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ヴェルタ王宮事件(星暦1620年)

 ヴェルタ王宮事件は、大陸中近世時代の星暦1620年2月10日に、ヴェルタ王国(現アルトニア共和国ヴェルタ地方)の王宮にて発生した、ボスコニア出身の獣人による大量殺傷及び王族誘拐事件。

 俗に「ヴェルタの惨劇」「ヴェルタ王宮の血の惨劇」とも呼ばれる。



<<概要>>


 当時ヴェルタ王国を訪れていたボスコニア獣人国(現ボスコニア汎人類連邦)の王族である獅子の獣人レオル・ファン・ボスコニア第三王子が、“王国の至宝”と呼ばれたアリス・イーリス・ヴェルタ第二王女を誘拐し、それを阻止しようとしたヴェルタの王族及び騎士を殺傷。

 レオル王子は獣人国へと逃亡し、王女は囚われの身となる。

 事件を受けてボスコニアは友好を結んでいた人類国家から批難を浴び、ボスコニア政府はレオル王子に王女の解放とヴェルタへの謝罪を求めるが、レオル王子はその要求を拒否する。


 事件発生から約1年後に王女が死亡した事を知らされたヴェルタ王国は、大陸の人類国家と共同で対ボスコニア同盟を結成し、その後のボスコニア解放戦争の切っ掛けとなった。



<<事件の発端>>


 レオル王子がボスコニアとヴェルタとの友好の使者として、ヴェルタの首都であるヴェルタンカを訪れたのは1619年12月の事であった。


 翌月の新年の王国祝賀会参加の為に王宮へと訪れたレオル王子が、アリス王女と出会ったのはこの時が初めてとされる。

 この際に王女に一目惚れし(※1 獣人特有の「運命の番」と呼ばれる性的衝動。詳細は別項にて記載)、王女に対して半ば劣情の籠った愛情を募らせた(要出典)彼は、祝賀会の一週間後に早速王宮へと登城して王女と面会し、その後も事件発生まで幾度となく王女との面会を希望した。

 当時王宮に仕えていた侍女の証言によると、レオル王子は当初の態度こそ温和であったものの、面会の回数を重ねるにつれて、その顔には執着と焦り、そして苛立ちが見えていたという。

 王女も当初は物珍しさからレオル王子との面会を好んでいたが(※2 なお面会の際にレオル王子から王女に贈られた宝飾品は、その多くは現在アルトニア国立美術館に保管されている)、次第にレオル王子の執着心を恐れたのか彼との面会を断る事が増え、事件発生直前にもレオル王子との面会の断りをいれている事がヴェルタ王国の記録から判明している。


 なおレオル王子は王女への求婚の為に、ヴェルタンカに存在する花屋という花屋から薔薇を買い漁り、一時期ヴェルタンカからは薔薇という薔薇が消え去ったという逸話がある(要出典)。



<<事件発生とその経過>>


 1620年2月10日の朝、ヴェルタ王宮にレオル王子から王女との面会希望が伝えられるが、王女の希望により拒否される。

 同日の17時頃、少数の部下と共にレオル王子が王宮へと侵入する。この際に門にて止めようとした衛兵隊長含む兵士12名が王子等に重傷を負わされており、ヴェルタ王宮内に混乱をもたらしていく。

 王宮内の王女の寝室へと向かうレオル王子を止めるべく、当直の近衛騎士団が立ち向かうも、交戦の末に近衛騎士を率いていた王弟アレク含む騎士の半数が死亡し、残りも重傷を負う。

 王女の寝室に侵入したレオル王子は、抵抗する侍女2名を惨殺し王女を確保。

 囚われた王女を救うべく現れた衛兵の部隊をレオル王子と部下は相手取り、これを全滅させる。

 同日18時頃には王子は王宮を脱出し、滞在先であったボスコニア大使館にも立ち寄らずにそのままボスコニアへと逃亡したとされている。



<<事件の被害>>


 この事件の被害者は以下の通りである。


 ・アレク・アガ・ヴェルタ(ヴェルタ王国の当時の王弟。ヴェルタ近衛騎士団副団長)

 ・ヴェルタ近衛騎士団:死亡12名、重傷8名

 ・ヴェルタ王宮衛兵団:死亡26名、重傷45名

 ・王女付き侍女:死亡2名、重傷1名

 ・王宮使用人:死亡1名、重傷8名


 王族含む42名が死亡する惨事となり、また王宮内の混乱や交戦に巻き込まれて軽傷を負った者は数百名に及ぶとされている(要出典)。


 レオル王子はほぼ無傷で王宮から脱出したとされているが、王子の部下の一人である狼の獣人は衛兵との交戦により重傷を負い捕縛されるが、その後治療の甲斐なく死亡している。



<<事件後の経過と各国の対応>>


 当時のヴェルタ王であるガーリング二世は、事件当日は隣国のアーヴァ王国との会談で不在であったが、自らの弟を含む臣民がボスコニアの王子に殺害され、自らの娘が誘拐された事を会談の場で知った彼は、怒り狂った挙句にしばし気を失ったとされている(要出典)。

 ガーリング二世は翌日にはアーヴァと共同でボスコニアへの批難を発表し、大陸の人類国家もそれに続いていく事になる。

 また、当時の近衛騎士団長は王の護衛の為に近衛騎士団の半数を率いて会談に出席しており、副団長である王弟が亡くなった事を知らされ大いに悲しんだとされている。


 一方のボスコニア政府も突然の王子の凶行により混乱が発生していた。

 当時のボスコニアでは一部の獣人特有の「運命の番」の衝動が引き起こす事件が社会問題化しており、運命の番の衝動を抑える魔法薬が開発され、薬の処方と服用が推進されていた。

 膂力が強く問題が大きくなりがちな肉食系の獅子族や虎族、狼族に対しては優先的に処方されており、国際問題を引き起こさないように諸外国へと出かける獣人については薬の服用が義務化されていたのだ。

 後の調査の結果、レオル王子にはその魔法薬が処方されていなかった事が判明した。

 「運命の番」の伝説に憧れる王子が王族の特権を振りかざし、処方されるはずの薬を拒否したとされる(要出典)。


 事件から約1ヶ月後の1620年3月15日、ボスコニア政府は王女を連れて帰ってきたレオル王子に議会への出頭を求めるが、王子はそれを拒否して離宮であるネスト宮に籠城する。

 ボスコニア政府がレオル王子を説得する為の準備を整えている間に、王子は自らの私有財産を惜しみなく使ってネスト宮の防備を強化し、傭兵を雇い入れて離宮を要塞化してしまった。

 政府が気付いた時にはネスト宮はもはや多少の戦力では手の付けられない有様となっており、政府は武力による解決を断念。ネスト宮と王女解放の交渉を進めていく事になる。


 1621年3月1日、ネスト宮からアリス王女が死亡したと伝えられる。死因は衰弱死とされ、ネスト宮内の墓地に葬られた(※3 葬儀の為に聖月教の司祭と修道女数名が派遣されており、王女の遺体については彼らが確認している)。

 ヴェルタ王国は悲しみに包まれ、翌月の4月3日には王女の為に大規模な国葬が行われている。

 ガーリング二世は国葬での演説にて、娘と臣民の命を無惨に奪われた怒りと悲しみを表明。

 翌月の5月に大陸の主要な人類国家と共に、対ボスコニア同盟を結成する事を宣言した。


 後に勃発するボスコニア解放戦争(1622-1628)については別項にて記載する。



<<人物評価>>


 レオル王子の評価は、現在のボスコニアでも芳しくない。

 彼の凶行を原因として勃発したボスコニア解放戦争により、ボスコニア本土は焦土と化す。

 無数の獣人族を統一して誕生し、経済的に発展の兆しを見せていたボスコニアは一転して大陸最貧国へと転落する事になる。

 ボスコニアの完全な復興には半世紀以上の年月が掛かった事から、レオル王子は「ボスコニアの時計の針を半世紀巻き戻した愚者」と呼ばれており、近代ボスコニアにてレオル王子の銅像が建てられた際には、翌日には何者かによって見るも無残に破壊されたという事件が起こっている。


 一方でアリス王女は悲劇の王女として語り継がれている。

 「運命の番に翻弄された王女」として、ヴェルタンカのヴェルタ旧王宮内に存在する王女の墓(ネスト宮から遺体と共に移設されたとされる)と事件の慰霊碑には、今も世界各国から訪れる観光客による献花が絶えない。

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