17話『エビルサイド』
集合時間のはずなのに。
「今の時刻は……18時10分。何故奴はいない」
「そんなこと言われたって……」
1時間後、問題なく私たち“2人”は路地裏で落ち合うことができた。
だけど、ヤニクの姿はそこにはなかった。
約束を忘れたり、すっぽかすような人じゃない。
そんなことは私たちがよく分かっている。
だから、“この場にヤニクがいないこと自体”が、“ヤニクの身になにかが起きたこと”を意味していた。
「あいつのことだ、何も言わず消えるわけがない。10分経ったら出発するって話だったよな。……行こう、エリーシャ」
「うん……」
「道中で合流できる可能性もある。先に進むぞ、目的地はエビルサイドだ」
どうしてか、いつもよりイツミさんが優しい気がする。
人の命が関わっている以上、ずっとヤニクを待つことはしないで、タイムリミットを設けていた。
それが、10分。
思えば、ヤニクがやっていたことは“敵地の調査”。
私たちの中で、一番危ない橋を渡っていたのはヤニクだった。
なにか、妙なことに巻き込まれているのだろうか。
それ以前に、命は無事なのだろうか。
……物事が好転したかと思えば、また壁が立ちふさがるばかりね。
不安なことばかりで重い足取りを奮い立たせる。
私たちはエスの街のもう1つの顔、夜の歓楽街へと歩き出した。
◆◇◆
「おにいさぁん、愉しいことしなぁい?」
「愉しい、こと?」
イツミさんが、肌面積の多い服を着たお姉さんに絡まれている。
客引きか……追い払わないと。
「あっち行って!今急いでるから!」
エスの街の夜は、昼とはまるで違う。
昼は商売人の喧騒に塗れたこの場所には、夜になるとオトナのお店の客引きの嬌声が大半を占める。
そして……
「なんて美しい。まるで、荒野に咲く一輪の薄藤色の花。僕らの店に来ませんか?サービスしますよ」
「…………」
はっ!
いけないいけない。
大丈夫。
好青年の華やかな勧誘に、『作戦決行前に、景気付けの一杯をするのも悪くないのかな』とかほんのちょびっと思っちゃったなんてことないんだからね!
「奥に進めば進むほど、欲望の瘴気が強くなっていく気がする。初日にメシを食った場所は、ここまでじゃなかった」
「あそこは繁華街がある商業区の中でも大通りに近いとこにある、ライト層向けのお店だったのよ。これから私たちが行くとこは、そこから外れるディープなとこだから」
「この街がそれほどまでに俗っぽい所だったとはな。エスの街をチュートリアルの拠点に選ぶのは判断ミスじゃないか?」
「それぐらい娯楽に興じられる余裕がここにあるってことよ。繁栄具合なら、この街は世界でもトップクラスなんだからね」
私とかイツミさんが知るようなネオン街ほどではないけれど、夜とは思えない光の数。
ぼんやりと、だけれど確かなその街灯と店の看板や中から放つ光は、夜を駆けるどこまでも浮ついたオトナたちの心そのものなのかもしれない。
この街の二面性は、本当に興味深い。
日中はあんなに穏やかながら活気があるエスの街。
夜中も活気はあるけれど、ベクトルがまるで違う。
魔王による被害が多発している地域から離れ、相対的に平和と言えるザーイル大陸の、さらに平和な中南部。
その平和が、こういう眠らない街を作っているのかも。
そんなことを考えているけれど、目的地のエビルサイドの具体的な場所が分からない。
まるで、蛾のように光に誘われるまま歩く私たち。
そんな私たちを現実に引き戻したのは、何回目かも分からない客引きの声だった。
「ねえさんねえさん!一発賭けてかない?デカいの当てない?」
「はいはい、間に合ってまーす。これから私たちはギャンブルするんだから」
「そうなの!せっかくならさ、つい最近開店したばっかの最新鋭のカジノで遊ぼうよ!」
「だから間に合ってまーす」
「今日は凄く盛り上がるよ?普段なら絶対お目にかかれない、ど偉い人招待してるしさ!なんたって魔……いいや!とにかく凄いんだって!」
「ちょっと!悪質な客引きは兵団にしょっぴかれるわよ!」
「こんなとこに兵団は来ない来ない。それに俺らその兵団から可愛がられてるし!」
「はいはいすごいすごい」
今日出会った中で、一番執拗な客引きの男が、両腕を広げて私の通り道を塞ぐ。
身なりも、スーツを着たりして風貌を取り繕っている印象はあるけれど、ネクタイの結び方とか全体的なバランスの悪さとか、着こなしは不慣れさを隠せてない感じがする。
にしても、ああ、しつこい……!
イライラと呆れのあまり、言葉に詰まる私を見てか、イツミさんが。
「その店、果たして俺らを楽しませるレベルに達しているのか?良いか、俺らが行くつもりの──」
「んなこと言わずに俺らの“エビルサイド”に来てよ!入場料多少安くすっからさ」
「────!?」「まさかのビンゴ!」
渡りに船とは言わないけれど、予想外の救いの手が差し伸べられた。
ううん、あの悪質な客引きの仕方を考えると、差し伸べられたってのはちょっと癪かも。
でも、道も分からない私たちにとっては、確かな前進だった。
◇◆◇
「おー、新人。2人も連れてきたか」
「へへっ!今日はギャラリーがたくさん必要って話なんでね!」
案内されるままに歩いた私たちは、ヤニクと合流することはなかったけれど、問題なくエビルサイドにたどり着いた。
エビルサイドの外装は、贅を尽くした、いかにも羽振りの良さそうな感じで。
まるでちょっとしたお城のようにすら思えて、本当にここが賭場なのか疑ってしまうぐらいだった。
エスの街の、どの建物よりも豪勢で。
それでいて、造りの雰囲気はどこか独特で。
全体を見ようと目線を上げれば、異国情緒すらも感じることができた。
「本来なら入場料として5000ゴールド貰ってんですが、紹介割引ってことで4000ゴールドでいただきます!」
「……はい、2人で8000ゴールド。ちゃんと数えてね」
「2、4、6、8……。はい、2名様ご入場!」
不慣れな様子でゆっくりと札を2枚ずつ数える客引き。
数え終えたら、手を叩いて威勢良くエビルサイドへ入る許可を私たちに。
晴れて私たちは、エビルサイドの客になった!
「フルハウス!」「フラッシュ!」
入った瞬間、私たちが浴びたのは、ポーカーで沸き立ったフロアの歓声だった。
熱に浮かされたギャンブラーたちを掻き分け、私たちはカジノ内を進む。
「なあ、エリーシャ。情報共有をしておきたいんだが」
「なあに、イツミさん」
「ある筋からの確かな情報だが、このエビルサイドは1ヶ月ほど前にある団体が土地を買い、勢いそのまま急ピッチで建て、運営しているらしい。その団体の名は、店の名前と同じエビルサイド。だが、それは隠れ蓑だ」
「隠れ蓑。ってことは別に名前があるの?」
タキシードを着たウェイターが運ぶトレーの上に乗せられたカクテルを、それぞれ1杯貰いながら話を続ける。
色は鮮やかなグラデーションピンク。
ちなみに、チップは100ゴールド。
私たちより先に貰った人に倣ってトレーの上にさっと置いたけど、こんな感じで良いよね。ウェイターも満足そうだし。
「“覚醒待つ魔王の忠実なる僕たち”と自称する一派らしい」
「ぶふッ!?!?」
口に含んだカクテルを私は思いっ切り吹き出した。
同時に、周囲の視線が私に集まるのを感じ、顔が熱くなる。
見てきたみんなの視線が散ったのを確認して、息を整え、カクテルを飲んで私はイツミさんに。
「なにその物騒な名前。魔王の配下がここの運営に関わってるって言うの?」
私の問いかけに、イツミさんは首を縦に振る。
でも、まさか私たち神のお膝元みたいなエスの街で、こんなに大々的な規模で魔王の息がかかっている商売が展開されるなんてね。
場合によっては、これはとんでもない火種になる。
てか……
「でも、ここってサーク村を襲った賊の拠点なんじゃないの?それが事実なら、魔王と賊は関係があるってことになるけど」
「問題がそこだ。賊が魔王と提携しているのか、そもそも賊が魔王の配下なのか。もしくは、魔王の配下がたまたま賊を利用したのか。どちらにせよ、相手をするのが賊だけとは限らない。逆に、店側の全ての連中が敵とも限らない。従業員の大半は、この店が賊によって運営されていることや、魔王と繋がりがあることなんぞ知らんはずだ。例えば、このカクテルを運んできたウェイターとかな。この店がオープンする前に、求人が大々的に行われていたらしいが、表舞台で勤務している奴らはその時に雇われたのが殆どを占めるはずだ」
「それなら……今すぐに神ハウスに戻って神界に協力を仰いだほうがいいわね。魔王が関わってるなら、介入してくれる神もいるかもしれない」
「俺としては奴らを動かすのは気が進まんが、それを抜きにしても協力の要請は待った方が良いと思う。今、せっかくこうして潜入できているんだ。もし、神どもに報告するにしても、形になる証拠があるに越したことはないだろう。俺が持つこの情報だけでは、神が腰を上げるとは思えん。だって、自分たちで戦わず勇者召喚とかやってる連中だからな」
「神だってみんな強いわけじゃないんだからしょうがないでしょ。でも、確かな情報がないと動いてくれなさそうってのはありそうね。…………ところで、イツミさんはその情報をどっから仕入れたの?」
質問してばかり。
自分でもそれは分かってるけど、イツミさんのその情報の出処はどこなの?
思っていることが割と顔に出たり、表情は割と豊かな気はするけど、余程のことがない限り感情そのものは前に出さないイツミさん。
そのせいで嘘をついているのかも判断できないし……。
「エリーシャが金を取りに神ハウスに行っている間、俺は俺でヤニクとは違った視点で聞き込みをしたり調べていた。情報提供者の名前は内緒だ。そういう取り決めだからな。ちなみに、そいつに『村人救出が不可能だと判断した場合、エビルサイドの闇の証拠だけでも撮って来い』と言われていてな。────詳しいことはこれ以上は言えん」
そう言い、イツミさんはカメラをポケットから覗かせて、私に見せた。
なんだか、私のいないとこで勝手に話が進んでいることに、つまらなさを感じているけれど。
でも、イツミさんの実質的保護者である私は大人げってやつを見せてやることにした。
「あっ、そう。言えないならしょうがないわね」
次に私たちが訪れたのはルーレットエリア。
さっきまでいたところは、ロビーから入ってすぐの、ポーカーとかブラックジャック、ハイ&ローといったカードを使うエリアだった。
同じ場所に留まっていたら、建物内の構造や賊の手がかりを掴めないしね。
時間はと言うと、開店してからまだ経過1時間ぐらい。
ルーレットの盛り上がりはカードゲームとはまた違っていて、高額ベットして負けたのか、早々に膝をつく人も。
「まだ夜になったばかりだってのに、ちょっと飛ばしすぎじゃない?よっぽど勝算があったのかな」
「これがその……。まあ見てみろ。カジノに潜む狩人が姿を現すぞ」
イツミさんがそう言うと、膝をついて項垂れる人の周りに、徐々に人が集まり始めた。
みんな揃ってペンらしきものと、なにかが記されている紙を持っていて、表情は不自然なほどに柔和だった。
そして、項垂れていた人は、その中の1人に人差し指を向け、向けられた人はペンと紙を喜々として渡し、四角い鞄を下敷きになにかを書かせていた。
それと同時に人が捌け出した。
捌ける側の浮かない表情は、まるで獲物を獲り損ねたかのよう。
「なにを書かせてるの?ちょっと物騒な予感」
「その予感は強ち間違いではない。あいつらは金貸し、金融業の連中だ。そして、あの紙は」
「借用書!」
食い気味な私の答えに、イツミさんはさっきと同じように首を縦に振る。
正解して良かった。こんな自信満々に答えて外してたら、何気にめちゃくちゃ恥ずかしい。
「ここにいる金貸しは、この街だけでなく大陸中、いや、海を越えた世界中から来ているみたいだ。話を聞く限りだと、俗に言うヤミ金から、国営の金融業まで幅が広い。何でも、魔王活性地域から離れたエスの街の治安の良さと、世界でも有数の規模を誇るこのカジノの相乗効果は、金融業の奴らからしても相当な魅力らしい。安全性が確保されている中、これ程までに金が動くカジノ。目を付けん理由がない。だが……」
『まだなにかあるの?』と口から漏れてしまいそう。
イツミさんは、懐からメモ帳を取り出し、数ページめくって辺りを見渡して。
「あくまでもこれは金融の話。例の賊どもの闇は、もっと別のところにあるようだ。ここから先は二手に分かれよう」
そう、私たちの目的はギャンブルを観ることじゃない。
囚われたサーク村の人たちの解放と、あわよくば賊の殲滅だ。
「ちなみにだけど、イツミさん。その情報もどこで仕入れたのかしら」
「守秘義務がある。提供者との取り決めだ」
あっそ!
無職が抱える秘密。