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伯爵様の新妻  作者: 小宵
Ⅱ:伯爵様と攫われた姫君
12/23

異変1

 穏やかな日々が過ぎていく。

 ゼノとアイリスとリュカと。

 それはまるで熟年夫婦を思わせるほどの穏やかさ。


「……アイリス」

「あー!! それ僕の!!」

「まぁ、リュカ様。お行儀が悪いです。そんなに焦らなくてもお菓子は逃げませんから」

「アイリス」

「え~? だってこれおいしいんだもん……無くなっちゃうよぉ」

「ふふ、またいつでも作って差し上げますから」


「零してますよ」と言ってリュカの口元を拭うアイリスの充実したような顔とは正反対にゼノの目の下には隈が出来ていた。

 穏やかだ。穏やか過ぎるのだ。

 夫婦とはどういうものだっただろうか?

 同じ家で暮らすだけ?……否。

 同じ家で愛し合って暮らすはずだ。

 そう、愛し合って。

 ゼノは隈の出来た目でじとっとアイリスを見つめていた。


「……アイリス」


 膝の上によじ登ってきたリュカを抱きとめながらアイリスはやっとゼノの呼びかけに反応した。

 ゼノの顔色を見て首をかしげている。


「どうしたんですか? ……顔色が悪いですよ?」

「……私にもかまって下さい」

「え、と」

「リュカばかりずるいです」


 毎日リュカにばかり構って、ゼノは二の次。

 寝室だって今だリュカと三人で眠るため何も出来ない。

 幾夜眠れぬ夜を過ごしたことか。

 それでも以前よりは近づけたと思うのも確かなのだ。

 抱きしめたら抱きしめ返してくれる。

 キスをしても逃げずに受け止めてくれる。

 押し倒してことに及ぼうとしたら、必ずと言って良いほどリュカに邪魔されるが……。

 アイリスの膝に乗り、勝ち誇ったような顔でゼノを見てくるリュカを睨みながらアイリスに不満を言ってしまう。


「……えぇと、ゼノ様もお膝に乗りたいんですか?」

「は?」

「駄目だよ!! 父上なんか乗せたらアイリス潰れちゃう!!」


 的外れなことを言うアイリスに間抜けな声を返すとリュカがぎゅっと眉を寄せてアイリスに抱きついた。

 

「いえ、あなたの膝に乗るのはちょっと……寧ろ乗せたいですが」

「え」

「ああ、それは良い。どうぞ? 乗ってください」

「ええ?」


 自分の膝をぽんぽんと叩いてアイリスをこまねくゼノは睡眠不足で若干おかしくなっていると思われる。

 にこにことしながらアイリスに催促をしている。

 アイリスはリュカを抱きしめておろおろしている。

 

「……駄目ですか」

「あ、ぅ……」


 そのときアイリスには、しゅん……と項垂れるゼノが子犬に見えた。

 迷いながらもリュカを抱っこしたままゼノに近寄っていくがさすがに座る勇気までは出なかったようだ。

 ゼノの隣に立っておろおろと困惑するばかり。

 そんなアイリスの腰をがしっと掴み、強制的に膝の上にアイリスを確保したゼノはそのままアイリスの細い腰に腕を回し、首に顔を埋めはー……と息を吐く。

 ……自分が求めていたのは間違いなくこの人。


「はー……癒される」

「あの、ゼノ様。お疲れでしたら休まれた方がよろしいのでは?」

「いえ、あなたとの貴重な時間を……」

「もー!! この腕邪魔ぁー!! 僕がアイリスにもたれられないぃー!!」

「……リュカ」


 リュカがアイリスのお腹に回されたゼノの腕を剥がそうと必死になっている。

 意地でも離すかと言わんばかりにゼノもアイリスを抱きしめる腕に力を入れる。

 間違いなくなき妻・ベアトリスに酷似しまくっているこの息子をどうにかしなければゼノの明るい未来は無いと言って良いだろう。

 天使のような見た目とは裏腹に悪魔のような中身をしている。

 欲しい物は必ず手に入れようとする。

 実際全て自分の手中に収めている。

 しかし、アイリスは自分のものだ、とゼノはぎっとリュカを睨む、が。 

 その瞬間、リュカの愛らしい顔が歪んだ。


「わーんっ! アイリスはぁ、僕のだもん~っ!!」


 ぽろぽろと真珠のような涙がリュカの柔らかそうな頬を濡らす。

「まぁリュカ様、泣かないで」とアイリスが立ち上がりリュカを揺すってあやし出す。

 アイリスの首に齧りつきえぐえぐと鼻を啜るリュカを恨めしげに見つめれば、リュカはにっと笑って舌を出した。

 嘘泣き。

 ゼノはぱくぱくと口を開閉させわなわなとリュカを指差すがリュカはアイリスに擦り寄り甘えている。

 

「アイリスぅ~……」

「ふふ、甘えん坊さんですね」

「……アイリス」


「泣きたいのはこちらです」とゼノは項垂れ、今日もリュカに敗北したのだった。




 +++++++



 夜の執務室。

 ゼノは1人仕事をしていた。

 書類に目を通し、判を押していく。

 時折、疲れたように目頭を指で揉み、伸びをする。

 

「ふー……こんなものか」


 早くアイリスの元へ行きたい。

 そう思うのと同時に行きたくない。


 きっとアイリスは今日もリュカに付き添って寝ていて、自分はその隣に滑り込むのだろう。

 

 ゼノはよく美しいと言われる。

 美しく整った顔立ちは繊細でありながら女性らしいところはどこにも無い。

 均整のとれた体には兵役時代に鍛えた筋肉が今でも当時のままついている。

 まさに彫刻のよう。

 しかし、ゼノとて一人の人間なのだ。


 まさかアイリスにまで芸術作品か何かのように思われていたらどうしよう、と思う。

 神聖化までされるこの忌々しい顔を恨めしく思う。

 ゼノに限ってそんなことを思っているはずが無い、と思われていたら恐ろしい。

 もし今ゼノの頭の中身を見せられたなら、軽蔑されるかもしれない。

 

 ゼノにだって下心くらいある。

 早くアイリスの体温を感じたいと思うと同時に、手を出せないもどかしさに悩む夜を過ごすのはもう無理だとさえ感じる。

 

 もうリュカが居るからしなくても良い、と思っているのかもしれない。

 確かに伯爵家の跡継ぎはリュカが居れば十分だが、それとこれとは話が別なはず。

 子供云々を省いたとしても、夫婦として愛し合う行為は当たり前なはずだ。

 そんなことを悶々と考えていたらノックが聞こえた。


「誰だ」

「……夜分遅くにすみません」

「あ、アイリス!? ど、どうしたんです? こんな遅くに……ああ、そんな薄着で風邪でもひいてしまったらどうするんですか」


 そこに立っていたアイリスは薄いドレスに毛布を羽織っただけの何とも頼りない格好をしていた。

 ゼノは直ぐにアイリスに歩み寄り自身の上着を脱いでアイリスを包み込んだ。

 笑顔でお礼を言うアイリスが愛らしい。


「ゼノ様、まだお休みになられないんですか?」

「いえ、今から休もうと思っていたところです。アイリスこそこの様な時間に珍しい……リュカはどうしたんです?」

「今日はぐっすりお眠りになってます」

「そうですか……どうしました? 何か用事でも?」


 思いつめたような表情のアイリスをそのままソファへ促し、膝の上に置かれた手を包み込むように握る。

 その手は冷たく、もしかしたら扉の前に少し前から居たのかもしれない、と思った。

 暖めるように手を握り続けているとアイリスが瞳を揺らしてゼノを見上げた。


「……どうしました?」


 意識せずとも甘ったるい優しい声音になる。


「その、気を悪くしてしまったらごめんなさい。ゼノ様はリュカ様がお嫌いなのですか?」

「……これはこれは。あなたにそのような心配をかけていたとはお恥ずかしい。……そのような顔をしないで下さい。確かにリュカにあなたを取られて悔しい思いはしていますが、リュカは大切な私の息子です。嫌いなわけがありません」


 にこり、と微笑めばアイリスはほっとしたような息を吐いた。

 

「……リュカ様はきっと寂しいんだと思うんです。幼くしてお母上を亡くされて、誰かに甘えたいんだと思うんです。だから……」

 

 必死に言い募ろうとしたアイリスを押し留め、安心させるように微笑む。


「はい……わかっています。わかってはいるんですが……私も大人気ない。あなたを独占しているのが私ではなく、あれなことが悔しいのです」

「まぁ……」


 照れたように笑うゼノを見てアイリスは目を丸くしている。

 顔を見られたくなくてアイリスを抱きしめた。


「……ですから、たまには私にもかまって下さい。でないと……あなたが足りなくて死んでしまいそうになる……」

「……っ!」


 耳元に囁くように言えば、腕の中のアイリスの体温が一気に上がったことが分かった。

 小さな身体が震えている。

 ふわりと香る花のような香りに眩暈を覚える。

 こんなにもアイリスが愛おしい。


 耳に舌を這わせるとびくっとアイリスが飛び上がる。

 逃げないように拘束しながら薄い桃色の唇を舐めあげる。

 潤んだ瞳に押さえきれない激情を感じた。

 ……でも。


「……あなたは優しすぎます」

 

 泣きたくなるほどに。

 

「……まだ、完全に私のことを愛しているわけではないんでしょう?」

「…………」


 沈黙は肯定だ。

 自重めいた笑みを浮かべ、無理やりアイリスから離れると今度はアイリスがゼノの腕を掴んだ。


「ち、違うんです。いえ、違わないんですけど、でも……」

 

 何かを伝えようと必死になっているアイリスの言葉に耳を傾ける。

 しばらくおろおろとしていたアイリスだが、きゅっと口を引き結びゼノを見上げた。


「私、きっとゼノ様に、恋を、しているんだと思います」

 

 頭が真っ白になった。


「今、何と?」

「……私、あなたに恋をしています」


 消え入りそうなほどか細い声だったが確かに聞こえた。

 アイリスがゼノに恋をしていると。

 ゼノはアイリスを抱きしめた。


「……では、私を愛してください」

「で、でもたぶんで、まだ確信しているわけでは……」

「嫌です。あなたは私の妻だ。私のものです」

「ゼノ様……」


 きゅぅ……と背中を握られ愛しさがあふれ出す。

 しかし、次に言われた言葉にゼノは撃沈する嵌めになる。


「明日、リュカ様と出かけてきても構いませんか?」

「何故それを今言うんですか……」


 結局は許可してしまうゼノだった。






 +++++++






 今頃、アイリスとリュカは楽しく遠出していることだろう。

 ゼノは机に積んである家令が寸分の乱れなく積み上げた仕事の山を恨めしげに睨んだ。


 しかし、思っているほど不機嫌ではない。

 昨夜、アイリスは自分に恋をしていると言ってくれた。

 後はもっと好きになってもらえる様に精進するだけだ。

 心に余裕が出来た、と言ってもいい。

 アイリスの気持ちを知ることができて。

 

 気を取り直して仕事を再開させようと机に向かったその時、部屋の外が慌しいことに気づいた。

 声をかけようとしたころには扉が乱暴に開かれ、そこには息を切らし、肩で息をするジルの姿があった。

 その形相は凄まじく、怒鳴るように吼えた。


「アイリスはどこだっ!?」

「……殿下、いきなり何を」

「アイリスはどこかと聞いているっ!!!」


 つかつかと歩み寄ってきたかと思えばジルはゼノの胸倉を掴んで揺さぶった。

 いつものジルからは考えられない荒々しさにさすがのゼノも態度を改め、顔を引き締める。


「アイリスなら今日はリュカと出かけています」

「馬鹿者っ!! 今すぐ連れ戻せっ!!!」

「ジル様!? どうしたと言うんですか」


 あくまでも冷静に問いただすゼノにジルは舌打ちした。

 そして、顔を歪めたかと思うと片手で顔を覆って、もう片方の手でゼノの肩を掴んだ。


「……すまん。俺のせいだ」

「……? ですから何があったと」

「旦那様!!」

「何事だ。殿下の御前だぞ」

「は、はい。しかし……」


 滅多に表情を動かさない侍従までもがこの慌てよう。

 そして近づいてくる、リュカの泣き声。

 ゼノは震える声を何とか抑えて侍従に問うた。


「なにが、あった」


 ゼノの気迫に、ジルの懇願の表情に、侍従は引きつる喉をなんとか堪えながら答えた。


「奥様が、消えました」


 目の前が真っ暗になった。




 

 

 





遅くなりました、ごめんなさいっ!

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