64話 誓掟
「大丈夫ですか」
見慣れた鈍い銀の髪。生真面目さの混じった心配の表情で、セーレ君は床に倒れた私に手を差し伸べる。
その先にあるのは、あの日と同じように枷に繋がれた私の両手。
――ああ、良かった。錯覚なんかじゃなかった。自分で自分を痛めつけて、自分の中の正しさと間違いすら分からなくなっても。
「何が起こってるのか全然分かってないけど……切り抜けましょう、一緒に」
こうして手を差し伸べられるだけで、暖かくなる。その求めに答えたくなる。
そう、あの時もそうだった。私に人を殺してほしくないと、明確な理由の無い純粋な願いをぶつけられて。
思想も過去も役割も。
その時の私は何一つ頭を過らなくて。
「はい……!」
ただ、応えたいと想ったんだ。
☆
「今のは……成程、異能。ということは貴方も勇者ですか」
巨きな人だった。といっても太っている訳じゃない、背の高さが特別目立つ訳じゃない。
整っている。身体の部位が、筋肉が、輪郭が、目を見張る程に。だから巨きく見える。だからその片目を覆っている眼帯の異質さが目立っている。
部屋中の至る所に設置された蝋燭が振りまく淡い照明の中、アラストリアへと手を伸ばそうとしていたのはそういう女性だった。
彼女の呟きに僕は答えず、左手に剣を出現させて指を鳴らす。すると彼女の側にあった盾は剣と入れ替わり、僕の手に再び収まった。
「その、異能は……」
「しっ、後で話すよ。それよりもあの人は」
「ここに来る前に話した、私を育てた人です。私をここから連れ去るのが目的だと」
「分かった。アラストリアさん、今は落ち着いて身体を休めて。無理に動こうとしなくて良い」
「!……はい」
見るからに疲弊しているアラストリアに僕の意図を伝え、僕は沃水を右手に出し彼女――フリアエの方へと一歩ずつ、ゆっくりと歩き始めた。
「こんにちは、フリアエさん」
「こんにちは、私の名前を知っているのですね」
「ちょっとだけ話を聞きました。アラストリアさんの親のような人だったと」
「親……そう、そういう見方もあるのかもしれませんね」
何が可笑しいのか、フリアエは僕の言葉に薄く笑みを浮かべた。
「そんな人がなんでこんなことを?僕らが勇者だってことは知ってるみたいだけど」
「罪を償わせる為ですよ。その子が何をしたかは知っていますね」
「知ってる。でもそれは勇者としての責務を果たすことで償える罪だ」
「違います。勇者としての功と罪の償いは別物です。勇者として何を為そうとも、本来であれば犯した罪は償わなければならない。ただ……それは現実的ではない。何故なら勇者として選ばれてしまった時点で正当な裁きは力を失う。歴史の手前、信仰の厚い者の手前、王家は彼らを特別に扱わなければならない」
「……」
「だから――私が来たのです。もうあの子に正当な裁きは与えられない。人間の都合で法と本来与えられる裁きが歪むのであれば、全てを視ずが故に平等な私達が!テミスに代わりせめてもの罰を!……だから今、迎えに来たのです」
「それを、王様が許すと?」
「許しますよ。王家もその子の存在に苦慮している筈だ。だから私の判断に肯定せざるを得ない。魔王を倒し得る人間を一人失うことになっても、貴方のように勇者は他にも居るのだから」
……まいったな。平等云々は良く分かんなかったけど、他の話にそこまでおかしな点は無い。
この人が今回の魔王討伐が複数人の勇者で行われるのを知ってるかは分からない。ただどちらにせよ、一人勇者が減ったとしてもそれはそれでなんとかなりそうなのは事実だ。実際、王様はマリウスとゼパの不参加を認めてる。
アラストリアの立場が厄介なのはこの人の言う通り。なら、外部の何者かの仕業によってアラストリアが勇者としての責務を果たせなくなったことを、勇者が一人減った代わりに厄介事も一つ減ったと判断して、もしかすれば王様は喜ぶのかもしれない。
いやそうだとしたら、そもそもアラストリアが参加してしまうのに複数人の勇者で魔王を倒すなんて言い出さなくても……。
あーー、めんどくさい。考えても分からなさそうだ。それにこの人、言葉で説得出来るような雰囲気じゃなさそう。ここは。
「――貴方の主張は分かった、かもしれない。だけどそれはさせない。アラストリアさんは僕達と魔王を討伐して、正式に死刑を免れる。それからは普通に暮らして、人殺しなんてしない普通の人生を送ってもらう。誰に文句を言われようとも。今、そう決めた」
アラストリアもこの人も王様も僕じゃない。僕らに異能を授けた神もそうだ。何を思ってるか、何がしたいかなんて結局は分からない。
なら僕を通そう。何よりも確かな、僕が思ったことを素直に掲げて、ワガママに実現させよう。
うん、そうすべきだ。
「……そうですか」
そう言ってフリアエは俯いた。加えてだらりと弛緩した両腕、一変した雰囲気。僕は沃水を構える。
――沃水からの恐氷で確実に拘束、これでいく。そんな思考が頭を過った次の瞬間。
「残念です」
「――っ!?」
彼女は目の前に居た。そのまま繰り出された蹴りによって吹き飛ばされる。
身体全体が真後ろに飛んでいく感覚。しばらく飛ばされた先に置いてあった椅子を巻き込んで、僕は不格好に着地した。
「セーレ君っ!!」
アラストリアの声が聞こえる。でも心配されるような傷は負ってない。辛うじて左手に持ってた盾の防御が間に合った。それに。
「……押された、だけ」
蹴り、というより押された。多分直前の勢いを殺して盾に足を密着させた後に。
だから腕に大した痺れは無い。痛みも。あるのはとんでもない力でただ押し飛ばされた感覚。それも片足だけで。
思わず、頭に浮かぶ。
『ああ、やろう。まだ私はお前の信頼に応えられていない』
あの嵐の日を。アルコシアと同じか、もしかしたらそれ以上。さっきから伝わってくる雰囲気。加えて今の攻撃でそんなことを思ってしまう。
「理解出来たでしょう。この身体の設計は普通から大きく逸脱している。加えて、私は人との戦いを熟知しています。異能、魔王を倒す為の剣……素晴らしい力なのでしょう。しかしそれを扱っている貴方は普通の、人との戦いを知らない人間です。私には勝てない」
まあ、正しい。僕自体は普通の人間だ。異能を授かったことで身体能力全般が向上した感覚はあるけど、それでもこの人やアルコシアみたいな無茶苦茶が出来る訳がない。人との戦いだって不慣れだろう。
「といっても、それなりに訓練は積んでいるようですね。まだ幼いとはいえ、貴方なら勇者としての責務を果たせるでしょう。あの子が居なくても。ですから――」
手を引け、見逃せ。彼女はきっとこう言ってる。見なかったフリをしてここから去れと。
当然、答えは決まってる。
「嫌だね」
「……なら、仕方が無い」
緩んでいた雰囲気が戻る。今度こそ話は終わり、力づくで僕を黙らせると決めたようだ。
――沃水と恐氷の組み合わせは拘束に便利だけど、水の放出、剣の切り換え、氷結という手順を踏む以上どうしても間が出来てしまう。
この人相手にそれが致命的なのは十分に分かった。今必要なのは、一本でこの人の動きを止められる剣。
……一つ、それが出来そうなのがあった。さっきのこの人の話で思い出した、前に異能の幅を広げようと模索した時に試した剣。その時はまともに使えなかったけど、今なら。
「!」
あの人の警戒が伝わって来る。剣の見た目が変わったのが原因だろう。
沃水の透き通るような青の剣から、微弱に発光し剣先が丸みを帯びた剣に。
「誓掟、ここに誓う!僕はこの人――フリアエを取り押さえた上で、負けを認めさせる!」




