5-20話 deus ex machina(終わりの終わり)
言葉を発さなくとも伝わる空気というものがある。
病人を見た時に心配するなんて、口に出さなくとも皆にそう思うし、場合によっては心配する空気というものは伝染する事すらもありえる。
もっと気軽な事態で、昼頃になると昼食の事を考え出す事などもそうだろう。
そんな独特の、勝手に形成された空気。
さきほどまでの全てが終わったような気らくな感覚もまた、その一つだった。
そして現在――その空気が『もうどうしようもない状況』だと暴力的なまでに伝えてきていた……。
坑道の中を必死に逃げているのだが、魔物との距離は徐々に縮まっている。
しかも、追ってきているのは背後からだけでない。
上以外の全方位から圧力のようなものを受けている皆が、それを実感していた。
今追ってきている魔物達と、さきほどまで戦っていた魔物達からは大きな違いがあった。
棘、女性型、獣、骨。
この四体からは何となくだが遊びのような、強いて言えば我と呼ばれるような物を感じ取る事が出来ていた。
だが、今追ってきている魔物達からは我というものを一切感じない。
魔物達から感じるのはただ一点、おそろしいほどに純度が高い殺意のみである。
ただ、そこにいるから殺す。
食う為など特定の目的があるわけではなく、ただ殺す為に殺す。
そこに一切の自我は存在していない。
戦いにおいては素人であるプランですら、それを感じるほどにはわかりやすい殺意だった。
「すまん! 抜かれる!」
後方に向けて矢を幾度と放っていたリカルドがそう叫び、それと同時に一メートルくらいの黒い何かが猛烈な速度で移動しすぐ傍まで迫って来る。
皆は足を止めて振り向き、その黒い塊に集中した。
それを例えるとすれば、大きな蝙蝠だろうか。
一メートルほどの蝙蝠が二体連なり、そのまま血のように紅い目を輝かせて牙を向きだしにしリカルドに襲い掛かる。
更に、足を止めてしまっていた一同はリカルドに襲い掛かる魔物の、更にその奥を見てしまった。
背後から同様の魔物が――数十体。
通路は黒に染まって先が見えず、無数の紅い瞳は彼らのすぐ傍まで来ていた。
「――わ、私が!」
これを対処出来るのは間違いなく自分だけだろう。
そう理解したプランは誰からの返事も聞かず即座に剣を抜き斬撃を放った。
蝙蝠のような外見をしている魔物だが、そのタフさは想像の遥か上で翼を落としたくらいでは死なず、それどころか片翼があれば飛び続けていた。
だからプランは両翼を落とし、その上で横に真っ二つにしていく。
一体に対して三回の斬撃、それをまずリカルドの傍にいる魔物二体に浴びせ……そのまま奥に見える全魔物に同様かそれ以上に無数の刃を散らせる。
ぎゅうぎゅうに密集しながら飛んでいる為適当に切っても当たるが、それでも念の為三回は剣を通すプラン。
合わせて二百を超える魔物をプランは全て斬り伏せた。
それも、まばたき一つする合間にである。
それと同時に、こんな恐ろしい状況なのにやはり手が震えて戦えなくなる自分にプランは呆れ苦笑いを浮かべた。
「ほんっと情けない……。ごめんリカルド。私抱えて走って。……今なら多少変なとこ触っても怒らないよ?」
震えながらそんな事を呟くプランにリカルドは優しく微笑み、そっと宝物を扱うように大切に抱きかかえた。
「そのセリフを何でもない時に言ってもらえるようがんばらせて頂きます。おいお前ら! はよ走れ!」
リカルドの叫びに合わせて前衛が駆けだそうとする中、ワイスは前衛二人の肩を叩いた。
「少し戻って曲がりましょう。プランちゃんが排除してくれたから少しだけショートカット出来るようになったわ。ついてきて!」
そう叫んで走り出すワイスの背をハルトとラステッド、プランを抱えたリカルドは追いかけた。
逃げて一体どうなるんだろうか。
しばらく経って震えが止まったプランはリカルドから離れ自分の足で走りながらそう思考した。
自分は多少腕は立つが、戦う事は素人である。
そんな自分でも、何度かの体験で魔物の気配を多少だが理解出来た。
そして魔物の気配について理解したからこそ、これはもうどうしようもないものなんだと……理解せざるを得なかった。
さっき自分は最低でも二百の魔物を切り裂いた。
だがそれでも、周囲に漂う魔物の気配は一ミリたりとも減っていないのだ。
数百単位で減らしても何の変化もない気配という事は、数百など誤差なほどいるかよほど強大な魔物が奥に控えているのか……または両方か……。
だとすれば……逃げて一体何になるだろう……。
むしろ、逃げてはいけないのではないんじゃないだろうか。
逃げた先にある愛すべき我が領を想い、プランはそう考えずにはいられなかった。
「プラン! ぼっとするな、来るぞ!」
ハルトの叱り声に反応に我に返り、プランは現実に意識を集中させる。
それと同時に、ぼこっと音を立て地面から魔物が湧き上がって来た。
全身刺々しい外骨格に覆われた、黒と緑のマーブル模様となった甲殻類。
強いて既存の生物と例えるなら『色合いが悪く人っぽいザリガニ』となるだろう。
そのザリガニは一体で坑道の道を完全に封鎖するほど大きかった。
そして悪い事に、上の階層にあがるにはこのザリガニが封鎖している道の先に進まねばならない。
そしてその間にも、その他魔物達の気配は徐々にこちらに近寄ってきている。
状況は考えうる限り最悪に等しいだろう。
だからこそ、プランは再度――剣を抜いた。
突出しているプランの戦闘力だが、同時に多くの欠点も存在している。
強引に勇気を絞って戦いに望んでいる為、気持ちが後が続かないのだ。
残心とかそんな大層な話ではなく、一度ごとに心が悲鳴を上げて恐怖状態に陥っている。
これは、臆病なだけでなく戦闘経験が少ない事も理由にあった。
そんな大きな欠点を抱えているのだが、それ以外にもプランは多くの欠点を抱えている。
例えば、プランの戦闘力は才能に依存しきっている事。
これは間違いなく、大きな欠点と言える。
プランはザリガニの魔物に無数の斬撃を重ねる。
そう、今までと全く同じ様に……。
もし、これがラステッドだったなら、三回以内にその違和感に気が付いただろう。
そして、これがハルトだったのなら……強くなる為にどんな苦労も厭わないハルトなら一撃目で確実に気づき二撃目の攻撃を止め様子を見ただろう。
だが、才能に依存しきり経験も知識も欠如して何でも切れる事が当然であると思っているプランでは、幾度と斬撃を重ねても気づく事はなかった。
その魔物に『ソードブレイカー』の概念が加えられているなど、わかるわけがなかった。
無数に重ねる剣戟に、幾度と剣を振るっても傷一つ付かない事にも気づかなかった。
気づいたのは……金属が砕ける音が響きまるでガラスのように刃部分が綺麗に砕け散った後、つまりは全てが手遅れになった後だった。
急激に軽くなる己の剣を感じた後、プランに襲い掛かってくる魔物を目の当たりにした。
才能に依存しきっていたが故の欠点。
一つは、実力に伴っていない為予想外の行動に対処する術を持っていない事。
そしてもう一つは……剣がなければプランの戦闘力は一般人そのものでしかない事だった。
「ひぃっ!」
己が魔物の前には矮小な存在である事を自覚したプランは覚えた声を出し、足を竦ませる。
戦う力があったからこそ立ち向かえていたのだが、それがなくなると恐怖により体が震えあがる。
だが、それこそが本当のプランの姿と言える。
誰かの為に勇気を振り絞れる、心優しき女の子。
領民の幸せの事を考えられる未熟な為政者。
そして、臆病で戦う事をいつも恐れている……そんな普通の少女だった。
「てめぇなんかにやらせるかよ! オラァ!」
そんなプランを守る為、ハルトは獣のような叫び声を上げ魔物を全力でぶん殴った。
拳で殴ったのは決してクレバーな選択をしたわけではなく、剣を抜くより先に殴った方が早かっただけである。
ハルトはさっきの剣のように拳が砕ける事を覚悟した上でぶん殴ったのだが……結果として見ればそれは最良の選択だった。
確かに甲殻は固くて手は多少痛いが、それはハルトには何の問題もない程度の事である。
「おい! 俺があの魔物を何とかするから、その隙にお前らは先に行け!」
そう言いながら、ハルトは魔物とタイマンを張り、ぶん殴って魔物を奥にやり道を開けていく。
そしてハルトの言葉通り、ハルトは魔物を奥に奥に殴り飛ばして上に行ける道を開かせた。
「プランちゃん。行こ?」
リカルドは柄だけとなった剣を持ちながら茫然とした様子のプランに優しく話しかけ、その手を掴んで一緒に走った。
皆が必死に逃げている間もプランは何もせず、ただ茫然とした様子のまま着いて走るだけだった。
だが、それを誰も責めはしない。
責める事など出来るわけがなかった。
「次は俺の番だな。と言っても死ぬ気はないから適当なとこで逃げるけどな」
ラステッドはそう言って集団から外れ、足止めに向かった。
「ワイス。プランちゃんの事を頼むよ」
それからしばらくすると、リカルドもまた同じように魔物の足止めの為にその場に残った。
そして残されたワイスは、プランを助ける為に手を引っ張り、息が切れても、苦しくても足を止めず、魔法を使って魔物から必死に逃げ続け……そして一層、抜け穴の手前にまで移動した。
皆が努力したからこそ、プランを救う細長い糸のような可能性を拾う事が出来ていた。
「プラン。後はここからまっすぐ行けば逃げられるから」
そう言ってプランを逃がそうとするワイスを見て、プランは微笑んだ。
まるで何でもないかのように平然と、優しく微笑むプラン。
それは諦めたわけでも、狂ったわけでもない。
ただ、己のやるべき事をやっと見つけられたから……笑う事が出来ていた。
ハルト、ラステッド、リカルドは自分を逃がす為に足止めに向かった。
それは間違いなく、命をかけた行動である。
そしてワイスもまた、同じ事をしようとしている。
それは何故か?
プラン・リフレストが生きるべきだと皆がそれぞれの理由で思ったからだ。
だが、当の本人であるプランはそうは思っていなかった。
領主であるプランはリフレストの事を最優先に考えている。
それだけは、誰にも負けないと自負している要素の一つである。
だからこそ、わかる事がある。
ハルト、リカルド、ラステッドのうち、誰一人いなくなってもリフレストに未来はなく、良くて吸収、最悪の場合は占領されるだろう。
もし、自分が生きて三人が死んで、その結果リフレストが守れるのなら犠牲を甘んじて受け入れるしかない。
それが領主としての責務だからだ。
だが、幸か不幸か現実はそんな事あり得ない。
この厄災関係なく、三人がいてようやく領が賄えている程度の状況だからだ。
これは私情を抜いた上での絶対的な結論である。
『リフレスト領は最低限の人数で運営している為、欠けて良い人材は一人しかいない』
皆がそれぞれ出来る事、やれることを把握しそれを最大限に生かせて少数精鋭の理想形が出来ているからこそ、リフレストは今日まで生き延びてこれた。
ラステッドに関しては、直接の関係ではないにしても現状確実に必要な人材である。
そう、必要ないのは自分だけなのだ。
領主という肩書以外にプランが必要と言う場面は存在しえない。
プランはそう思っていた。
だからこそ、プランは己がやるべき事を見出していた。
まだ、誰も死んでいない。
だからまだ間に合う。
……領の事を考えたなら、これがきっと正解だろう。
プランは微笑みながら、ワイスに尋ねた。
「ワイス。何を代償にすれば願いが叶えられるの?」
「――そんな方法……ないよ……」
ワイスは苦しそうにそう言葉にした。
それが嘘であると、プランは即座に見抜けた。
妖精は嘘を付き慣れていない。
付けないわけではないみたいだが、それでも丸わかりだった。
そうでなくとも、プランはワイスが嘘を付いたら理解出来る。
友達だからだ。
「ワイス。教えて。私はどうすれば良い?」
「……嫌」
「ワイス。時間がないの。ハルトが、リカルドが、ラストがいなくなる前に……」
「……嫌!」
ヒステリックに叫ぶワイス。
その瞳には涙が溜まっていた。
「早く逃げてよ。皆その為に頑張ってるのよ? プランがいれば何とかなるから。きっと大丈夫だから……」
その言葉を聞き、プランはぎゅっとワイスを抱きしめた。
「ううん。私何にも出来ない。皆がいないと何一つ出来ない駄目領主なんだよ」
「……何で……プランは領主何かになっちゃってるんだろう……」
それはワイスにとって、領主という立場よりもプランという存在の方が重いからこその一言だった。
「……もっと才能ある人が領主ならって思った事は何度もあるよ? でも、領主である事を嫌だと思った事はないかな」
そうプランが言葉にすると……ワイスは涙を流したままプランから離れた。
「妖精が願いを叶える時の代償は妖精によって変わるわ。そして自慢じゃないけど、私は高度な部類になるわ。長生きしてるからね。だから私の場合ほぼ何でも叶えられるけど……代償も大きいわ」
「うん。だから教えて。私が犠牲になるだけなら良いけど、そうじゃない場合が怖いから」
「……プラン・リフレストという存在がこの世から消えるわ。それは死ぬのではなく、本当の意味での消滅よ」
「そか。んじゃお願い」
プランはあっさりと答えた。
そして……プランならきっとそう答えるだろうとワイスはわかっていた。
「怨むわよ……。エーデルワイスが尋ねるわ。『貴方の願いは何?』
プランは少しだけ考え、そして答えた。
「どう答えたら良いかわからないからワイスに任せるわ。ワイスが私の望みそうな事をこう……良い感じでふわっと叶えちゃって」
「……馬鹿。……何でそんな簡単にそんなおかしな結論を出すのよ……」
プランはしっかりとワイスを見て、そして微笑んだ。
「そりゃ、ワイスが信用出来るからに決まってるじゃない。何時だって、私は誰かに頼って生きてきた。だからワイス。私の代わりに、私の宝物をお願いね?」
「馬鹿プラン……」
ワイスは悲しそうな顔のまま少しだけ微笑み――プランの願いを受け入れ叶えた。
突如として、プランの視界はモノクロームに包まれる。
これが終わりであるとプランは気づき、そっと目を閉じ己が領の未来を願った。
ありがとうございました。




