第三十八夜★『盗人の夜』
私は見ていることしか出来ない
今夜もずっと見届けよう
そこに生きるものたちを…
また今夜もか
私は思わず嘆いてしまった
ここのところ
町で気になる男がいた
男はすれ違う人から
ぶつかる振りをして財布をすっと
抜き取った
男は人気の無い裏路地に入り
盗んだ財布から現金のみを引き出すと
積み上げられた樽の上に置いて
足早に立ち去った
周到に手袋をしているから
これでは見つかるわけもない
男は次の獲物を探す梟のように
闇夜に溶け込み
ただじっと町を眺めていた
そう 彼は盗人だ
人の財布をばれないように盗み
お金を抜き去る
技術だけみれば見事な技術としか
言いようがないが
全く感心できない行いだ
こんな非道があって
良いものなのだろうか
私はここのところ
毎夜毎夜 瞬いてみせたが
むなしくも 男には届かなかった
雨雲が町を包み込んだある日
男は傘を差し この夜も獲物を探していた
しかし この日は少しが様子が違った
洋品店の窓に置かれた
真っ赤なハイヒールをじっと眺めていた
ただ 何時間も男は眺めていた
店が閉まり 夜も更けたころ
男は動き出した
店の裏手にまわり
非常用扉の鍵を器用に壊し
お店の現金など目もくれず
足早に赤いハイヒールをバッグに
入れて立ち去ろうとした
すると 防犯用の鈴が
けたたましく鳴りだした
男は店のガラスを割り抜け出すと
雨の降る 夜の町を駆け抜けた
鈴の音とガラスが割れる音に
周りの人や警察が気づき 男を追った
男は川沿いにある
高い建物の階段を駆け上がり
屋上を目指した
男は建物の屋上にたどり着くと
男を追ってきた警察に囲まれた
男は観念するかのように
ポケットからタバコを一本取り出し
火をつけようとしたが 雨で火がつかず
思わず苦笑いした
『まったく 俺はまた選択を間違えたもんだ』
男はそうつぶやくと
屋上の柵を飛び越え
川へと身を投げ出した
警察たちは唖然としたが
すぐに
川を覗き込んだ
しかし流れが強く 姿は見えなかった
男が川へ飛び込んで数日経った夜
私は あの男はどうなったのだろうか
と気になり町を見ていると
男に盗みに入られた洋品店の店主が
客と話しているのを聞いた
「あのハイヒールを盗んだ男
隣町の河岸で見つかったみたいだぞ
どうやらあの男は
妻に先立たれて
心を病んでしまったようだ
それでも生きていかなくちゃならないが
社会に戻れず 盗みで生活してたようだ
几帳面な男だったようで
盗みも財布しか盗まず
ご丁寧にお札だけ抜き取り
身分証明書や小銭は
一切盗らなかったみたいだ
それがポリシーなのか わからないけど
人の物を盗むなんてのは
許される行為じゃないな
取り調べを受けてるときに聞いたんだが
あの夜は亡くなった妻の
命日だったみたいだ
不運な交通事故だったようで
男は
「あの時 俺が右に避けていれば」
と事故当時警察に話をしていたようだよ
事故当時 妻が履いていた
赤いハイヒールと
うちのハイヒールが同じものだったと聞いたよ 」
店主は一息つくと話を続けた
「と 言ってもあのハイヒールは
もう製造されてない貴重なやつだったんだけどね まいったよほんとに」
頭をかきながら
店主は割られたガラスの方を見ていた
「ばかな男だよ ほんとうに」
私も思った
人の物を盗み 罪悪感を失ったばかな男だ
それでも あのハイヒールを見て
後悔と愛を 男は思い出したのだろう
「まったく 俺はまた選択を間違えたもんだ」
男の最後の言葉が
妻を失うあの日の全てを
物語っているようだ
私は物悲しく夜空に瞬いた
お読みくださいまして
ありがとうございます。
盗みはダメです、
後悔しか残りません。そんなお話でした。