変化2
今までこれほど誰かを愛しいと感じたことはない。
見た目は平凡と言っていい。
けれども、そこにいるだけで癒される。
……そう、まるで愛玩動物のようだった。
昔、ダヌシリ子爵は王の覚えもめでたく、寵愛も深かった。
王は常に子爵を城に留めようとその娘を城の一室に預かると言う名目で軟禁していたのは有名なこと。
表立って文句を言う者はいなかった。
……当時、王は心の病に犯されていたのだ。
皆、王の不興を買うのを、これ以上王が病むのを恐れて、何も言わなかった。
賢王だった。
いや、今でもそうだが、当時抑えきれない思いが全て子爵に向かっていたのだ。
妻である王妃が子を流産した。
そして、狂った。
愛する王妃の狂いように、王は耐えられなかった。
日に日にやつれていく王を子爵は守ろうと、出来るだけ傍にようとした。
娘を預けたのも、実際のところ子爵が押し付けていたようなものだった。
アイリスは当時七歳。
ジルは十六歳だった。
訓練が終わった後、毎日幼い子犬のようなアイリスの元に通っていた。
七歳のくせにアイリスは既にレディだった。
いつも訓練を終えたジルを「お疲れ様です」と微笑んで迎える。
お茶の準備をして。
打算も何もない純粋無垢なその笑顔にいつも癒される思いだった。
余りにも可愛くて膝に乗せようとすればもちのような頬をぷく、と膨らませて「やめてください」と窘められていた。
そんな姿が更に可愛くて無理やり膝に乗せれば「もぅ」とため息をついてしょうがないなぁ、という顔をする。
なんて偉そうなガキだ、と思いながらも離す事はない。
離れがたくてそのまま一緒に寝たこともあるくらいだ。
朝起きて訓練に行きむさ苦しい奴らとずっといなくてはならない。
その後にアイリスに癒されて、今度は政務に赴く。
疲れすぎた日には眠っているアイリスの部屋に忍び込み、横に寝転がる。
……起きた瞬間、ぷりぷりと怒るのもまた可愛らしかった。
たまに訓練場にも来ていたみたいでどんどん知り合いが増えていた。
ゼノの周りに集まる女達とアイリスの周りに集まる男達。
イラっとして見つけるたびにアイリスを連行していた。
いつも見る笑顔ではなかったから。
笑ってはいるが作り物のような笑顔だった。
そう言えば、貴族であるというのに侍女がいなかった。
いや、実際にはいるのだろうが常に下がらせており常に一人だった。
こっそりと様子を窺いに行った時のこと。
窓の傍に椅子を置き、いつも空を眺めているのを知っている。
床に届かない足をぶらぶらとさせ膝の上に読みかけの本を置いていた。
アイリスが十五歳のとき子爵領に帰った。
貴族の女は十六歳になると社交デビューをするのが習いだ。
それよりも早い娘もいるが、十六歳が一般的だろう。
大人と見なされる。
もう、これ以上アイリスが城に居続けるのは不可能だった。
それに、王妃が亡くなった。
王は悲しんだが、同時に安心していたようにも見えた。
解放、という言葉が一番相応しいかもしれない。
帰したくなかった。
でも……。
アイリスも悲しいような、安心したような複雑な顔をしていた。
そして、解放……。
そのときやっと気づいたのだ。
アイリスにとってここは、城は苦痛でしかなかったのだと。
解放してやりたかった。
幸せになってほしかった。
だから、手放した。
次に会ったのはそこから一年後の舞踏会。
少し大人になったアイリスは会場の隅っこで皆を眺めていた。
うるさい女達を視線で押しのけてアイリスにダンスを申し込んだ。
話しかけると、違和感があった。
……まるで、他人のような話し方。
この一年で忘れてしまったのかと思って焦った。
ゼノと踊るアイリスを苦々しい思いで眺めながら、ふと気づいた。
眩しそうにゼノを見上げるアイリス。
それは、あの何もない部屋で椅子に座って空を眺める顔と一緒だった。
ゼノとアイリスが結婚すると聞いて、ゼノを殺したくなった。
アイリスに手紙を送れば丁寧な返事が届いたが、私的なことは一文もなかった。
だから、非常識なのは分かっていたが結婚式に行ったのだ。
真っ白な花嫁衣裳は可憐なアイリスにとてもよく似合っていた。
小さなアイリスはゼノの腕にすっぽりと収まっており、見ているだけでイラついた。
(俺の……なのに)
そこはジルの居場所だったのに。
アイリスには幸せになって欲しいのだ。
ゼノはジルにとって親友といってもいい、幼馴染。
もちろん、信頼している。
でも……。
「やはり、嫌だ」
「や~ん、ほっぺぷにぷに~! 可愛いー!!」
そう言ってジルは昔のように膝にアイリスを座らせて後ろから抱きしめる。
抱きしめられおろおろしているアイリスの頬を隣に座ったシャーリーンが突く。
高貴な方々に囲まれて、軽くパニック状態のアイリスは助けを求めるようにゼノを見た。
ゼノはぷるぷると震えていた。
「……ジル殿下? 先ほどグレン様に言われたことをもうお忘れですか?」
「邪魔はしていない」
「や~ん、か・わ・い・い・~!!! 震えてるー!! てゆうかほっぺ気持ちよすぎ!! ジル~私にも抱っこさせてよ~!」
「駄目だ」
「けち」
けちと言いながら、ジルごとアイリスに抱きついている。
ゼノからぷちっと何かが切れたような音がした。
「私の妻を離しやがってくださいませよ」
「言葉遣いが変だぞ」
「これでも一応身分を考えているんです。私の血管がぶちきれる前にさっさと離れてください」
ふんっとゼノの言葉を無視すればゼノがゆらりと近づいてくる。
目が座っている。
「……なんです? さっきから聞いていれば……むさ苦しい訓練を耐えていたのは私も同じでしょう? 何故私も連れて行ってくれないのですか? そればかりか……幼いアイリスを膝抱っこ……? こともあろうに……そ、添い寝などと……!!!」
「お前の周りだけはむさ苦しくなかったろう」
「疲れているのに濃厚な香水と化粧の匂いを嗅がされる身にもなってください!!」
「それはお前が許しているからだろう。俺なら近づけさせない」
「身分が違います! 貴族の娘達を全て邪険にできるわけないでしょう!! ……って!! シャーリーン様!! なに頬にキスしてるんですか!? やめてください!! 私のアイリスが穢れてしまいます!!」
「な!! 失礼ね!!」
一欠けらの理性で掴みかかるのを懸命に堪えているゼノ。
しかし、そうして話している間にも二人のアイリスの拘束が強まっていく。
「と言うか!! 知っていましたよ!! いや、アイリスだったことは知りませんでしたが、大分噂になっていたじゃありませんか!! 何が国家機密なんですか!? いい加減にしてください! ……と言うか、離せ!!」
終にゼノが二人を引き剥がしに掛かった。
アイリスを抱き上げようとすれば腰をジルが掴んできた。
睨みあう二人。
宙ぶらりんになったアイリスはどうしたらいいのか分からずに二人の顔を交互に見つめる。
ただ、いつも優しくて紳士的なゼノの恐ろしいほどの形相と言葉遣いにぽかん、としてしまう。
「ちょっとー! 女の子を物みたいに取り合わない!! ジル、いい加減にしなきゃ。そろそろ殺されちゃうよー?」
「返り討ちにしてくれる」
「望むところです」
どちらも一向に離す気配がないのでシャーリーンはため息を吐いた。
「……大人気ない。それに引き換えグレン様はやっぱりかっこよかったなー……なんていうの? 大人の余裕と色気と包容力がこぉ……アイリスちゃんもそう思うでしょ?」
「はい! ……あ」
グレンの話題に思わず元気よく頷いてしまうと、引っ張り合っていた二人の力が弱まった。
そのままジルは手を離し、ゼノは逆に抱き上げた。
ゼノもジルも何ともいえない表情をして視線を逸らしている。
沈黙が辺りを包むが、それを破ったのはジルだ。
「……言っておくが先ほど話したのは国家機密でも何でもない。俺が通っていたのは秘密だがな」
「……ではまだ何かあるのですか?」
「…………」
ジルはゼノに抱き上げられているアイリスを見上げる。
目が合うと申し訳なさそうに微笑まれた。
(あんな、顔をさせたいわけではない)
「……言っただろう、一応国家機密だと。俺の一存では話せん……確認を取ってきてやる。シャーリー、帰るぞ」
「えー?もう?」と不満を口にするシャーリーンを一瞥してジルは踵を返す。
シャーリーンはアイリスとゼノに「またね!」とウインクをしてその後を追ったのだった。
部屋に残された二人は顔を見合わせて、気まずそうに離れた。
web拍手つけてみました!
よろしくお願いします!!
あと一言あったので答えます。
噂のグレン様、ムーンライトノベルズの「公爵夫人の性的指導!」で出てきます。
え~と・・・どエロです。
一応忠告しておきます・・・。
でも、見てくれると嬉しいなwww