幼馴染
ヴェールを上に上げて出てきた彼女はとても美しかった。
遠慮がちに伏せられた目を自分に向けさせたくて頬に手を当てると彼女が小さく震えるのが分かった。
顔を上げさせ、余りの可愛らしさに目を見張ってしまう。
不安に揺れた潤んだ瞳が見上げてきているのだ。
庇護欲を刺激され、抱きしめそうになるのを必死で我慢した。
薄く化粧を施され、唇が美味しそうに濡れている。
まだ、ゼノがそこに触れたことはない。
いつもリュカに邪魔をされるからだ。
夢にまで見たアイリスの柔らかそうな薄い桃色の唇。
重ね合わせるように優しくキスをする。
ゼノは今、最高に幸せだった。
結婚まで扱ぎつけるのにどれだけ苦労したことか。
贈り物を贈り、毎日思いを込めた手紙を送った。
会いに行けば困った顔をされ、デートに誘えば着ていく物がないといって断られた。
だからドレスと靴、そして帽子を贈れば突き返されてしまった。
「そんなつもりで言ったわけではない」と。
それでも受け取って欲しくて直接渡しに行けば、贈り物が山積みになって置かれていた。
……未開封で。
(あれは落ち込んだ)
使ってくれるどころか開けた形跡さえなかったのだ。
流石にあきらめるしかないと思ってしまった。
だから最後に賭けたのだ。
アイリスの父に手紙を送り、家に招待してもう一度告白する。
それで駄目ならあきらめようと。
お菓子を美味しそうに食べる彼女が可愛くて笑えば、良い雰囲気だったのになにやら怪しい空気になり本気で焦った。
彼女が相手だと何もかもが上手くいかない。
途中リュカに邪魔をされたが、結果的にはリュカのおかげで彼女はゼノの求婚を受け入れてくれた。
それからと言うもの、彼女はよく家に訪れてくれるようになった、が。
リュカがへばり付いて離れない。
リュカが邪魔で愛しい彼女が直ぐ隣にいるのに指を銜えて見ていることしかできなかった。
手を握れば困った顔をされ、抱き寄せては困った顔をされ……。
いや、困り顔も可愛いのだがリュカに向ける笑顔を少しでも自分にも向けて欲しかった。
そんなこんなでアイリスとやっとキス出来たゼノは幸せだった。
腕に力が入りそうになるのを必死に堪え、名残惜しいが唇を離すと、彼女が縋ってきたのだ!
足に力が入らないらしく小刻みに震えている。
可愛い。可愛すぎる。
思わず彼女を抱き上げていた。
皆が祝福の声を上げてくれるのが嬉しくて自然と頬が緩む。
皆に答えながら「笑ってください」と彼女に言えば首に手を回し抱きついてきてくれた。
幸せだと思った。
でもやはりリュカが邪魔をする。
それでも機嫌が良かったので彼女を下ろし、リュカにも幸せのおすそ分けをしてやろうと思ったのだが……。
彼女の今日一番の笑顔がリュカに向けられたのを見てまたしても嫉妬。
いつものように二人纏めて抱き上げればやっぱり困った顔をされた。
(……いや、大丈夫だ。これから時間はいくらでもある)
彼女は今日自分の’妻’になったのだ。
彼女はもうゼノのものだ。
これからのことを思い、ゼノは最高級の笑顔を妻に向けた。
+++++++
侍従が告げた人物にゼノはため息を吐いた。
アイリスから離れたくないのだが、行かねばならない。
「直ぐに戻ってきます。だから、他の男と話したりしないで下さいね」
「大丈夫です。私のことはご心配なさらず行ってきて下さい」
穏やかに微笑むアイリスが心配で仕方が無い。
プリンセスラインのウエディングドレスはゼノが決めたもの。
予想通りアイリスの愛らしい雰囲気にぴったりで可愛い。
くりくりとした大きな目に見つめられゼノはますます離れたくなくなった。
しかし、行かねばならない。
無理やりアイリスから視線を外し、早く用事を済まそうと急いで客人が隠れているという庭の茂みに急いだ。
「……なんだ、お前一人か? 俺は花嫁を見に来たのだが。お前の顔など見飽きている」
「……なんであなたがここにいらっしゃるんです?皇太子殿下」
そこにいたのはこの国の王子。
身分で言えば王に次ぐ地位にある。
黒い髪、黒い瞳の黒ヒョウを連想させる雄雄しい男。
ゼノは王子を見てこめかみを押さえた。
「今日の主役は私と妻なんですよ。我々より身分の高いあなたが来て良いわけがないでしょう。臣下の結婚式に来られるなど非常識にもほどがあります」
「だからこうしてこっそり来てやったんだろう? いいから花嫁を連れて来い」
「殿下……」
「今更他人行儀な……名前で呼べ」
「……ジル様」
ゼノとジルは幼馴染だ。ゼノが爵位を継ぐまで共に勉学や騎士の訓練を受けていた。
実は前妻と結婚したきっかけとなったのもジルだ。
ジルが平和協定のため他国の姫を娶るとき、「俺だけでは不公平だろう」と言ってゼノが結婚しなければ自分もしないと王や宰相達を困らせていたのを今でも覚えている。
政略結婚の割には姫、シャーリーンとの関係は良好なようで、跡継ぎが期待されている。
「おい、早くしろ。俺はアイリスを見に来たんだ」
「……あなたがアイリスを覚えていたとは意外ですね。一度踊っただけでしょう?」
「……いいからつれて来い」
どうしてこう、この幼馴染は短気なのか。
ドスの効いた声を出されてため息をついた。
ジルは言い出したら言う事を聞かない。
「……わかりました。しかし妻にそんなドスの効いた声、出さないで下さいね」
「当たり前だ。早く行け」
披露宴に戻るとアイリスはリュカを抱っこして食事を楽しんでいた。
アイリスを見た瞬間、何ともいえない気持ちになって小走りになっていた。
ゼノを目に留めたアイリスが微笑んでこちらを見る。
幸せだ。
「おかえり! ちちうえー!」
「おかえりなさいませ。ゼノ様」
「ああ……」
(抱きしめたい。今すぐ……)
無意識にリュカの子守をしてくれそうな使用人を探してしまうが、目的を忘れるわけにはいかない。
屈んでアイリスだけに聞こえるように囁く。
「アイリス、申し訳ありませんが少し披露宴を抜けていただけますか?」
「それはかまいませんが……どうしたのですか?」
「それは後で」
使用人にリュカを預けアイリスの手を取り、抜け出そうとした。
しかし今日の主役を逃す客達ではなかった。
いきなり群がってきた貴族達に舌打ちが出そうになったが、いきなりアイリスが腕の中に倒れこんできて心臓が跳ねた。
「ど、どうしたんですか?アイリス」
「……申し訳ありません、気分が悪くて。少し風に当たって来てもよろしいでしょうか?」
「大丈夫ですか? 急いで風通りのいい所へ行きましょう!」
「きゃっ!」
ゼノはアイリスを抱き上げ、急いで貴族達を押しのけ静かな場所へ向かおうとした。
が、アイリスに腕を引かれて止まる。
「ゼノ様! 嘘ですから、そんなに焦らないでください」
「う、嘘……? なんでそんな」
「人垣から抜け出すためです。これでしばらく戻らなくても大丈夫でしょう?」
「あなたって人は……」
安心した。
アイリスは機転の効くのかと関心していると、茂みからがさり、と音がした。
「遅い!」
「…………」
現れたのはジル。
ドスの聞いた声が直っていなかった。ゼノが文句を言おうとしたら意外なことにアイリスが話しかけていた。
「まぁ、殿下。お久しゅうございます。先日はお手紙をありがとうございます」
「ああ、急に来てすまんな。どうしてもお前の花嫁姿が見たかったんだ」
「まぁ……お恥ずかしい限りです。その……私の花嫁姿など」
「うるさい、黙れ。とても綺麗だ。ゼノが邪魔だがな。……おい、いいかげんアイリスを下ろせ。それでは全身が見れんだろう。……なんだ? そのあほ面は」
余りにも親しそうな二人にゼノは開いた口が塞がらない。
しかもこの空気はなんだ?
ジルに褒められ恥ずかしそうに頬を染めるアイリスに、そんなアイリスを愛おしそうに見つめるジル。
幼馴染のゼノでさえジルのあんな笑顔を見るのは初めてだ。
ゼノはアイリスを抱く腕に力を入れた。
「……失礼ですが、妻とどのようなご関係で?」
ゼノが問えばアイリスとジルがアイコンタクトをする。
そんな些細なことさえ許せなかった。
「答えてください!!」
「ゼ、ゼノ様?」
王子であるジルに対する態度ではないことは承知しているがどうしても抑えることができなかった。
アイリスは抱き上げられたままおろおろしだす。
ジルが盛大にため息を吐きゼノを睨んだ。
「いきなり大声を出すな。アイリスが怯える。あとお前が思っているような関係でないことは確かだ」
「では、手紙と言うのは?」
「なんだ、俺に女の友人が居てはおかしいか?お前がアイリスに出会う前からアイリスとは文を交わしていたんだ」
「そんなことは聞いたことがありません」
「何故言わねばならん? お前は俺の母親か何かか?」
睨みあう二人の殺気にアイリスが震えた。
二人はそんなアイリスに気づき、焦る。
「ああ、アイリス。申し訳ありません、怖がらせてしまいましたか?」
「すまん。怖かったのか?」
「え……? あ、ええ、大丈夫です」
アイリスが無意識にゼノの胸元の服を握り締めていた。
そのことに勝ち誇った笑みを浮かべジルを見れば、ジルは苦虫を噛み潰したような顔をした。
しかしふん、と眉を寄せ、ゼノの胸を指差す。
「いいか、絶対幸せにしろ。少しでも泣かせてみろ。殺すからな」
「言われなくとも」
ジルの突き刺さるような視線を真正面から受け止める。
ジルはニヤリと笑ってさっと近づいたかと思うと、アイリスの頬にキスをした。
「なっ!!!!!」
「は! 隙だらけだ。そんなことでは先が思いやられるぞ!!」
ゼノが文句を言う前にジルは踵を返して去ってしまった。
しかしゼノはそれどころではない。
ジルにキスをされたアイリスの頬を自分の手のひらで擦った。
「大丈夫ですか?」
「ん……はい」
くすぐったそうにするアイリスを見ながら、ゼノを不安が襲う。
「アイリス、その、ジル様とはどのような関係で……?」
ここで「恋人でした」とか言われたら間違いなく嫉妬でアイリスを監禁してジルに決闘を申し込む自信がある。
願うような気持ちでアイリスの返事を待っていると、いつもの困ったような顔をされた。
「申し訳ありません。私の一存でお話できるものではないのです。……かと言ってゼノ様に嘘を言うのは嫌です。だから、聞かないで下さい。もしくは殿下にお聞きください。あの方が良いと仰るのであれば私はそれに従います」
「…………」
嘘を吐きたくないと言ってくれるのは嬉しいが、ジルを信頼していることが分かる言葉に心がもやもやした。
「信じていいんですね?」
「はい」
嘘のないアイリスのまっすぐな瞳にゼノは降参するしかない。
しかしやっぱり許せないとジルがキスを落としたアイリスの頬を見る。
「……わかりました。しかしあなたの頬にキスをしたことは許せません。消毒します」
「消毒?」
こてん、と首をかしげるアイリスの頬にちゅ、とキスをする。
アイリスが真っ赤になってゼノを見る。
瞳が潤んでいる。
可愛い。
「……目を、閉じてください」
言えば、少し躊躇ってアイリスがぎゅっと目を閉じた。
必死すぎるその姿に苦笑する。
二度目のキスは一度目よりも長く、情熱的だった。