だいだらぼっち山
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ゆでガエル理論を知っているか?
熱湯にいきなり入れられたカエルは、危険を感じてすぐに飛び出してしまうが、常温の水に入れられたカエルは、たとえ徐々に熱せられても気づかず、逃げ出すチャンスを失って死んでしまう……という、あれだ。
実際のカエルでは起こりえない現象で、あくまで寓話だな。だがそのインパクトゆえに、我々の心には残りやすい。
人間には適応能力があるが、そいつは何も急激な変化になじんでいく力ばかりを、指しているのではないと、俺は思っている。
今ある環境に慣れきってしまうこと。急ではない、緩やかな変化であるならよく言えば我慢、悪くいえば怠慢に走りがちになってしまうこと。これもまた適応能力のいち方向ではないかとね。
小さい変化に気づいても、ややもすれば俺たちは見ないふりをする。自分には影響が出ないだろうことを期待して。ひどいと、自分から変化を起こしておいて、たいしたことないから何も起きないだろう、とも思いこむ。
多くは、その期待通りになるんだが、当たりくじやはずれくじを手にすることは意外なほど、よくあったりする。
俺の体験した話なんだが、聞いてみないか?
俺のいた地元、通っていた小学校には裏山があった。
校舎から徒歩で10分もかからず、登って下るにも1時間と必要ないその小山は、大人たちによって、こうささやかれている。「あの山は、だいだらぼっちの変化した姿なのだ」とな。
だいだらぼっちについては、ここで長々語ることもないだろう。日本各地に伝わる、巨人のあやかしのことだな。その図体でもって池沼などを作ったともされる。
で、その小山は仕事を終えただいだらぼっちが、うずくまって動かなくなり、長い時間をかけて山の形に変じたものだと伝わってきたのさ。だから山を大事に扱えとも、言いつけられていた。
けれど、やれと言われたらやりたくなくなるのが、人のさが。俺はなんとかだいだらぼっちである証拠を手にしようと、時間を見つけては裏山を訪れていた。片手で持てるシャベルも携えてな。
ものすごい時間が経っているなら、だいだらぼっちは積もり積もった土の下にいるはず。そこいらの土を掘り返し、中に埋まっているだろうだいだらぼっちの肌を、拝んでやろうと思っていたのさ。
しかし子供ゆえにまだまだ浅い。知恵も掘る土の深さもだ。
自分が抜け出すことも考えれば、1メートルだって厳しいもの。それに時間だってかかる。
埋め直す労力を考えれば、ついつい土たちをほったらかしにして、俺はその場を後にしていた。
大掛かりな用意は駄目だ。気取られれば、大人たちがいい顔をしないはず。いざという時に、隠しおおせるほどの軽装でことを運ばなければ。
地面に穴が開いていることは、動物の巣穴とかに見立てればいいだろう。ゆえに俺は幅を広く掘ることはせず、狭く深く。
できる限り目立たないようにして、土を掘り返し続けていたんだ。だいだらぼっちの尻尾をつかむまで、やめるまいと思っていたんだよ。
それからしばらく経って。
俺の住む地元を大風が襲った。そう、最初は家々を揺るがせるのみの、強い風のはずだった。早めに学校から帰り、俺は家の中でしばしば強く戸が揺れる様子に、おっかなびっくりだったよ。
ところが、しばらくするとただ家が震えるばかりでなく、屋根や壁にこん、こんと音を立てて打ち付けてくるものが現れる。
雨だ、と最初は思ったさ。だが、音を立てる窓をよく見てみると、水滴がくっついている気配はない。代わりにくっついているのは、茶色の土ぼこりだ。
眺めている間にもまた、ぺたりと張り付いては離れ、ぺたりと張り付いては離れ……土の粒たちが幾度も幾度も、目の前のガラスをなめていく。さらには、軒の先からもこぼれ落ちてくるのが見えた。
降ってきているのは、土の粒だったんだ。
窓の外へ目を凝らすと、より風が強く吹くときなどは、それに色が付いたかのように波を打って、ときに家々の壁へぶつかり、ときに屋根を悠々と飛び越えていった。
砂が巻き上げられて、似たような被害を受けたことは、これまでにもないことはない。しかし今回は、ぶつかる土の粒が大きくて首をかしげてしまうんだ。
「どこかで、土をひっくり返す工事でもあったのかねえ?」
母親のぼやきに、俺は少しどきりとする。
山の掘り返した土を、そのままにしてきているのを思い返したんだが、すぐに思いなおす。
いくら時間を見つけてコツコツ重ねたとはいえ、俺一人の労力など「へ」のようなもののはず。
それがこのような泥粒の嵐になるなど、あろうはずがない。
たまたま、たまたまと言い聞かせながら、ひっきりなしに耳を打つ泥粒の音を聞き流しつつ、夜は更けていった。
が、泥粒が止んでからしばらくしての、夜中のこと。
こつんこつんと、しきりに壁を叩く音がする。そちらは戸ではなく、窓の側からだ。
また泥粒が吹いてきたのかと思うも、今度は音がずっと「下」だ。サッシを埋め込まれた段のところ。
床に近い部分。寝転んでいた俺が耳を澄ませて、どのあたりなのかと明かりもつけないまま、目を凝らし始めたところで。
がらり、と音がした。なんの音だかすぐには分からず、つい目をしばたたかせてしまう。
ただ、遅れてぬるりと窓の下の段から姿をのぞかせるのは、長くうねる大繩のごとき影。
――蛇?
そう思うや、つい息を殺してしまう。
蛇の危うさはすでに知っている。山の中で遭うこともあるから気をつけろとは聞いたが、夜の自分ちで出くわすとかは聞いていない。
悟られないようにしないと……と固まる俺をよそに、暗い中を蛇は這いながら、ずんずんと。横になっている俺と平行線を作る形で、部屋を横切っていく。
その頭の端が反対の壁へ着くや、またあの壁を叩く音。今度は蛇の頭が、何度も壁をこづいているのが、動きで分かった。
とても生身が抜けられるとは思えない強度の壁。それを蛇はやった。
幾度めかで、あのがらりという音がするや、長い身体がどんどんその中へ吸い込まれていき、消えてしまったんだ。
しばらくしてから、おそるおそる部屋の明かりをつけた俺は、窓の下の段と壁に、あの蛇が通れるくらいの穴が開いているのを認める。
そればかりじゃない。あの蛇が這っていったあとには、たっぷりと泥の粒が残っていたんだ。あの風の折、窓へさんざんにぶつかってきたあれらが、帯を成してな。
次の日、友達づてに同じような話をいくつか聞いた。
室内外の違いはあれど、あの泥をふんだんにまき散らす蛇のような影を見たと。いずれも暗がりを選んで動いているかのようで、はっきりとした輪郭をとらえられた者はいないようだった。
だが、話を統合してみると、そいつらは一様に同じ方角へ向かっているらしかったよ。俺も部屋に開けられた穴から探ると、ドンピシャだった。
学校の裏山だ。向かってみると俺が掘った穴はすっかり埋められ、元のように土が詰まっていたのさ。
やはりあの土の粒、山から風に飛ばされてきたのかもしれない。
そいつらがまとまって、蛇の形になって、あのだいだらぼっち山へ戻っていったのかもな。
俺はそれ以降、山にちょっかいを出すのをやめたよ。