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「うひゃあああああ!」
チャールズの男にしては少々甲高い悲鳴が響いた。媚びへつらう態度もそうだが、命の危機に瀕した時の悲鳴までも、どこか芝居がかっている男だった。
「リーガン下がって!」
ダミアンが咄嗟に前に出て剣を構えたが、チャールズにまるでおぶさるように襲い掛かっている女は、チャールズに密着しすぎて、攻撃しにくい。おまけにチャールズも中途半端に暴れるせいで、余計に狙いが定まらない。
「チャールズ、動くな!」
「む、無理言わんでください!」
女の口が開き、濁った涎がチャールズの肌を汚した。必死の抵抗の中でも不快感があったのか、チャールズの顔がさらに歪んだ。
リーガンは悲鳴を上げた。女がさらに大きく口を開けた。命を失っても、体に残る生存本能がそうさせているのか、彼女は人間の持つ原始的な欲求、食欲を捨てていないようだった。リーガンは悟った。
女はチャールズを食べようとしている。
「まずいわ!噛まれたら、噛まれた方もゾンビになる!」
その意味が理解できたのか、チャールズが何とか女を振りほどこうと暴れた。噛みつかせないように、なんとか抑えてはいるが、女は黒い爪を彼の体に食い込ませ離れない。噛まれるのも時間の問題のように見えた。
ゾンビに噛まれた者は、しばらく後にゾンビになる。それこそ、一作目の悲劇が拡大化した理由である。噛まれた直後であれば、浄化の魔法を使うことで難を逃れることもできるが、浄化の魔法が使える水魔法の使い手は、ここにはいない。さきほど立ち去ったティファニーならばできたかもしれないが。
「……ストーンバレット」
リーガンとダミアンが一瞬で遅れた横で、アナベルが、正確にはアナベルの持つ人形が口を開いた。腹話術用の人形なのか、口が開閉する仕組みだったようだ。機械的に動く口というのは、作りものとは知りつつも、どことなく不気味だった。
アナベルの持つ人形から黄色い魔方陣が浮かび上がり、そこから男の拳より大きめの岩が浮かび上がった。先が尖った、自然の造形にしてはやたら攻撃的な形の岩だった。
この岩が、とがった先端をチャールズのいる方向へ向け、凄まじい勢いで発射された。岩はチャールズに当たることなく、その後ろにいる女の額に突き刺さる。
「おああああ」
悲鳴にもならない低い声を上げ、女の額が割れた。脆そうな皮膚が破られ、どす黒い血をまき散らし、そこから半ば変色した肉が見えた。頭が半分破壊された状態のまま、女があおむけにゆっくりと倒れ込んだ。それっきり動かなかった。
チャールズは涎と黒い血で汚れた首筋を撫でながら、呆然と倒れた女の死体を眺めていた。
「だ、大丈夫か」
ダミアンが窓を飛び越え、チャールズに駆け寄った。
「アナベル、あなたのおかげよ」
リーガンは隣で魔法を放ったアナベルに話しかけた。
「ん」
アナベルは眉一つ動かさないまま小さく頷いた。その表情は変わらないが、褒められて悪い気はしていないように見えた。
それにしても、この世界で魔法が発動されるのは初めて見たが、見事にゲーム「ROLE」で出てくる魔法と同じだった。属性に応じた色の魔法陣が浮かび上がり、そこから魔法を発動させる。アナベルが行った魔法は、土魔法だった。彼女は土属性だったのだ。
(初代の方にアナベルなんてキャラはいなかった。となると、やっぱりこの世界はリメイク版の方かしら。まあ、名前すらなかった私がこうしているくらいだから、リメイク版の可能性は高そうよね)
リメイク版で操作できるキャラクターは多い。のはずだが、リーガンはどうやらリメイク版をそこまでプレイできていなかったらしい。アナベルを操作した記憶が、全くないのだ。
「ティ……」
呆然としていたチャールズが口を開いたところで、リーガンとアナベルも彼を見た。チャールズは、何とか自分が助かったことを理解したのか、体をぶるりと震わせた後、弾かれたように立ち上がった。
「ティフが!あいつ、あっちの方に行ったはずだ!」
叫んでチャールズが駆け出す。
「あ、待て!」
ダミアンが声をかけ、リーガンとアナベルも窓に身を乗り出したところで、甲高い悲鳴が聞こえた。
(そうだ、ゾンビは一体だけじゃない。もし彼女がゾンビに遭遇して、噛みつかれたら?そしてその近くに、他の誰かがいたら?)
チャールズが走った先に、先ほどのティファニーと呼ばれていた生徒が、ゾンビに襲われていた。今度のゾンビは男で、さきほどの女よりも若干ましな見た目をしていた。顔色こそ青白いものの、体は変色しておらず、死臭もわずかなものだ。まだ、死んでそれほど経っていないのだろうか。
男はティファニーの華奢な首筋にがぶりと噛みつき、その肉を引きちぎった。彼女の声にならない悲鳴が響き渡った。
「ティフ!くそ!」
チャールズはゾンビに飛びかかり、なんとかティファニーから引きはがす。そのゾンビの首を、追いついたダミアンが刎ねた。首を失った男がゆっくりと倒れた。
首元に手を当てながら、ティファニーが崩れるように座り込む。
ゾンビとは違う、生きた人間特有の真っ赤な血が、勢いよく噴射した。それは、色が赤でさえなければ、ホースから勢いよく放水される光景にそっくりだった。
みるみる血の気をなくすティファニーの顔からは、急激に生気が抜けていた。
「……っ」
ひゅっと笛のような音を漏らした後、彼女はぴくりとも動かなくなった。そのうつろな瞳は急激に光を失い、もはやここではない世界をのぞき込んでいるようだった。
「ティファニー!」
チャールズが悲壮な声で彼女の名を何度も呼んだ。酸鼻を極める光景を前にひるみつつ、しかしダミアンは剣を収めない。
黙ったままのアナベルが、自らにそっくりな人形をぎゅっと抱きしめた。
そして、リーガンは、震える手で杖を握りしめた。