4
チャールズ・リーレイ・グッドガイは一言で言えば軽薄な男である。
そのことをアナベルから教えてもらったものの、それに加えて誠実さのない、自分本位な男であることを、リーガンとダミアンは悟った。
「あの女子生徒はなぜあそこまで怒っているんです?」
ダミアンが外の喧騒をうんざりした目で眺めながら言った。
「チャッキーとティファニーは以前付き合っていた。チャッキーに他に恋人ができて二人は別れた。ティファニーにも新しい恋人ができた。チャッキーがティファニーに縋りついている」
あまりに簡潔過ぎてよくわからない。
「つまり、二股の果てに捨てた女に新しい恋人ができたら、惜しくなって復縁を迫っている、と?」
ダミアンが額を抑えつつそう尋ねると、アナベルは頷いた。彼女の持つ陶器製の人形の青い瞳と、ふいに目が合った。美しいが無機質な瞳は、主であるアナベルとよく似ていた。
「そういうことです」
「あなた、なんでそこまで知っているの?」
「さっきからティファニーがあそこでずっと怒鳴っているからです。うるさくて眠れない」
「……お疲れさま」
労わる言葉をかけた後、リーガンははっとした。
「それどころじゃなかった!アナベル、早くここから離れ……」
「リーガン。こんなところにいる理由はありません。ここから出ましょう」
ダミアンが遮るように言った。ダミアンの父親はこの国の宰相ではあるが、彼の家は伯爵家と、家柄だけなら、リーガンの家よりも格下である。その息子の彼が、リーガンの言葉を遮った。
思わずムッとするも、ここでふとリーガンは思った。
(言われなくても、こんなとこさっさと離れたいわよ。だからゾンビが来る前にみんなを避難させなくちゃ……って、みんなにどう伝えるべき?ゾンビがもうすぐ押し寄せてくるから逃げろ?そんなもの誰が信じる?それどころか、後からこの騒動の元凶と思われてしまうかも……。あら、結局、「ROLE」一作目で黒幕は誰だったんだっけ?)
ゾンビだの、薄気味の悪い化け物だの、血まみれで襲い掛かる魔物だのの存在は印象に強く残っていたものの、肝心な部分がどうも不明瞭だった。
ストーリー自体はインパクトに欠けたのか、それとも、リーガンがまだすべてを思い出し切れていないのか。その可能性は大いにあった。彼女は未だ日本にいた時の自分の名前を思い出していなかったし、自分がなぜ死んだのかも覚えてはいなかった。
(覚えているのはこのゲームの内容ばっかり。なんか、それはそれで悲しいものがあるわね、この状況では助かるけど)
記憶の糸を手繰り寄せても、確信を持っている情報としては、自分が日本人であったこと、割と若い女性であったこと、そして。
(仲のいい友達がいた。そうだ、私には友達がいた。リーガンと違って、何でも話せる気の置けない友達がいた。女の子と、男の子)
うっすらと浮かんだその影は、しかし今はぼんやりとしてはっきりと浮かび上がってこなかった。
ただ一つ思い出せたのは、彼らと三人で、このゲームについてあれこれ話していたことだ。
自分たちは確かにこのゲームをやりこみ、そして。
「ティフ!どうか昔のことは水に流して……」
「流せるか!」
バシャ、と水がぶつかる音がした。元恋人のあまりのしつこさに、とうとうしびれを切らしたティファニーが、彼に水の魔法をぶつけたのだ。その行為はちょうど、元恋人の直前の台詞に繋がるものがあり、タイミングとしてはいいのか悪いのか、リーガンにはわからなかった。水の勢いで、チャールズはのけぞり、バランスを崩して後ろ向きに崩れ落ちた。それは、大層みっともない姿だった。
「あんた本当にしつこい!二度と私の前に現れるな!死ね!」
吐き捨てるように言うと、ティファニーはくるりと背を向け、大股で歩き出した。
「私もあれくらいできたらよかったのに」
リーガンの属性は火なので、できるとしたら火の玉で元婚約者の頭を黒こげにすることくらいだが、それができたらさぞ胸がすっとしただろう。
「やめてください。あんなのでも忌々しいことにこの国の王太子です」
ダミアンの言葉もリーガンを止めるものだが、それでいて王太子への敬意はない。この数年傍にいることで、彼はうんざりしていたのだ。
リーガンが王太子妃、ゆくゆくは王妃、国母になるための勉強に励んでいたように、王太子にも王太子の、将来国を背負って立つ男になるべく受けなくてはならない試練がある。彼はこの三年間、それらのほとんどから逃げ、側近であるダミアンに押し付けてばかりいた。積極的に動いたことと言えば、一目ぼれした女子生徒に絡むことくらいだ。
「うう……」
チャールズが、よろめきながら立ち上がった。その明るい赤毛は水をたっぷり吸っており、毛髪量の問題か、どことなく貧相に見せていた。水も滴るいい男とは言い難い。
「ティフ、ティフはどこに……」
「行っちゃったわよ。いいかげん、諦めたら」
話しかけるべきではないかなと思いつつ、リーガンが冷たい声をかけた。さっきからこの男の未練がましさ、やかましさにはうんざりしていたし、浮気の果てに恋人を捨てるという行為自体が、嫌悪感を催すには十分だった。隣のダミアンも軽蔑したように彼を見ている。アナベルだけは何の感情も映し出していない無機質な目を向けていたが。
「リリリリーガン様!?お、王太子妃のあなた様がなぜこんなところに!?」
つくづくリーガンを苛立たせることが上手い男である。まず、こんなとこにいるのはダミアンが騒ぐ彼女を止めるために押し込んだだけだ。そしてリーガンはあくまで婚約者であり、王太子妃ではない。それに、これが一番大事だが、婚約者の前に「元」がつく。
「どうでもいいでしょ。それより、あなたのせいで窓ガラスが割れたのよ。きちんと直しておいてね」
ゲームの設定では、この辺りからゾンビが発生するのだ。ここの部屋の窓が割れてしまっていたら、そこからゾンビが入り込んでしまう。
「ええ、ええ。それはもう」
公爵令嬢であるリーガンを前に、媚びへつらうように笑いながらチャールズは立ち上がった。そして、顔を上げるより先に悲鳴を上げた。
「うわああああああ!?」
彼に興味のなくなったリーガンたちは既に彼に顔を向けていなかったので一瞬気付くのが遅れたが、彼の尋常ではない悲鳴にすぐに振り返った。
びしょ濡れのチャールズを、一人の女が羽交い絞めにするように抱き付いている。襲い掛かっているというのに、その白濁した目はうつろだった。髪はごっそりと抜け落ち、病的に黒ずんだ爪が、チャールズの首に痛々しく食い込んでいる。割れた窓を通して、死んだ人間特有の嫌な匂いが漂ってきた。
彼女の顔色は青白いを通り越して、灰色に近かった。とても、生きて血の通った人間には見えなかった。
彼女の命が、とっくの昔に尽きているのは明らかだった。
「ゾンビ……!」
リーガンの声が部屋中に響いた。
それは、ゲームが始まってしまった瞬間だった。