英語の勉強なんて何の役に立つ? ……あ、役に立ったわ
(* ̄∇ ̄)ノ 奇才ノマが体験談を語る
学校の勉強が何の役に立つのか?
誰もが学生の頃には、また現在学生の者は、一度はこんなことを考えたことがあるのではないだろうか?
古文や漢文が学校教育には必要無い、というのが議論になったり。一度は無くなった道徳の授業が学生に必要だと復活したりなど。時代の変化からICT教育が必要となったり、GIGAスクール構想が導入されたりなど。
義務教育では限られた時間にどの学問を授業すれば良いか、というのは議論になったりもする。
まあ、何が役に立って何が役に立たないか、というのは結果論でもある。
世の中には、役に立たないと言うのは役立たせる能が無いとか、足らぬ足らぬは工夫が足らぬとか、厳しいことを言う人もいるが。
未来が読める者でも無ければ、将来何が役立つかなど分かりはしない。未来予知も死に戻りも無ければ分かる筈が無い。誰もが不確かな未来において、生き抜く為に必要な知識を学ぶ。
なので義務教育の学習とは、宝くじのようなものでもあると私は思う。
なるべく当たりの可能性の広いものを、将来幅広く役立ちそうなものを学校で教育しよう、となるのだろう。
将来、日本を出る予定も無く国際的な仕事をする気も無い。だから英語や外国語は必要無い、というのも一理ある。
子を持つ親御さんは子供に自主的に勉強して欲しい、と思うのだろうが、自分が子供の頃を思い出せば難しいと分かるだろう。
勉強しておけば良かった、などと後悔するのはだいたいが子供では無く大人だ。
大人が子供の学習意欲を育てようとするのはアプローチが難しい。ポケモンの架空の珍獣やマンガやアニメの登場人物など、興味があることは勝手に憶えていくのだが。
それなら、学んだことが具体的にどのように役に立ったか、といった体験談を語るのが良さそうに思える。そのほうが興味を持つかもしれない。
というわけで、この奇才ノマの『英語の勉強が役に立った』という体験談を語ってみよう。
ちょっと珍しいものかもしれないので、参考にはならないかもしれないが。
ノマにとって持ちネタのひとつでもある。
◇◇◇◇◇
20年以上前になるか。スマホが世に出る前、携帯電話が普及し始めるくらいの頃だろうか。そのころ私は田舎を出て東京で独り暮らしをしていた。
ある日のこと、知り合いから仕事を手伝って欲しいと電話がかかってくる。明日、有明まで来てちょっと手助けして欲しい、と。
その日は予定も無いので、了承する。
翌日、私は電車で移動。当時、私は有明にはまだ行ったことが無い。知り合いからは、ゆりかもめに乗り換えるといい、と聞いていたので新宿駅まで出ればなんとかなるだろう、と考えていた。
これが甘い考えだった。
都会の電車の路線図はまるで迷路のようだ。入り組んでいて駅の路線図を見ても有明駅が見つからない。
これは後で分かったことだが、ゆりかもめはJRでは無いためにJR新宿駅の路線図を見ても無いのは当然だった。
困ったときは駅員に聞こう、と私は新宿駅の人混みの中で駅員に訊ねてみる。
「すいません、有明駅にはどう行けばいいんですか?」
「そんなの交番で聞いて」
……は? 交番? どういうことだ?
都会では電車の乗り換えというのは、駅員にでは無く交番で尋ねるものなのだろうか? 駅の中に交番は無い筈だが?
なにかおかしい気がするものの、新宿駅を出て近くの交番を探す。見つけた交番で警察官に同じ質問をしてみる。
「あ? そんなの駅員に聞いて」
……ですよねえ。やっぱり都会でも電車の乗り換えというのは、交番じゃなくて駅員に聞くものなんですよねえ。そこは田舎と変わらないのか。そうじゃないかと思ったんだ。やはり都会だけの常識じゃ無かったのか。
しかしこれはどういうことだ?
駅員に尋ねる。
↓
「交番で聞いて」
交番で警察官に尋ねる。
↓
「駅員に聞いて」
これは詰んだ。終わった。いったいどうすればいいのか? どこで私はこの無限ループの罠に嵌まってしまったんだ? どうすれば抜け出せる?
とりあえず知り合いに公衆電話から電話をかける。
繰り返すが、まだスマホは世に出ていない時代。その頃の私は携帯電話も持っていない。駅には公衆電話、電話ボックスが多くありテレホンカードの自販機も側にある頃のこと。
電話をかけても知り合いは忙しいのか電話に出られない様子。
うーん困った。有明駅までの行き方が分からない。どうしたものかと悩んでいるうちに時間は過ぎて行く。都会の人は田舎もんに冷たいんじゃあ。どうすべえかのお?
最後の手段はタクシーか? でも金がかかりそうでできればタクシーは使いたく無い。
上手く解決する手段は無いか、と悩んでいるときに不意に友人の言葉を思い出した。
『オマエは中途半端に顔が整っているから、日本人というより東南アジア出身の人みたいだよな』
私は日本生まれの日本育ち、純日本人なのだが。顔つきの見た目がタイやフィリピンの人に似ているらしい。
これはいけるか? 思い付いた策を試してみよう。これがダメならタクシーを使おう。
先ずは自己暗示だ。
『私はタイ人です。タイから来た旅行者です。昔から日本に憧れていました。初めて日本に来れてワクワクしてます。日本語は少ししか分からないので不安ですが、この旅行で日本のいろんなところを見て回りたいです。
私はタイ出身です。今回初めて日本に来ました。1人旅です。以前から日本に行ってみたいと思ってました……』
よし、自己暗示終了。敵を騙すには味方から、味方を騙すには自分から。
これで駅員に話しかけてみよう。
「Excuse me. I want to go to Ariake. How to get to Ariake?」
新宿駅の駅員は最初は少し驚いて、その後は笑顔で、英語で有明への行き方を教えてくれた。そうか、品川駅まで行ってそこでゆりかもめに乗り換えればいいのか。
私はサンキューと礼を行って駅員と別れた。
こうして私は少し遅れたが、無事に有明に到着した。
都会の駅員は田舎者に冷たい。しかし外国からの旅行者には親切だ。
なので都会の駅で駅員から電車の乗り換えを聞き出すには、日本語で尋ねるよりも、海外からの旅行者のフリをして英語で尋ねるのが良い。
学校での英語の授業に感謝した。英語の勉強をしておいて良かった。
学んだことは、いつ何処でどんなふうに役に立つか分かるものでは無い。これはそんな実例のひとつ。
日本の中で日本人相手に日本語が通じないときは、英語が役立つという体験談だ。
もっともスマホが普及した現代では、駅員に聞くより乗り換え検索した方が速いので、今の時代では参考にならないかな?
ご一笑頂ければ幸いである。
BGM
『Magic Dance』
David Bowie
映画『ラビリンス/魔王の迷宮』より