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廊下を歩き始めた佳蓮の足取りは、幼児のようにおぼつかない。
身体が衰弱しているのはもちろんのこと、袖を通した簡素なドレスは無駄に丈が長い。気を抜くと、裾を踏んで転倒してしまいそうだ。
前を歩くリュリュは、それに気付いたのだろう。足を止めて、振り返った。
「佳蓮様、歩くのがお辛いようですので、わたくしが抱き上げてお連れします。さぁ、どうぞ」
「い、いいっ。大丈夫、一人で歩けるよ」
心配するあまり両手を伸ばしてくるリュリュから逃げるように、佳蓮は壁を支えにして歩く速度を速める。
これから会うシダナになんか格好つける必要はないし、より惨めな姿を見せたほうが返品される確率だって高くなるだろう。でも侍女にお姫様だっこをされて登場するのは、自分のプライドが許さない。
佳蓮は息を切らしながら長い廊下を歩き、階段を降りる。そしてやっと応接間に到着した。
リュリュの手で、応接間の扉が開かれる。
開いた扉の先には、シダナがすでに長椅子に着席していた。栗色に近い金色の髪は、今日は丁寧に撫で付けられている。毟ってやりたい。
「お久しぶりですカレンさま。お元気ですか?」
佳蓮に気づいたシダナは、立ち上がると優雅に騎士の礼を執る。顔を上げた彼は、翡翠色の瞳を細めて柔らかく微笑んだ。
(このやつれた姿を見て、よくもまあ元気かと訊けたもんだ)
佳蓮はシダナの神経の図太さに呆れながら、無言で一人掛けのソファに着席した。
欲しい言葉は「あなたを返品します」それだけ。それがもらえないなら、今すぐ帰れ。そんな意志を込めて、佳蓮はシダナを強く睨みつけた。
シダナといえば、佳蓮が取った行動は想定内のようで、向かいのソファに着席すると再び口を開く。
「お手紙を何度も出したのですが、ようやっと受け取っていただけて嬉しかったです」
「暖炉の薪の代わりにすらなりませんでしたけどね」
言外に受け取った手紙は全部燃やしたと伝えても、シダナはヴァーリのように単細胞ではない。ふわりと微笑んで窓に目を向けるだけ。
そして「今年の冬は冷え込みが厳しいですからね」と世間話の延長のように返した。
(……この人、面倒くさい)
わざと煽る言葉を選んだというのに、動じない。この人は、ヴァーリより厄介な相手だ。
互いの出方を探るように、佳蓮とシダナはじっと見つめ合う。そんな中、リュリュが二人の間にあるローテーブルにそっとお茶を置く。
ティーカップから立つ湯気から、お茶のいい香りがする。なんのお茶だろうと佳蓮が意識を余所に向けたその時、シダナが表情を改めて口を開いた。
「さて、カレンさま。本日はあなたにお話があってきました」
「はい」
佳蓮は姿勢を正す。シダナはついさっきまでの胡散臭い笑みは消えている。真剣に何かを伝えたいようだ。
その気配に圧され、佳蓮がこくりと唾を呑む。
「お願いです。どうか離宮に……いえ、陛下の元に戻ってきてください」
不良品につき返品をするので今すぐ元の世界に戻ってください、と言われると思っていた。
なのに期待していた言葉とは真逆のことを言われ、佳蓮はそれを理解するのにしばらく時間を要した。
「……は?」
長い間の後、佳蓮が間の抜けた声を出してもシダナの表情は変わらない。それどころか呆けているうちにさっさと話をまとめようとする狡い気配すら伝わってくる。
だから佳蓮は、慌てて口を開いた。
「私、離宮に戻らない条件で会ってるんですけど……あなた大丈夫?」
耳と、頭と、神経が。
嫌味でしかない佳蓮の問いかけに、シダナは「お気遣いありがとうございます」と慇懃に頭を下げた。




