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とりあえずホールを再び目指すことで、リーガンとダミアンの意見は一致した。
あのバブ化したゾンビがどこに行ったかわからない以上、闇雲に追ってまみえることになるかはわからない。チャールズの安否も気になるが、彼だって別に助勢を求めているわけでもないだろう。
ホールにはほとんどの生徒がまだいるだろうし、教師たちも多い。彼らに現状を話し、適切な避難と本土への救助の要請を仰ぐのが、リーガンたちにできる最善だ。
そういった内容を、ダミアンはリーガンの方を一切見ようとせず話した。先ほどの軽々しい行為に、大いに動揺しているのは一目瞭然だ。
リーガンだって驚いたが、深く考えないようにした。今はここから安全に脱出すること、生存することが一番だし、無事に戻ってからゆっくり考えればいい。
今一番気がかりなのは。
「アナベルは、無事にホールまで行けたかしら?」
「おそらくは。あの地点からホールまでは一本道だし、それほど離れていない。それより、みんながアナベルの言うことをどこまで信じてくれるかですね」
「それに関しては、私も同じじゃないかしら」
「あのボンクラは、まあ信じないでしょうね。信じないまま誰よりも真っ先に外に出て、見せしめの様に喰われてしまえば周囲も信じざるを得ないでしょうが、そううまくはいかないでしょうかね」
「……あなたの、その殿下に対する辛辣さって何なの」
ミシェルに対しては、いろいろ思うことのあるリーガンであったが、そこまで願うほどでもない。
婚約者という肩書で縁があった男性。大勢の前で婚約破棄なんて不名誉なことを突きつけるという侮辱は腹立たしいが、それ以外は彼に対して何も思うことはない。
どうでもいい存在。死んでも生きても、別に何の感慨もわかないというのが、リーガンのミシェルへの感情だった。
むしろ、気がかりなのは、ミシェルの隣に無理やり立たされていた男爵令嬢の方だ。
「まあ、今はそんなことを話してる場合でもありませんね」
「そうね。早いとこホールに戻って、みんなの安全を確保しなくては」
「行きましょう、リーガン」
ダミアンがドアを開け、廊下に出た。陽が完全に落ちたために、廊下は暗く、寒々しかった。
リーガンが杖を握る手に力を込め、ダミアンの後ろに続いた。その時、彼女は耳にした。微かなうめき声と、小さな悲鳴を。リーガンが顔を上げるのと同時に、ダミアンが素早く抜刀し、抜け目なく辺りを見回した。音のした方向へわずかに重心を寄せ、いつでも渾身の力で剣を振るえるように目を光らせた。
リーガンもまた、目の前に火炎の魔法陣を浮かび上がらせた。ぼんやりとした赤い光により、視界が少しだけよくなった。
「敵です!」
ダミアンが鋭く叫んだ。こちらに、二体のゾンビが向かっていた。男と女のゾンビだった。彼らのどれもが綺麗に着飾っており、卒業パーティーに出ていた生徒たちなのだとわかった。
光沢のある黄色の生地に、赤い鮮血が大量にまき散らされており、リーガンは胸を痛めた。そして、妙なところで胸が痛んだものだと、心のどこかで呆れた。
「あっちからも!」
ダミアンが、彼にしては焦ったように叫んだ。反対方向から、もう一体ゾンビが走ってきた。
「走っているわ」
そのゾンビは、教員らしい黒のローブを着こんでいた。先ほどのバブ化したゾンビではなかった。それなのに、あのゾンビは走っている。
「まさかとは思いますが、バブ・ゾンビに噛まれた者は、バブ・ゾンビになる、なんてことはないでしょうね」
それは、絶望的な仮説だった。かつての書物にあったゾンビであるバブは、厳しい監視のもとに保護されていた。生肉を与えることはあっても、生きた人間を襲わせたりはしなかった。だから、バブ化したゾンビに噛まれた人間の記述はなかったのだ。
「来るわ!」
リーガンが叫び、ダミアンは彼女の手を引いて、もといた教室の中に入った。このままでは挟み撃ちを受けてしまう。そうして、彼は剣を収め、拳を突き出し、集中させた。緑の魔法陣が彼の前に浮かび上がった。
「リーガン、多対一では分が悪い。一気に仕留めますよ」
リーガンも、彼の言わんとしていることがわかった。掛け合わせを狙っているのだ。
この世界には、魔法を構成する、いわば元素の魔法版といったものに「魔素」と呼ばれる物質がある。魔法を使う時はその魔素を使って魔法を構築するのだが、その魔素をいくつか掛け合わせることで、全く別の魔法を構築することができる。というのが、ゲーム「ROLE」の中にあった説明だが、やはりそれは使えるようだ。
「リーガンの方が少し魔力が高いですからね。申し訳ありませんが、少し抑えてくださいよ」
「わかったわ」
二人の前に、それぞれ魔法陣が浮かぶ。その魔法陣が重なり合い、新たに大きな、全く別の魔法陣が浮かび上がった。
ゾンビたちがドアを激しく叩く音がした。しかし集中している二人は何の反応も示さなかった。魔法陣の大きさが安定していない。小さくなったり大きくなったりと、不安定に変化していた。二人が、魔力を互いに調整しているからだ。この掛け合わせの条件としては、魔素の配分がある。互いの魔力を上手いこと合わせないと、魔法陣が完成されないのだ。
魔法陣の大きさが安定し、その色が橙に変わった。
「できた!」
額に汗を浮かべながら、リーガンが叫んだ。それと同時に、ドアが破壊され、中から五体のゾンビが雪崩れ込んできた。先ほどより数が多い。
ゾンビたちは、中にいる生きた獲物を前に、獣じみたうめき声を上げた。威嚇なのか、それとも食欲を満たせる予感に歓喜したのかはわからない。
「今です!」
ダミアンの声に、二人が魔法を放った。その瞬間、凄まじい轟音と光と共に、侵入してきたゾンビの体がはじけ飛んだ。
風の魔素と火の魔素で構築された魔法は、大いなる爆発を生み出すのだ。
巻き起こる埃や燃えカスからリーガンを守りながら、ダミアンは「さあ」と声をかけた。
「思っていた以上に大きな音を立ててしまいました。新手が来る前に早く行きましょう」
それに頷きながら、リーガンは、とうとう自分は、かつて人だったものを、自分の手で殺したのだと実感していた。それは生き残るためのものに違いないが、もう後戻りはできない業を背負ったのだと、彼女は朧げに悟った。
「エスター、大丈夫かな」
寂寥感に包まれながら、彼女はふと呟いた。
次回からは、リーガンではない人物の視点になります