65話 ただの子供
誓掟。セーレの異能、『切り換える神剣』によって顕現する剣の一つ。そして、自らの異能の模索をした際にセーレが顔を顰めた剣の一つでもある。
「なんだこの剣……説明、多っ」
何故ならこの剣は顕現時の状態では何の能力も有していない。使用目的を宣言し剣にその遂行を誓うことで初めて真価を発揮する。
しかしその際、目的を遂行するという強い感情、覚悟が無ければ誓いとは認められず、仮に目的を誓った上でそれを遂行出来ず使用者の心が折れた場合、使用者には罰が下る。
剣の顕現と同時に頭に流れ込んだこれらの詳細を読み取ったセーレは、その面倒さに顔を顰めながらも実験を開始した。とりあえずの使用目的は近辺にあった岩の切断。
だが、どれほど誓おうとも剣は一向に変化しなかった。実験という本質的な目的とそれに伴う感情程度では誓いは認められなかった。
「使うかこんなもん!!」
セーレは浪費した時間と体力の怒りを込めて剣を放り投げ、最も使いにくく面倒な剣として誓掟を心に刻んだ。
☆
(剣が変化した。それに、テミス……いや、気にしている場合ではない)
セーレの宣言以前に比べ、光の強さが増した剣に警戒せざるを得なかった。
魔王を倒す為の剣。使用者はともかくとして、フリアエは決して異能を軽視していない。
結果、先に動いたのはセーレだった。
「盾はもう……要らないかな」
含みを持たせたような言葉と共にセーレは盾を上に放り投げた。自ら盾を捨てる奇妙な行動と言動に、思わずフリアエは後手に回る。盾はそのまま小さな弧を描いてセーレの背後へと落ちて行く。
――アルコシアの異能、『戦己』は特殊な槍と盾を顕現させる異能であり、双方ともに能力を含めた他者への貸し出しが可能だった。
そうしてアルコシアから盾を借り受けたセーレは、指慣らしと同時に盾と位置を入れ替えられるのは一部の物や人だけであるという条件を知った。
そして、今セーレが相対する女は。
「なんてね」
入れ替えの対象内。
セーレが指を鳴らすと同時にフリアエの視界は一変する。目の前からセーレは消え、視界の奥には壁があった。
「な――くっ!!」
盾と位置が入れ替わり、無防備な背中を晒す形になったフリアエをセーレは誓掟で斬りつけ後退する。しかし、フリアエの身体は何の傷も負っていない。
「これは……」
その代わり、斬られた部位……右腕を覆う光の輪のような物が出現していた。輪から伝わる重さにフリアエは僅かに体勢を崩す。
(重い!傷の代わりに枷を……相手の動きを封じる為のモノか)
誓掟の能力は誓いの内容によって変化する。フリアエを取り押さえた上で負けを認めさせるという誓いの為に、剣はこの能力を形作った。
(あの盾と人の場所が入れ替わる現象も。恐らく指を鳴らすのが条件)
異能が作り出す未知の武器を、現象を、フリアエは冷静に分析する。
「このまま、貴女を動けなくして話を聞いてもらいます」
「……説得に応じるつもりはありません。負けを認めるつもりも」
「重いでしょ、それ」
「ええ、気を抜けば圧し潰される。そんな感覚です。ただ――これでは足りない」
瞬間、フリアエは前へ踏み出す。その速度に生じた変化は僅かだった。
「嘘ぉ!?くっ……」
慌てたセーレは指を鳴らし、自身と盾の位置を入れ替えることで回避する。しかしフリアエは即座に対応し、方向転換の後に再びセーレへと迫る。
「速、すぎっ!」
(入れ替えの起点は盾か。主な対象は私かこの子。それさえ分かれば十分に反応出来る)
至高の肉体とそれに付随した反射神経と思考力は既に入れ替えの現象に慣れ始めていた。
入れ替え、転がり、距離を取りながら時に剣を振るうセーレ。フリアエはその不規則な動きに対し着実に、間を詰めていく。
「くそっ!」
「剣は難しい。特に人に対して振るうなら」
セーレの反撃は一度として当たらず、剣を振るという回避に余分な行動は入れ替えの判断を遅くする。
「私はそれを良く知っている」
「あっ」
五度目の入れ替え。盾と自分を入れ替えたセーレの目の前に既にフリアエは立っていた。
慌てて剣を振り下ろすセーレの右手と、そこに収まる剣の持ち手へと鋭い蹴りが伸びる。
「っづ……!」
剣はその衝撃によって手を離れ、セーレは痛みに顔を歪める。
「終わりです」
その間、既にフリアエは伸ばしきった足を戻し、間髪入れず太腿に装備していたそれ――細身のナイフを取り出していた。
(所詮は子供。今は仲間を救うという状況に陶酔しているだけだ。命の危機を感じ取らせれば、すぐに鎮む)
そして振るう。剣を手から離すという致命的な状況に陥った目の前の子供に対し、再び逃げられる前に強烈な恐怖を突き付ける為。
――しかし、その手は途中で止めざるを得なかった。
「は」
首元へ向かう刃。致命の一撃であるそれを防ぐ為の盾だと言わんばかりに割り込んだセーレの左腕。威圧という目的を阻まれた想定外に、フリアエの動きが止まる。
「っ――らあっっ!!」
左手を盾にしながら放つ準備をしていたセーレによる全力の拳が、フリアエの右頬を打ち抜いた。
「く……っ!!」
よろめきと血の味の後に襲う、軽い視界の歪み。それによって右腕の光輪への意識が外れる。
均衡を乱す重さによって片膝を突くまではいかないまでも、体勢には明確なブレが生じていた。
(予想出来なかった!首を防ぐ為とはいえ、躊躇も無く腕を盾に使うなんて!ただの子供が――)
「……そうか、殺せないのか。殺すまでいかなくても勇者の腕が片方無くなったら一大事だし。今のは寸止めで脅すつもりだった……?なら運が良かったな」
視界の歪みが収まり体勢を取り戻す最中、フリアエはいつの間にか手元に戻っている剣を握り、運が良かったと自嘲するように小さく笑う目の前の存在を睨みつけ、自問する。
(何故、笑える。今の一瞬でも充分に恐怖を感じた筈だ。私が手を止めなければ確実に深手を負っていた。剣は未熟、痛みを押し殺せない、実戦の経験も多いように見えない。なら、何故ただの……いや)
この子は本当に、ただの子供か?
自問の末に湧き出した疑問。異能以外は全てが未熟な子供だという見立てへの疑い。
――ふと、フリアエの右腕から重さが消えた。
「もったいないけど、良いや。結局使いにくかったし。僕の剣じゃ貴女にはもう通用しない。輪も一個じゃ大した意味が無い。何より――」
光を放つ剣は禍々しい大剣へと切り替わり、持ち主の身体と混ざり合うように溶け込んでいく。
それは暴力を冠する剣。持ち主を破壊に導く純粋な力。
「剣を人に向けるのは、あんまり好きじゃないんだ」




