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白銀月国城内、客間の1つ。そこで流星国のルビーことアンリエッタ令嬢と白銀月国第2王子エルリックは細い鎖に繋がれていた。
室内にある調度品、二つあるベットのうちの出入り口側、その天蓋の柱にそれぞれ足枷と鎖によって繋がれている。
鎖の長さはかなりある。出入り口から出られる距離。隣室——浴室、トイレなど——や窓から続くベランダにも行ける。
しかし、ベランダへ出ても3階である上に手摺りまでは辿り着けない距離。部屋から出ようにも外に物を置かれて扉が開けられない。
「ちょっと! 開けなさいよ! 開放されたら連合国裁判所へ訴えるわよ!」
アンリエッタ令嬢は微塵も開かない出入り口の扉へ向かって叫んだ。その次はドレスをたくし上げ、靴を脱ぎ、素足で思いっきり蹴りつける。
しかし、木製作りの夜空を彫った扉の破壊は出来ず。
「ルビー、俺は嬉しいけど未婚女性が男に太腿を見せるべきではないかと」とソファに座るエルリック王子はアンリエッタ令嬢の雪のように白いおみ足を凝視。
振り向いたアンリエッタ令嬢はドレスの裾を下ろし、悲鳴を上げた。顔は真っ赤。彼女の「ルビー」は髪色や美貌だけではなくこの赤面症気味なところからもきている。
「何のんきに座っているのよ! 人の気配がするから命令して開放させなさいよ!」
「えー。せっかく君と2人きりなのに? まさか」
エルリック王子は肩を竦めてクスリと笑った。アンリエッタ令嬢が靴を履き、ツカツカと彼に近寄る。「はあ?」とエルリック王子の正面で仁王立ち。
「武器はなさそうだから、いっそ首を絞めてくれ……」
ビンタされそうになり、エルリック王子はにこやかな笑顔に変化。瞬間、アンリエッタ令嬢は項垂れた。
「くれないのか、ルビー。なんだ、残念」
「最低。こんな方法で結婚して嬉しい訳? 開放された瞬間逃げるわよ。地の果てまで」
「レクスの元まで? そうすれば良い。君が想いを告げず、結婚の祝いまでしてもう5年以上経つ」
手招きされたと気がつき、アンリエッタ令嬢は数歩後退りした。
「その話は止めて。そんな目で見ないで」
「どんな目? 待つには待つけど、宙ぶらりんなのは少し辛い。俺にも体裁があるしいつまでも縁談を断り続けられない」
「……」
返事が出来ず、アンリエッタ令嬢は言葉を詰まらせて更に後退。エルリック王子が立ち上がる。彼は月色の髪をくしゃりと掻き、苦笑いを浮かべた。
「自惚れか?」
「……」
割と正直者なので返事が出来ず、アンリエッタ令嬢は更に後退り。エルリック王子は返事を待つ、というように無言を貫いた。
「貴方の前で何度か泣いたけど……」
「何年でも待つ覚悟はある。結婚したからって手を出そうとは思っていない。3日3晩考えてくれ」と告げて、エルリック王子はアンリエッタ令嬢からなるべく離れるように移動し、隣室へ移動した。
「あっ、風呂を覗いても構わないよ。むしろ背中を流して……っ痛。全く、俺にしか乱暴しないから良いけど、その可愛い怒り顔は他の男に見せ……はいはい! 撤収!」
バシンッ、と背中に靴を投げられてエルリック王子は笑いながら逃亡。彼の姿が見えなくなると、アンリエッタ令嬢はペタンと床に座り込んでしまった。
(ずるい……。ずるい、ずるい、ずるい、ずるい……。何もかも見透かしてるって顔をして、私の逃げ道を無くして……)
顔を両手で覆うと、彼女は小さく肩を震わした。
(ずるいのは私だけど……。諦めてくれれば……)
アンリエッタは込み上げる涙を抑えようと奥歯を噛み締めた。しかし、涙は溢れる。
彼女は幼少時からの初恋を失ったのに、それでも固執し続けている。一生想い続けていればチャンスがあるかもしれない、と限りなくゼロに等しい希望を胸に抱き。
想い人は自国を飛び出してして医者になってしまった流星国のレクス王子。国を出る際に生涯を共にするパートナーを連れて行った。2人が結婚し、2児をもうけ、仲睦まじく幸せに暮らしているということを彼女はよくよく知っている。
何せレクス王子の妻とアンリエッタ令嬢は親しい仲だ。離れて暮しているので月に1度程度ではあるが手紙をやり取りし、年に数回会っている。
心の中で羨ましいと思いながら、その気持ちを押し殺し続けて今日に至る。片想い歴は20数年、彼が結婚してからもう5年以上が過ぎた。
アンリエッタ令嬢はまもなく25歳。とっくに貴族社会の平均結婚年齢はとっくに過ぎているし、エルリック王子も27歳と周囲に無理矢理結婚させられないのがおかしい年だ。
「うわあ、アンリエッタ! 助けてくれ!」
叫び声で我に返り、アンリエッタ令嬢は立ち上がった。慌てて悲鳴を上げたエルリック王子の元へと向かう。
隣室へ飛び込んだアンリエッタ令嬢が目撃したのは、上半身裸で下半身にバスタオルを巻いたエルリック王子の姿。楽しそうに笑っている。誰がどう見ても何もない。
「何があった……っ——……! き、きゃあああああ!」
両腕を広げたエルリック王子に向かって、アンリエッタ令嬢は両手を腕を伸ばし、突撃を阻んだ。
「無視しないで助けに来てくれるなんて嬉しいよルヴォエ……」
頬にアンリエッタ令嬢の右掌を押し付けられたエルリック王子の首が捻れた。
「信じて損した! 何が手を出そうとは思っていないよ! この嘘つき!」
憤慨したアンリエッタ令嬢は元いた寝室へと戻った。イライラしながら、出入り口の扉を拳でコンコン、コンコンと少々強いノックのように殴る。
「開けなさいよ! 誰かいるのは分かっているのよ! 開けなさい!」と叫ぶも誰からも返事はない。
何度もコンコン、とノックを続けて叫ぶも無反応。疲れたアンリエッタ令嬢はソファへ移動。腰を下ろし、途方に暮れた。
(逃げたら完全拒否だし、でもあの調子で本気で迫ってはこない……。素直になろうにも、レクスを完全に諦めようにも、タイミングがない……)
そもそも、幼馴染みのカールのせいだとアンリエッタ令嬢はますますイライラを募らせた。腕を組み、ムスッとしかめっつらで足枷を睨みつける。
足を揺らせばジャラジャラと音が鳴る。
(カール、どういうつもりよ)
そうしているうちに、エルリック王子が湯浴みを終えて寝室へと戻ってきた。
「いやあふざけて良かった。でもさ、泣き顔よりその顔の方がずっとマシだと思うんだルビー」
ニコニコ笑うエルリック王子は用意されていた寝巻きに着替え済み。タオルで濡れた髪を拭きながらベットとベットの間にあるサイドチェストへ向かった。
上に置かれているデキャンタからグラスへ水を注ぎ、ぐっと飲み干す。
(こういうところよ。いっそ迫ってきなさいよ……。くれないかな……)
気遣いと優しさに胸を締めつけられ、アンリエッタ令嬢は複雑な表情を浮かべた。
エルリック王子を見つめてみても、彼は「手を出しません」と示すようにベットの布団へと潜り込んで寝てしまった。