2話『下界へ』
神の度肝を抜かすのは……
ざわざわと、鳴り止まない響めきが起こり続ける。
前例のない男の、そのあり得ない行動に神議会は混乱しきっていた。
それは、神である私たちが本来持つべき余裕を忘れるほどに……。
〈なあなあ、アレはマズいだろ!早く元の世界に返した方がいいって!〉
〈馬鹿言え、もう奴は死んでいるんだ。それに、奴のいた日本は火葬が主流という話らしい。焼却してしまったら、戻れる身体は無い。よって、魂の返却はできない〉
〈でもよー……あり得ねーだろ……。ゼオロ様のお話中、不貞寝する奴なんて今までの勇者の中にいたか?〉
〈────いいや。それに、アレは勇者でも勇者の卵でもない。僕からすればただの怠け者だ。あんなのを通した人事部は誰だ?あの怠け者の次にそいつのことが許せない〉
少しばかり、席に座ってるみんなの様子を窺ってみると、取り分け熱量のある負の感情みたいなのを感じた場所があった。
そこをよく見てみると、ウェーブがかった銀髪で眼鏡をかけた男の神が、他の神たちの会話に割り込んで、睨みつけている。
もはや、殺意と言っていいのかも。
ちなみに、その神の名前はヘイル。
真偽の神という肩書きを持っていて、あの男ほどじゃないけど性格に若干の問題があって、神界のみんなからも割と疎まれている存在だ。
類は友を呼ぶ……ってわけじゃなさそうね。
そして、その殺意の原因である不貞寝を始めた男は、睡眠のステージが進み、あろうことか鼻ちょうちんをしながら眠りに耽ってしまった。
慌てふためく神たちとは対照的に、ほんとーに呑気な男だわ。
でも、こんな状況を放っておくわけにはいかない。
人事部に、こんなめちゃくちゃな人と私が相性が良いと思われてるのは不服だし、数日間とはいえ一緒にやっていく自信は正直なくなりつつあるけど。
でも、もう、召喚された時点で、私と相性が良いと判断された時点で、彼は私の担当なんだ。
私にだって、義務感はある。
そして、絶対に成し遂げなきゃいけない使命がある。
そう思ったら、もう声を上げない理由なんてなかった。
「みんな、落ち着いて!彼は、その、少し疲れて寝ているだけなのよ!」
ダメよ。
この状況を続けさせるわけにはいかない。
とにかくこの場を収めないと。
このままだと……神議会が割れる!
だけど、騒然としている神議会は、私の声なんかじゃ全く落ち着く気配がない。
私の制止が、届いている感触が全くない。
紛糾寸前の神議会をまとめられる者はもういないの?
誰も、この場を治められる者はいないの?
────目を覆いたくなる、そんな時だった。
「────静寂に。エリーシャの言う通りです、落ち着きましょう。…………ここに召喚されたということは、少しでも勇者の適性があるということ。ちょっと変わった子たちが多いけど……人事部の目は確か。あの子たちが選んできた勇者たちが、かの世界の人々を救ってきたのをみんな見てきたはずよ?それにね、彼がパニックになる気持ちも分かってあげましょう。彼からしたら、死後叩き起こされた挙句、『世界を救ってくれ』と神に命令される、そう簡単に理解できない状況なのだから」
ぐちゃぐちゃに混乱する場を治めたのは、ずっと沈黙していた宰神であるテューン様だった。
優しいお婆さんなテューン様は、私たちのお母さんのような存在であり、おばあちゃんみたいな存在だ。
蓄積された経験値も、私含めたそこらの神なんかとじゃ比べ物にならない。
そんなテューン様が、いよいよ動いた重大さを、みんなが理解していないはずがなかった。
「人というのは単純な物差しでは測れない、最も神に近しい生き物です。彼だって、私たちが思いもよらない途轍もない力を秘めているかもしれません。なら……ここは見守っていきましょう。大丈夫、ナビゲーターはエリーシャよ。この子をきっと正しく導いていけるわ」
この人の一言が、私たちの道標になることも決して少なくはない。
まさに、神界の神たちの心の拠り所だ。
そんなテューン様の言葉を遮るやつなんて誰もいなくて、喧騒甚だしい神議会はまた静かになった。
「坊や、起きなさい。眠たいのは分かるけれど、せめてみんなにご挨拶をしましょ?」
「んあァ……?」
「みんな、きっとこれからあなたを助けてくれる……かもしれない……人たちなのよ。1回だけで良いから、さんはい」
テューン様は席を立ち、男のところに寄って耳元で優しく囁いた。
すると、見事に寝ていた男は渋々起き、目を擦りながら、私たち神にこう言ってみせたのだった。
「ふわぁ……俺の名前は久住 厳弥。普通の人とは違った生き方をしたい26歳だ。俺に助けて貰いたければそれ相応の代価を払うことだな」
憎ったらしいこの畜生の、一切の悪びれる様子のない神へのある種の宣戦布告。
普通だったらブチギレて、この場で剣を抜く神も1人や2人……いや、3人や4人……いや、10人や20人いてもおかしくないけど、悪い意味で規格外すぎるので、みんなみーんな呆然としていた。
そして、その後、誰一人として発言することなく──正確には発言する気力すらなく──勇者召喚の儀は幕を下ろしたのだった。
◆◇◆
「エリーシャ、あなたには迷惑をかけますね。本当はもっとマシ……いやマトモ……いえ、良い子とマッチングしてほしかったのだけど。……彼の面接担当は誰なのかしら。あの場にいるのなら名乗ってほしかったわねえ」
「い、いえ……」
ところどころ本音が漏れてる……!
波乱の神議会も終わり神界からの出立の直前、テューン様が私に謝罪をしてくれた。
もちろん、その内容は、イツミさんというとんでもない爆弾を抱えさせてしまうという、一点についてだった。
でも、仕方ない。
こうなったら、やるっきゃない!
「大丈夫!まだ出会って1時間も経っていないんです。彼の良いところ、どんどん見つけてあげたいって今思ってます」
テューン様の、本当に申し訳なさそうな表情に心が苦しく締め付けられるような気持ちになった私は、とにもかくにも気丈に振る舞わずにはいられなかった。
まあ……本音を言うのなら……ちょっとしんどいかも。
でも、ただでさえ、私たちよりも神界や下界の未来を憂いているテューン様に、これ以上の心労をかけさせるわけにはいかない。
「本当に優しい女神ですこと。イツミくん、早く一人前になって自立するのよ?エリーシャを怒らせたら大変なことになっちゃうわ」
テューン様は、例の男、イツミさんにそう言うが、当のイツミさんは聞く耳を一切持ち合わせていないようで、自分のステータス表を確認してばかりいる。
ステータス表は、神議会が終わった後イツミさんと私に配られた。
勇者のステータス表には、人事部が勇者を面接する際に計測した能力値とかが書いてある。
実は、そのステータスの見方もナビゲートの一環として教えることなんだけど、勝手にやっちゃってるあたり、彼の身勝手さと順応性が窺えてしまう。
本来なら、その時にナビゲートしている勇者の卵の能力を、担当の神と共有して『ここ伸ばしてこうね!』とか『こういう戦い方できるんじゃない!?』とか盛り上がれるみたいなんだけどなあ……。
あくまでも経験者談だけど。
「自立か……。俺の嫌いな言葉トップ5にランクインしているな。確かに、一般論として成人すれば自立をしなくてはならない。但し、俺は除いてな。俺は自宅警備員だ」
その勝手なイツミさんはと言うと、その鋭いつり目で睨みつけ、テューン様のありがたい言葉を一蹴していた。
流石に無礼すぎる。
テューン様があの場を鎮めなかったら、最悪命すらなかったかもしれないのに。
ちょっと、叱った方が良いかもしれないわね。
「あなた、無礼!ほんとに無礼!……テューン様がいなければ今頃イツミさんはあの時────」
「エリーシャ、大丈夫ですよ。こういうのは慣れてます。伊達に長いこと神様やってませんから、私。では、元気で行ってらっしゃい。扉の使い方は分かるわね?」
そんな、イツミさんの言葉など歯牙にも掛けない流石のテューン様は、無礼なニー……勇者と私に小さく手を振って、温和な笑顔で見送ってくれた。
「はい。────開放!さあ、行きましょう」
「……本当に行かなきゃいけないのか」
異界間移動門開錠詠唱、“開放”。
異世界へと続く、テューン様が管理している門を召喚する。
私が詠唱して召喚したその光の輪──これが異世界へと続く門──を潜ると引っ張られる感覚とともに一瞬で新天地に着いた。
もう、後に引き返せない。
でも、引き返す気なんてさらさらない。
世界を救うことは当然だけど、それよりもっとやらないといけないことが私にはある。
そのために、絶対に私はイツミさんを一人前の勇者にしてみせる。
何が起こるか分からない。何が起きてもおかしくない。
そんな、イツミさんの異世界ライフがいよいよ始まるのだ。
◇◆◇
「ここは下界“バル”の、魔王の活発地帯から遠く離れたザーイル大陸にある私たちの始まりの地、エスの街です。ここで1週間程度私と生活してもらって、この世界に慣れてもらいますよ」
「そして自立しろ、だと?たった1週間でこの世界に慣れろと言うのか」
街に降り立った私たちは、歩きながらもさっそく揉め気味だった。
だけど、何歩か譲ってイツミさんの言い分も尤もであるということは間違いない。
急に訳の分からない神たちに召喚され、世界を救えだ、魔王を倒せだと使命を課せられてしまったわけだもんね。
でも、不安なのは分かるけど……それでも私はあなたを支えて一人前にするのよ。
世界のために、そして、私たちのために。
そうね。ここは、彼を少し盛り上げるような言葉でもかけてあげるべきかしら。
「大丈夫、どんな勇者の卵も1週間もあれば慣れて勇者になってしまいますから。ここを拠点にして一歩ずつ進んでいきましょう」
「ここは……」
私が先導して、少し歩いたその先には一軒家があった。
こじんまりとしているけど、決して悪くない。庭もあるし、普通に住む分には快適な家……その家の名は……
「ここは神ハウス。この始まりの地で1週間程度、ナビゲーターの神と行動を共にすると言ったと思いますけど、その拠点がここです。私とここでおはようからおやすみまで一緒に過ごし、どんどんこの世界に慣れちゃいましょう!」
「お前とおはようからおやすみまでだと?俺にプライベートはないのか」
「────」
チッ…………なんか反論ばっかしてきてうっざいな、この人。
もちろん、私自身も気にしすぎなとこはあるのは理解してるけど、この調子だと私がなんか話しかける度に文句で返されそうなんだよな。
でも、やっぱ、うん……。
「ほんとにこの人、私と相性良いんだよ……ね……?」
どうして?どうして?なんでこんなのが人事部の面接をかい潜ってんの?
人格的に問題ある子が召喚されるのは稀にあること、それは分かってる。
だって、採用している人事部のメンバー自体がイカれてる連中揃いだもの。
でも、それでも、よりによって私とマッチングするのがこんな百万癖もありそうな奴だなんて……もう……!
◆◇◆
神ハウスの中に入った私たち。
うん、話に聞いてた通り内装もちゃんとしてて、普通に生活するには申し分ない物件ね。
間取りをざっと説明しながら部屋案内をする私に、ブツブツと不平不満を呟きながらついて行くイツミさん。
次文句言ったら、庭に住ませようかな、マジで。
そんなことを思いながら案内していると、いよいよ最後の部屋、寝室に着いた。
────その時だった。
「ここが2階の一番奥の部屋、寝室です。とりあえずここで暮らしているうちは食いっ逸れる心配はありません。旅立ちのために最大限の準備をしていきましょうね────ってなにをしているんですか?さっきからおかしいですよ」
「ああ、寝る準備だ。あれほど歩いたのは久しぶりなんでな。本来の俺の2ヶ月を軽く超えたオーバーワークに付き合わせてくれてありがとうな」
「皮肉うざ!いや、そもそも100歩も歩いてなくないですか?まだ今日やることあるんですけど。“特恵”と“異能”の講座とか!」
「戦士の休息ってヤツだ。特恵?異能?それに関しては講座はしてもらう必要はない。
【絶対領域】、発動!俺の特恵 《怠惰なる矜持》の片鱗を少し見せてやる」
「はい?」
イツミさんはベッドに直行し、その上で横になり、ものの2秒で寝息を立てた。
その寝顔の安らかさたるや、それは私たちが守りたい人間の顔のそれだった。
だけど、当然そんなこと許せるわけがない!やることはやってもらわないと困るのよ!
「おい……!これから案内しなきゃいけないとこたくさんあるのに……!ん?待って、今こそ私の“愛の女神”の本領発揮じゃないかしら?経験ないけど、こうやって添い寝して…………」
私、愛の女神エリーシャはその名の通り″深い愛情”の代名詞的存在であり、自分のその愛情をもってすれば心の距離はすぐに縮まる……はずだった。
まして、添い寝なんてされれば、縮まるどころか心と心が癒着して離れられなくなる。
そんな深い愛情と魅力や蠱惑を私は持っているはずなんだけど……
「痛っ!なにこの壁!ベッドをドーム状に取り囲んでいる!?」
ベッドに向かった私に待ち受けていたのは、枕や毛布などの柔らかい感触じゃなくて、壁に当たったんじゃね?って思わせるほどの硬いものだった。
よく見てみると、イツミさんのベッドは、寝ているイツミさんごと彼が放つ薄い黒色のドーム状のバリアに硬く守られていて、まるで、外からの一切の介入を拒んでいるかのようだった。
まあ良いわ、そっちがその気なら私だってその気になるわよ。
「開けてください、イツミさん!……開けて、ください、イツミさん!開ーけーてー!くーだーさーいー!イーツーミーさーんー!……マジか、この人」
ぜんっぜん起きない。
普通、こんだけ騒がれたら、少しぐらいリアクション起こすもんでしょうが。
両手を口もとに構え、そのままバリアに響かせるように大声を出してるのに、イツミさんは全く起きる気配がない。
それを、一縷の望みをかけて5回繰り返すと、段々と私の心の余裕が消えていくような気持ちになっていった。
だんだん、発狂したくなってくる。
イライラ、モヤモヤが身体の内側から煙みたいに溢れ出てくると、私の声と行動はどんどん大胆になっていった。
「ねえ!!イツミさん!私にも!!ノルマってものがあるんですけど!!」
玄関の扉を叩いて居留守を使う居住者を引き摺り出すかのように、ドンドンとイツミさんを包囲するバリアを拳で叩く。
だけど、私の魂からの訴えなど一切意に介することなく、すやすやと健やかな子どものように眠る26歳の男性。
悩みの1つもなさそうなその表情は、あらゆる生き物が本来持つべきである睡眠という幸せを、これでもかと満喫している顔だった。
「……母さ……ん……父……さん」
「ん、何か言ったわ……。今、確かに『母さん、父さん』って」
そんな彼が、寝言で妙なことを言い始めた。
お父さん、お母さん、か。
私の場合は親じゃないけど、家族を想う気持ちは、私もよく分かる。
寝言は飾ることができない。
イツミさんの本当の人となりを知ることができる手がかりになり得る大チャンス。
そう思った私は、この機会を逃すまいとバリアに張り付き耳をすませることにした。
「────」
でも、そうよね。
あなたからしたら急にこっちの世界に飛ばされたようなものだもんね。
やっぱり……家族のことを想うよね。普通の人よりか問題はあるけれど、意外とマトモなとこあるじゃない。
…………これからだ、って時に寝るのはどうかしていると思うけど。
とか、なんとか考えてると、イツミさんの寝言がまた始まった。
「みん……な……」
「あっちに未練があるのかしら……ニートとはいっても人間だものね」
『ニートとはいっても人間だものね』
あれ、今私とんでもないこと言ってなかった?ダメダメ、私は女神!愛の女神!流石に今の発言はまずい!さっそくイツミさんに毒され始めてきた!
確かに、この人のせいでちょっと心が荒んできたけど!
落ち着いて、今の自分をよく見つめ直すのよ……。
ふう、よし!深呼吸したら、愛の女神の優しさが戻ってきた…………ような気がする。
続きよ続き、彼の寝言を聞かないとね。
「……い……倍……にして……返……す……から」
「ん?」
ん?なんか変なこと言い始めてない?『倍にして返すから』ってなんか私の周りでもたまに聞く言葉だけど?それも大抵穏やかじゃない場合だけど?
「……金……くれ……」
金、くれ?
「やっぱあなたクズ野郎なんですか!?早く起きてくださいよっ!……ってアァァァァァッ痛ッ!!」
痛だだだだだだだだだっ!!!!
とんでもなくくだらない寝言だったことが分かったところで、呆れて苛立ちが募るばかりだった。
すかさず、蹴りでバリアを破壊しようとしたが、壁は硬く私は脛に痛手を負った。
めっちゃ痛い。
そんな悶え苦しむ私を横に、ニー……勇者の卵は惰眠を貪るばかりだった。
起きたらこいつ絶対シメよう。
ニートだって夢をみる
家族とかから金貰う夢