私たちの物語
「ちょっと、大丈夫なの、ファジル? 二日前まで意識がなかったのよ」
ガイと鍛錬を終えたファジルが大岩の上で荒くなった息を整えていると、エクセラがそう言いながら姿を見せた。
「まあ……大丈夫だな。傷は完全に塞がったし、剣を振るうのに何の支障もない。それにずっと寝ていたわけだから、少しは体を動かしていかないとな」
少しどころじゃなかったが……。
ファジルが心の中で呟くと、エクセラは肩を竦めるようにして、息をひとつ吐いた。呆れて言葉もないといったところなのだろう。
「さっき、ガイとすれ違ったけど、何だか吹っ切れたような顔だったわね。何か話をしたの?」
吹っ切れたかどうかは分からないが、進む道が分かったのかなとファジルも感じていた。
「因子があってもなくても、きっと俺は勇者になりたいって思うんだ。だから、ガイも因子があってもなくても、自分が強くなる道を歩き続けるってことかな」
その言葉にエクセラが、はあとばかりに頷いている。エクセラの片頬が微妙に引き攣っている気がする。
「あってもなくてもばかりで、何だかよく分からないけど、ガイが元気になったのならよかったじゃない。落ち込んでいるなんて、ガイらしくないんだから」
まとめるようにそう言いながら、エクセラはファジルの隣に座った。
確かにエクセラの言う通りなのだ。何を難しく悩んでいたのかは知らないが、人は元気が一番だ。病み上がりの自分が思うのだから間違いないとファジルは思う。ガイはいつでも筋肉ごりらじゃないと、ガイではないのだ。
隣に座るエクセラを横目で見ると、エクセラは形のよい顎を少しだけ持ち上げて空に視線を送っていた。
「いつ見ても、気持ちのいい空じゃないわよね」
「そうだな」
ファジルもエクセラの言葉に同意する。ファジルの視界にも、それまでと変わらない紫がかった灰色の空が広がっている。この空の下では誰かの正義も罪も、すべてが曖昧に霞んでいってしまうような気がした。
エクセラは言っていた。勇者は正義と同義ではないと。では、自分が目指す勇者とは何なのだろうか。ファジルがそう考えていると、エクセラがゆっくりと口を開いた。
「村から旅立った時には、こんなことになるなんて考えもしなかったわね。普通に冒険者になって、魔獣を退治して……そんな普通の冒険を思い描いてたんだけど」
エクセラは苦笑のようなものを顔に浮かべていた。そうかもしれないなとファジルも思う。
「旅の中で勇者が自分たちの前に現れて、しかも魔族の王が出てくるなんて、考えもしなかったからな」
「でも、現れたのは勇者と魔王よ。これって何だか本当に勇者の冒険みたいじゃない?」
エクセラが赤毛を翻してファジルに顔を向けた。その顔にはさっきまでとは違って、可愛らしい笑顔が浮かんでいる。ファジルはなぜだか自分の顔が赤くなるのを感じて、視線を落とした。
「そうだな。勇者にはなれないけど、勇者の物語に出てくる登場人物のひとりにはなれたのかな」
別に卑下するつもりはなかった。ファジルとしては素直に感想を述べたつもりだ。その物語では、どうやら自分たちは敵役のような気がするのが残念なところだったが。
「はあ? なに言ってるのよ。私たちの物語でしょう? ファジルの物語でしょう?」
「俺たちの物語?」
ファジルは小さく首を傾げた。
そうよ、と言ってエクセラが大きく頷いた。それに合わせて、エクセラの赤毛が宙で大きく揺れる。
「カリンみたいなことを言うけど……私たちの物語じゃファジルが勇者よ。英雄なのよ。だって、私たちを助けて、村を助けたのはファジルでしょう? カリンや私たちでしょう? だから私たちの物語では、絶対にファジルが勇者なんだからね!」
理屈としてはガイ並みに滅茶苦茶だった。でも、不思議と反論する気にはなれなかった。
それにエクセラがそう言ってくれるのが、ファジルには単純に嬉しい。そして、自分に気を使ってエクセラがそう言ってくれているのも分かる。
何せ気がつけば、エクセラは真っ赤な顔をして、そう熱弁してくれていたのだったから。ならば、自分はその物語の中で最後まで戦う必要があるとファジルは思う。
本当の勇者にはきっとなれないのだろう。だけれど、せめてエクセラたちの物語。その中の勇者にはなれるように……。