しこり
口元を見ているのか、先ほどから目線が合わない。
必死に説明をしてくれるのだが、泣かないようにするのが精一杯。
「……わかっていただけましたか?」
「……つまり、私の顔が綺麗過ぎて隣に並びたくないと?」
ゼノの耳にこびり付いて離れなくなりそうなほど繰り返された「美しい顔」と言う言葉。
比べられるのが嫌だ、とそう言うことなのだろうか。
眉をハの字にして落ち込む。
「えと、それもありますがそうではなくて。その、美しい人を見るとお母様のことを思い出してしまうんです」
「……あるんですか」
「え? え! そ、そうではなくて」
美しい人間がトラウマになるほど今は亡き王妃と何かあったことはわかったのだが、隣に並びたくないと思われるなんて……!!
がばりとアイリスに覆いかぶさるように抱きしめ、そのふわふわの小麦色の髪に顔を埋めてついに涙した。
「う……ぅう……アイリス……そんな、私はどうすれば……」
やっと手元に戻ってきたアイリスから打ち明けられた本心に混乱するばかり……だったのだが。
傷心のゼノにたいして無慈悲な言葉が聞こえてきた。
「気持ちわるぅーぃ……」
本当に気持ち悪いと思っていることを隠しもし無い表情をしたうるをゼノはきっと睨んだ。
「あなたに、私の気持ちなどっ……! ……いえ、あなたのせいではありません。でも、でも……」
「あ、あのゼノ様。うるは考えを素直に口にしたほうが良いと言ってくれただけで……」
「なお悪いではありませんかっ!! と言う事は先ほど仰ったことは夢でも冗談でもなく現実!? ま、ましてやあなたの本心などとっ……私は、私は……!」
ぎゅうぅ……っとアイリスを力いっぱい抱きしめて子供のように泣いてしまいそうになるのを必死に堪えた。
その結果余計に見っとも無いことになったのだがそれはしょうがない。
自分の鼻を啜る音しか聞こえなくなった室内。
どうやら皆、気を利かせて退室したらしい。
アイリスは重いだろうに、ゼノを受け止めて背中をずっとあやす様に叩いていた。
アイリスの首筋に顔を埋めたまま、ぼそぼそと話しかける。
「……アイリス」
「はい」
「……好きです」
「私もです」
「……嘘だ」
「嘘ではありません」
「……では、目を合わせてくださいますか」
「……努力いたします」
そっと、おそるおそる身体を離してアイリスの顔を窺うようにちらと見れば、さっと顔が反らされた。
「……」
「……」
「……アイリス」
「……も、申し訳ありません……」
深呼吸をしてアイリスが意を決したようにゼノを見た。
アイリスに見つめられて、ゼノは思わず蕩けるように笑った。
「う……」と呻いたアイリスが何か言いたそうに視線を彷徨わせる。
「どうなさいました? これからは考えを素直に口にするのではなかったのですか?」
言いにくそうにしているので優しく笑って先を促してやる。
不安げであろうが苦手であろうが、ゼノのためにゼノを必死に見つめているのが嬉しい。
「……その」
「なんですか? ……まさか、もう限界だとか?」
「いえ、そうではなくて……」
「?」
しゅんとなったアイリスを不思議に思って手を伸ばすが、それは叶わなかった。
上目遣いにアイリスがまた、ゼノを見上げた。
「……醜い、と思ってないですか?」
「……は? 何がです?」
「……私のこと」
「……は?」
何を言われたのか分からなくてまじまじとアイリスを見れば、アイリスが泣きそうに顔を歪めた。
慌てて返事をする。
「そんな訳あるはずがないでしょう! 何故私が愛しいあなたを醜いなどと……!」
「……だって」
「だって? なんですか。この際、全てを私に打ち明けてください。私は何があってもあなたを手放すつもりはありませんし、どう思われていようと私の心が変わることはありません」
泣くかもしれないけれど、と心の中で付け加える。
情け無いので口にはしない。
「……だって、お母様が私を見るのはそう言う意味しかなかったから」
「アイリ……」
「なのに、あなたは」
真珠のような涙がアイリスの頬を伝う。
息を呑んで見上げて来るアイリスをただ見つめた。
「あなたは、私なんて足元にも及ばないほど美しいのに、いつもいつも私を好きだと仰るの」
「前まではあなたになんて興味すらなかった。どうでもよかったから、目を合わせても平気だった」
「きっとあなたも私のことを醜いと思っているのだと、視界に写る事さえ許されないと思っていたけれど、あなたのことなんてどうでも良かったから。何と思われても平気だったから」
「それなのに、あなたは私を好きだと言って。絶対にからかわれているか打算があるとしか思えなくて。もし本心だとしてもあなたみたな人の傍はきっと苦労する」
「……あ、あの。アイリス……それ以上は……」
全て聞きたいとは言ったが、愛しい人から何度も「興味がない」「どうでもいい」などと言われたらどんなにタフな人間でも凹むはずだ。
涙を流し、真剣に「あなたなんてどうでもいい」と言われては風化するしかない。
ゼノは真っ白になっていた。
今もしも風が吹けば塵となって霧散してしまうだろう。
(……この顔か。この顔がいけないのかっ!?)
今日ほどこの顔がいやになった日はない。
「あなたなんて……」
「まだあるのですか!?」
声が裏返ってしまうほど驚いたのだが、アイリスは「ちゃんと聞いてください」と言ってゼノを少し睨んだ。
怖いどころか可愛らしいだけのその仕草も、これから何を言われるのかと怯えてそれどころではない。
「あなたなんて、どうでもよかったのに。ずっと好きだって言ってくれて。ずっと傍にいてくれて。それが当たり前になって。……離れて、初めてあなたのことを好きになったことに気づいて。急に、怖くなったの」
「……アイリス」
「あなたみたいな人に、私は相応しくない」
「あ、アイリス!?」
先ほどから天国と地獄を交互に体験している気がするのは気のせいだろうか?
ゼノは焦ってアイリスを確保するように引き寄せる。
「相応しい相応しくないの問題ではありません! そんなことを言うのであれば私の方があなたに相応しくない。だって、あなたは王女だ」
「そんな! 身分なんて関係ありません! それに私は捨てられた身。私に価値など……」
「アイリス!!」
「!」
自分を貶めるような発言をするアイリスを咎めるように名前を呼べば、アイリスがびくりと震えた。
しかし涙を流したまま、ゼノの胸元に手を添える。
「違います。違うの。私、頑張りたい」
震える声で、縋りつくような光を讃えたアイリスの瞳から目を反らすことは無い。
「私、もうあの頃のように子供ではありません」
密着する身体から伝わる体温と、柔らかな優しい香。
「愛して欲しい。愛したい。……逃げたくない」
背中に回された細い腕に胸にうずくめられた小さな頭。
「ゼノ様」
「……は、はい」
見上げて来る瞳は、怯えを含んではいるが懸命にゼノをひしと見つめる。
「……あなたが、好き」
逃げたくない、といいつつ今にも逃げ出したいのだろう。
それほどまでに人を愛してしまうことに、そしてそれを拒絶されることに恐怖している。
ゼノの支えがなければ床に座り込んでしまうほどアイリスの小さな身体は震えていた。
恐れと、戸惑いと、緊張と、喜びと、未知と。
色々な気持ちが混ざり合って、アイリスは青ざめ今にも倒れそうだ。
そんなアイリスが、自分のために変わろうとしてくれているのが嬉しくて。
愛を恐れるアイリスにもっと愛を教えてあげたくて。
「……アイリス、愛しています」
強張った顔に口付けをいくつも落とし、少しでも体温が戻るようにと唇をこすりつける。
「好きです。愛しています」
「わ、私も」
「無理をしなくても構いません。あなたのペースで少しずつでいいんです。……いつか、あなたが私の気持ちを受け止めきれるくらいになったら、聞かせて下さい。私の好きなあなたの笑顔で」
「……はい」
ちゅっと小さくキスをして。
素直にそれを受け入れるアイリスに嬉しさがこみ上げて。
さらにキスを深めようとしたそのとき。
お互いの唇が触れ合うその距離で、アイリスはにっこりと笑った。
ぶちっ、っと何かが切れる音が頭の中でした。
が。
「私、頑張ります。ゼノ様の隣にいられるように。思ったことをできるだけ口にするようにしますから、卑屈な考えのときは怒ってください」
「……では、まずこの手をどけて私の目を見てください」
「……」
「……」
ゼノの口にはアイリスの両手が添えられ、アイリスの視線は若干下を向いていた。
うろうろと視線を彷徨わせた後、アイリスは蚊が鳴くような声で答えた。
「きょ、今日はもう無理です」
「……何故ですか」
きゅうぅ……とアイリスの眉が寄ってまた泣きそうな顔。
「……だって、今私何かしてしまったのでしょう?」
「?」
意味が理解できず首を傾げる。
「……お顔が怖かったです」
「! いや、怒ったわけではなく……」
欲情しました、なんていえない。
上手い言い訳を考えているうちにアイリスが欝に入ってしまう。
「……至近距離で私の顔を見たから? でもゼノ様は私のこと好きだって……。でもゼノ様はお優しいから……」
そのまま勘違いして自己完結してしまいそうなアイリスの思考を遮断するために、ゼノはアイリスの手を握って抱きしめなおした。
再び至近距離で見詰め合って、アイリスが怯えたように涙ぐむ。
(さ、さすがに傷つく……)
ひくりと引きつりそうになった顔をなんとか押し止め、無理やり笑うとアイリスは涙ながらに謝罪を繰り返した。
「申し訳ありません……。私、ゼノ様のことが好きなのに、怖くて、まだ信じきれてなくて。ごめんなさい、ごめんなさい」
「謝らないで下さい。私のアプローチの仕方が足りなかったのでしょう」
「……え?」
「ああ、いっその事私の胸を切り開いてあなたに私の心の中を直接見せて差し上げたい」
「え、え」
内心物凄いダメージを受けながらも、年の離れた新妻にそのようなかっこ悪い姿は見せない。
……さっき縋りついて泣いていた? 夢でも見たのではないか?
ごほん。
「あなたが私の愛を理解されるまで、今までよりも更に私の気持ちをあなたにぶつけることにします」
「あ、あの」
「好きですよ……」
「あ……」
驚いて目を丸くするアイリスの唇に唇を重ねようとした。
ぐきっ。
アイリスの腕によって頭が押しのけられる。
後ろの風景が見える。
「きょ、今日はもう無理だと申し上げました!!」
一日に制限があるのか……とゼノは腕の中で真っ赤になって震える新妻をしょんぼりと見下ろした。
全てを打ち明けて、結果欝少女となったアイリス。
ゼノの不憫生活はもちっと続く! (ごめんね!)




