11話『夜半の語らい』
さっきはお楽しみでしたね
取っ組み合い──私の一方的な固め技による──の熱りが冷めた頃、ヤニクは目を逸らしながら夜ご飯の配給をしに私たちの牢へ来た。
その様子に私だけでなく、イツミさんも違和感を覚えていた。
普段ならもっと強引というか、歯に衣着せない感じなんだけど……
「…………ほらよ、今日の夜飯だ」
「ありが……とう?なんかいつもと態度違くない?」
「………………盛るのは勝手だがよ、場所は選べよ。村中のガキどもが見てたぞ、追っ払って帰らせたがな」
「盛る……?どゆこと」
ヤニクは、親指で檻の向こうの茂みを差す。
そこは、私がちょうど不自然な揺れを見た茂みだった。
ってことはまさか!?
「え、見られてたの。え、は?」
「やってくれたな、エリーシャ」
見られ、てた?
「お前らの故郷じゃ、あんな変わった体位が主流なんだな。────っとこんなところで遊んでる場合じゃねえ。さっさとメシお前らに渡して俺は行かなきゃならん」
押し寄せてきた頭の奥が燃えそうなぐらいの恥ずかしさに、私はただ堪えるばかり。
一方、私とはちょっと方向性が違う感じで余裕なさげに頭を掻くヤニクは、どうやら先を急いでいるようだった。
「家路を急ぐ、か。自宅直帰の徹底とは、殊勝な心掛けだな。俺らの上に立つ者なら、それぐらいの心掛けはしてもらわないと困る」
「アホか。別にお前らに言うことじゃねえが、ちょっと厄介ごとが続いてな。そうだ、お前らに訊きたいことがある。────────お前ら、ここに来る前にサーク村に関わる悪い噂聞いたか?サーク村そのものってより、サーク村に降りかかる災いっつーか」
ヤニクの突然の問いかけに、私とイツミさんは互いに顔を見合わせ、首を傾げる。
というのも、私もイツミさんも急にそんな質問をしてくる意味が分からなかったから。
「ど、どゆこと?」
「まんまの意味だ。知った上で黙秘が続くと、刻まれた契約紋が暴れるぞ。少しでも知ってんなら、苦しくなる前にさっさと答えろ」
ヤニクと私たちとの間には、主従関係が契約紋を介して結ばれている。
そして、縛りは“サーク村のために尽くすこと”。
要は、サーク村に関するヤニクの問いかけに、私たちは答える以外の選択肢を持ち合わせていないってことになる。
だから、なにか返答をしなきゃとまごまごしていた私だったんだけど……。
その時、イツミさんが1歩前に出て口を開いた。
「信じようが信じまいが勝手だが、お前に課せられたあの縛りがある以上、俺らがこの村に危害を加えることは断じてないし、その手の情報を知っているなら、さっさと吐いている。ついでに言っておくが、そういうことを企む輩と連むこともあり得ない。大体、少しでもサーク村を脅かそうものなら、この紋が俺らを蝕むんだ。仮に、俺らがサーク村に訪れ、お前らを騙したあの時より前に既に第三者と結託して、その第三者と共に俺らがこの村を堕とそうと今の今も企んでいたとしても、それを隠す行為そのものが契約紋の縛りに引っかかるわけだろう。よって、俺らは今お前が抱えているらしき問題とは全く無関係だ」
「イツミさん……!」
「…………ヤニクが、俺らを助けてくれた昼飯の時、似たことを言ってただろう。それの受け売りだ」
イツミさんは、契約紋が刻まれている自分の右手の甲に手を当てて、ヤニクに淡々と、そして堂々とそう答える。
でも、なんでだろう、素直に感心できない。
この人、特に自分の身を守ることに関しては、普段の数十倍はやる気出すタイプなんだよね、多分。
「…………そう、だったな。今の話は忘れてくれ、お前らは明日の労働に備えてさっさとこれ食って歯磨いて寝ろ」
「疑ったり命令したり忙しい奴だな」
「お腹ぺこぺこ!いただきます!」
その日の夜は、サーク村に来て初めて落ち着いて眠れた夜だった。
労働と固め技によるどこか心地好い疲労に、夜ご飯を食べたことによる至福。
そして、今日一日を無事に終えられたという達成感。
これは、神界にいたら得ることは難しい心地好さだった。
ナビゲーター制度っていうのは、基本持ち回り。
つまり、志願制ではない。
なのに、ナビゲーターの経験者の多くが、過ごした日々を目を細めて満足げに、しみじみ思うことが多い。
その理由が、今の私ならなんとなく分かるような気がしてきた。
◆◇◆
────そんな健全なのか不健全なのか分からない労働の日々も、4日を迎えた夜のことだった。
村の人たちは相変わらず手厳しい反応を私たちに見せるけど、4日も続ければその冷ややかな視線にも慣れてきた。
あと……朝5時起床の労働環境にも慣れてきた。
ちなみに、サーク村に来て6日目、バルに来て1週間経つ。
今日も無事に労働終了!
牢の中で夜風に当たりながら、身体を洗い終えた私たちは腰を落としてのんびりしている。
のんびりしてるって言ってもなんにもない牢の中だから、私はそこら辺に落ちてた石を積んで時間を潰して、イツミさんは檻に頭をもたれかけている。
そうやって石を積むのにも飽きた頃、私はイツミさんにこんなことを訊いてみた。
「今日で私たちが出会ってもう1週間経つんだ。ほぼサーク村で過ごしてるわけだけど、イツミさんはどんな感想?」
「感想、か。……そうだな、色々あるな」
瞑目しながらも1週間に想いを馳せるイツミさんは、意外にもなんだか穏やかそう。
イツミさんの頭の中には、今どんな想い出が浮かんでいるんだろう。
取り返しのつかない罪を犯したイツミさんだけど、今やってる償いは絶対にイツミさんのためになっているはず。
だから、こう、モノの考え方も多少は変わって……
「言ってしまえば、“労働はしないに限る”ということだな。こんな閑散とした村で働かされるなら尚更だ、1人あたりに求められる技量だとか、能力だとか、ハードルが高い。仲間内でやっている悪質な小規模の会社でこき使われるのと何ら変わらん」
変わってなかった……。
まあ、あの夜約束してくれた通りに、今後私の協力をしてくれるなら、今更イツミさんの何を変えようってのはないから、別に良いんだけどね。
────あの約束が守られるとも思ってはないけど……。
私がそんなことを考えていると、それを察したのかそれとも偶然なのか、イツミさんは続けて話す。
「だが、安心しろ。俺の行動原理は俺のため、エリーシャのためだ。償いは償い、そこは割り切っている。不服だが、その償いが俺の嫌いな労働でのみ成せるものだとしてもな」
「そ、そう……」
『償えるチャンスが1つでも与えられたら、サーク村のボロ雑巾にだって何だってなる。』
これは、あの夜のイツミさんの言葉だ。
ちなみにその後に、
『だが、お前に汚れ作業は一切させん』
だとか、
『主犯で原因は俺だ。絶対させんぞ、お前に手を汚させることなんぞ。俺は、自己に甘く他者に厳しい自宅警備員だ。自分の誇りは守り抜く』
だとか言っていたような気がする。
まあ、そこに関しては守られなかったけど、私としても保護者として止められた立場にいながら止めなかったという償いはしなきゃいけないと思ってるし、それは気にしてない。
そういうイツミさんは、なにか気にしてるように檻の向こうを覗き見ていた。
「しかし、今日はヤニクが遅いな。働くだけ働かせておいて、飯を食わせないとは上司としての資質が問われるぞ」
「確かに。昨日とかもちょっと遅かったけど、今日ほどじゃないわね。なんかあったのかしら」
私たちの扱いが雑になったのか、それともヤニク側になにか事情があるのか知らないけど、昨日の夜ご飯の配給は、大体労働の火照りが冷める頃に来た。
牢へ帰宅──帰宅って表現は合ってるのかな──した後、一息挟んで身体を洗っても来なかったから、労働初日と比べるとかなり遅いことが判る。
まあ、私としても食べるより前に汗流したいし、ちゃんとご飯をくれるのならある程度遅いのは我慢できるけど……。
檻の向こうでコロコロ鳴いている虫に、空腹のまま耳を傾けていると、イツミさんがジャージのポケットから、ガサゴソとそれなりに大きさがある何か丸い物を取り出した。
暗くてその正体がよく判らないけれど、それをイツミさんが剥きだした。
剥き……?
待て、それって……
「イツミさん、なんか食べようとしてない!?」
「ああ、収穫してから運ぶ時に、“たまたま”3回地面に落としてしまった柑橘類っぽい果物があってな。“たまたま”売り物にはできないから仕方なく俺が回収した。────それが、どうかしたのか?」
うわあ……“たまたま”を強調しているあたりこれは嘘だ!
悪びれる様子もなく、イツミさんはみかんやライムっぽい果物を剥き続けている。
「『どうかしたのか?』じゃない!私もお腹ぺこぺこなのに、イツミさんだけ独り占めなんてダメでしょ?半分私に寄越しなさいよ!!」
「おい!勝手に盗るな!絶対にやらんぞ、俺の計略の塊は」
「あっ、はいはーい!自分で計略って認めちゃいましたねー!なにが“たまたま”よ、やっぱそんなことだと思ってたわよ。はい、ヤニクには黙っといてあげるから半分こね!」
橙に色づいたその果物を、私は両手で皮ごとバカっと半分にし、イツミさんと無理やり分けた。
そして、間髪入れずにその欠片を私は口に放り込んでやった!
「お腹にはたまんないけど、食べられるだけありがたいわね」
「チッ……!」
取り返そうと掴みかかってくるイツミさんをかわして、私は熟しているのか熟していないのか判断がつきにくい、酸味の強い果物を食べながら。
「1人で食べるより2人で食べたほうが美味しいね、イツミさん」
ふと、ごく自然に口からこの言葉が出てきた。
瞬間、脳裏に浮かんだのは、神界にいる親友のことだったり、今は会えない妹のことだったり。
私にとって大切な存在たちに想いを馳せかけたその時、私を現実に引き戻す響く低い声が聞こえた。
「煽ってるのか?」
「…………いいえ、本心よ」
私から果物を取り返すのを諦めたのか、手を引くイツミさん。
しんみりしかけた私に鞭を打つような、空気の読めない彼のその言葉だけど、今回ばかりはちょっと助けられたところはあるかも。
そんなことを思ってた夜だった。
だけど、結局、この日の夜ご飯が私たちの元にやって来ることはなかった。
夜がいくら更けても、私たちのお腹がどんなに鳴っても、ヤニクがやって来ることはなかった。
待ちわびし夕食は、遥か遠くに……




