気持ち
「まぁ……痛かったでしょうに。可哀想ぉ……女の子なのにぃ」
「……っ」
「唯のかすり傷だけれど……心に傷が残るのよねぇ」
「……っ!」
「誰にやられたのかしらぁ? 女の子に傷を付けるなんて最低ねぇ。……その相手はちゃんと謝ったのかしらぁ?」
「っつ!!」
「……まさか謝られてないのぉ? アイリーンちゃん」
「ま、まてっ……!」
間近に迫ってきたウルの顔にアイリスがどぎまぎしていると、ウルの後方に突っ立っていたジークが焦ったような声を出した。
「す、すまなかった」
「あらん? 最低男はジーク様でしたのぉ? ……謝る相手が違いましてよぉ?」
「……っ」
声は面白がっているのだが、ウルの目は笑っていない。
アイリスからは見えなかったが、その顔が見えていたジークは青くなっていた。
ぐっと顔を顰めたジークが何かに耐えるように拳を握ったあと、きっとアイリスを睨んだ。
征服王と恐れられるブロレジナ王の息子だけあって、その存在感は半端ない。
大の男でも怯むものをアイリスが耐えられるわけもなく、見っとも無く身体が震えた。
「……すまなかった。傷を付けるつもりは無かったが……いや、言い訳はすまい。許せ」
顔を顰めつつも馴れない言葉で謝るジークにアイリスは「……いえ」と呆けた返事しか返せない。
この程度の傷、なんてことは無い。ただのかすり傷だし、それこそ二、三日もすれば跡形も無く消えるだろう。
そんな事よりも、首長国であり、この辺り一体の国を制圧している国の第一王子に謝罪の言葉を受けていることが信じられなかったのだ。
そして更に信じられないことが起きた。
なんと、うるがジークの頭を撫でたのだ。
「うふふ、ちゃんと謝れて良い子ですねぇ」
「っつ!こ、子供扱いするなっ!!」
ウルの手を振り払いつつも嬉しそうなジークをまたもや唖然と見つめてしまう。
その顔は朱に染まっており、ウルへの好意が駄々漏れだった。
ぽかんと見ているとうるがアイリスに申し訳なさそうに謝ってきた。
「ごめんなさいねぇ。私からも謝るわぁ……私の監督不行き届きだからぁ。不出来な教え子を持つと先生は大変なのよぅ」
「なっ!」
「え!?」
憤慨するジークと驚くアイリス。
不思議に思って視線を投げかけると、「ジーク様の教育係をしているの」とうるが何でもないことのように答えた。
それでこんなにも仲が良いのか、と納得する……ようなしないような気持ちのアイリスだったが、グレンの妻だし……と結局は納得する。
「何をやっているんですか、あなたたちは。……ゼノでなくて申し訳ありませんね」
部屋に戻ってきたロベルトを見て、アイリスはあからさまに肩を落とした。
アイリスとジークが居るためか敬語である。
そう、ゼノが部屋から消えて時は余りたっていない。
ジルは王に呼ばれて、ロベルトはゼノの行方を調べるために退室していたのだ。
アイリスも探しに行きたかったのだが、入れ違いになると大変だから、とウルに止められた。
「馬が居なくなっていたのでどうやら城外に出たようですね。まぁ、何かゼノなりの考えがあるのでしょう。そのうち戻ってきますよ」
「で、でも」
「また探しに行くなどと言わないで貰いたいですね。婚約は破棄になったそうですがあなたの肩書きはまだこの国の王女ですから、そう好き勝手できるものではありませんので」
「でも、私ゼノ様にお会いしたいんです」
「……どこにいるかも分からないのにですか? 闇雲に探しても見つかりませんよ」
アイリスが言葉を発せれば機械のように返事をするロベルトに、頭が痛いとでも言うようにウルがコメカミを抑えた。
「ロベルト……あなたどうしてそんなに言い方が冷たいのかしらぁ? そんなんじゃ女の子にもてないわよぉ」
あの、ロベルトに。
国一番の美貌と噂される双子の片割れであるロベルトに、「もてない」。
本人は絶句。
ジークは鼻で笑っている。
アイリスも絶句していたのだが、そんな周囲はお構い無しにウルはロベルトを詰問する。
「あなた双子でしょ? 双子の神秘とかで居場所とか分からないのぉ?」
「分かるわけないでしょう。双子と言っても独立した個人ですから」
「……行きそうな場所」
「さぁ? ゼノのすることは私には理解できないことが多いので。今回も全く理解できません」
「……ちなみに例は?」
「……えー……それは……まぁ、言えませんが。……これだけは言っておきます。ゼノは伯爵です」
珍しく目を彷徨わせて答えるロベルトにウルばかりではなく、アイリスも首をかしげた。
「知っているけれどぉ?」
「……ですから、ゼノも貴族、と言うわけです。まぁ、意味のない……利益に繋がらない行動は余りししない奴ですから今回のことも何か考えがあってのことでしょう。……突飛な行動も多いことには変わりありませんが」
なぜかアイリスを見て気まずげに視線を逸らすロベルトに首を傾げつつ、アイリスは自分を無理やり納得させようとする。
ゼノは何か考えがあって居なくなった。
アイリスが余計なことをしたら邪魔をしてしまうかもしれない。
アイリスは無意識にぎゅっとスカート握り締めていた。
「あ、そう。じゃあ、出て行ってちょぉだぁい?」
「は?」
「何? ……俺もか!?」
急にロベルトとジークの背中を押し出したうるに二人は抗議したが、ウルは不思議そうに首を傾げる。
「だって、当たり前でしょぉ? 役に立ちそうもないしぃ……。今からアイリーンちゃんとガールズトークするから出てって?」
「がーる?」
「はいはい、ややこしくなるから質問しないの。ジーク様、良い子にしてて下さいね?ちゃんと良い子に出来たら後でご褒美あげますからねぇ」
「……わかった」
「ロベルトもほらぁ。邪魔」
「っ! なんだ、その扱いの差は!! あ、おい!」
背中を押して無理やり部屋の外に二人を押し出したうるはにっこり笑ってアイリスの元に歩み寄った。
そして握り締めたままだった手がウルの手に包み込まれた。
「今、何考えてるかしらぁ?」
「え……?」
「……あなたの夫は決してあなたを置いて行った訳ではないと思うわよぉ?」
「…………どうして」
どうして、そんなことが言えるのか。
もしかしたら、ゼノはアイリスのことが面倒くさくなったのかもしれない。
もし、ロベルトが言ったように何か考えがあったとしても、アイリスには待っていることしかできないのか。
何か、出来ることは……。
でも、もし出来ることを見つけたとして、それはゼノの邪魔になりはしないか。
もし……。
「あのね、いい加減にしてくれないかしらぁ?」
「……え?」
突然聞こえた厳しい声音にアイリスは頭を上げる。するとそこには、怒ったような困ったような顔をしたウルがいた。
「今まで隠れて、出来るだけ存在を薄くしようとしてたんでしょ? ずっとそう言う風に生きてきた。自分の心を押し殺して、誰にも迷惑を掛けないように、誰にも嫌われないように? ……あらん? そんなに驚くことかしら? 私、今まで色んな人を見てきたけれど、あなたは里親に貰われた孤児と似ているわぁ。だから、これはあくまで私の体験を元にした私の勝手な予測」
アイリスの手を離したウルは、突然アイリスに興味を無くしたように視線をそむける。
「まぁ、孤児に限ったことじゃないけど、人間って’もしも’話が好きなのよねぇ。里親に嫌われたら生きていけないとでも本能的に思っているのかしらね。’僕がこうして、もし、親に嫌われたら? 住みにくくなる? 生きにくくなる? ’とかね」
テーブルに置いたままのティーセットを準備してカップに紅茶を注ぎだしたうるを、アイリスは見上げる。
飲むのかと思ったのだが、カップをアイリスの目の前に差し出してきたのだ。
「これ、何だと思うぅ?」
「……紅茶、ですよね?」
「ふぅん? それで? 他には? この液体は熱い? 冷たい?」
「えっと、冷たいと思います」
「それはどぉしてぇ?」
「部屋に入る前からありましたから」
うるの意図が掴めず首をかしげる。
「でも、これは熱いかもしれないわぁ。’もしかしたら’最初、信じられない熱さで入っていて今でも熱いままかもしれないわよぉ? それに’もしかしたら’茶色い飲み物と言うだけで紅茶ですらないかもしれないわぁ?」
「……それは、屁理屈と言いませんか」
「アイリーンちゃんはどうしてこれが紅茶で冷たい、と思ったのぉ?」
「ティーポットに入っているのは紅茶だし、時間もたっているので冷めているは当たり前だと思うのですが……」
「そうね。あなたはティーポットを見て、中身を予想し、時間がたてば液体は冷めると言う知識を頭から引っ張り出してきた。ある意味正解。でもねあなたのそれは、知りもしない物を自分の知っている物に置き換えているの。
あなたはそれをするほど多くを経験してきたのかしら?」
何故か、声が出せない。
「’もしも’なんて仮定の話で何もしていないんじゃないの?」
そう、これ以上傷つきたくなくて、全てを拒絶している。
「そんな経験をしなかったあなたにとって、人間って何なの?」
勝手に期待して勝手に落胆する、理想を押し付ける酷い生き物。
とても怖い、悪にも近い存在。
「あなたにとってゼノ様は何」
勝手に愛を囁いて、私に付きまとってきた美貌の伯爵。
逃げたのに、それでも追いかけてきて。
拒んでも拒んでも、ずっと傍に居てくれる、しつこい、人。
酷い言葉を言ったこともある。酷い態度をとったこともある。
それでも、ゼノの気持ちは変わらなかった。
ぶわっと涙が溢れる。
なんて、自分は卑怯なのか。
ゼノが当たり前のように迎えてくれると思っていたのに、居なかった。
ただそれだけで、私はまた、諦めようとした。
ゼノから逃げようとした。
一度は自覚したはずなのに、またその気持ちに蓋をしようとした。
……あんなにもたくさんの愛をくれた人なのに。
「頭で考えるのをやめちゃいなさい。全部口にすればいい。’もしも’なんてやってみなくちゃわからないでしょ? だって’もしも’だもの。あなたの’ゼノ様’はそれを受け止めてくれないような人なの?」
「そんなことありませんっ!」
そんなことはない。
アイリスの知るゼノは、いつでも優しかった。
アイリスを理解しようと、歩み寄ろうとしてくれていた。
傷つきたくないから、何もかも遠ざけて。
幸せまで遠ざけていた。
「……ゼノ様のことを、どう思っているの?」
どう?
そんなの決まっている。
「好き。私は……あの方をお慕いしております」
好き。
切なくて、苦しくて、でも温かい気持ち。
「私にこの気持ちをくれるのは、ゼノ様だけなの」
離れてやっと気づくなんて、情け無いけれど、もう、遅いのかもしれないけれど。
ゼノ様に、今すぐ会いたい。
この気持ちを伝えたい。
アイリスの頬をぽろぽろと涙が零れる。
「どこに、行ってしまわれたの……? あの方に、逢いたいっ……」
気持ちを吐露し涙を流すアイリスを、ウルはそっと抱きしめた。
やっと帰ってきたー……。試験はまだですが。
と言うか最近読んだ本のあとがきに「雑と達者」「効果と手抜き」について書かれていたんですけれど。なるほど~、と思いました。
何かが足りない、と思ったとき、それが「手抜き」であるのか「効果」であるのか、自分は見抜けているのだろうか……?と。
まぁ、ある漫画家が「効果と手抜き」も分からない読者が増えている、て嘆いている文章がありまして。
まだまだ奥が深いなぁ……と関心してしまった昨今の出来事でございました。。。