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ティファニーの体は、既に痙攣が始まっていた。チャールズは彼女の亡骸を離すまいとするようにしっかりと抱きこんでいる。
ティファニーの体は華奢というより、どちらかというと豊満といえる。もう少し贔屓目に言えば肉感的というべきか。それなのに、血を多く失ってしまったせいか、彼女の体は恐ろしく軽かった。風が吹けば吹き飛んでしまうほどに。血だまりに沈む彼女の体の痙攣が収まった。と思うと、すぐにさらに大きな痙攣が始まった。
いよいよきた。
その場にいるリーガン、ダミアン、アナベルは口にこそ出さなかったが思った。
ゆっくりと、ティファニーが目を開けた。先ほどチャールズを襲ったあの女の様に、その瞳は白濁していた。
「チャールズ、離れろ」
ダミアンがとびきり冷静な声で言った。剣の柄を握りしめ、その目はティファニーの白濁した目を睨みつけている。
チャールズは泣きながら、激しく首を振った。
「チャッキー」
アナベルの持つ人形の前に、再び魔法陣が浮かび上がった。
ティファニーはのっそりと身を起こした。その動きは酷く緩慢だった。まるで、起きることを、本当は望んではいないというかのように。彼女はゆっくりと口を開いた。色を失った唇から、鮮やかな血が滝のように流れ出た。そうして、自分を後ろから抱きしめる元恋人の腕めがけて、勢いよくかぶりつこうとして、止められた。ダミアンの剣によって。
「アナベル!」
ダミアンの声に、アナベルの持つ人形から、先ほどより幾分小さな、しかし鋭さの増した岩が発射された。それは正確無比に哀れなティファニーの額を貫き、彼女は静かに後ろへ倒れ込んだ。その瞳は閉じられ、先ほどの二体のゾンビよりかは、遥かに安らかな顔に見えた。
「ティファニー!」
チャールズが吠え、彼女の体に縋りついた。
アナベルが少しだけ俯き、顔を背けた。
「あなたのせいじゃないわ」
少し離れた場所まで彼女を促し、リーガンは囁いた。これはもう、仕方のないことだと彼女は思った。
ゾンビに噛まれた者もまた、ゾンビになる。
それは、この世界ではよく知られている事実だった。
そもそも、この「ROLE」の世界では、魔物、あるいはモンスター、化け物と呼ばれる生き物がたくさんいる。ほとんどが凶暴化した野生の生き物だったり、この世界の人間と同じく、魔力を持って生まれてしまった獣だったり、果ては呪われた人間の成れの果てだったりと様々だが、ゾンビは、その中でも少しだけ特殊だった。
ゾンビは、言ってしまえば道具だった。
何しろ、魂がないのである。魂が抜け落ち、自然の理通りその器は朽ちていくだけ、それを利用する魔法による、哀れな道具に過ぎない。
死霊魔術師と呼ばれる禁断の魔術師が、禁忌の魔法を使ってこの世ならざる者、魂がとうの昔に離れたものの、その体を操る禁じられた忌まわしい魔法だった。
ネクロマンサーに操られたゾンビは、主である魔術師の命に従う。
ただし、彼らに噛みつかれた者は、新たなゾンビになるものの、ネクロマンサーの意志通りには動かずに、その体に残された本能、食欲によってのみ動く。彼らが食指を動かすのは、なぜか生きている人間だけである。死んでいる体には、生きて脈打つ瑞々しい体が羨ましいのか、それとも、絶対的に相いれない存在であると知っているからなのかはわからないが。
ゾンビに食われて絶命したティファニーが、次に動き出すとすれば、それは彼女がゾンビになってしまったということに他ならない。そうなってしまえば、彼女を殺さなくては、他の犠牲者が増えるだけだ。
死霊魔術師によって生み出された生ける屍ならば、主である死霊魔術師を殺してしまえば、自動的に元の死体に戻れる。だが、生ける屍に噛まれて死んだ者は、頭部を破壊、もしくは大きく損傷させるか、はたまた燃やすかしないと、何度でも甦るのだ。
「リーガン、アナベル。ここは危険だ。まだ他にもゾンビがいるかもしれない」
「そうね。急いで控室に戻りましょう。あの割れた窓も、なんとか打ち付けておかないと、あそこから侵入されてしまうわ」
リーガンとアナベルは頷きあい、窓に向かった。ダミアンは、泣きっぱなしのチャールズの腕を乱暴に掴み、引きずるように連れてきた。ティファニーは、彼女には気の毒だったがそのままにさせてもらった。今は、死んでいる人間より生きている人間を優先すべきだった。
チャールズの方は、抵抗する気力もないのか、無気力に引きずられるままになっている。
三人がかりで何とか彼を控室に押し込み、リーガンたちは打ち付けに使える板を探した。しかし、そう都合よく板が見つかることはない。仕方なく、一番大きなタンスを移動させ、バリケードの様に窓の前に置くことにした。
「応急処置にしても頼りないわね」
「とはいえ、もしゾンビが何体かいたら、窓ガラスだって割られますよ、さっきみたいに。それより、彼らを刺激しないよう、カーテンを閉めて、僕たちの姿を見せないようにしましょう」
ダミアンがそう言い、リーガンとアナベルは慌てて広い控室のカーテンを閉めた。
「……私、さっき何もできなかったわ」
カーテンを引きながら、リーガンが唇を噛みしめた。彼女の属性は火である。ゾンビの弱点でもある炎魔法の使い手である彼女なら、さっきは一番活躍できたはずだ。けれど動けなかった。突然の惨劇に、身を固くして怯えるしかできなかった。リーガンは、このゲームをやったことがあったのに。近いうちにこんな場面が来ることは、容易に想定できたのに。
「あの状況では仕方がないでしょう。それに、あなたの魔法ではチャールズまで燃やしてしまう可能性があった。あの状況なら、アナベルの魔法が一番有効でした」
ダミアンの属性は風だ。風を刃に変えて攻撃する魔法もあるが、生憎とダミアンはそれをあまり得意としていなかった。あそこまで正確に、目標だけ攻撃することは不可能だっただろう。だからこそ、彼は魔法でなく剣を使ったのだ。
「……早くホールに戻りましょう。パーティーが始まってまだそれほど経ってない。ほとんどの生徒はあそこにいるはずよ」
リーガンがそう言うと、アナベルは頷き、ダミアンは少しだけ眉を顰めて、眼鏡を押しやった。それは、何か考え事がある時の彼の癖だった。
「いいんですか。あそこに戻って。あそこには」
「今はそんなことを言っている場合じゃないでしょ。ホールは広いわ。そこに全員が固まってゾンビを入れずにいれば、被害は出ないわ。後は救助を呼んで助けが来るまで籠城すれば何とかなるかもしれない」
しかし、ホールに戻るのが容易ではないことを、彼女はまだ知らなかった。