12話『不穏は足音を立てて』
水すらも抜かれた飢餓地獄にて……
私たちは、今、絶食期間2日目です。
「お腹と背中がくっついちゃいそう……。辛い……」
寝るに寝られないまま迎えた明け方はこれで2回。
ヤニクが来なかった一昨日の夜の次の朝──つまり、昨日の朝──も、決して彼は来なかった。
要するに、昨日、私たちは労働はおろかこの世界の誰からも忘れ去られたように、丸1日この牢屋の中で飲まず食わずで過ごしていた。
私は、泣きながら飢えを凌ごうと丸まって横になっていた。
もちろん、そんなことでお腹が満たされるわけもないし、それは百も承知よ。
だけど、この体勢が一番空腹を誤魔化せる気がして、私はひたすら耐えていた。
んでんで、当然苦しんでるのは私だけじゃなくて……。
「辛い、嫌だ、苦しい、腹減った、ヤニク、あいつ、絶対に、許さん」
呪詛かなんかと聞き間違えられても仕方ない、あまりの恨めしさを感じる呟きを、檻に頭を何度も打ち付けながらブツブツ言うイツミさん。
おでこを腫らして、いつにもなく窶れるイツミさんに、『うるさい!我慢しなさい』なんて私はとても言えない。
結局、お腹が空くのが一番辛いのよね。
気が立っちゃうし、なにより苦しいし。
食料を確保できる自由が保障されていない分、今のこの状況はそんじょそこらのサバイバルより圧倒的に苦痛ね。
一応、牢屋の固い木の床には、檻の隙間から入ってきた枯れ葉とか風で飛ばされた葉っぱが落ちていて、空腹の限界に達した私とイツミさんは昨日の夜に口に入れてみたのでした。
だけど、苦いし唾液が吸われてさらに苦しくなった……。
「これで、万が一今日の労働しっかりやりなさいって言われても私無理だわー……。知ってる?イツミさん。神でも普通に餓死すんのよ」
「おい。ここを出た時、お前が死んでいたら誰がを養う?」
「なら、一昨日果物独り占めしようとした理由を教えてほしいんだけど」
「そんな大きいものではなかっただろ。それに柑橘類で腹は膨れんぞ」
「じゃあ、なんでイツミさんはあれ食べようとしてたの!?お腹膨れないなら食べる必要なかったじゃん!」
「────」
「え……!?」
マジか……!?
今さら遠慮する必要性はないけど、お腹が空き過ぎててちょっとイライラしてて、イツミさんを黙らせてしまった……!
私が本気を出せばイツミさんを圧倒できることを分からせてしまった……!
「……ま、まあ良い。そんなことよりも──」
うわあ。
完全に自分が勝てないと見るや、話逸らした!
若干、取り繕ってる感じを見せるイツミさんは、檻の向こうを眺めて。
「時計とかがないから判らんが、今日も労働の開始時刻はとうに過ぎている。……はずだ」
イツミさんが眺めていたのは、檻の向こうの太陽だった。
その陽の高さは、いつも私たちが労働をし始める時よりも高い。
え?『なんでそんなことが分かるの?』って?
まだ昇り切らない朝日が、遠くに見える山脈の稜線を照らして色づけ始める、あのいつもの景色。
あの景色が、私たちの脳裏に刻まれている“労働開始の号令”みたいなものだからね。
つまり、私たちが牢屋の中にいる状態で、朝日が昇り切ってるってだけで“いつもの”が破綻しているってことになる。
それが、今2日連続で起きてるわけなの。
「一応、生物は水さえあれば飯抜きでもある程度は生きてはいけるらしいが、こんな所では水すらもろくに手に入らん。エリーシャ、今は泣いてる場合じゃない。体内の水分を無駄に消費するな」
「それは、そうだけど……。でも、どうしよう……」
正論だけど、涙を止めようにも止められない私。
そんな中、イツミさんが床に落ちてる葉っぱを2枚拾って、厳しい顔をして。
「さて、どうしようか。考えられるケースは2つだ」
「2つ?」
「ああ。1つは、ヤニクの身に何かが起きた。急病で斃れたり、何かしらのいざこざに巻き込まれたり、外せない用事ができたり。まあ、俺らに飯を与える以上に大事な用があるとは思えんが。とにかく、これに関しては考えれば考えるほど理由ってのは湧いてくる」
「……そう考えるのが自然よね。ヤニクってば、ここ数日結構立て込んでるようだったし」
私としても、イツミさんの見立て通りな気がしてる。
ここの所、ヤニクどころか村人全体から余裕のなさみたいなのを、労働に励んでる間私は感じ取っていた。
あの余裕のなさを鑑みると、私たちに降りかかってるこの現状に妙に納得がいっていた。
すると、手に持った2枚の葉っぱの1つを私に見せながらそう言うイツミさんは、今度は残る1枚を同じように私に見せて、こう続ける。
「そして、もう1つだ。ヤニクが何らかの理由で俺らを世話することを放棄した。自分が飽きたか、村の連中とかに唆されたか。こっちならば最悪だ。俺としては、前者の方であって欲しい」
「さ、流石にそれは……。だって、ヤニク言ってたじゃない。“サーク村の誇り”がどーのって、私たちを餓死させないって!そんなこと、ありえ……」
『ありえない』
そう言おうとした私は、寸前の所で言葉が詰まった。
本当にそれ、ありえない?
頭の片隅にそう浮かんでしまったら、もう私は喋ることができなかった。
すると、イツミさんは私を見て。
「あり得ない、か……。エリーシャ、それ、言い切れるのか?あいつらからしたら俺らは罪人。この村にとっては目の上のたん瘤だろう。俺らを消したいと思ってる連中は山ほどいるんだ。そして、あいつらは消そうと思ったらいつでも俺たちを消せる。態々直接手を下さなくても、飯と水を与えないだけでな」
「嘘……でしょ……」
イツミさんが持っていた2枚の葉っぱを放り捨てて、話を終える。
淡々とイツミさんが告げる現状と予測に、私は打ちひしがれて、流しちゃいけないのに止まりかけてた涙が目から溢れてた。
やばい、もしも後者なら贖罪とかしてる場合じゃない。早くここから、この村から出なきゃ。
でも、なぜか今、私は自分の力を上手く扱うことができない。
お手洗いに行こうと檻をぶち壊そうとしたあの日以降も、ふと『そろそろ力、戻ってないかしら?』って労働の合間に誰もいない場所目掛けて、自分の異能の1つでもぶっ放そうとしてるけど全く出る気がしない。
まるで、自分の身体になにか栓が詰まってるようで、この独特の感覚は誰かに打ち明けてもなかなか理解してもらえない系のそれだと思う。
そして、非力なイツミさんはこの檻をそもそもぶち壊すことはできない。
よって、私たちはここから逃げられない……。
どうしよう、どっちも困るけど前者の予測じゃないと私たちの死がほぼ確定する。
ああ、もうやだ!!!
あっ……待って。
私のナビゲーター特権の“1日30000ゴールド無償給付”を使えば、イツミさんの【先立つ物は所詮金】でこの檻ぐらいは捻じ曲げられるんじゃないかしら。
イツミさんの素の力は極めて貧弱。
それを踏まえると、力の底上げに使うお金も30000ゴールドじゃ足りないだろうし、最悪の場合数日間なにも与えられないこの環境で耐え抜かないといけなくなるけど……。
「そこでだ。この後、ヤニクが来るにせよ、来ないにせよ、ここを一旦出ないか?例えば、俺の【先立つ物】──」
恐らく、私と同じことを思いついてるイツミさんが切り出す。
────その時だった。
「────お前ら、待たせた、な」
私たちがずっと待ってた太い声が、牢屋の外から聞こえた!
間違いない、ヤニクの声だ!
「ヤニク!!」「ヤニク!?」
珍しいことに、イツミさんも喜びとも驚きとも取れる感情を全面に出して、ヤニクの声がする方を向く。
すると、私たちの目に飛び込んだのは、想像もしなかった光景だった。
ううん。想像はしていた、はずだった。
私たちの目に飛び込んだもの。
それは、足を引きずり、よろけながら私たちの元へ歩いてくるヤニクだった。
「おい、その傷は何処で負った!?」
「ちょっと……害獣が悪さしてな……」
「んなわけないでしょ……。絶対違う。だって……」
「だっても何もねェ……害獣だ……」
じゃあ、庇ってる左肩に刺さってる矢はなんなのよ……!
まさに満身創痍で、頭部からは出血が見られ、トレードマークのバンダナに赤色が滲んでいる。
険しさと頼もしさが同居しているはずの普段の表情も、今は全くない。
誰がどう見たって異常。刺さってる矢が、害獣に襲われたのが嘘だって言っているかのようで。
だけど、これは昨日今日の出来事じゃない。ここ数日、そういう違和感はあった。
なんとなく、なんとなくの範囲で嫌なものを察していた私たちだけど、ヤニクが傷ついている姿が、このサーク村になにかが起きていたということを教えてくれていた。
「鍵…………開けるぜ…………」
「ヤニク!」
震える手で、牢屋の鍵を開けてくれるヤニク。
ギィン……と金属が軋む音と一緒に扉が開いたその瞬間、ヤニクは正面から倒れた。
私たちのために、残る力を振り絞ってきてくれんだ。
「エリーシャ、神界から降ろせる全額だ。30000ゴールドを今すぐ寄越せ」
「今、この状況でお金の話!?バカじゃないの?とにかく、柔らかいところにヤニクを寝かし……ってここの床全部固いのよね」
ヤニクの命に関わる事態を前に、お金を欲しがるイツミさんに私は心底呆れながら、なんとかヤニクが休めそうな場所をさがしていたら。
「良いから寄越せ。応急処置を行うための必要経費だ」
「応急処置ねえ。街に行って30000ゴールドで薬でも買おうっての?────あー、もう!はあ……。ほら、なんとかしてみせなさい」
ほんっと、もう!
普通、こんな時にお金無心するか!?
私は、ヤケ気味に1日の給付金の満額である30000ゴールドを召喚し、イツミさんに手渡した。
すると、イツミさんは……
「【先立つ物は所詮金】。チャージ、30000ゴールド」
ジャラジャラジャラドキュドキュドキュン!!
例のごとく、お札である30000ゴールドが、イツミさんの詠唱の終了と同時に星のように眩しく光る硬貨のようになり、その硬貨が弾ける音とともにイツミさんの身体に吸収されていく。
これが、イツミさんの【先立つ物は所詮金】の一連の流れだ。
……なんだけど、村での労働の時に使ってた額よりも結構大きな額のせいか、いつもの発動時とはちょっと様子が違うみたい。
特に光る硬貨のジャラジャラ音とか。
「パーチェス、ヒーリング」
そう言うと、イツミさんの右手から、温もりを感じる大きなシャボン玉みたいな黄緑色の球体が出てきた。
そして、その球体はヤニクを守るように包んだ。これが、イツミさんの言う応急処置なのかな。
「確かに満身創痍だが、酷すぎる外傷は見受けられなかった。なら、俺の【先立つ物は所詮金】でも命を繋ぐことはできよう。矢を抜いてやれ。この球体の中でなら大丈夫だ」
「う、うん」
素人が判断して良いものなのか分かんないけど、私はイツミさんの言うとおりにヤニクの左肩に刺さる矢を抜く。
抜く……。
抜…………。
あれ、抜けない。これ無理だ。
ヤニクの筋肉がガチガチに鍛え上げられてるのもそうだけど、『失敗したらやばい』って思ったら手が震えてきて、全然抜ける気配がない。
「何やろうとしてんだ……お前……」
「え、起きた!?」
「そりゃ……痛ェから起きるだろ。矢抜いたら……血が止まらなくなんだろが」
私の矢の抜き方がよっぽど悪いみたいで、ヤニクが苦悶の表情を浮かべて上半身だけ起き上がる。
「だ、大丈夫だから!イツミさんがなんとかしてくれるから!」
「────」
ヤニクは、私の発言に呆れた様子を見せながらも、自分が置かれている状況を分析するかのように周りを見渡した。
まずは、自身を包むように展開されている温かみのある球体。
そして、ゆっくりだけど自分の身体の傷が引いている事実。
そして、左肩に刺さっている私が握ったままの矢。
「って、いつまで矢掴んでんだ!?早く離せや!」
「ひぃっ!?」
こっわ……。
息絶え絶えな人がそんな鬼のような形相で怒鳴れるもんなの?
迫力のあまり、私は反射的に矢を離した。
「そ、そんな怒らないでよ……。怖いよ……」
「お前がずっと矢握ってグリッグリやんなけりゃな!」
ヤニクはいつもと同じどころか、いつも以上に声を張り上げる。
そりゃ、痛いに決まってるよね……。
申し訳なさでいっぱいになりつつも、それでも私はやらなきゃいけない。
矢を……抜かないと……!
「ご、ごめん。でも、本当に大丈夫だから!」
「大丈夫じゃなかったら責任取れよなァ!────ッラアァ!!」
ヤニクは一呼吸置いた後、右手で思い切り左肩に刺さる矢をブチ抜いた!
すると、傷口から血が噴き出すと同時に、イツミさんの【先立つ物は所詮金】による30000ゴールド分の治癒の効果で、瞬間的に傷口が塞がり始めてきた。
ヒーラーボーイ、イツミ。
治せないものはそんなにない。
いや、結構多いかも。




