自分の意志で
「エクセラ、カリンを頼む。俺はこの爺さんを何とかする」
その言葉にエクセラは、一瞬だけ深緑の瞳をファジルに向けた。
「気をつけて。魔法学院の講師なのよ。魔法の実力は本物だからね」
ファジルは少しだけ頷いて、抜き払った長剣の切先をマウリカに向けた。
「爺さん、仲間を傷つけようとするのなら、俺が仲間を守るだけだ」
「なるほど、単純で分かりやすい。だが望んだからと言って、それができるわけでもない。世の中はそんなに甘くはないぞ?」
その言葉が終わるとともに、マウリカの前に緑色の魔法陣が現れた。次の瞬間、ファジルの首筋にちりちりとした感覚が走る。
その感覚に促されて上空を見上げると、すでに無数の氷が浮かんでいた。氷の切先はどれも鋭く尖っている。背後から自分の名を叫ぶエクセラの声が聞こえる。
注意を促すエクセラの声に呼応するかのように、上空にある氷の刃が向かってきた。
斬れると思えば斬れる。
ファジルは大きく息を吸い込むと、両手で握る獅子王の剣を右上段から下段に振り下ろした。
「ジアス流一刀断ち……斬!」
やはりこの文言が一番しっくりくるなとファジルは思う。一瞬、師匠であるジアスが脳裏に浮かんだが、それには気づかないふりをする。今はその思いに囚われている時ではなかった。
ファジルが振り下ろした剣から放たれた衝撃波で、飛来してきた氷の刃が宙で霧散する。それを見てマウリカの顔が厳しいものと変わったようだった。
「覚醒? 覚醒しつつあるのか?」
意味が分からなかったが、ファジルはとりあえず勢いだけで頷いてみせた。次いでエクセラに視線を向ける。
「こっちは大丈夫。一対一での剣と魔法の戦いだ。詠唱の時間なんて必要ないから、剣の方が有利なんだ。だから、エクセラはカリンを頼む」
特に大した根拠があるわけでもない。強がり半分で、剣が有利だとファジルはエクセラに言い放った。そしてエクセラはそんなファジルの思いを汲み取ったかのように、黙って頷き返したのだった。
カリンを頼む。
この短い間にファジルから何度も言われた気がする。
分かってるわよとエクセラは思う。あまりしつこいと臍を曲げてしまって、そんなこと知らないわよと言いたくなってくる。
エクセラはそんな思いを飲み込みながら、深緑色の瞳をカリンに向けた。
いつものほえーといった顔ではなく、感情の気配が完全に抜け落ちているように見えた。ファジルに言われるまでもない。原因は分からないものの、カリンは何とかしなくてはいけない状況のようだった。
それにしても、あんた何やっているのよ、と言いたくなってくる。カリンがなぜこんな感情もないような状態になってしまったのか。普通に考えれば、魔法で精神干渉を受けているといったところなのだろうか。
ただ、原因が魔法ということであれば、その魔法での干渉を断てば何とかなるかもしれない。断てれば、という条件つきになるのだが。
エクセラは一瞬だけファジルに視線を向けた。ファジルは襲い来る魔法の数々を、まるで風でも断ち切るように獅子王の剣で薙ぎ払っている。
すごいとエクセラは単純に思う。老齢の域に入っているとはいえ、マウリカは魔導学院で講師を務められるぐらいに高名な魔導士だ。だというのに、それから放たれる魔法を剣ひとつで防いでいるのだ。
これが因子の力ということなのか。そんな言葉を脳裏に浮かべながら、エクセラは再びカリンに視線を向けた。
魔法がカリンにどのような影響を与えているのか。それを見極めようとエクセラはカリンに意識を集中する。しかし、不思議なことにカリン自体におかしな魔力の流れは見えなかった。
どういうことだろうか。通常、魔法が精神に影響を与えているような状態であれば、必ずカリン本人以外の魔力が感じられるはずだった。なのにカリンからは、カリン自身の魔力以外を感じることはなかった。
そこから導き出される答えは一つしかない。
精神を侵すような外部からの魔法による干渉はない。
……つまり、カリンは自分の意志でこの状態にある。