初夜
再び披露宴へ戻ればリュカにアイリスを取られた。
取り返す暇もなく招待客に囲まれたゼノは、仕方なく相手をした。
ゼノの周りに人垣ができ、アイリスの頭すら見えない。
ゼノは愛想笑いを浮かべながら、全神経をアイリスに集中させるが気配すら感じられないほど距離が開く。
(邪魔だ、消えろ)
愛想笑いを浮かべつつ腹の中は真っ黒だ。
ゼノを見上げてぽーっとしている令嬢たちを何気なく見る。
誰もがゼノに見惚れ、恋でもしてしまったかのようだ。
心なしか密着されている気がする。
ゼノは今、とても複雑な気持ちを味わっていた。
(……これがアイリスだったらな)
このご令嬢達のようにアイリスがゼノを見たことは一度もない。
頬を染めることがあっても、それは恋をしているのではなく、ただ恥ずかしさからくるもの。
考えれば考えるほど不安になってきた。
だって結婚当日にこんなに離れている夫婦がいるだろうか?
本当ならばこのご令嬢達のように、夫をうっとりと見つめて寄り添っているものではないだろうか?
……アイリスは自分を愛してくれているのだろうか?
先ほどのジルのことと重なり、弱気になる。
しかし同時にアイリスを信じると決め、口づけを交わしたことを思い出し、自身を励ました。
「ゼ、ゼノ様? ……私、そんなに見つめられたら……」
「ああ、失礼しました。美しい御髪ですね」
「ま、まぁ。そんな……美しいだなんて」
見ていたつもりは全く無かったが視線の先にいたご令嬢が顔を真っ赤にさせてゼノを見上げていた。
適当なことを言って誤魔化し、人垣を抜けようと試みる、が。
「ああん! ゼノ様そんないきなり……」
「は?」
「まぁ! あなた何を勘違いしてらっしゃるの? ……ゼノ様こちらへどうぞ。喉が渇きましたでしょう? シャンパンがありましてよ」
「いえ、別に……」
「いいえ、それよりもこちらへ。実は私今日のために新しいドレスを作らせましたの」
「いえ、だから……」
「私だってそうですわ! ゼノ様のために作らせた最高級のドレスですわ。それに靴だって……」
「いや、ちょっと、通してください」
「そんなぁ、ゼノ様もう少しお話しましょう?」
「通してください!!」
どんなにゼノが抗議をしてもご令嬢達はめげない。強い。
と言うか何故こんなに未婚の令嬢達が披露宴に来ているのか分からない。
確かに招待状を送ったが、娘まで招いたつもりはない。
ご令嬢にもみくちゃにされ、香水や化粧の匂いでゼノは気分が悪くなった。
貴族とは面倒なものだ。
本気をだせばこのような人垣を抜けることは容易い。
しかし何かの拍子にご令嬢に怪我でもさせたら事だ。
乱暴な言葉もいけない。
なんと面倒くさいのか。
ゼノが人垣を抜けたときにはすでに日も傾き、披露宴が終わる頃だった。
やっと抜け出せたゼノは一番にアイリスを探したが見つからない。
焦って使用人に確認すれば、ずいぶん前にリュカと一緒に屋敷へ戻ったらしい。
置いていかれて呆然としたが、それはすぐに焦りと期待に変わった。
もしかして。
アイリスはゼノとご令嬢達のやり取りを見て、誤解をしたのでは?
それとも焼もちを焼いてくれた?
どちらにしても直ぐにアイリスの下へ行って弁解せねば、とゼノは急いで帰ろうとした。
が、がしっとむさ苦しい手に肩を掴まれ引き止められた。
……こいつらには遠慮はいらない。
「離せ。むさい」
「なんだよ! せっかく結婚祝いに来てやったのによ!」
「そうですよ! 隊長、爵位継いでから全然隊に来てくれないから寂しかったんですよ!!」
「来たら相変わらず女に囲まれて近づけませんし」
「やっと捕まえたんですから隊長も相手してください」
「馬に蹴られるから止めようと思ったんだけどさー、奥さんさっさと帰っちゃったし、構わないだろ?」
「私も帰る。お前らも帰れ」
兵役時代の仲間達に囲まれ、鬱陶しそうに手を払う。
何気にゼノは女だけでなく、男受けも良い。
女にモテるが基本興味の無いゼノは女気の無い軍にはまさに客寄せパンダのように女を集めた。
何気に面倒見もよく仲を取り持ったりもしてくれる。
女がらみでなくとも、努力家で誠実なゼノを皆が慕っていたのだ。
軍では第二軍の隊長を任され、その強さと統率力が、第一軍隊長となっていたジルと共に噂になっていた。
「えー!! 嫌ですよ!! 僕たち隊長が抜けるまでずっと待ってたんですから!!」
「そうそう、飲もうぜ!!」
「……馬鹿か? 帰れ。お前らといるよりアイリスと過ごしたいに決まっているだろう」
ふん、と一睨みして踵を返すが、足が止まった。
男達が話し出した会話のために。
「あーあー、惚気ちゃってー。てか何でアイリスちゃんと結婚するかなー? 隊長ならより取り見取りだろ」
「本当に!! 僕アイリスちゃん狙ってたのに!! いつも差し入れとかしてくれてさー・・・家庭的だし、素朴だけどそこがいいんだよねー。落ち着くし、癒されるし」
「それに気配り上手ですよね。落ち込んでたら励ましてくれたり、疲れていたら労ってくれたり」
「あ、私も実はいいなーと思ってたんです。笑顔が可愛いですよね。いつもふわふわ笑ってくれてるし、でもちゃんとしっかりしてて」
「昔からアイリスちゃんしっかりしてたもんな! 俺、怪我したときそのままにしてたら怒られてさー。でもちゃんと手当てしてくれんの。ぷりぷり怒りながらさ!! すっげぇ可愛いの!!」
「……全員そこへ直れ」
地の底から声が響いた。
怒りで。
美しい顔がまるで悪魔のような形相になっていた。
男たちはその迫力にたじたじとなり、じりじりと後ずさる。
「どういう事だ!! 答えろ。事と次第によっては殺す。さぁ、言えっ!!」
「どう言う事って……あ、そっか。隊長だけアイリスちゃん知らなかったもんなー」
「ちゃん……?」
「い、いえ!! 奥方様です!!」
「隊長はいつも女性に囲まれて知らなかったでしょうが、奥方様はいつも軍の訓練を見に来られていたんですよ?隊長が爵位を継いでからもずっと来てくださって、隊長がいなくなって潤いの無くなってしまった軍の潤いだったんですよ」
「可愛かったよなー。あの頃アイリスちゃ……いや、奥方まだ10歳かそこらだっただろ? それにどんどん育って女になってくしなー。そりゃ惚れる……ぐあ!!」
男の首を締め上げるが怒りが収まらない。
なんだ、それは。
ゼノは全く知らなかった。
確かに小さな女の子がお菓子やら飲み物を差し入れしてくれているのは知っていた。
食べたことはないが。
(こいつらのせいで!!)
そのときゼノは女に囲まれ、ゼノだけの差し入れを(無理やり)渡されていたため、皆が「隊長はそれがありますもんね~」と言われて一度も食べたことがなかった。
十歳のアイリスは愛らしかったに違いない。
こいつらは見たのに自分は見れなかった。
悔しくて、嫉妬で狂いそうになった。
アイリスちゃん、などと馴れ馴れしく呼んでいるのも気に食わない。
「死ね。死んで償え」
「ぐ、ぐえぇぇぇぇ!! や、ちょ、マジ死ぬ! やめてくれ!! ぐぉ!」
「隊長! 締まってます! それ、本気で締まってますよ!」
「当たり前だ。本気だからな」
「……白目になってますよ?」
「わー!! ちょ! 皆止めろー!!」
ぎゃーぎゃー喚いていたら夜になってしまった。
ゼノはしぶとい男を見て舌打ちをして踵を返した。
「げほっ! ……あれ? 隊長かえんの? ここまで来たら飲もーぜー?」
「馬鹿ですか。今日は初夜なんですよ?」
「だからだよ!! 何のために来たのさー!!」
「……もしかして邪魔するためだったんですか?」
「「「「当たり前だろ!??」」」」
ゼノはくるりと振り向き、とびっきりの笑顔を向けた。
「お前達、次会ったら殺す」
絶対零度のその笑顔に誰もが氷付けになったように固まったのだった。
+++++++
部屋に戻ったゼノは嫌な予感がした。
……アイリスがいない。
夫婦の部屋に、だ。
今日は初夜なはずで、ここでゼノとアイリスは愛しあう予定だったはず。
先ほど嫌な思いはしたが、アイリスがベッドの上で待っていてくれていることを期待して帰ってきたのもまた事実だ。
しかし、いない。
たぶん、自分の予想通りだと思うが、出来れば外れていて欲しい。
ゼノはそう願いながら、ある部屋の扉を開き……自身の予想が的中したことを知る。
脱力してベッドの横に四つん這いにへたり込んでしまった。
そう、ここはリュカの部屋。
ベッドにはリュカを抱きしめてすやすやと眠っている愛しい妻、アイリスの姿があった……。