15話 ミハイル
「ここで一つ、大きな問題があります」
プランの部屋で、ヨルンがそうプランに言った。
「何?予算とか?」
プランの的外れな質問に、ヨルンは盛大に溜息を吐いて答えた。
「それは先代の頃からずっと問題のままです。今回言いたいことはミハイル様のことです」
ミハイル・リフレスト。
先代の仕事の補佐を努めていた、誰もが領主になると思っていたプランの兄。
死んだと思われ、葬儀まで行われたミハイルだが、父のおかげで九死に一生を得ていた。
「兄さんの何が問題なの?」
「レイスに汚染された手を持った、葬儀の終わった人間が出てきた。問題が起こらないと思います?」
プランは首を横に振って答えた。
「そうよね。それで、どうするの?」
どうせヨルンのことだ。最初から全部決めて来ているのだろう。
「はい。リフレスト家のミハイルでは無く、偶然旅に来た庶民のミハイルということにしようかと」
残念だが、領主代行の兄は死んだということにした方が良いとプランでもわかることだった。
それでも、生きていてくれただけで十分に嬉しかった。
「当面はミハイル様は少しずつ、文官としての仕事をしながら体を慣らしてもらおうと思います。まだ全快には程遠いですから」
「大丈夫とは聞いたけど、兄さんの様子ってどうなの?」
餓死寸前でボロボロの様子からまだ二日しか経っていない。
今どうなっているのか……プランは心配になっていた。
「そうですね。日常生活を送るのには問題無いです。手足に若干の痺れが残っているそうですが、一月ほどでそれも無くなるそうです。ただし、体力だけは直には戻らないので、しばらくは貧血や立ちくらみに気をつけないといけません」
「なるほど。だったら後は安静にするだけで良いのね」
プランの言葉に、ヨルンは頷いた。
「何でしたら、今から会っていかれたらどうでしょうか?」
「え?いいの?」
その発想は無かったとばかりにプランは驚き、ヨルンを期待の眼差しで見つめた。
「はい。ただし、あまり長話しない様に。今のミハイル様には、それすらもしんどいので」
「はーい!」
と、返事だけは良いプランは、自分のベッドから跳び起きて走って部屋を出た。
「……やれやれ」
ヨルンは小さく呟き、そっとプランの部屋から退出した。
プランは走ってミハイルの部屋の前に来た。
空き部屋になっていたから名札は無い。
だけど、場所だけは忘れず覚えていた。
「兄さんヤッホー!元気?」
プランはノックもせずに乱暴に扉を開けて部屋に入った。
「ああ。久しぶりだねプラン。元気だよ」
ベッドの中にいたのは、紛れも無く兄だった。
死にかけていたガリガリの姿では無く、元のままの、元気な頃の兄だった。
強いて言えば、顔色が青白いが、その位は問題無い。
最初見た時と比べて雲泥の差だ。
プランは椅子をベッドの傍に動かし座った。
「プランが私を助けてくれたと聞きましたよ。ありがとう。命の恩人ですね」
微笑みながらのミハイルに、プランは首を横に振った。
「ううん。直接助けたのはハルトだし、命の恩人だったら父さんだよ」
プランがそう言うと、ミハイルは自分の白くなった手を見た。
「父は、レイスになってまで私を助けてくれたのですね……。今でも覚えています。毎日果物を持ってきてくれて、ずっと手を握って。今考えたら、冷たい手でしたね」
苦笑する様に呟くミハイル。その表情は、複雑な心境そのものだった。
「助かった事を後悔してるの?」
プランの質問に、ミハイルは首を横に振る。
「いいえ。父を助けられなかった事を後悔しています」
「そっか。でも、私は兄さんが帰ってきてくれただけでも、嬉しいよ。一人になったと思ったから……」
プランの言葉に、ミハイルはプランの方を見つめた。
「自分の事ばかり考えて、大切な妹の事まで考えが足りませんでした。不甲斐ない兄ですね?」
苦笑するミハイルに、プランは首を横に振った。
ミハイルは右手を動かそうとした後、ぴたっと止めて、左手でプランの頭を撫でた。
「ただいまかえりました」
ミハイルの呟きに、プランは零れそうなほどの満面の笑みを浮かべた。
「おかえり!でも、手がいつもと反対じゃない?」
白くなった右手を使わない様、気を使ったのだろう。
人に見えない白い、陶磁器の様な手。
だけど、プランにとっては何の関係も無かった。
むしろ、父の絆が込められているその手は、プランにはとても美しく見えた。
「敵いませんね」
ミハイルは苦笑しながら、右手でプランの頭を撫でた。
「んふふー。良し!」
偉そうに言うプランに、ミハイルはまた苦笑した。
その右手は陶磁器の様に冷たくなく、とても温かく柔らかかった。
「ところで兄さんにどうしても聞きたいことがあったんだけど」
プランの質問に、兄はきょとんとした顔を浮かべた。
「何でしょうか?」
「何で私が領主に選ばれていたの?」
それは、父と兄しか知らないこの館最大の謎だった。
館の中の全ての人が、ミハイルが領主になると信じていた。
だからこそ、二人纏めて葬儀になり、絶望に支配された。
だけど、蓋を開けたら領主に指定されていたのはプラン。
もちろん、こんなことが予想出来たわけでは無いだろう。
仕事が全て父より出来るミハイルに、判子押しすら苦戦するプラン。
どっちが領主になるべきか、赤子でもわかることだ。
「ああ。その事ですか。うーん。答えを安易に話してもなぁ……」
ミハイルは、腕を組みながら悩む格好を取った。だけど、口元はにやけている。
「えー。教えてよ!本当にわからないんだから!」
ミハイルに近づいて掴みながらプランは尋ねた。
本当に気になるからだ。
「じゃあ、二つだけ教えてあげましょう」
ミハイルはそう言いながら、指を二本立てた。
「一つ、最初からプランが領主の予定でした。そして、私はその補佐として、父の仕事を受け継ぎました」
プランは頭に大きなハテナマークが浮かんだ。
それなら、最初から兄が領主をした方が早い様な。プランはそう考えた。
「二つ。私よりプランの方が優れている部分があります。というより、私は領主失格ですので」
苦笑しながらそう言うミハイルに、プランは先ほどよりも更に、疑問が深まった。
ブラコンでは無いが、兄は文句無しに優秀だ。
領主としての才覚は父より優れ、政治の理解度も高い。
中央から文官としての推薦を受けたこともあるし、指揮官としての模擬戦も優秀だ。
そして、オマケの様にカッコイイ。茶色のさらさらヘアーをなびかせ歩いたら、女なら絶対に振り向く。
自分の直毛と何が違うのか。
それはプランの人生をかけて解明すべき命題の一つだった。
そう、ブラコンでは無いが、兄に欠点は無いとプランは確信していた。
「一つ目は百歩譲るとして、二つ目はさっぱりわからない。兄に欠点などあるだろうか、いやない反語」
そんなプランを見て、ミハイルは微笑んだ。
「そう見えるのは、プランが居てくれるからですよ。まあ、どうしてプランが領主に選ばれたか。それは宿題にしておきましょう。皆で協力して答えを探して下さい」
楽しそうに笑うミハイルに、プランは釣られて微笑んだ。
ただし、その宿題は一生解ける気がしなかったが。
ミハイルと笑いあっていると、プランは日常が、少しだけ帰ってきてくれた様な気がした。
「ところで、リカルドという人は恋人かな?婚約者だったら正式に挨拶して欲しいんだけど」
至極真面目にミハイルが尋ねてきた。
「いいえ。赤の他人です」
プランはばっさりと切り捨てた。
夕食の時間になり、食堂に皆が訪れた。
今ここにいるのは、プラン、ハルト、リオ、リカルドといういつものメンバーに加え、リハビリも兼ねて歩いて来たミハイルの五人。
ヨルンは、他の文官達と一緒に修羅場の最中だった。
今日の食事は、混ぜ物入りのライ麦パン。塩味の豆スープとチーズ。以上である。
小麦のパン?小麦は出荷用のみでございます。
なので、場合によっては農民よりもこの館の方が食べる物が貧しい。
「あー。ミハイル様、とお呼びしたら良いんでしょうか?」
リカルドは、恐る恐るそう尋ねた。
「好きに呼んでください。リフレスト家を名乗れませんし、私はどう呼ばれても気にしません。もちろん。敬語もいりません」
「あー。だったら兄さん。この平民と同レベルの食生活って領主が変わって財政が悪化してから?」
リカルドの質問に、ミハイルは首を横に振って答えた。
「いいえ。先代、父の頃からずっとこうですが。むしろもっと酷かった記憶もあります」
現に、プランも物心付いた時からこの食生活で、他所の領に行ったときは心底驚いた。
だけど、プランはこの食生活も嫌いでは無かった。
皆で食べられる食生活は、多少貧しくても美味しいからだ。
本音を言えば、皆で美味しい物が食べたいけど……。
「とりあえ……改善しません?下手したら、俺が逃亡中の方が飯がまともだった様な……」
リカルドの様子に、ミハイルは苦しそうに呟いた。
「先立つものが……」
この場にいる人は、それだけで全てを理解した。
「とりあえず、次村に戻った時には、何か飯になりそうなお土産もってくるわ」
その一言は、この場の誰にとっても嬉しい一言だった。
そしてこの時、リカルドは新しい目標を決めていた。
惚れた女に、美味い物を食わせたい。
至極当たり前の欲求だった。
その為にリカルドは、金が掛からず、食生活が改善できる食べ物を探し始めた。
ありがとうございました。
日曜更新無ければお許し下さい。




