3話 唯一の村ファストラ
リフレスト領唯一の村。ファストラ。
自然豊かと言えば、聞こえは良いが、実際はただの小さな農村だ。
貨幣という概念が薄く、取引は物々交換がメインになっている。
それでも、その村は幸せそうだった。誰も飢えず、誰も争わず。
元領主、ダードリーはこの村を愛していた。
それを村人は知っている。だから村人も元領主を愛していた。
小さな何も無い農村。日々の生活が大変な農村でも、元領主の葬儀の日には、全員が喪に服した。
プランはこの村が大好きだった。
湖から降りてきている小さな川。それは村の側を通っていて、そこに水車が設置されている。
村の数少ない共有財産だ。
これに、子供用の簡単な遊具。
それと畑、牛小屋、兎小屋、共有墓地。これが村の施設の全てだ。
人口も五十人ほどしかいない。
ただ、若い世代が多いから、働き手の数はそれなりに多かった。
そんな村に、プランは領主になる前と同じ様に、遊びに来ていた。
仕事?何それ知らない。
一応これには理由がある。
ヨルンがストレス性の胃炎でダウンした。
フィーネが外交官として来た次の日だった。
理由はわからないが、未熟な自分が負荷をかけてしまったとプランは思った。
そうなると、プランのする仕事はほとんど無くなる。
半熟を通り越し、未熟どころか卵のままプラン。領主の仕事なんて何一つ出来ない。
書類に判子を押すのですら、ヨルンに確認を取らないとわからないくらいだ。
だから、誰かの仕事を手伝おうとプランは考えた。
だけど、メイドの人にも、武官のハルトも、領主には仕事をさせられないと断ってきた。
残った文官の二人の所に行ったら、血走った目で書類とにらめっこしていいて、その迫力に声をかけることが出来ず、立ち去った。
なので、プランは気分転換と、村の情報集めも兼ねて、久しぶりにファストラに遊びにきていた。
ほんっとうに何も無い田舎の農村。だけど、プランにとっては愛しい故郷だった。
広がる小麦畑。そこで靡く大きな小麦。
木の中身をくり貫いただけの遊具や、木の板に大きな丸い穴をあけて子供が通れる様にした遊具など、簡易的な遊戯で騒ぐ子供達。
ゆっくりしか回らないけど、確かに響く水車の回る音。
それらはプランにとっての原風景だった。
「んー。久しぶりだからかなー。まったりーした気分になるわー」
プランは背中を伸ばしながら、その村をゆっくり歩いた。
思った以上に体が固くなっている。長時間のデスク生活に領主としての責務の緊張。トドメに全く身に付かなかったマナー講座。
体がバキバキになるのも仕方が無い。
もし、父様と兄様が生きていたら全部任せるのに。
プランはそんな女々しい考えが抜けなかった。
「おやぁ。プランちゃんじゃないかい。あんた立場が変わってもまだ一人でこんな村に遊びに来るのかい」
そう言いながら、にこにことこちらに近づいて来るのは、恰幅の良い中年の……、少々大人になったお姉さんだ。
名前はラシー・ストリア。未婚である。
「ラシーさん。久しぶり!」
プランは一月も経っていないのに、そう言いながらラシーに抱きついた。
凄く抱き心地が良かった。クマのようだ。なんて言ったら叩かれるから言わない。
「はいはい。全く。大きな子供を持つのも大変だわ」
ラシーは口ではそういいつつ、プランの頭を撫でた。
その手は少々乱暴で、力強い。わしゃわしゃと、女性を撫でる手つきでは無い。
だけど、その手つきは父親の手つきにそっくりで、ふと父親がこの場にいるような気になり、自然と涙が出てきた。
「お疲れ様。ここにいる時くらいはゆっくりしな」
それだけ言って、ラシーは抱きしめたまま、また頭を撫でた。
プランはその言葉で我慢出来なくなり、決壊した様に涙が溢れた。
その涙が収まるまでは十分以上かかったが、ラシーはずっと撫で続けてくれていた。
「お恥ずかしいところをお見せしました」
冷静になった後、急に恥ずかしさが沸いてきた。
顔は真っ赤で目元は腫れ、その上髪はぐっちゃぐちゃ。
何とも悲惨な状態で、これが領主ですと言っても、誰も信じないだろう。
「良いんだよ。子供は泣いて笑って、遊ぶのが仕事さね」
豪快に笑いながら言うラシーに、プランはむっとしながら言葉を返す。
「ラシーさん。私もう十五で大人だよ!」
その言葉をラシーは鼻で笑った。
「はっ。私の半分も生きていないんだからあんたは子供だよ」
「むー!」
威嚇するようにラシーを見るプラン。
それに耐え切れずラシーは噴出して大笑いし、釣られてプランも笑った。
たとえ領主になっても、ラシーはプランに対する対応を一切変えなかった。
こんな日常が、プランの大好きな毎日だった。
「あのさ、悪いんだけど……ダーさんの所に行ってやってくれないか?」
ラシーは言いにくそうにプランに言った。
ダーさん。本名ダーギ・フォール。この村最年長の老人で、八十を過ぎたというのに、非常にパワフルで元気なお爺さんだ。
「良いよ。今家にいる?」
プランの質問に、ラシーは指を差して答えた。
その方角は、村で唯一の共同墓地のある方角だった。
作法も建て方も良くわからなかった為、とりあえず村の一番高い場所に作った共同墓地。
墓標は一つしか無く、皆が同じ所に入る。
ダーさん。この村最年長だった人。とても元気だったおじいさん。
プランは静かに首を縦に動かした。
小さな山の天辺に、綺麗な石を乗せただけの墓。
後日、元領主が正しい墓地の作り方を知っても、新しく墓を建てずこのままを維持することにした。
村人全員が、これで良い。これが良いと言った。
正しい作法で綺麗に送られるよりも、村人皆で同じ場所に入りたいと、そう願ったからだ。
墓地の隅には石碑が置かれていた。
ダーギ・フォール。
一番下に、確かにその名前が刻まれていた。
プランは、死に際に会うことが出来なかった。
「ごめんねダーさん。忙しい……はただの言い訳だね。ごめん。あんなに可愛がってもらったのに、最後に会いに行けなかったよ……」
手を合わせて拝むプラン。その背中はとても小さかった。
本当に元気な人だった。農作業でも若者には負けん言いながら頑張り、実際に若い人と同じ位働き、食事は人並以上に食べた。
プランが来たら孫を見る様な目で頭を優しく、割れ物を扱うかのように撫で、ネコ撫で声で甘やかしてくれた。
「私ね、領主になったよ。がんばってこの村も守るし、何だったらもっと大きくしてみんながもっと笑える様にするよ」
何故かわからないが、声が震える。うまく言葉が出ない。
ぽたっと、水の落ちる音が聞こえ、地面に小さな、丸い染みを作った。
「あれ?雨かな?はは……なんちゃって……」
本当はそれが何かわかっている。だけど、わかっていても止められない。
「ダーさん。私最近凄く泣き虫になっちゃった。はは。これで領主ってやっていけるかな?」
だが、その声に返す人はどこにいなくて、それがプランには無性に悲しかった。
雨は、足元が濡れきるまで数十分程止まらなかった。
気持ちを切り替え、村を歩いていると五人ほどの子供達が走って寄ってきた。
「プラン。おーいプランー!」
かなり年に差がある癖に、生意気に呼び捨てにする子供達。でもそれは気にしない様にしている。
プランは悲しいことに、自分のことを余裕のあるお姉さんだと思っているからだ。
「ははは。何かなクソガキ諸君」
いきなりボロが出るプラン。それに対してイラッとくる子供達はプランを睨みつける。それに対し、プランも負けじと睨みつけた。
だが、これでは話が始まらないと気付いた子供達は、さっさと本題に入った。
「なーなー。森林許可証くれよ。領主なんだから出せるだろ?」
「ばっかじゃないの?あんたらに出せるわけ無いじゃん」
プランは大人げ無く見下しながら声を荒げた。
森林許可証。文字通り森林に立ち入る権利が認められた許可証のことだ。
この場合はファストラから歩いて五分ほどの所にある森林のことを言っている。
森林は領主の持ち物な為、許可無く立ち入ることは禁止されている。中の野生生物は貴重な資源だからだ。
だが、この領地の場合は別の意味がある。農村で碌な武具も無い人達だと、野生の動物にすら命に関わるし、可能性は低いが魔物が出てくることもある。
この村の人に、誰にも傷ついて欲しくない為、先代が立ち入りを禁止していた。
だから多少大人気ない対応だが、プランの行動は間違いでは無い。
大人ですら危険な場所に、子供を入れるわけにはいかない。
他の領地の場合は、下賎な民が、とか、領主の物に手をだして、とかあるが、うちにはそんなことは全く無い。
むしろプランにとっては、安定して狩れる人がいるなら狩って欲しいくらいだった。
そうしたら税でおゆはんに肉が一品増えるし。
「ちぇー。最近肉食べられて無いんだよなぁ……」
しょんぼりした声で子供が呟く。
その悲しそうな子供の声は、プランの胸に棘の様に刺さる。
今までは、仕事に余裕のある武官の人達が、狩猟をしていた。
そして、狩った後の余った肉を、村の小麦やミルクなど生産物と交換する。
そうやって村に肉が供給されていたが、今武官は……。
「ごめんね。ちょっとお兄さん達忙しくて」
何とか作り笑いをするプラン。そんなプランに、子供達は罵声を浴びせた。
「うっわ。大人しく礼儀正しくするプランとかこっわ!鳥肌立ってきた」
それは子供達の慰めでもあった。だけど、そんなことはプランには伝わらない。
「あ?服脱がせてモロ出しにしてやろうかてめぇら」
プランのマジトーンに、子供達は怯え若干後ずさる。
「余裕できたら肉くれよー。頼むよー」
少し弱気になって頼む子供達に、プランはため息を吐き、微笑みながら頷いた。
「おっけー。何なら私が取ってきてあげようか?」
「いや、プランの場合失敗しそうだから良いよ。一応領主だし」
子供は正直だ。本当に嫌そうな顔をしながら、心配気味にそう呟いた。
「ははは。そろそろ殴っても許されると思うの」
青筋を立てながら、プランは怒りにぷるぷると震えていた。
そんなプランの頭を、後ろから誰かが乱暴に撫でた。
「よう。あんま子供相手に向きになるなよ領主様」
プランが後ろを振り向くと、そこにいたのはハルトだった。
武官ハルト。この領地で唯一残っている武官だった。
十七という若い年ながら、立派な力と技量。強さだけなら武官、騎士と呼ぶに十分な男だった。
妙に顔が怖いから騎士というイメージはあまり無く、ローグライク、またはゴロツキというイメージをプランは持っているが。
さっきまでの子供達は皆、ハルトの回りに群がった。
「ハルトさん!お仕事お疲れ様です!」
「ハルトさん!この後俺を鍛えて下さい!」
ハルトさんハルトさんと、延々と言われ続けるハルト。妙に子供達に人気だった。
自分との扱いの違いに、プランはこの世の理不尽を味わった。
とりあえず、ハルトの足を蹴って心の平穏を保つことにした。げしげし。
「いって!何で蹴るんだよ!」
ハルトの正当な抗議を、プランは無視した。
「まあいいや。そこまで痛くないし。それよりも、ちょっと森まで行って良いかい?」
領主の所有物である森林だが、この領地では武官の立ち入りは禁止されていない。
鍛えたり肉をちょっと取るくらいなら何も言わなくて良いし、大量に狩猟をした場合でも事後報告で良い。
流石に狩猟した物を全て自分の物にするのは許されないが、それ以外なら自由にしてよかった。
何より、うちの武官は野生動物や魔物に負けないという自信があるから武官は森林許可証が無くても通行出来る様になっている。
「別に良いけど、何するの?」
「こいつらに、肉を食わせる為さ」
ハルトの人気の理由が、プランは心で理解出来た。
「良いけど、条件があるわ」
プランの言葉に、ハルトは頷き、プランが何か言う前に先に答えを提示した。
「館の人員、村人、全員分の肉を狩ってくる。余った毛皮はメイドに回す。問題無いな?」
プランはサムズアップで答えた。
ハルトもサムズアップで返し、そのまま無言で、弓も剣も持たずに森林の方角に歩いていった。
「なあなあプラン。ハルトさんと結婚するの?」
「ぶはっ!どうしてそういう結論になったの!?」
一人の子供の質問に、プランは慌てながら尋ねた。
「だって仲良いじゃん。さっきもツーカーの仲だったし」
ツーカーの仲とか変な言葉知っているなこの子供。プランは誰に習ったのか少し気になった。
「んー正直に言うと考えたこと無いかな。ずっと友達だし」
プランの言葉に、子供達がうんうんと頷いた。
「やっぱりね。プランは子供っぽいし基本的に駄目駄目だからね。ハルトさんとはつりあわないよね」
しみじみと言う子供に、他四人の子供も頷き同意していた。
プランは何ともやるせない気持ちになった。
「うるせーやい!どうせ駄目駄目だよ!」
そのまま怒りに身を任せ子供達を追いかけ始めるプラン。
それを器用にバラバラに散開して、子供達は逃げ出した。
そのままいつもの様に、鬼ごっこが始まった。
それはいつもの日課の様なもので、いつも似たような理由でプランが鬼になり追いかけっこが始まる。
そして、毎回プランが全員を捕まえて鬼ごっこは終わる。
プランの運動神経は割と良かった。
そして、いつもの様に、捕まった五人は地面に座って負けを認めていた。
「ぐぬぬ!今日も負けた!次こそは逃げ切るからな!覚悟しろよ!」
そういう子供に、周囲が頷き、悔しさや次に生かすことを話していた。負けず嫌いだが、今の負けを受け入れるだけのかっこよさはあるらしい。
地味に逃げ方がうまくなっているし、走るのも速くなっている。子供の成長は早い。本当に近いうちに、追いつけなくなるだろう。
そんな子供達のまっすぐな言葉に、プランは笑い、子供達の頭を撫でた。
「そうね。今度も一緒に遊ぼうね?」
軽く微笑み、そのままプランはそこから嬉しそうに走り去った。
子供達が赤くなっている事に、プランは気付かなかった。
「んー。やっぱり来て良かったなぁ」
プランはそうしみじみ呟きながら、最後確認したことがある。
それはこの村が、この領地が大好きということだ。
辺境で、何も無いどの付く田舎。
だけど、そこには父様が守りたかった全てがあった。
だから守らないといけない。プランはそう、強く心に誓った。
帰り道の門の前に、青年の男性が二人立っていた。二人とも見覚えがある。この村の民だ。
「プランちゃん。いえ、領主様、お待ちしていました」
びしっと背筋を伸ばして、兵士の様に待機する二人にプランはげんなりした顔をした。
「いや。そういうのいいよ。ただのプランちゃんで。私は気にしないから今までみたいにしてよ」
この村でそういう対応をされると、少し嫌だった。でも、村人二人は首を横に振った。
「いえ。そうもいきません。俺達、いえ、私達二人は兵士に志願したいのです」
この領地の兵士は志願制だ。よほどのことが無い限りそれを変える気は無かった。
それでも一定数以上兵士になりたいと言う村人はいる。
それにはいくつか理由がある。
仕事が見つからない場合。
誰かを守りたい場合。
力に自信があり、武官に上がる夢を持った場合。
そして、村に居辛くなった場合だ。
村人二人は、目元が赤くなっていた。
プランは何となく察したが、確認しないといけないから尋ねる。
「もしかして、二人とも振られた?」
二人は小さく、こくんと頷いた。
同じ女性を三人の男性が好きになった。そして、女性は一人選んで、二人が余った。
若いというだけで、結婚相手は見つかる。このまま村にいても問題は無い。
だけど、当の本人としては村に居づらい。
それなら困っている領主を助けるついでに村を出よう。
二人はそう考えた。
「うん……。兵士が増えるのは嬉しいよ。じゃあ、村に戻らず館に住むということで良いんだね?」
二人はこくんと頷き、プランの後ろをついて歩いた。
この領地に、常備兵という存在は無い。武官は別として、兵士は二種類のうちのどちらかになる。
一つは村に住み、偶に最低限の訓練をして、召集されたら行くパターン。
もう一つは、領主の館に住み、畑など自分達の生活基盤を整えながら訓練と仕事に明け暮れるパターンだ。
常備兵に近いが、食料とかは自分達で準備をしないといけないからそれほど訓練も出来ない。
それでも、館に住み込んだ方が練度も高いし、いざという時の召集も楽だが、ぶっちゃけ生活は超しんどい。
それでも、二人は後者を選んだ。
プランも気持ちはわかるから何も言わなかった。
「領主様。もし、うまく生き残れたら、他所の領地の人でも良いので、良さそうな人と出会う機会を下さい……」
切ない声でそういう男に、プランはそっと頷いた。
「うん。出来るだけ私も頑張ってセッティングしてあげるから、今日はゆっくりお休み……」
二人はしょんぼりしながら、とぼとぼと歩いた。
村に遊びに行っただけで兵士が二人増えたと後で知った文官達は、プランの業務に村の巡回を加えた。
ありがとうございました。