2-6話 二人(二十人)旅
リフレスト領主の館前は普段と違い珍しく人で溢れかえっていた。
領主であるプランは当然、武官文官が揃い立ち、それだけでなくファストラの村とセドリの村からも人が訪れ行列に参加していた。
別に配給のような並んで得をする行事があるわけではなく、ただの見送りである。
今日はアインとリオ、それと兵士十八人が国の命令により出兵する日だった。
「たーのんだぞー。がーんばれー」
プランは二本の手旗を持ちぶんぶんと振っていた。
ちなみにリフレスト領を示す旗やマークなどなく、今プランが振っているのはアインの顔とリオの顔がデフォルメされ書かれているものだった。
もちろんプランお手製、今日の為にわざわざ作ったものである。
それに合わせ領民達も声を揃え彼らを応援する。
『がんばれ!』
『無事を祈っています』
それらの声と共に拍手の喝采が鳴り響く。
領民達は兵役というものが何なのか、そもそもどうして出かけているのかすら良くわかっていない。
わかっているのは彼らが自分達の暮らす領を護る為に戦いに赴く事だけである。
しかし、領民にとって応援するには十分すぎる理由だった。
兵士十八人に武官筆頭のリオと武官アイン。
馬は武官二人にだけ用意され十八人の兵士は徒歩。
代わりに荷物用の軍事馬車が用意され、その中には大量の保存食が仕舞われていた。
この荷物用の馬車はブラウン子爵からプランへの誕生日プレゼントである。
これがなければ兵士達は大量の食糧を分担して持たないとならなかった為、ブラウン子爵の先見の明と心配りに全員深く感謝した。
「はい。出発前の点検も終わりました。……戦果を期待しています。ですが、何よりも全員無事に帰って来てください。命さえあれば私達文官が後は何とかしてみせますので」
ヨルンの言葉にアインとリオはこくんと頷いた。
「うん。待ってる人が帰ってこないってとっても悲しいの。戦果がなくても、失敗しても良いから全員生きて帰って来てね。もう、あんなのは嫌だよ……」
悲痛な表情でプランはそう呟いた。
先代が亡くなってまだ一年程度しか経っていないのだ。
父親が兵役から帰ってこなかった事は、プランにとって忘れられない辛い記憶のままである。
そんな落ち込んだプランをアインはぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫よ。約束するわ。だから笑顔で見送ってちょうだい。その方が私も、騎士リオもやる気になるから」
アインはそう言ってリオにウィンクを飛ばし、リオは頷いた。
「ええ。もちろんです。私は当然アインも優秀な武官です。ですので、命令を――。我々に何を望むか、何をして欲しいのか命令してください」
リオはプランの前で跪き、命令を聞く姿勢に入った。
「だったら、全員無事で帰ってきて。そして出来たら、リフレスト領の人達ってこんなに凄いんだぞって、他の領の人達に示してきて!」
プランの言葉にリオは頭を下げた。
「委細承知。皆さん聞きましたね! 領主様のご命令通り、我らの武勇を敵にも仲間にも見せつけましょう」
リオの言葉にこの場にいる兵士全員が手を上げ咆哮のような叫び声をあげた。
自信に満ちた声が周囲に響き渡る。
ただそれだけで、彼らが全員平穏無事に帰ってくるとプランは信じる事が出来た。
「それでは、行ってまいります」
馬に乗ったまリオがそうプランに伝え、そのまま彼らは移動を開始した。
姿が見えなくなるまで、見送りに来た人は誰一人その場を離れず手を振り続けた――。
リオとアインが馬に乗り、二頭の馬に繋がれ荷物用の馬車が引かれる。
そしてその馬車を護衛するような形で、兵士達も速度を合わせ移動していた。
徒歩より遅い馬車の進行に合わせたゆっくりな速度だが、大量の荷物を運んでいる事と集団の移動の事を考えたらこれ以上速度を出す事が出来ない。
この速度なら到着まで二月以上かかる。
だからこそ、今月中に慌てて移動を開始したのだ。
「それで騎士アイン。あなたは今回みたいな兵役の経験はありますか?」
移動時間の退屈を誤魔化す為にリオは隣の馬を走らせているアインにそう尋ねた。
「んー。今回って領地争いだよね。それならないわ。私が経験した兵役は内乱と町村の護衛が中心だったわ」
「なるほど。では少し説明させていただいてもよろしいでしょうか?」
「うん。お願い」
アインの返事にリオは頷き、今回の兵役について説明を開始した。
リフレスト領が所属するノスガルドでは現在二国と敵対関係にある。
そのうち片方は講和がなされて既に戦争は終了し、残されたのは講和条件の煮詰めや賠償等戦後のいざこざのみだ。
それは国同士のいがみ合いと言う名の文官同士の戦いの為、リフレスト領には何の関係もない。
今回の兵役はもう一国、現在ノスガルドが戦争中の唯一の国家、ディオスガルズとの戦争にかかわってくる。
二国は非常に広い範囲が隣接している為、防衛にしろ侵略にしろ全く手がたりておらず、貧乏弱小のリフレスト領ですらも兵役からは逃れる事が出来なかった。
ちなみに、プランの父、ダードリー・リフレストが亡くなった原因もディオスガルズとの小競り合いである。
「という事でディオスガルズとの……おそらく防衛戦でしょう。人数も少ないので補給を受け持つか、他所の領の手伝いが仕事になると思います」
「なるほどねー。ところでディオスガルズの兵って実際に見た事ないんだけど、まじで噂通りの見た目をしてるの?」
アインの言葉にリオは苦笑し頷いた。
「どの噂かわかりませんが、見た目という意味でならおそらく事実ですね。個人的に嫌いではないですが、悍ましく感じる方がいるのも確かです」
リオの言葉にアインはうんざりとした表情を浮かべた。
ディオスガルズ。
軍事主体の国家ではあるのだが、毛色が少々異なる。
軍事が中心というよりは、力が中心であるという考えだ。
力こそ正義であり、強者は常に正しい。
蛮族にそのまま知恵と武力を持たせたような国と考えてもらえたらとてもわかりやすいだろう。
つまり、ディオスガルズは吟遊詩人が詠うヒロイックサーガの魔王と魔族そのものである。
更に付け足すならば、彼らは自分達を『魔族』と呼称していた。
彼らディオスガルズの民は自分達の事を魔族だと信じている。
実際の【魔族】は集団生活を取らず時々気まぐれで人類を襲う意志を持った魔物の呼称である為、人間であるディオスガルズの民は魔族ではないはずである。
だが、ディオスガルズの王は自分を『魔王』と呼び、民を『魔族』、兵を『魔族兵』と呼称した。
魔王はこの世界には存在する――いや、存在したという言う方が正しいだろうか。
数千年前、【魔王】と呼ばれる魔族を統一させた王がおり、人類を苦しめたという記録は残っている。
だが、それはもう数千年以上昔の話だ。
本当か嘘かもわからないし、魔王の存在はその間一度たりとも確認されていない。
だが、ディオスガルズの王は自分こそが魔王の後継者であると宣言していた。
それは、人類でありながら人類に敵対するという意味そのものである。
実際には彼らはただの人であり、魔族や魔王とは全くかかわりがない。
そのはずなのだが、ディオスガルズの兵は全員、人ではありえない特別な力を持っていた。
彼らは変身できるのだ。
戦いが始まった瞬間、人の姿から突然異形の姿に変わる。
その見た目が恐ろしさとおぞましさを醸し出している為、彼らが魔族であると信じている者は少なくなかった。
「ですが、彼らは間違いなく人です。なぜ変身できるのかわかりませんが、それ以外は全て人と同じ肉体をしていますからね」
リオは知っていた。
彼らが変身した時、全身が甲殻のような鎧に覆われた化け物の姿になるが、それでも彼らは人であると。
「どうして人だって断言できるの?」
アインの質問は全くもって正しい。
人ならざる者に変わる存在を人だと断言するのは難しいはずである。
だがリオははっきり断言した。まるで知っているかのように。
「――私がした事ではありませんが、人である事を確認しただけです。彼らは人と同じ生態をして、人と同じ感性があります。こちらと比べて多少乱暴ですが……」
人であると確認した。
その方法はリオは、絶対に話さない。
その時の事は口にすらしたくなかったからだ。
「大体こんな感じですかね。硬く軽い鎧を身に着けている事以外はいたって普通の人ですのでそこまで困りませんよ。甲殻類と戦った事があるなら感覚が掴みやすいと――」
リオの言葉の中に聞き慣れない言葉を感じ、アインは話を遮った。
「いやちょっと待って。魔族とかそれよりも、甲殻類と戦うってどういう事?」
余りに自然と出て来た『甲殻類』という言葉に慌て、アインはそれを尋ねる。
「え? 戦った事ありませんか? 甲殻類。大体がカニのような姿をした……三メートルくらいの」
「三メートルのカニ!? え、なにそれ常識なの?」
「え、ええ。割と。海沿いの都市や大きな湖のある場所などにいると時々遭遇しますよ。関節部を上手に攻撃しないといけません」
「ああ。甲殻が硬いからね」
「いえ。上手に隙間を狙って処理しないと日持ちせず味が落ちるからです」
「あー。そうかー食べるのかー。……世界って広いわね。魔族より三メートルのカニの方が私は正直恐ろしいわ」
「リフレスト領の湖のように何が出るかわからない場所は他所で聞いた事もありませんが、戦闘能力の高い水中生物はざらにいますよ。空中を泳ぐトビウオとか人に突撃してくる巻貝とか」
「水の中って神秘に満ちているのねぇ」
アインは脳内に繰り返される疑問の処理が追い付かず、諦めてそういう物であると素直に受け止める事にした。
こうして仕事関連の話をしていると仲が良さそうに見えるが、実際この二人の仲はいまだ悪いままである。
共に苦難を乗り越えた為多少はマシになったが、それでも未だ水と油の関係に近い。
アインの方は何とも思ってないのだが、リオの方がアインの事を受け入れられずにいた。
アインがフィーネ枢機卿のお気に入りであると知っていた為、高潔な騎士を想像していたのだが、実際にアインが現れた時には男を複数人傍におき、全員と恋人のように仲睦まじくしていた。
それが彼の中では受け入れられないほど強い印象となっており、トラウマのように心に強く残っていた。
それは八つ当たりに近いだろう。
勝手に高貴なイメージをして、勝手にイメージが崩れたからと言って嫌うというのが悪い事だとリオもわかっている。
だが、それは別としてもリオの中には騎士という存在は特別なものである。
アインのようなふしだらな存在が騎士であると言うのは、イメージやトラウマとは別として、やはり気に食わない事だった
アインはリオが自分を嫌っている理由を知ってる。だからこそアインはリオにあまり強く出られていない。
誤解であると伝えたくても、言葉だけでは意味がないと、アインは今までの経験からそれを良く知っていた。
ありがとうございました。




