3話 赤い瞳の罪人
「王様ァ!あの二人勇者辞めるって言ってるんですけどぉ!?」
ヴィネとのささやかな観光を終え、宿を取った次の日の早朝。
宿を訪ねてきたマリウスとゼパから衝撃的な宣言を聞いた僕は、ヴィネを置いて王城へと殴り込んでいた。
「まあ、想定内だな」
昨日と同じ部屋に通された僕は、優雅にコーヒーカップを口に運び朝食を摂っている王様と対面した。
王様の正面には同じような朝食が用意されたいる。そういえば何も食べていない。
とりあえず、ソファーに腰掛ける。
「受け入れるんですか?勇者ですよ?そんな簡単に辞めるとかあります?」
「契約書から察しているとは思うが、勇者としての役目は放棄出来る」
「なんかこう、王様パワー的な何かは働かないんですか?」
「やろうと思えば出来なくもないが、教会の連中がな」
教会。神々を本格的に信仰する人達の集まりだ。
僕が夢を見た時、本当に勇者候補なのか確認しに来たのが彼らだった。
「連中にとって、勇者は神々と繋がってる時点で自分達より"上"って認識だ。だから放棄したとしても仕方がない、見放された自分達が悪いって寸法だな」
柔らかそうなパンにジャムを塗って頬張る王様。僕もそれに倣い、朝食に手を付け始める。
「だからといって実際に放棄されても困る。そこで魅力的な褒賞を出して辞めさせないよう釣り合いを取ってるのが王家なわけだが。……ふぅ、今回は別だな」
「ある程度辞める事は折り込み済みだったって事ですか?」
「あの二人に関しては。何より普通すぎて、他の勇者達との接触に耐えられない可能性は高いとは思っていた。お前の様に契約をした訳でもないしな」
その王様の言葉で、ここに来る前の二人とのやり取りを思い出す。
『いや、辞めるってどういう事?一緒に頑張ろうみたいな流れだったよね』
『あの後問題の勇者と会えたんだが、アレは無理だ。アレだけでもヤバイのに、同じようなのが他にもいるなら尚更手に負えねぇ』
『殴り合えば友達とか言ってなかったっけ!?』
『限界は存在する』
『冷えてんじゃねえよ熱血!』
『ともかく、俺達は無理だ。故郷に帰る。続ける気なら頑張れよセーレ。じゃあな!』
『……すまんな』
そうして、二人は引き止める間も無くそそくさと王都を出て行った。
あの二人を一瞬で打ち砕いた王都の勇者とは、どんな人物なのだろうか。
「……僕を支えてくれる人が二人減ったんですが」
「まぁ、頑張れ」
王都の最高権力者は昨日の契約書をチラつかせながらそう言った。
パンは柔らかくて美味しかった。
☆
「どうすんだこれ……どうすんだ……」
「私が寝てる間に勇者が八人になっちゃった。ウケるね」
「ウケない」
朝のゴタゴタに一切参加せず寝ていたヴィネが、何処までも他人事のようにそう言った。
これで、常識的な勇者は僕とヴィネのみ。割合は更に悪化し、男女比に至っては崩壊寸前だ。
「どんな人なんだろうねー。やっぱりヤバイのかなー」
「……ヤバイに決まってるだろ」
昨日宿に居た時点で、王様から貰った資料を見て残りの勇者の経歴といった情報は把握している。
「悪人裁きのアラストリア。十八歳にして判明してるだけでも六人は殺した殺人鬼。最近捕まって、判決が出る前に僕達と同じく勇者になった」
勇者達はヤバイ奴らばかりだという話だが、この人の情報で僕はそれを一発で理解した。
「法ではギリギリ裁けないくらいの厄介な悪人を狙って殺してるせいで、民衆人気が高いって王様が言ってた」
「昨日も聞いたけど、それが本当なら根っからの悪い人って感じじゃないよね」
「……どうかな」
殺人を犯す人物がどういう人となりなのか、想像もつかない。
ただ、僕を置いて逃げ帰った腰抜け二人の件がある以上、真っ当な人物とは思えない。
僕らは揃って足を止める。目の前にあるのは無慈悲な鉄の檻……牢屋だ。脇には見張りの人が居る。
「勇者のセーレとヴィネです。アラストリアさんを迎えに来ました」
「……話は聞いています。手足の拘束はしていますが、どうかお気をつけて」
見張りの人が緊張を隠さない表情で鍵を開けた。
相手は殺人鬼。この一ヶ月で身につけた戦う時の心構えで行く。
横目に映るヴィネも、自然体のようでいて油断はしていない。普段は気の抜けた僕の幼馴染はこういう場面では抜かりが無い。
足を踏み入れる。
目。
「――あなた達も、勇者ですか」
「うっ……」
目だ。
血のような深紅の目。こちらを品定めしているような目。
感じたことの無い圧力のような物。
「そう怯えないでください。誰彼構わず危害を加える気はありません」
小さなテーブルの向こうに座るアラストリアは、僕達に椅子に座るよう促した。
ヴィネがこちらを見ている。従うよう視線を送りながら、恐る恐る腰を下ろす。
「僕がセーレ、こっちはヴィネ。同じ村の出身で、どっちも勇者です」
「知っているでしょうが、アラストリアです。今日出発と聞きましたが、あの二人とは別行動ですか?」
「あの二人は勇者を辞めましたよ。もう王都には居ません」
「辞める?……いや、十人も居ればそれが許されるのか。であるならまあ、あの二人が辞めたというのも納得は出来ますね」
「二人に何かしたんですか?」
「何も。少しお喋りをしただけです。怯えている様子ではありましたので、大方嫌われたのでしょう」
見境が無い訳ではないのに。そう言ってアラストリアは、溜息をしながら手錠が煩わしそうに頬杖をし、その長い黒髪を揺らした。
「……アラストリアさんは、勇者としての役割を受け入れますか?」
これは、勇者が辞められると知ってから気になっていた事だ。
残る六人の意思。最初から乗り気で無い人物も中には居るかもしれない。
しかし、聞いておいてなんだがこの人は辞めないだろうな。いや、辞められないか。
「受け入れるしかありませんよ。このままでは私はどう足掻いても死刑。そして、魔王討伐の褒賞に減刑を約束されていますから。キナ臭くはありますが」
そうだ。死刑を望まないならそうするしかない。
正直僕としてはあと二人くらいは辞めてほしいとは思っていたが、この人は六人の中で最も望みが薄かった。
だがこの人、経歴は置いといて今の所は普通に知性的だ。妙な雰囲気は有るけど。
もしかして、そこまでヤバくない?
「じゃあなんでおねーさんはさあ、人殺しなんてしたの?死刑になりたくないならしなきゃ良くない?六人も殺したらそうなるよね」
ヴィネが悪びれも無くそう言った。
気になっていた事だ。恐らくこの人と僕達がこの先上手くやっていけるかの分水嶺。
彼女が自身の罪に対してどう感じているか。
というかヴィネ直球すぎる。もっと気を使ってくれ。
「死刑になりたくないのではありません。ここで死ねば私が成すべき事が出来なくなる」
「それは……」
「悪人を殺す事です」
まただ。
声を荒げてもいない。感情が揺れている訳でも無い。
なのに、彼女から感じる違和感。
淡々とアラストリアは語り続ける。
「世の中には法では裁けないのに裁ける者よりも悪質な人間が居ます。それを排除するのが私の目的です」
「……田舎育ちの僕には実感はありませんが、確かにそういう人間は居るのでしょう。それを全てあなたが裁くと?」
「全ては無理でしょうね。ただ、可能な限り数を減らすことは出来ます」
「法の裁きでは、満足出来ないんですか」
「出来ませんね。その為にも私は生き延びる必要があります」
なんとなく、分かった気がする。
これは価値観の隔絶だ。
悪人どうこうではない。人を殺す事に何の躊躇も抱かない精神性。
その気になれば、僕達をも。
アラストリアがくすりと笑った。
「安心してください。私があなた達に手を出すことは無いですから。少なくとも、今は」
ちゃんと、ヤバイ人でした。