
「好きです。愛しています」
「……? はい、ありがとうございます」
「いえ、そうではなくて……いえ、合ってはいるんですが」
「……?」
何を言っているのかわからないとでも言うようにアイリスが首をかしげる。
本気で告白しているのだが、まるで相手にされていない気がしてしょうがない。
「私は本当に、あなたのことを愛しているんです。信じてください」
「……? えと、わかっていますよ?」
「本当に?」
「ええ?」
じとーっとアイリスを見つめるゼノ。
困ったように笑って首をかしげている。
……絶対に分かっていない。
ゼノはまいっていた。
全てがシャーリーンの言うとおりなのだ。
ゼノが自分に惚れることなどありえないと思っている。
それでは何を基準に’分かっている’と言っているのか。
さっぱり分からない。
とりあえず、自分の気持ちを何度も告げる。
「好きです」「愛しています」と。
言うたびに不思議そうな顔をするのだ。
……普通頬を染めて「嬉しい」と潤んだ瞳で見上げて来る場面のはずだ。
首をかしげる小動物のようなアイリスを思わず抱きしめてしまう。
なぜなら、可愛いから。
自分だけがこんなにも好きだなんて不公平だ。
「アイリス……あなたが好きなんです」
「どうなさったのですか? ……何か悩みでも……」
見当違い……でもないが、原因に言われては何とも言えない気持ちになる。
我慢ができない。
「……アイリスは私のことをどう思っているのですか?」
アイリスの顔を見れば眩しそうに目を細めていた。
「綺麗な、方だと」
「……そういうことではないんです。私を、その……好きですか?」
今度は怖くてアイリスの顔が見られなかった。
「まぁ」と言ってしばしの沈黙が降りる。
心臓が飛び出しそうなくらいに鳴っていた。
そして。
「……好き、だと思います」
「お、思う、なのですか!?」
「え……あの、ごめんなさい? ……あ、ゼノ様?」
「お、思う……」
いきなり顔を上げてアイリスを見たかと思えば、今度はガックリとそのまま項垂れた。
そんなゼノにおそるおそる近づきアイリスはそっとゼノの金糸のような髪に触れる。
なでなで。
その優しい感触に。
またしても思いが募る。
何故こんなにも好きなのか、自分でもわからない。
ゼノは項垂れたままアイリスに聞いた。
「……それでは何故、私と結婚を?」
「利害が一致するからでしょうか」
「……は?」
何を言われたのか分からない。
……利害?
「子爵家は経済難でしたし、私が資産家に嫁ぐのは自然なことです。子爵……お父様のご恩返しにもなります。貴族同士の婚姻が甘いものでないことは承知の上でしたが、幸いゼノ様はお優しいし、リュカ様のおかげで私の日々はとても充実したものになっています。……利害の一致ではありませんね。私ばかりが得しています」
「……」
「……こう考えると、私はゼノ様に感謝しても仕切れませんね」
「……アイリス」
「私、とても感謝しています。でも、気を使っていただかなくとも私は大丈夫ですよ?」
「アイリス」
「その、昨夜のような態度は女性を勘違いさせてしまうと思うので、気のない相手には余りしない方が……」
「アイリス!!」
穏やかに笑い、言葉を紡ぐアイリスにゼノは耐え切れなくなった。
がばりと起き上がりアイリスの細い肩を掴む。
「何故、信じてくださらないのですか!? 何度も言っています。私はあなたが好きです、愛しているんです……信じてください」
「え……!? ゼノ様……? な、泣かないでください」
「泣いてません!!」
アイリスを睨みつけながら、サファイアのように煌く青く美しい瞳から涙が零れていた。
アイリスはゼノが泣いていることに焦りながらも、とても眩しそうにゼノを見ていた。
まるで宝石のような涙の粒を細く白い指で受け止める。
その仕草一つでさえ、愛おしいと感じてしまう。
だからこそ、辛い。
「私のことを好きでないなら、どうして優しくするのですか……?」
「……!」
ゼノの呟きにアイリスは手を止める。
そして何故か自嘲気味に笑った。
その顔が余りにも寂しそうで、悲しそうで。
ゼノまで悲しくなった。
「……ごめんなさい、クセのようなものなんです。気に障ったのなら気をつけます」
そう言って手を引っ込めようとするので反射的にその小さな手を追いかけて捕まえる。
窓から月明かりが差し込んで2人を照らす。
アイリスは掴まれた手を見ていた。
無表情だった。
その顔を止めさせたくて頤を掴み顔を上げさせると、やはり眩しそうに見つめられる。
そのまま顔を近づけ口づけた。
触れるだけの軽いキス。
ゆっくりと顔を離せばアイリスは眉根をよせて、何かを耐えているような顔をしていた。
……今にも泣き出してしまいそうだ。
「……どうして、拒まないのですか?」
「私は……あなたの妻です」
「でも、私のことを愛してはいないのでしょう?」
「それは……」
リスのようだと思った。
ふるふると震え不安げにゼノを見上げるアイリス。
しかし、俯いてしまう。
泣かせてしまったのだろうか? と手を伸ばした、が……。
「触らないで」
「え?」
アイリスは自身の体を抱き締め俯いたまま冷えた声を出した。
「……すみません。私、もう行きます」
「アイリス」
部屋を出て行こうとするアイリスの腕を咄嗟に掴めば、振り払われた。
「ぃやっ! 触らないで!!」
「!!」
振り返ったアイリスは泣いていた。
そして……怯えていた。
そのことに怯んでアイリスを逃がしてしまった。
たぶんリュカの部屋に直行だろう。
追いかけたかった。
でも……追いかけられなかった。
頭がぐちゃぐちゃで。
どうしていいか分からなかった。
遅くなりました・・・ごめんなさい