21話 置いて行く
「あれ。君がここに来た時みんなと自己紹介したんだけどなあ」
「おぼえてない」
「セーレだよ。僕はもとから君の名前知ってるから、僕の勝ちね」
意味の分からない事を言いながら、セーレは図々しく私の横に座った。
その視線は私が持つ本に向けられている。
「それ、見せてよ」
「なんで?」
「気になるから。ここにある本は全部読んじゃった」
「……好きにしたら」
途中で会話するのが面倒になって、望み通りに本を差し出す。
やった、と呟きながらセーレはページをめくり始めた。
しばしの無言の後、セーレは顔を上げた。
「勇者伝説……色々なのがあるなあ。僕こういうの好きなんだ。ねえ、これ本当の話だって知ってた?」
「知らない」
「もうすぐ次の魔王が復活するらしいよ。そしたらどうなっちゃうんだろうね」
「変わらない。何も」
「そうかなあ」
恐るべき魔王が復活したとしても、自分を取り巻く環境は何も変わらない。
今までも独りで、これからも独り。
幼い私は本気でそんな風に考えていた。
「おーい!セーレ!」
「あ。じゃ、僕行くね。一緒に遊ぶ?」
「……」
「そっか。本ありがとね、ヴィネ」
他の孤児達の下へと戻り、彼らは無邪気に遊びだす。
日が届かず薄暗いこちら側から見るその光景は、妙に眩しかった。
☆
「ヴィネ、これ……食べられる?」
「……何?」
食事の時間。
相も変わらず一人で居た私に、セーレはこっそりと近づいて話しかけてきた。この前初めて喋ったばかりとは思えない気軽さで。
その手には食事の器がある。
「これ苦くて嫌いなんだよ……。いらない?」
「……ん」
セーレが困った顔でそう言うのを見て、私は自分の器を差し出した。
食べる量が増えようが減ろうがどうでも良い。そんな理屈で。
「!ありが――」
「こらっ!好き嫌いはしちゃダメって言ったでしょ!」
「げ」
セーレの表情が歪む。叱りつけたのはフルカス先生だった。
フルカス先生。この孤児院を開いたのもこの人で、私達に色々なものを教えてくれる先生でもあった。
茶色の髪を揺らして怒ってはいるが、全く威厳が無い。
「嫌いなものもちゃんと食べないと体を壊しますよ!それに量もそこまで多くないんだから、他の人にあげちゃったら――」
「食べる、食べるから!」
「あ!」
慌ててセーレはその場から逃げ出した。フルカス先生は全く怖くは無いがお説教が長かった。
逃げた先に居た他の子ども達に笑われている。
「はあ、あの子は好き嫌いが多いですね……」
「……」
「……ヴィネちゃん。セーレ君とはお友達?」
先生は優しい笑顔を私に向ける。少し安心が混じったような顔だった。
「……知らない」
「そっか。先生ちょっと忙しくて、あんまりお話とか遊んだり出来なくてごめんね。でも、セーレ君が居るのなら大丈夫かな」
私を抱きしめながら先生はそう言った。
先生は会うたびに、子どもの私からしても痩せた細い体で私を抱きしめた。
その時だけは、少しだけ独りじゃないと感じる事が出来た。
☆
「気づいてる?ヴィネ」
「……何が?」
セーレと初めて会って、かなりの時が経った。
クズ布で色々な物を包んで作ったボールが飛んでくる。もはや慣れ切った動きでそれを捕る、また投げ返す。
「ここに居た大人の人達、どんどん減ってる」
孤児院には何人も大人が出入りしていたが、もうそれも無い。フルカス先生が忙しい時の代わりをしてくれた先生すらも。
「ご飯の量だって減ってる。みんな気がついてるけど言わないだけだ」
「……」
「今日の朝も、ここに来た知らない大人の人に先生が頭を下げてるのを見たよ」
先生は見るたびにどんどん痩せていった。頬もこけて、笑顔が歪になっていくようだった。私を抱きしめる事も無くなっていた。
「……」
投げる。捕る。投げる。捕る。
セーレの話は怖いくらいに頭に入って来る。苦しそうな声。
「多分、お金が無いんだ。僕らに何か出来ないかな」
「出来ないよ」
久しぶりに感じた、小さな絶望の予感だった。
☆
その日は久しぶりに、先生が私達と寝られる日だった。
「……!」
視界に異常を感じて、私は起きた。
今は夜だ。大部屋でみんなが寝ている時間。
やけに明るい場所に向けた目に映ったのは、赤い炎と煙だった。
「ごめんね……ごめんね……」
先生が燃える火に何かを注いでいた。
注ぐたびに火の勢いが強まって、部屋の中を埋めていく。油だ。
正気には見えなかった。
「みんな、一緒に……」
私よりも先に起きていたのであろう他の子ども達は、それをじっと見つめていた。しばらくして、騒ぎもせずにゆっくりと先生へと近寄っていく。
そのおかしな光景を見て、私は悟った。
小さく絶望していたのは私だけじゃなかったと。
日々を無邪気に生きていた彼らも、どこかで理解していたと。
この孤児院と、先生の限界を。
「……は」
少しずつ感じていた、ここが私の居場所という感覚。
それが消えていく。
「――!――ヴィネ!」
しばらくして、手を引かれた。セーレが必死な顔で私に呼びかけている。
「早く逃げないと!立って!」
それでも動こうとしない私を見て、無理矢理背負いだす。
半分引きずるようにして、私を運び出す。先生達は炎で見えなくなっていた。
「なんで」
「え!?」
「なんで」
「死にたくない!先生とみんなには悪いけど、僕はまだ生きたい!」
「なんで」
「死んでほしくない!ヴィネだけでも!――っ!」
私を背負い部屋を出て長い通路を歩くセーレに、横から飛び出した炎が襲う。
額に火傷を負っても、歩くのを止めようとしない。
「本……」
あの本を持って無い事に気がついた。
色々な物が燃えていく。本も。食器も。ボールも。
それでもセーレは止まらなかった。
「置いて行くんだ……!」
☆
「ふー……」
遠くでは孤児院が燃えている。それに気がついた人たちが止めようとし始めたのか、辺りが騒がしい。
裏手から抜け出した私達は、そこから離れた路地裏で並んで座り込んでいた。
「いっつつ……やけどって治るのかな……」
「……ねえ」
「ん?」
「私の居場所って、どこなのかな」
最後に見えた先生と子ども達は、笑っていた気がした。
あの場に、孤児院に居続ける事を受け入れていたのだろう。
「……とりあえずは、僕の横でいいんじゃない」
何もかもが燃えてしまったが、セーレはまだ私の横に居る。
「死なないでよ」
絞り出すような声で、セーレはそう言った。




