8話 先客
ヤ
「神々の導きと勇者様に、感謝を……!」
「乾杯」
「かんぱーい」
「か、乾杯?」
村長が音頭を取り、僕達と村の中央に集まった村民達は一斉に杯を掲げた。
ヴィネは乾杯後間も無く中央に用意された食事に手を付け、アラストリアは慣れていないのか自信無さげに遅れて杯を掲げている。その手にはもう手錠は無い。
「甘いし冷たい……美味しいですねこれ」
「蜜を使っております。お疲れも取れる事でしょう」
会った当初は勇者の来訪に喜びつつも、少し影の合った村長が穏やかな顔になっている。
あのトレントはいつでも動き出せるくらいには成長していた。今まで動かなかったのは単にあいつが更なる成長を選択したからだろう。このタイミングで退治出来たのは運が良かった。
村長からは村を代表して感謝を貰い、こうして僕らの労いの祭りを開いてくれている。
「森の一部分は萎びたままですが……大丈夫ですか?」
「些事でございます。勇者様が気にする事ではありません」
「そうですか……おっと」
「お兄ちゃんが勇者様ー?」
「あんまり大きくないねー」
村長と話をしていると、好奇心のままに子供達が突撃して来た。気にしてる事言いやがって。
村長が少し心配そうな目で見ているが、僕はそんな事では怒らない。怒らないぞ。
「そう、僕が勇者様だ。凄いんだぞ僕は」
「何がー?」
「僕らには神様から貰った力があるんだ。見ててね……ほっ!」
「うわ!剣が出た!しかも燃えてる!」
目の前で神炎を出して見せる。子どもにはこのカッコよさが良く分かるだろう。
距離を取り、掛け声と共に剣を振って見せた。子供達の目が輝いているのが見える。
「すげー!」
「俺にもそれ貸してー!」
「ダメダメ、これは勇者様専用なの」
「ケチー!」
「はは、そう、兄ちゃんケチだからさ、次はあの女の人の所行ってみ」
僕が指を指した方向にはアラストリアが居る。
温かい雰囲気と次々に感謝を述べていく村民達の対応に戸惑っているようだ。
きっと、真正面から感謝をされる事に慣れていないのだろう。
「あの人も勇者様?」
「そ。モンスターが倒せたのはあの人のおかげなんだ。奇麗でカッコいいよ」
「お兄ちゃんよりスゲーじゃん!」
「行こーぜ!」
「ちょ」
そうして子供達は今度はアラストリアへと突撃して行った。
村民達に加えて、子供達まで押しかけて来たアラストリアは完全に困っている。
あんな異質な雰囲気だった人がああなるなんて。面白い絵面だ。
僕と子供達との会話を見ていた村長が申し訳なさそうな顔をしている。
「うちの子供達が、すみません……」
「いえいえ。ああいう無邪気さは、必要ですから」
「……あの勇者様の事ですか」
驚いた。
確かに彼女に必要だという意味もあったが、言い当てられるとは。
恐る恐る聞いてみる。
「あのー、彼女の事は……」
「分かっております。最初は随分と張り詰めたような御方でしたが、それが無くなっている」
どうやら、アラストリアの素性を何となく察していたらしい。
流石に手錠の誤魔化しは無理があったかな……。というかもう付けてないし。
村長は優しく微笑んだ。
「私は何も問いはしません。あなた方がこの村を救ってくれたのは紛れも無い事実で、あなた方は勇者なのですから」
「……助かります」
事実。
アラストリアが殺人鬼である事は事実だ。人類が彼女に下した罪も。
でも、その行為で彼女に救われた人も居るのだろうし、こうして勇者としても人を助けた事も。
どちらも、紛れも無い事実。
「でも、今は……」
僕のあの言葉で、彼女は変わってくれるのだろうか。
慣れない感謝の雨に慌てふためく今の彼女を見て、僕はそう思った。
☆
勇者達を労う小さな祭りは本人達の疲れを考慮し、夜にはお開きとなった。
三人は宿へと戻り、それぞれの部屋で休息を取る。
ヴィネの治癒があったとはいえ、精神を焼く炎と戦いの疲れの影響でセーレはすぐさま眠りに落ちた。
そして深夜。セーレの部屋のドアが開いた。
「……」
闇の中で目立つ赤い瞳――アラストリアが、音も無くセーレのベッドへと近付いた。
セーレが初対面の時に感じたというアラストリアの異質な雰囲気は、もう随分と薄れている。
『セーレ君!』
アラストリアは回想する。
(思えば、誰かの名前を呼んだのも久しい)
セーレの顔をまじまじと見る。
僅かな寝息が深い眠りを表している。
(初めてだ)
人を殺してほしくないと、感情で訴えられた事。
あの日からずっと感じていた、悪人を殺しても無くならなかった心の寒さのような物。
そして今日、村民の感謝と彼の言葉でそれが薄らぐ感覚も。
(私が何を思って悪人を裁き始めたのか、私にも分からない。この子が信じていたものは私の中には無くて、ただ悪人に対する憎悪があるのかもしれない。でも、人を殺す事でこの子の心が濁るのであれば、私は――)
「ねえ」
「ッ!?」
アラストリアが振り返ると同時に身構える。
そこに居たのはもう一人の勇者であり、セーレの幼馴染であるヴィネだった。
薄い月光で光る髪。藍色の目はアラストリアに向いている。
「ヴィネ、さんですか。誤解してほしくありませんが、これは――」
「分かってるよ。武器持ってないし」
それと、静かにね。
人差し指を口の前に立てながら、小声でヴィネはそう続ける。
誤解されていない事に安堵しつつ、アラストリアは困惑していた。
ヴィネが浮かべているのは薄い笑み。
「今日の戦い、おねーさんも凄かったけど、セーレも凄かったよねえ」
「……?」
「おねーさんが不平等だからって、自爆覚悟で攻撃したり。ま、アレは本当に止めてほしいんだけど」
アラストリアへと近寄りながら、ヴィネはそう続ける。
意図が読めず固まるアラストリアの肩に手を置き、ヴィネは耳元で囁く。
「セーレはお金大好きーとか言ってるけど、実際は優しいしチョロいんだ。あの言葉も本気で言ってると思うよ」
「……それは分かります。お金とは?」
「ああ、知らないのか。ま、それは良いよ。……で、かっこよかったよね。真正面からあんな事言うんだもん。気に入っちゃった?好きになっちゃった?」
少し嬉しそうに、ヴィネは言葉を重ねる。
「何が、言いたいのですか」
「単純だよ」
――セーレの隣は私の席だから。邪魔はしないでね?
敵意の籠ったその言葉にアラストリアは反射的に飛び退く。
だが、ヴィネの手がアラストリアの腕を掴んでいる。
「おねーさんが人殺しとか悪人だとかのあーだこーだはぶっちゃけどうでも良いんだけど、私が言いたいのはそれだけ」
「あなたは……」
「もう寝たら?おねーさんも疲れてるんでしょ?」
ヴィネの手が離れ、扉がその指がドアを指し示す。
その言葉と所作には有無を言わさない何かがあった。
少し間が開いた後、大人しくアラストリアは出入口へと向かう。
ヴィネの後ろ姿を横目で見ながら、アラストリアは思案する。
(ヴィネさん……掴めない印象ではあった。彼女は善人なのか?それとも……)
アラストリアが部屋から居なくなり、部屋には眠るセーレとヴィネが残った。
ヴィネは静かにベッドに寄り、しゃがみ込みセーレの顔へと手を伸ばす。
自身と同じだが、少しくすんだ銀の前髪を払う。
その額の左側には、赤い火傷の跡があった。ヴィネはそれを確かめるように指でなぞる。
嫌そうに顔を歪めるセーレを見ながら、ヴィネは満足そうに笑った。
とりあえずここで一区切りとなります。