2話 お友達と胃は大切に
丸一日のマナー講座。メイド達と文官筆頭によるヨルンの完全監修。
容赦なく荒れ狂うハリセンの痛みに耐え、プランは学び続けた。
翌日の会合は非常に重要なものになる。それがこの領地の明暗をわけると言っても良い。
だからこそ、その一日の為に全ての力を使い、マナーを学ぶプラン。
多人数では無く、たった一人を迎え、会合をし、見送る。ただそれだけだ。
覚える作法はそれほど多くない。だからこそ、一日で完璧に詰めきる。
そう、メイドもヨルンも、プランも命を燃やし、マナー習得を心がけた。
そして、一日が経ち、その偉い人、中央の代表が来る日になった。
真っ白になったメイド達とヨルン。よろよろのプラン。
「よくわかりました。何故元領主はあなたに領主の仕事を任せようとしなかったのか。私にはよーくわかりました」
ヨルンはしみじみと呟く。
そう。丸一日のマナー講座は、びっくりするほど意味が無かったのである。
「あ、あはは。ごめんね?」
プランの謝罪にヨルンは頭を抱えた。
手続きにより、昨日のうちにプランは領主の座に着いた。
だけど、もしかしたら今日で領主の座を降りることになるかもしれない。
ヨルンは、覚悟だけはしておいた。
「もしかしたらに賭けたいので、今日の予定を説明しましょう。真剣に聞いてください。良いですね!?」
淡々とした口調だが、妙に強い声で言葉を出すヨルンの迫力に負け、プランは頷いた。
「う、うん!がんばる!」
怯えながらも、それだけは何とか言った。
「今日いらっしゃる方は首都からの外交官です。今回の遠征による被害のお見舞いと、その補填、後は義務の免除などの相談の為にいらっしゃいます」
プランは未だに、父と兄に何があったのか聞いていなかった。誰にも教えてもらえなかった。
ただ、雰囲気で察することは出来る。あまり好意的な亡くなり方では無かったらしい。
自分が恨みを抱えない為に皆言わないのだろうな。プランはそう思っていた。
「ちなみに、今回の遠征で国に落ち度はありませんでした。なのでそこまで過度な補填と見舞いは期待できないです。それでも、義務の免除。これだけは何としても成立させて下さい。でないと確実に領地が滅びます」
義務の免除。貴族として幾つか義務があるが、その中でも、特に国に対して必要な義務が二つある。そのうち一つでも破ったら、領地は即没収される。
一つは税金の支払い。領地計算し、金銭や食料、または生産物を複合し税として払う。
もう一つは兵役と寄進。戦争から魔物や盗賊の対処。他にはドラゴンの対策など有事の際に兵と物資を送ることが義務付けられている。
寄進とあるが、当たり前だが強制である。
リフレスト領には、今そのどちらも行う事が不可能だ。
まず、兵役だが、そもそも武官一人に兵が十人以下。領地を守ることも出来ない数だ。
寄進は、送る物が無い。
そして税金だが、まず、遠征に相当の物資を消費した為たくわえが無い。当然金もだ。
今まではどうやって払っていたかというと、林業や湖の水産業による一次産業で賄っていた。
これがこの領地の大きな収入源だったのだが、今は不可能だ。
なぜ不可能かと言うと、一次産業を行っていたのは兵と武官だった。
武官が一人しかいない今の状況は治安維持で精一杯だった。
つまり、免除が無い限りこの領地は完全に詰む形になる。
「どの位の期間の免除が望ましい?」
プランの質問に、ヨルンは頭を抱え、計算する。
「うーん。そうですね。一年が望ましいですが、たぶん無理です。二季、最低半年ですね。兵役の方は……武官ってどうしたら生えるんでしょうかね」
――あはははは。詰んだかも……。
プランは少しだけ、泣きたくなった。
「もし、見舞金や補填の話になったら、武官を要求して下さい。爵位は無くても良いです。若くなくても良いです。今は数が必要ですから。次点で文官です」
プランは頷いた。
「もし、最初からこの領地を潰すつもりでしたら、どうしようも無いので爵位を返上して、一緒に暮らしましょう。私とプランさんとハルトさんで」
ちょっとだけぐらっとくることを言うのは止めてほしい。それは冗談だが、冗談にならないかもしれない。
「とりあえず、やれるだけやってみるよ」
プランは笑いながらヨルンに言う。
作り笑いじゃない。心からの笑顔だ。
確かに可能性は低いけど、それでもチャンスは残っている。
これがプランにとって、最初の領主の仕事だった。
最後にならないといいけど……。
「ところで、武官って他にどんな仕事をするの?色々するみたいだけど?」
プランの質問に、ヨルンが指を折りながら答えた。
「まず、領地内の防衛と視察。壊れた町や村の修復。常備軍の育成。あとは戦争の準備等ですね。ここまでが普通の領地で、うちの場合、これに建設と一次産業などと雑用が加わります」
「うっわ。きついね。本当に幾らいても足りないね。でも、それは本当に武官の仕事なの?」
武官と言えば要は騎士様だ。王女を助けたりと、物語に欠かせない騎士様なのに、どうも扱いがおかしい気がする。
「はははははは」
そんなプランの言葉にヨルンは変な笑いを上げだした。
「え?どうしたの?何か変なこと言った?」
「いえ。確かに武官の仕事じゃないのも混じってますね。ですがね。文官はもっと大変です」
ヨルンの目は死んでいた。
「なんか……ごめんなさい……」
一刻も早く、人員を増やさないと、本当に死人が出そうだ。過労死で。
小さな談話室で、二人はその時が来るのを待っていた。
かちっかちっかちっ。時計の針の音が耳に響く。
ドンドンドン。何かを叩く音が聞こえる。
煩いなと思い、注意しようと思った。
だけど、それが自分の心臓の音だった。緊張で唾が飲み込めない。
「外交官の方がお見えになりました!」
メイドの声が聞こえた。覚悟をする時間も足りなかった。
自分のデスクに座ったまま、斜め後ろにいるヨルンを見た。
ヨルンは黙ったまま頷いた
コン。コン。コン。
三回のノック。ヨルンは違和感を覚えたが、気を回す余裕が無かった。
「は、はひ!どうぞ!」
上ずりながら、プランは必死に声を出す。
ガチャ。
ドアの開く音と共に、長い金色の髪をした美少女が入って来た。
「お久しぶりです。リフレスト卿。私を覚えていますか?」
あどけない顔をした彼女を、プランは確かに覚えていた。
「フィーネ!フィーネじゃない!?どうして」
プランはデスクから立ち上がり、フィーネと呼んだ少女の所にかけよった。
「ふふ。友人が危機と聞いたので、外交官、代わっていただきました」
手を口にあて、小さく微笑むフィーネに、プランは感激のあまり抱きついた。
「ありがとう!本当にありがとう!もう!大好き!」
フィーネも嫌では無いようで、控えめに抱きしめ返した。
ヨルンは神に感謝した。
友人がわざわざ外交官を代わってくれる。
辺境の男爵令嬢の友人だ。それほど中央にコネがあるわけではない。
だからこそ、それは奇跡に等しかった。
「当主様。よろしければ、そちらの方のことをご紹介頂けますか?」
きゃっきゃと抱き合って嬉しそうにしているプランに、ヨルンは尋ねた。
「良いよ!。私の友人のフィーネ。フィーネ・クリアフィール・アクトライン侯爵だよ!」
ガギュッ!
ヨルンは自分の胃が捻じれ苦しむ音が聞こえ、一気に顔面蒼白になった。
侯爵の身分。その時点で辺境男爵にとっては手が出ない領域だが、今回の問題はそこではない。
ミドルネームの『クリアフィール』
これは、創造神クリアの配下の証だ。
この配下の証は、一柱の神につき、一家系の宗家でかつ、その神に認められた人しか名乗ることが出来ない高貴な名前だった。
そして、この国、ノスガルドで最も信者の多いのは、創造神クリアである。
最も信者が多く、国教に近い宗教で、最も高い一族の一員であり、貴族としても侯爵の位を持つ令嬢。
つまり、目の前のお方はあらゆる意味でやんごとない方ということだ。
もし、ここでこのお方に何かあったら、領地没収どころか極刑になる位には。
「ヨルン、大丈夫?顔が青いけど?」
のんきなプランを見ると、ヨルンの胃のダメージは更に加速する。
「いえ。何でもありません。ご友人とごゆるりとお楽しみ下さい」
何かを言いたいヨルンだったが、何を言っても手遅れで、何を言っても不興を買う可能性がある為、何も言えなかった。
「それでは、仕事をしましょうかプランさん。あんまりこういうの得意では無いですよね?なら早く本題に入った方が良いですね」
フィーネの言葉に大きく頷くプラン。しかも何故かフィーネの横に座っている。
そこは客用だ。主用のデスクに戻ってくれ。
言いたいが、ヨルンは言えなかった。
「兵役と寄進は一年免除。税金は三季免除でどうです?」
フィーネの提案はこちらにかなり有利な提案だった。
この時点で、ヨルンは理解してしまった。
相手はこちらに相当気を使ってくれている。本当に友人だと思っているのだ。
その上で、中央が納得出来るギリギリを見極めて用意してくれた。おそらく宗教家としての立場も利用したのだろう。
異常なほど、政治のバランス感覚がうまい。
だが、プランは全く理解出来てなかった。
「うーん。ヨルン。それで良いの?」
「はい。最上と言っても良いです」
その言葉にプランは笑顔になった。
「うん!それで良いよ。最上ってことは色々してくれんだね。ありがとっ」
「ふふっ。どうしたしまして」
ニコニコと隣で笑い合う二人は、本当の友人にしか見えない。
ただ、相手の立場を考えるとヨルンは笑うことが出来なかった。
「そういえば、フィーネは今何してるの?」
プランの雑談に、ニコニコとフィーネが答える。
「今は中央政治のお手伝いをしながら、クリア教の教えを広めていますね。この前枢機卿に認められまして」
「おー!おめでとー!」
パチパチと気軽な拍手をするプラン。一方ヨルンは自分の胃がごりっ。ごりっと削れる音が聞こえていた。
「あともう一つだけど、遠征の補償なのだけど」
フィーネの言葉を、ヨルンは遮った。
「少々お待ちを。無礼をしてすいませんが、一つ良いでしょうか?」
フィーネはヨルンの方に注目して「どうぞ」と笑顔で話す。
その笑顔はどこか冷たい。当たり前だ。中央政治に顔が効く人間が、あの魔境で生きている人間が腹芸できないわけがない。
目の前の令嬢は、ヨルンの何倍も政治に長けた化物だ。それでも、ヨルンは一つだけ言わないといけないことがあった。
「当主様は、先代のことを何も知りません。私事で申し訳ありませんが、受け止められる余裕が出来てから話そうと思いまして」
ヨルンの言葉に、フィーネは頷いた。
「わかりました。では私も何も言わないでおきます。いつか、話せる様になったらお願いしますね」
ヨルンは深く頭を下げた。
「じゃあ色々飛ばして、見舞金と補償あわせて、何が欲しい?石材から鉄などの物資から金銭。人員。どれが良い?」
「人員で」
プランは迷わず答えた。ヨルンはこっそり、心の中でガッツポーズを取った。
「んー。文官は余ってませんが、武官は多少余りがいますね。武官で良いですか?」
フィーネの質問に、プランがヨルンに確認する。
「良いんだよね?」
「もちろんです。ただ、あまり優秀な方だと給料の方が心もとなく……」
「うう……世知辛い……給料少なくて良い人下さい……」
泣きながらプランはフィーネに頼んだ。
「でしたら、給料安くて優秀な人を紹介しましょうか?」
「本当!?フィーネありがとー」
プランは何の疑いも無く受け入れ、フィーネに抱きついた。
ヨルンの胃が、また奇音を鳴らしていた。
「いいんですよ。代わりに日曜日は休みにしてあげてね?その人熱心なクリア教信者だから」
「もちろん!一緒にミサでも何でもしちゃう!」
安易な受け答えに、ヨルンの悩みは増える一方だった。
これは政治的な都合なのか宗教的都合なのか、それとも友情的都合なのか。全く判断がつかなかった。
「ということで、クリア教の騎士一人と、それなりの騎士一人そっちに送るわ。念のため二季分の給料は払っておくわね」
「本当、何から何までありがとう……なんだか申し訳ないね」
「ふふっ。良いのよ。プランさんの為ですもの」
イチャイチャした空気が流れる中、ヨルンは一人胃の心配をしていた。
やっと終わった。そう思っていたヨルンにもう一度の胃痛が襲った。
「そうそう。私のお願い聞いてくださいませんか?」
ガリッ。
胃の痛みと共に不快な音が聞こえた。
「良いよ!何でも言って!」
先代よ。どうしてプランさんを領主の教育から遠ざけていたか、はっきりわかりました。
ヨルンは頭の中で呟きながら、消えそうな意識に必死に立ち向かった。
「実はですね、教会をプランさんの村の中に建てたいのですが、良いですか?」
「うん!良いけどお金無いからすぐには出来ないよ?」
「費用はこっち持ちにしますからすぐに出来ませんか?」
「ならオッケー!それくらい問題無いよ」
「あら。助かりましたわ。枢機卿としてのノルマがありましたので」
二人で笑い合う中、ヨルンだけは現実から逃避していた。したかった。
教会が建つことに問題は無い。
村人も喜ぶし、宗教の対立もこの世界だとほとんど無い。
特に六神教という六柱の神であるなら問題無いし、創造神クリアも六柱の一柱だ。
そして六柱の教会は、物理的にも大きなメリットがある。
クリア教の教会なら、強力で複数効果のある聖水を精製出来る。
それは有事の際から日常まで、非常に便利な物だ。
なので教会が建つことは問題にはならない。
問題は、圧倒的に便利すぎる物を無償で作ってもらったということだ。しかも枢機卿の鶴の一声で。
この借りは恐ろしいほどに、大きい。
「じゃあ工事の書類持ってくるからちょっと待ってて!」
そう言ってプランは走って飛び出して行った。
大きな騒音と走る音。淑女と言う言葉からほど遠い行動をしながら、プランは去っていった。
そして、ヨルンとフィーネは二人だけになった。
「あらあら。私記入済みの書類持ってるのに」
そう優しく微笑むフィーネ。
あまりに手持ち無沙汰なので、ヨルンはフィーネに紅茶を入れた。
「どうぞ」
ヨルンは、そっと音を立てずにテーブルに置き、軽く頭を下げて音を立てずにフィーネは飲んだ。
「あら。安い茶葉なのに美味しいのね。良い腕だわ」
嫌味では無く、素直に感心した声を出したフィーネ。
「プラン様の好きな味ですので」
嘘である。紅茶の味などわからないプランには何を出してもうまいとしか言わない。しかし、今買える茶葉はこれが限界なのも事実だった。
「そう。ねぇあなた。一つお願いしても良いかしら?」
フィーネは真剣な様子だった。
「はい。私に出来ることなら」
「なら、あの子をお願いね。純粋で、才能に溢れて、世間の闇を知らないで、キラキラ光る宝石みたいなあの子を助けてあげて」
今までの、どことなく演技っぽい対応と違い、その言葉には深い気持ちがこもっていた。
その表情、仕草は、聖女と呼ぶに相応しいほどだ。これが彼女、フィーネの本当の顔なのだろう。
ヨルンの答えは決まっていた。
「我が身命に賭けて」
その答えに、フィーネは笑って頷いた。
その後、すぐにプランは戻ってきて、書類を持ったまま躓き、フィーネの胸にダイブした。
ヨルンは最後まで胃を酷使し続けた。
ありがとうございました。