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この面子で動くとは思わなかった。
襲い掛かってきたゾンビ一体を一刀両断した後に、フレッドは後ろを振り返った。今回の敵は一体だけだったので比較的楽だった。後ろでは、人形を抱きしめるアナベルと、注意深く辺りを見回しているエスターの姿があった。
リーガン救助に向かうメンバーに、フレッドとエスター、そしてアナベルが加わった。アッシュは自分が行くべきだとごねたが、ミシェルをそのまま放置するわけにもいかない。
「大丈夫ですかね、殿下」
「あんまり煩かったら、殴って気絶でもさせておけばいいのよ。あの煩い口を閉じてたら、敵にも気づかれないでしょ」
うんざりした面持ちでエスターが言った。彼女の腕には、青い宝石が埋め込まれた、華奢な造りの腕輪がある。彼女の魔法媒体は腕輪なのだ。
「それよりフレッド。噛まれたりしてないわよね?」
「大丈夫です。もし噛まれたら、さすがにあなたに言いますよ」
「っていうか、何であなた私に敬語なの?伯爵家の出でしょう?むしろ、敬語を使わないといけないのは私の方だわ」
そう言いつつ、一向にエスターの口調は変わらない。フレッドは、その事実になぜだか愉快な気持ちがした。フレッドがエスターに対して丁寧なのは、彼女が王太子の愛妾になる未来を想像していたからだ。ミシェルの彼女への盲目的な愛情や、彼女の立場を考えると、それは必然の未来に思えていた。
しかし、彼女にとっては、そんな立場など、この上なく窮屈な物だろうと今ならわかる。
「それにしても、ゾンビ、増えましたね」
フレッドは、自分が切り捨てた哀れな死者をじっと見た。薄地のブルーのドレスを着たその死者は、もともとは学園の生徒だったに違いない。顔を極力見ないようにしたため、それが知り合いなのか、そうでないのかはわからなかった。
「急ぎましょう。今のゾンビの動きは早かった。きっと、バブ化したあのゾンビに噛まれたから」
アナベルが短く言った。「あのゾンビは、チャッキーが始末すると言っていた」
「それが叶うことを願うべきだな」
フレッドはそう言って、自分の剣を見た。先ほどから数体斬ったため、その切れ味はもはやだいぶ鈍っていた。血と脂で汚れた刀身を拭きとるも、あまり効果はなさそうだ。
次に来るときは、こっちの出番だな。
彼は籠手を取り出した。仕掛けを外すと、籠手の先には仕込まれていた刃が出てくる。鉤爪はその切れ味は鋭いが、剣を扱っている時以上に敵と接近する必要がある。
アナベルが、持っていたランタンを掲げて見せた。陽はすっかりと落ち、学園内はすっかり暗くなっている。春の卒業式が終わったら、学園は長い休暇に入る。そのため、廊下のランプは油を補充していなかったのだ。
「何もかもがついてない。そもそも、どうしてこんな事態に?」
「そうよね。あの幼体もゾンビも、高位の死霊魔術師による禁呪で呼び出されたものよ」
「つまり、誰かが、明確な悪意でもって、この学園の人間たちに攻撃を仕掛けてるってこと……ですか」
そうなってくると、敵の目的は何か。一番に考えられるのは、この国の正統な(今のところは)王位継承者であるミシェルを亡き者にしたい誰かか。いや、仮にそうだとして、被害が大きすぎる。
ここマルコス学園は名門校であるがゆえに、将来を嘱望される若者が多い。このエスターもそうだし、宰相子息であるダミアン、武術に関して右に出る者はいないとまで謳われるアッシュ、騎士団長子息であるフレッドもまた、それらをすべて失うリスクを背負うわけがない。国内の人間ならば。
「相手は何かを要求している、とかは?相手は誰でもいい。この学園ならインパクトがあるから選んだだけで。これ以上こういった事態を引き起こされたくなければ、要求を呑め……といった」
アナベルの言葉に、フレッドはううむ、と顎に手をやった。それは、何か考え事をする時の、彼の癖だった。
「そっちの方が可能性は高そうだな。将来有望な若者が無残に犠牲になるなんて、心情的にもこれほど痛ましいことはない。けど、そういった話は聞いてないな。大体、そういう場合はまず要求を突き付け、それが通らなかったら、こういう武力行使に出るものじゃないか?」
王太子の護衛という立場にいて、頻繁に王宮にも出入りしてきた自分が、そういった話を聞いていないことなどありえない。
そこまで考えていたら、突然エスターがフレッドの服の裾を掴んだ。
「え?」
「前!」
言われるよりも早く、フレッドが身構えた。ゾンビは殺気がわかりにくい。なにしろ、彼らには食欲以外の意志などない上に、何よりも彼らは死んでいるのだから。その三体のゾンビは男性だった。そのうちの一体は、白い礼服を着ている。
「三体か」
フレッドは舌打ちした。鉤爪は強力だが、多人数に対峙した時、少々不利である。
「フレディ、右は私が」
「左は私」
エスターとアナベルが、それぞれ魔法媒体を突き出しながら意識を集中させた。
「エスター様気を付けて。彼らは、思っているより素早い。さっきはリーガン様の火球を避けた」
「では、もし避けられたら、その隙に首を斬り落とすことにしましょう」
フレッドが鉤爪を構えた。最初に魔法を放ったのはエスターだった。彼女の放った氷柱は、的確にゾンビの額を割った。続けてアナベルが尖った岩をゾンビに向けるが、すんでのところでかわされた。しかし彼女は焦らない。なぜなら、フレッドが既に、猫のような身のこなしで敵の前に躍り出たからだ。
彼はアナベルの魔法を避けたゾンビを、その首を一瞬で斬り飛ばし、そのまま流れるようなステップを踏んで、もう一体に向き合った。勢いのまま足払いをかけて相手を転ばし、その頭部を勢いよく踏み潰した。彼のブーツは、戦闘用に改良がされている。その先端には鉄が仕込まれているのだ。
頭を潰されたゾンビを見ることはなく、フレッドは二人に「行きましょう」と声をかけた。
しかし、彼の胸中は、嫌なものが渦巻いていた。強烈な吐き気が込み上げてきたが、彼は気合でそれを押留めた。
今のゾンビ、もともとはこの学園の生徒だったそのゾンビの、珍妙な礼服を彼は知っていた。黒が基本であるのに対し、彼はなぜか白い、少々趣味の悪い派手な礼服を着こんでいた。フレッドは、パーティーが始まった頃に確かにそれを見たのだ。
「おいおい、何で白なんだ?お前結婚でもするのかよ」
「だってさあ、礼服なんかないから、兄貴の結婚式のを借りるしかなかったんだよ」
「そうやって見たら、何だか道化師みたいだな」
「そこまで酷くはないだろ、なあ?……彼女、怒るかなあ」
それは、会場の端で繰り広げられていた、たわいもない会話だった。つまらなく、貧乏臭く、そして今となっては何よりも尊い、生きた若者たちの会話――。
フレッドは歯噛みした。嫌な予感はさらに不安を増幅させる。
(リーガン嬢は無事なのか?ダミアンは?もしあの二人がゾンビになっていたら?俺は二人を斬れるのか?アナベルだったら?エスターだったら?俺は、戦えるのか?)
ゾンビの、その真の恐ろしさをじわじわ感じながら、彼は何とか前に進んだ。