5.なろうエッセイ・批判系エッセイ(過去作は検索除外しているのでこちらから)
最近の「なろうつまらない論」をタイトルに掲げるネタエッセイは、正直下品だと思います。
ちょっとなろうエッセイのランキング見てて思ったのですが。最近の「ネタエッセイを書く人」の文章、ちょっとひどくないかなぁと。あれ、俗に「なろうエッセイ」なんて揶揄されるような「未熟な自己主張」よりも、遥かに下品な文章だと思うんだけど。
なんでしょうね、「なろうはつまらない」みたいな一部の主張に対して、その主張をネタにしていいとか、そんな価値観の人が一定数いるように見えるのです。で、そのことに対する批判も無いと。
――議論としてある意見に対して肯定することも否定することもあると思います。ですが、「ネタにしてもいい意見」なんてものは、基本的には無いはずです。
最終的には「違う」と結論付けられるような意見だって、出てくる理由があるから出てくるのだと思いますし、言いたくなるのもわからない訳ではありません。それでもまあ、確かに「違う」と感じる意見ではあると思います。だから、それらの意見に対して意義を申し立てるのならわかります。ですが揶揄したりネタにして笑いものにするのは違うのではないでしょうか。
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タイトルで「そういう意見」を掲げた以上、そういうことが書かれていることを期待する人が読みに来る。とても当たり前のことだと思います。ネタでタイトルを付ける人はね、タイトルというのがどれだけ大切か、タイトルによってどれだけ読者層が左右するか、そのことはもっと理解すべきだと思います。
ネタだろうが何だろうが、「なろうはつまらない」というようなタイトルを付ければ、そのタイトルに興味を惹かれるような層に読まれます。それは当たり前のことで、少し考えればわかることでしょう。
そういうタイトルで読者を釣っておいて、それとは違うこと書いたりそのテーマそのものを笑いものにするような文章を、ご丁寧なことにある程度本文を読み進めないとわからないような書き方で書く。これを「ネタだから」で終わらせる人というのは、人がリアルタイムに釣られているのを想像して笑うような性格の悪い人か、もしくはびっくりするほど鈍感な人か、どちらかなのだろうと思います。
……まあ、もしかするとタイトルのことを飾りだと思っている人もいるのかもしれませんが。そういう人は「なろうにおける長文タイトルが云々」とか言う資格は皆無だと思います。
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私の知る「某掲示板的な釣り」って、「どう考えてもおかしい」のに「つい踏んでしまう」、そして「踏んだ瞬間釣りだとわかる」、そんな構造でした。でも、なろう作家やなろうエッセイストの考える釣りというのはどうも違うらしい。踏んだ瞬間はわからないようにして、ある程度読み進めてようやくネタだとわかるような構造に「わざと」しています。で、そんなものを「ネタだ」「冗談だ」と言って仲間内で盛り上がってると。
何の工夫もない「踏まれて当たり前なタイトル」を餌に釣って、何千字もの文章を多くの人に読ませる。で、感想欄に「いい釣りでした」みたいなことを書き残して、真面目に読みに来た人を「ネタなのに」「真面目に読まれても」といって拒絶する。
――本文がどうだろうと知りません。でも、踏んで読み進めないとわからないようにしてるのに「釣り」とか「冗談」とか、ちょっとどうなのかと思います。
その釣りを支えるのは、読者を釣るために付けたタイトルですよね。そのタイトルを見て、真面目に読み始める人もいるし、不真面目に読む人だっているでしょう。その人たちのどれだけが本文を読み始めることになるのか。読み終えたときにどれだけの人が満足するのか。真面目に読み始めた人にとって価値のある、ポイントを入れるに値する文章なのか。本当に、そういったことを考えて投稿しているのでしょうか。
読者の望まない冗談なんて、冗談になっていないと思います。真剣に読もうと思った読者にそんなものを読ませておいて、「冗談だ」「釣りだ」と言うのは読者に対する裏切りだと思います。
笑いを取りたいのならもっと真剣に、笑いについて考えるべきです。不特定多数の読者をだますことを前提として一部の人だけが笑えるような構造の文章は下品だと、私は思います。