43話 嵐の後
「げほっ、げほっ、あ゛――」
体が熱い、ダルイ、喉が痛い。アルコシアと水浸しになりながら戦っていた僕は完璧に体調を崩していた。
ヴィネの異能ではこれは治せない。ヴィネが言うには水の入った器の外側が汚れている状態で異能ではどうする事もできないらしい。
これでも一晩寝てだいぶマシにはなってるんだけど。
「……ふぅ」
マルチネが用意してくれた体調不良に効くという植物の葉をすり潰して中に入れた水を飲む。苦い。
コップを置いた後、僕は横に顔を向ける。
「……なんで皆ここに居るの?」
「……」
「……」
「……」
「……」
ヴィネ、アラストリア、アイム、フェニキスが僕を囲むように部屋に散らばって座っている。監視されてる気分だった。
「……いや、セーレが一人で勝手な事したからじゃん」
「それはそうだけど。理由はちゃんとあったし、ヴィネはそもそも僕が一人で行くって言った時止めなかったと思うんだけど」
「だって、怒ってたでしょ?」
「……まあ、そうだね」
ここに来るまでの色々な出来事、そして今回の件。
ヴィネの言う通り、昨日までの僕は多分怒っていたんだろう。
ただ今はもう怒りは感じない。というかそれよりもしんどい。
「あの時は私が何言っても意味が無かった。でも何も想ってなかった訳じゃない」
ヴィネが立ち上がり僕が寝ているベッドの横に来た。
「もう良いや。強くなってほしいとか私と同じように割り切ってほしいとか。どうでも」
「?」
「心配させないで。血塗れで顔パンパンに腫らしてるのを見る側にもなって」
「ごめんて……げほっ」
前半の方は良く聞こえなかったけど、自分勝手に動いた自覚はあるから何も言えない。
ヴィネは他の皆を確認するように部屋を見回すと、扉の方へと歩き出した。
「勝手に居なくなったりしないでね」
「しないよ。げほっ、ほら、他の皆も伝染といけないから、ここには居ない方が良いよ。流石に僕もここから動く気無いし」
僕の言葉が終わったくらいでヴィネが部屋から出て、それに続くように僕をチラチラと見ながらアイムが出て行った。多分信用されてないなこれ。
それに続いてフェニキスが立ち上がった。
「私は引き続きこの屋敷を漁る。今となってはこれが必要な事かは分からないが、お前の体調が良くなるまでここに居るのは確定してるんだ。時間はある」
「お願いします。僕もまだ色々と気になる事はあるから」
「――セーレ」
「?」
「私は、全てを飲み込んだ上であの時止めなかった訳じゃない」
「……すみません」
「無茶はもう、止めろ」
扉がひとりでに閉まった。最後に残ったのは。
「皆に迷惑をかけた。その中でも一番、申し訳ないと感じたのはあなたでした。アラストリアさん」
「……」
「ごめんなさい。色々と付き合ってもらったのに、あなたには何も言わずに僕は動いた」
ヴィネもアイムもフェニキスも、僕の自分勝手を程度の差はあれど理解した上で僕を止めなかった。
だけどアラストリアは、恐らく自分を含んだ複数人でアルコシアに挑む事を前提に訓練に付き合ってくれた。
僕は何も言わなかった。多分この人なら、一人で戦うと言えば無理矢理にでも止めるか介入してくると思ったから。
「アラストリアさんが僕に目をかけてくれている事は分かります。だから言えなかった」
友人としてなのか年上としてなのか、それとも別の何かなのかは分からないが、アラストリアが僕を保護的な目で見ている事は分かる。
だから言わなかった。
下を向き、顔が見えないままでの少しの無言の後、アラストリアは口を開いた。
「……セーレ君。セーレ君にとって、わ、私は――」
「体調はどうかな?」
アラストリアの言葉は、途中でその声に遮られた。
何でそんなに一々偉そうに出来るんだって思うような仕草、声、視線。
何の遠慮も気遣いも無く、アルコシアが部屋に入って来た。
「っ何でお前が……!」
「げほっ、いいよアラストリアさん。この人とは話したかったから」
「そういう事だ。不粋だぞ、女」
「……!」
「あ……」
アルコシアの言葉が不快だったのか、アラストリアは顔を背けるようにして部屋を出て行ってしまった。この人は本当に……。
「言い方ってものがあるでしょう」
「知らんな」
「後で謝ってくださいよ。……で、約束は守ってくれるんですよね」
「ああ、お前に従おう。モンスター相手だろうが何だろうが好きに使役え。それよりもだ」
僕が寝ているベッドの横にアルコシアは腰を下ろした。重さで木の軋む音が聞こえる。
「お前と言葉を交わしたい」
「……えー」
あの殴り合いは壮絶だった。いや、蹴ったし頭突きもした。お互いに血と水と汗に濡れて、アルコシアが倒れるまで続いた。
勇者同士で嵐の日に何やってんだって話だ。でも終わった時の気分は、案外悪くなかった。
要するに、僕のアルコシアに対する認識は少し変わった。
「言葉は要らないとか言ってたでしょ」
「確かにあの瞬間、言葉が無くとも私達は通じ合っていた。芳醇で濃厚な、肉と肉のぶつかり合いだった」
「何ですかその言い方」
「だがそれは言葉を疎かにして良い理由にはならない。今、尊ぶべきは言葉による語らいだ」
傲慢で尊大で争い好きな人。もしかしたら本当に神様なのかもしれない。
今でも苦手意識はある。怒りを抱いていた自覚もある。
でもあの殴り合いの瞬間僕は、僕達は、互いに腫れあがった顔で自然と笑みを浮かべていたんだ。
「はは、本当に無茶苦茶ですね。自分がやりたいように――」
「なあ」
アルコシアが僕の顎を指で掴み、僕の顔を自身の方へと向き合わせてきた。
彼女の黄金の瞳が目の前にある。
「お前はそんな微笑もするのか」
「ちょ、近っ」
「違う。手段はどうでも良い、私はお前の事が知りたいんだ」
「ぐ、具体的には?」
「まずは、名を」
それを聞いて僕は改めて思った。この人は本当に自分勝手な人だと。
そういえば、確かにこの人が僕の名前を呼んだのを聞いたことが無かった。もしかして呼ばなかったんじゃなくて覚えてない、それか聞いてすらいないのか。
「それ、僕じゃなかったら一発で嫌われますよ」
「聞かせろ」
「セーレ、セーレです」
今更な名乗りを契機として、喉が痛いというのにアルコシアが満足するまで終わらない語り合いが始まった。




