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7話『牢屋の中にて』

報いを受けた大罪人は、闇夜に独り言つ。

「この村に、来るんじゃなかった」


時は、虫がチリチリコロコロ鳴く私たちがこの世界に来て2日目の夜。

ポツリと呟くイツミさんのその言葉には、こっちの胸まで抉るような後悔がぎっしりと詰まっていた。


ここは、サーク村の牢。


木製で、極めて簡素な造りだけど、収監機能はしっかりと備わっていて、無謀にも、そして愚かにも脱獄を試みたイツミさんを容赦なく弾き返し続け、彼を無気力にした。


「あんな嘘、つくんじゃなかった」


俯いて座り込み、歯を食いしばり、イツミさんが回顧するのは村人たちの怒りと悲しみの顔なのだろうか。

ともに遊んだ子どもたちや、例の石工の青年の泣き顔なのだろうか。


そして、あんな嘘をついた自分自身のことなのだろうか。



イツミさんだって分かっていたはずよ、貫き通せる嘘ではないことぐらい。


分かっていたはずよ、誰もが不愉快になることぐらい。


分かっていたはずよ、最初から正直でいればそれなりに村人と上手くやれたことぐらい。


分かっていたはずよ、あんなことを繰り返せば心が貧しくなることぐらい。



そして、私だって分かっていたはずよ、あの嘘は止めるべきだったことぐらい。


なのに、乗ってしまった。


イツミさんと同じように、私も後悔の念に押し潰されていた。


その時だった。


「……すまなかった、お前を巻き込んで」


左隣に座っている、同じく捕まっている私にイツミさんが謝罪をしてきた。


そう、イツミさんとは別のタイミングで拘束され、尋問されていた私も、この牢の中の住人となっていた。


女性陣の尋問でめちゃくちゃ怖い思いしたし、一歩間違えれば私の貞操も犯されていたかもしれない。

そんなわけで、私の目の周りには、イツミさんですら判るほど、涙の跡がくっきりと見えていると思う。


だから、私も言うことはちゃんと言っておかないと、ね。


「謝る相手が違います。それに、イツミさんだけじゃない。私だって共犯者です。あなたの嘘を最後に止めるチャンスを、みすみす逃して経歴詐称に加担したのは紛れもなく私です。本当に……ばか……」

「だが、間違いなく原因は俺だ。この村の、英雄サマへの崇拝のような尊敬を俺は舐めていた。……いや、最初からそんなことは関係なかったんだ。俺は、あんなくだらない嘘をつくべきではなかったんだ。それだけの、たったそれだけの話だったんだ」

「流石のイツミさんも堪えましたか?らしくないじゃないですか。まあ……“らしい”、“らしくない”って言っても、私たち出会ってまだ全然経ってないですけど」

「…………あの顔を見せられたら、幾ら俺でも後悔しないわけないだろうが」


眉間に皺を寄せたイツミさんは、拳を檻に叩きつける。

だけど、彼に同情の余地はない。

イツミさんがやっていたことは詐欺であり、村人の善意を弄んだ悪行だ。


子どもたちの羨望と期待の瞳に負けた、と弁明する余地は辛うじてあるのかもしれないけど、したところでイツミさんの罪は変わらないし絶対に軽くはならない。


そして、それを止めずに、ある意味でイツミさんに加担した私の罪も、イツミさんほどでないにしても重いものだ。


ここだけの話、私の力を使えば、こんな檻なんて軽く壊せてしまう。

だけど、そこでそんなことをしたら、私はまたイツミさんを正常な道に連れて行けなくなるし、悲しみと怒りに塗れた村の人への贖罪にもならないし、そして私自身をこれ以上穢すことになってしまう。


だから、私はただこの檻の中で、自分やイツミさんに向けて激る気持ちを抑えながら、イツミさんのくだらない言い分を聞くことにした。


それが、私がこの村にできる償いの1つだ。


「物に当たらないでくださいよ。痛いだけで、なにも生まないです」

「当たらずにいられるか。俺は、俺はまた失敗したんだ」

「失敗……?」

「人を泣かせたんだ。こっちの世界でも。人の痛みに、気付けなかった」

「────」


じゃあ、これからどうするつもりなの?


「性懲りもなく、まただ。また、同じ失敗を繰り返してた。女神のお前の知っての通り、人は過ちや痛みを以て学び、繰り返さないように成長をするだろう?」

「────」


そうね、成長するわね。

それが、どうしたの?


「だが、俺はそうじゃない。かつていたあの世界では、年々俺はそういう感覚が麻痺していった。幾らその時に肝に銘じてようが、同じような場面にまた出くわせば同じ失敗をする。どうでも良い過ちに限って繰り返さないのにな。だから、俺は人でなしなんだ。何回も何回もそれを繰り返しすぎて、疲れたからいつの日かもう開き直ることにした。その方が俺自身に俺を傷つけられずに済むからな」

「────それで?」

「いや……『それで?』って言われても……。それ以上でもそれ以下でもないんだが」


そう、終わりなんだ。

そっか。


「それで、終わりなんですか?開き直って、逃げて、今、自分の前に立ち塞がっている問題に背を向けて、見ないふりを決め込むんですか?」

「…………そうだ。もう、誰とも関わりたくない。部屋の中に引きこもって、余計な交流なんてしたくない。誰からも期待されたくない。誰からも傷つけられたくない。ふっ……これでは元いた世界とまるで変わらんな。寧ろ、こっちでの方が罪深いかもしれん」

「そう、ですか」


自嘲気味に自分を笑って、自分の殻に閉じ籠ろうとするイツミ(こいつ)に、心の底から呆れた。

同じ罪を背負う共犯者の私の中で、沸々と煮えたぎる感情が溢れ出す。


「さっきの話だってそうだ。英雄サマに対する崇拝の度合いの見誤り以前に、俺はこの村の、いや、この世界の住人を心の何処かで舐めていたんだ。俺の言葉次第で、幾らでも丸め込める。それぐらい単純で扱い易い連中だと思っていた。────違かった。あいつらは生きていたんだ。俺の知ってるそれと変わらない、生きている人間だったんだ。俺は、そんなことすら気づけなかった自分が情けない。昼、飯屋でお前にあれだけ諭されたのに、俺は、俺は何も学んでいなかった」

「じゃあ、これからどうするんですか?自分の悪いところが分かってるなら直せば良いじゃないですか。まだ逃げるつもりなんですか?」

「そうだな。俺は、そうやって自分を守ってきた。だが、今回はいつもと同じようには行かないようだ。困ったものだな、どうやって今回は凌ごうか」



────縛りつけるべき想いが、噴き上がったその時、私の中でなにかが弾けた。



「馬鹿じゃないの?そうやって開き直ってたら、またこの先ずっと繰り返し続けるだけでしょ。なにも、なんにも変わらないじゃない」

「────!?」

「さっきから黙って聞いてりゃ、ちょっとだけの反省と言い訳ばかりね。あなた、これからどうしようとか一切思わないわけ?村のみんなへの謝罪は?これからどう罪を償っていくの?仮に今、運良くここから逃げられたとしても、あなたの心は荒んでいくばかりでしょうが!」


気づけば、私が、初めて完全に敬語を捨て、イツミさんに言葉をぶつけていた。


そもそも、本来の私の話し方はタメ口が主流で、イツミさん相手には公・外面モードで話しかけていた。


それは、ナビゲーターとして、見習いとはいえ勇者との一定の線引きはしておかなきゃいけないと思っていたからだ。


だけど、今、私の頭の中にその線引きは存在しない。

純粋に、1人の人間としてイツミさんに接している。


しかし、それは私とイツミさんにとって良いこととは言えない。

私からしたら、勇者の卵のナビゲーターとしての立場を一旦放棄したのと同義だからだ。


だけど、今の私にはそうする理由があったし、今のイツミさんにはそうされる理由があった。



◆◇◆



私が、堰を切ったように喋った後、訪れた沈黙。

今の私とイツミさんの間に流れる音は、私の息切れ、牢屋の外から聞こえる葉が擦れる音と虫の声だった。


その沈黙を破ったのは、意外にもイツミさんだった。


「謝罪、償い、これからの行い、か。残念だが、未来を見据えられるお前と俺は違うんだよ。俺は、ずっと過去ばかり見てきた。そして、第2の人生が与えられた今、俺は今日だけを見ることにした。明日のことなんて、未来のことなんてどうでも良い。今日を後悔しないことだけを考えて、後悔しない今日を生きることだけにした。それなのに……」

「────」


この人は、この人なりに自分を見つめた結果、今、こうして生きているんだろう。


この人なりに悩み抜いて、苦しみ抜いて、この人はそう生きることを決めたんだろう。


その結果、自分をこんなに苦しめ続ける生き方を選んでることに、イツミさんは気づいているんだろうか。


いや、気づいているんだろう。

それでも、イツミさんはこの道を進み続けるんだ。


馬鹿らしい。

同情なんて湧かない。


だけれど、虚しい。そう思わずには、とてもいられない。


「それなのに、俺は今日を後悔している。過去を悔やんでいる。過去ばかりを見ている。結局、元いた世界で過ごしていたあの頃と変わらん。嘘をつかないで、ありのままで過ごすと決めたのに、結局、嘘を重ねてここにいる。見栄を張った結果、色んな奴を傷つけ、悲しませている。────なあ、お前は何故そうも前を向ける?お前は何故、そうも明日を目指せる?お前は何故、無様な俺をそこまで真っ直ぐ見れる?」


初めて、イツミさんが本心で私の目を見て、私に話しかけたような気がした。


同時に気づいたことがある。

ああ、この人、こんなに目が濁ってるんだ。


その澱んだ空気感のある黒い眼に、私は嫌悪感よりも前に憐れみみたいなものを抱いていた。


そのせい、なのかな。

私でも驚くくらい、頭に浮かんだこの言葉が自然に出てきた。


「私にはね、妹がいるの」

「妹……!?」


たかが2日の付き合いだけど、私のその告白はイツミさんには衝撃的な情報だったようで、表情に出ていた。


思えば、私たちはお互いのプライベートや背景は明かしていなかった。

そりゃ、知らないのは当然なはずだ。


だけど、『知らせる気があったか?』と訊かれたら、それは違う。


だから、自分でこんな話をしておきながらだけど、私も私で自分の行動が信じられなかった。


「そう、妹。たった1人の双子の妹。会いたくても会えない、大切な妹」

「会いたくても……会えない……」


私のその言葉の意味を反芻するイツミさんの表情は、真剣そのものだった。


でも、こんな時に変だけど、ちょっと心が穏やかになるのを、私はどこかで感じていた。

妹の話を、ここまで聞いてくれる存在は、神界にはほとんどいないから。


妹のことは、イツミさんに話すつもりはなかったのに。

だけど、本当は妹のことをなにも知らないどこかの誰かに、話したかったのかもしれない。


自分の気持ちに気づいたら、私の勢いは止まらなかった。


「妹は、妹のことを大して知りもしない連中から嫌われてた。そりゃ、言動は物騒な子だしそれを可能にする力もあった。でも、物騒になったのもちゃんと理由があって。その理由を知りもしない奴が、あの子を否定して」

「────そうか。だから、あの時、エスの街で俺はお前に怒られたのか」



──『見たことがないものを勝手にそうと決めつけて、否定するだけ否定して自分の世界に逃げようとするなんて最低です。私はそんなことする人大嫌い!』──



今、イツミさんが思い出しているのは、昼、エスの街のピザ屋で、私が初めてイツミさんを本気で叱ったあの件のことだろう。


そっか、あの時、私はイツミさんのことを、妹を否定する連中と重ね合わせていたんだ。


だから、イツミさんに心から腹が立ったんだ。


そのことに、こんな形で気づかされるなんてね。


そう思っていたら、イツミさんはさらに続ける。


「妹、か。エリーシャにとって、本当に大きな存在なんだな。繊細なことだ、それ以上は話さなくても大丈夫だ。だが、1つ訊きたい。妹の何が、今のエリーシャを衝き動かしているんだ?」


月明かり以外の頼りがない、この牢の中でするには、ひょっとしたらあまりに暗すぎる話になるのかもしれない。

仮に、するのなら、もっと他に適切な場所があるに違いない。


そう思ったのか、イツミさんは“妹自体の話”を打ち切った。

確かに、この話は無闇にして気持ちが良い話じゃない。

私としても、それは助かった。


だけど、意外なことに、彼は“私”に踏み込むのは止めなかった。


なら、私は私のやるべきことをやらないといけない。

彼の質問に答える義務が、彼の図々しさに応える義務が、私にはある。


「…………なにがってわけじゃないけど、あの子がみんなから認められる、そんな世界を創りたいの。だから、まず私をみんなに認めさせる。そのために──」

「そのために、“俺を勇者に育て上げ、この下界バルを救わせる”、か。エリーシャがやたら俺の自立を促していたのは、この世界のためでなく、妹のためだったんだな」



『この世界のためでなく、妹のため』



その言葉を、私は否定せずに受け止める。

私の、ある意味では神としての資質が問われかねないその本心に、イツミさんは動じるどころか、落ち着きを見せるばかりだった。


そのおかげか、私も冷静にこの話をすることができている、はず。

その点だけに関しては、イツミさんを少し頼り強く思えた。


「“ためでなく”ってのはちょっと違うけど……。本音を言ってしまえば……そうね、きっとそう。ゼオロ様も、テューン様も、そういう空気ができれば大々的に私に協力するって約束してくれた。もちろん、バルのことは大切よ?私たちが管理する大切な下界だもん。でも、私にとっちゃ妹の方がもっと大切。────見損なった?そりゃ、流石のイツミさんでも見損なって当然よね。いくらあなたにその意思がなくても、神界の人事部から採用された勇者の卵であるあなたを、バルを救うって目的以上に自分の願いのために、無理やり外の世界に引っ張り出してるんだから」


目をつぶり、自分の想いを吐露する私の手は、知らないうちに震えていた。


自分では冷静だと思っていたのに、案外動揺していたみたいね。



サーク村の夜風は過ごしやすいくらい涼しくて。

きっと、毎晩明日に備えて寝静まる村人たちに眠りを(いざな)っているんだろう。


だけど、私にとってはそんな風、気休めの1つにもならなかった。

イツミさんから返ってくるであろう、責めの言葉を待っているからだ。


もちろん、私よりもっと酷いことをしているイツミさんに非難される筋合いはない。

だけど、そうされてもおかしくはないと、私は心のどこかで確信していた。


「────見損なうわけ、ないだろ」


え……?


「俺がそんなことで見損なうと思ったのか。やはり、身体の方に栄養素が行き渡りすぎているのか?」

「は?…………どゆこと?」


いや、うん、どゆこと…………?


自信満々に言い放たれた、ある種、セクハラとも捉えられかねないイツミさんの言葉に、私は呆気に取られてしまった。


これで、イツミさんの頬の1つでも綻んでいるのであれば冗談の類だということが窺えるけど、出会った当初と全く変わらない、鋭い黒目と端正な顔立ちのままだった。


その表情のまま、イツミさんは口を開く。


「寧ろ安心したぞ。お前ら神が、血が通った生き物であることにな。血を分けた唯一の双子の妹より世界を優先する奴と組むなんぞ、こっちから願い下げだ」

「はあ……。それは……どーも……。てか、大人しくなったと思いきや、また調子に乗ってない?流石に空気は読むべきよ」

「…………ごめん。空気を読む前に変えようとして、ちょっと調子に乗った。だがな、俺が自立するかは置いておいて、お前がやろうとしていることは何ら恥ずべきことではない。これは俺の心からの本音だ。エリーシャ、お前は何も間違っていない」

「────!?」


────瞬間、右手に人肌を感じる。


イツミさんがした行動は、私がこれっぽっちも想定していないことだった。


震える私の右手に、イツミさんがそっと自身の左手を乗せたのだ。

この2日間で、クズミ・イツミという人間を思い遣りの欠片のない人物だと判断している私は、自分の目を疑う思いでいた。


そんな彼の、慣れない優しい声色が私の元にやって来る。


「お前の苦しみも、お前の妹の無念も俺は全く知らない。そもそも、その妹に会ったことすらないし、名前すらも知らない。だが、俺が保証する、エリーシャは正しいとな。神界は穏やかじゃないようだが、妹絡みの件で理解者はいるのか?」

「いるにはいるけど……ごく僅かよ。普段みんな私に優しくするくせに、妹のことになるとまるで逆。都合良すぎかっての!イツミさんだってどーせ他の連中と変わんないでしょ?」


そう、どうせ変わらない。

私の味方はいても、あの子の味方はいないんだから。


いつも、あの子の話になると、私の味方だったはずの人たちはどんどん離れていく。


そのはずなのに。


「俺は、他人に対してはめちゃくちゃ厳しいし妥協はしないスタイルだ。そして、自分という存在はある意味、一番近しい他人と言える。そういう面では、俺はとことん俺にストイックだ。…………大丈夫だ、俺をそんじょそこらの連中と一緒にするな。俺は筋金入りの自宅警備員だぞ?働かずとも、お前が心の底から笑っていられる理想郷を創ることなんて、容易すぎて蟹ですらジャンケンでチョキを出してしまう」


チョキの手を、カニみたいにチョキチョキさせながらそう言って。


うーん、そうかしら?

イツミさん、自分に対してめちゃくちゃ甘々だと思うんだけど……。


それに……


「カニなんだから当たり前でしょ……。それに、あなたにそんな力があるなんてとても思えないんだけど。手なんて乗せてくるんだから、雰囲気で信じそうになっちゃったじゃん。あと、自分に厳しい人はあの場であんな酷い嘘つかないからね。村の人たちを悲しませないからね」

「それは、そうだな。そこは……訂正しよう。悪かった」


やっぱ、イツミさんの言うことは当てにならない。

確信めいたものを感じた私は、イツミさんの左手を払いつつ、彼の宣言のようなものを軽く一蹴してみせた。


だけど、イツミさんは食い下がり続ける。


「話を戻すが、利用されるのははっきり言って癪だ。そして、会ったことも話したこともない妹のことなんて、普通気にしないだろう。お前らを取り巻いているらしい複雑な環境だって、エリーシャからの話しか聞いていないから実に公平性に欠ける。だが、関わってすらいないそこらの神どもと、2日間確かな時を一緒に過ごしたエリーシャだったら、どっちを選ぶかは明白だろ?」

「口だけならいくらでも言えるし……。あなた、今もそうだけど基本口だけじゃん。私を選ぶってことは、勇者として自立する道を自分から進むってことなのよ?イツミさんにそんな高度なことできるわけがないでしょう?やる気もないし」

「普通なら自立しなきゃいけないんだろう。但し、俺は除いてな。俺は自宅警備員だぞ?他の奴の枠組みに当てはめるなと言っただろうが。だがな……」

「イツミ……さん……!?」


人肌の感覚が、包むように広がっていく。


そっと、逆にイツミさんの両手が、私の手を大胆に握ってきたことに気づくのに、私はどれくらいの時間がかかったんだろう。


私の右手を通して、心臓の鼓動がイツミさんに届いてしまうんじゃないかってほど、私の胸は揺れ動いていた。


取り乱しそうな私のことなんてつゆ知らず、イツミさんは私の目を見てこう言った。


「俺は、自宅警備員であると同時にお前だけの勇者の卵だ。絶対に自立はせんが、エリーシャのための世界を創ると約束しよう。その代わり、エリーシャはエリーシャで俺のことを養ってくれ」

「ムードの割に、ところどころ最低な言葉が紛れてる……。あなたを養い続けるなんて、こっちの心が保たないでしょ。さっさと自立して、魔王を倒してちょうだいよ。────────でも、まあ、そうやって約束してくれんのは悪い気はしない。口だけじゃないってことをいつか証明してほしいわね、期待しないで待ってるわ」

いつか(・・・)……?早ければ明日にでも証明してやる。償えるチャンスが1つでも与えられたら、サーク村のボロ雑巾にだって何だってなる。あっちから攻撃してこない限り、村人に幾らでも頭を下げる。命が奪われる判決が下ったらどうしようもないがな。だが、お前に汚れ作業は一切させん」

「…………そもそもそんな機会が与えられるかも分かんないし、与えられたとしてもその期間が気が遠くなるぐらい長い年月かもしれない。でも、それが、イツミさんなりの“前を向いて、明日を目指した”答えなのね。そしたら……私だってあなたと一緒にやるわ。共犯者だもの」

「断る。お前は流れに巻き込まれただけ。主犯で原因は俺だ。絶対にせんぞ、お前に手を汚させることなんぞ。俺は、自己に甘く他者に厳しい自宅警備員だ。自分の誇りは守り抜く」


イツミさんの、ある種世界で最もみっともない宣言が、とある辺鄙な村の外れにある牢屋で行われた。


聞き手はたった1人の女神の私。

だけど、イツミにさんとってはそれだけで十分だったのか、とても満足そうな表情をしている。


そんな彼の姿を見て、私は不覚にも彼を許しかけていた。

かけていた、っていう表現なのは、村の人たちの顔が私の頭の中に浮かんで、寸前で思い留まったからだ。


そんな自分に呆れながらも、私は気を引き締め直した。


「結局、自己に甘いんじゃこんな宣言意味ないじゃない。それとも、また『己は一番近しい他人』みたいなノリ?」

「自己肯定は自分を彩る甘味料だからな、必然的に自分には甘くなるさ。────────そうだ、ずっと気になっていたんだが」

「なに?私の可愛さや綺麗さの秘訣?」

「冗談を言えるぐらい元気になって良かった。────お前の双子の妹の名前だ。ずっと“妹”呼びだったからな、そろそろ教えてくれないか?」


彼の“冗談発言”に、おい、とツッコミを入れたその時。

突然の、そして予想外の質問に私は目を丸くしていたと思う。


理由は、妹に対しそこまで関心を持ってくれたこと。

さらに、その関心を持っている人がイツミさんだということに対してだ。



自分の心の乱れが顔に出ないよう、気持ちを押し殺し、私は呼吸を整えてイツミさんを見て、こう告げた。


「“スティーリア”!私のたった1人の妹の名前よ!」


あえて笑ってみせた私の姿が、イツミさんの目からはどう映っていたのかは分からない。


けど、今の私は、愛の女神でもイツミさんのナビゲーターでもなく、ただのスティーリアの姉だった。

少なくとも、今この時だけは、そうでありたいと思った。


挿絵(By みてみん)

他者に歩み寄ることは、他者と歩むこと。


そう。

女神と無職も、少なくとも今この瞬間だけは、互いに。


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