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獣たちの祭典  作者: 奈久代ウグイス
1/1

序幕

 休日の休息感がいまだに抜けきらない月曜日。

 僕は居酒屋のアルバイトに行くため、茜色に染まった通りを歩いていた。


「……寒いな」


 冬の残滓を運ぶ風が肌に刺す感覚に辟易する。

 そろそろ春の装いに相応しい暖かさが来てもおかしくないはずなのに、分厚いコートの下にも何着か着なければ、寒さをしのげない。

 まあ、ここ極北の地では春が訪れるのはまだ少し先になることになるが、もう少し気長に待つとしよう。

 僕はむき出しの首をコートの襟で完全に覆い、自分の足音だけが聞こえる町中をしばらく歩いて行くと喧騒が次第に聞こえてくる駅前が見えてきた。

 駅前にある居酒屋が多く並ぶ大きな通りをくぐりぬけていくと、働き先の居酒屋に辿り着いた。

 そこには一軒家ほどの小さな木造の建物がぽつりと建っている。しかし、そこで出される料理の出来栄えと値段の安さを売りにしているためかそこそこお客さんが入っている。

 正面から入らず、裏手に回っていくと金属製のドアから店内に入る。

 中には、左右対称的に分かれた廊下があり、左側に調理室、右側には準備室にそれぞれ繋がるドアがあった。

 右手の準備室に入ろうとドアノブに手を伸ばすと、反対側から扉が開かれ、同時に巨体が現れた。


「やあ、明良くん!今日も初っ端から繁盛だ!忙しくなるがよろしく頼むぜ!」


 豪快な挨拶をかけたのはこの居酒屋の店主だ。ほりの深い顔に顎髭をたくわえ、黒いTシャツの袖から小麦色に染まった筋肉質な腕をのぞかせている。

 大きな両手には大きく膨らんだゴミ袋が握られている。まだ店が開いて間もないはずなのに、相当繁盛しているようだ。

「はい、今夜もよろしくお願いします!」

 少々気合の入れた僕のあいさつにおう、と店主は返事をして店に入った僕と対称的に外へ出ていった。

 店主の大きな背中を見送ったあと、僕は準備室に入った。

 中には古びたベンチを挟むように両側には従業員の私物が収まっているロッカー群が連なっている。おまけに休憩室の役割も果たしているので、奥に小さなテレビが置かれている。

 そのぼろいベンチの上で小さく丸まっている背中が居た

 僕は彼の顔を覗いた。よく見知った顔だ。

 彼は瀬尾善積せおよしづみ

 この居酒屋で働いている僕の同僚であり、同級生。

 そして、数少ない僕の友人の一人である。

 モデルのような端正な顔立ちと健康的な白い肌をしている。

 成績優秀で、人当たりもいい優等生。年代関係なく彼に好感を持てる。

 顔良し頭良し中身良しの三拍子を兼ね揃えた、優秀な人間だ。

 僕のような平凡な人間とは対照的だ。

 僕がドアを閉じると同時に、背中が小さく震えた。

 瀬尾は身体を仰向けになり、瞳をゆっくりと開けた。


「ああ、ごめん。休憩中だった?」


 僕は謝罪を交えた会話を試みた。

 瀬尾は、まだ眠気が残っているのか目を擦りながら、ゆっくりと上体を起こした。

 ようと、僕の方に挨拶するように手を挙げる。


「乃木か。いやそろそろお前来る頃だと思っていたからさ。だって俺もお前と同じシフトだろ。だっ

たらそれまで眠らせてもらおうかって……」


 瀬尾は丸めた身体をほぐすように体を伸ばした。完全な覚醒にはまだ時間がかかりそうだ。

 僕が完璧な彼と友人でいられるのは、このどこか力を抜いている部分が少し身近に感じるところだと思える。


「それまで寝てたのか?店長に見つかったらえらいことになるよ。今夜はえらく繁盛してるみたいで、すごく機嫌がよさそうだし」

「そうなんだよ、普段もテンション高いってのに参るよなあ~」


 僕は彼の言葉に笑いながら自分の名札を張られたロッカーを開く。

 自分の手提げの荷物を置き、店の名前がプリントされた黒いTシャツと腰に巻くエプロンを取り出す。これが今夜の僕の従業員としての装いだ。


「そういえば、あの事って本当? 先生が見回るって話……」


 僕は店の従業員服に着替えながら友人に問いかける。


「ああ、でも高校生で夜に雇うなんてとこないだろ。だからなかなか見つかんないんだ。それにバイ

トがバレちまった奴がいてさ、そいつのせいらしいんだ。……ったく、余計な見回りしてくれやがってさ」


 瀬尾は後頭部を掻きながら吐き捨てるように言った。

 そう、僕たちが通っている高校は夜間のアルバイトはある程度の事情ならば許可してくれる。

 しかし、酒類などが扱われる店では働くことを強く禁じられている。

 そのせいもあって、学校には申請せずに居酒屋やバーなどでバイトをする学生が多いと聞いている。


「……じゃあ、そろそろまずいのかもしれないね」


 見つかってしまった人は気の毒なことだが、僕たちとしては他人事として受け入れられない。

 教師たち自らが見回りを行われているのだったら、いずれここを知られるのは時間の問題だろう。


「……近いうちにここに来るかもしれねえ。見つかったら即停学だからな」


 瀬尾は冷静に話している。しかしその声に苛立ちが混ざり込んでいるのが分かる。

 僕たちが1年以上もバイトが出来ているのは店主の懐が大きいことのおかげだ。見つかったせいで店の経営に悪影響を及ぼしてしまうのはとても不本意だ。

 それに瀬尾は父子家庭であるために、バイトをして家計の助けになろうと日々努力している。それを失うことは彼にとってとても致命的な損失である。

 僕も親戚から送られてくる生活費だけでも、ぎりぎりであるというのに。


「まあ、今日は頑張ろうよ。その時はその時、でしょ?」


 そうだ。今は目の前にあるものをするだけだ。

 僕は頭に手ぬぐいを巻き、今夜の労働を始めるため店内に繋がるドアに手をかけた。


 そうして僕たちのシフトが始まった。

 宴会風に盛り上がる会社の社員団体も、居酒屋は声が四方いたるところから発せられるスタジオのようだ。

 しかしそんな状況でありながら、次々と繰り出される注文の嵐に僕たち従業員は翻弄されつつも懸命に耳を傾け、対応していた。

 店主は今回はかき入れ時だから、十二分に働けばその分手当がつくと僕らにご褒美を吊るしたため、命を使い切るかの勢いで臨んでいる。

 しかし、夜が深くなればなるほどお客さんが休ませる暇を与えないまま、入店してくる。まだ夜は

終わっていない、ここからが本番だとこちらに伝わってくる。


「明良くん、ちょっと厨房の方へ行って、様子を見てきてくれ」

「あ、はい!」


 店主はお客さんに注文の品を運搬し終わった僕に耳打ちする。

 僕は了解の返事を返し、厨房へ向かった。

 入口にかかった暖簾をくぐると、調理担当の数人の従業員がいた。接客も合わせて人手不足なため、調理担当も接客も兼任している。

 僕はとにかく、近くにいた女性スタッフに声をかけた。


「水瀬さん?」

「乃木くん、どうしたの?」


 返事をした女性は、水瀬与那(みなせよな)だ。僕と瀬尾と同じ高校生であり、同時期からここでアルバイトをしている。

 肩まで切り揃えてあるはずの髪を、後ろに束ねている

 そのおかげで目鼻が整った顔が良く映えている。


「ああ、店長から様子を見て来いって言われてさ、大丈夫かい?」


 水瀬は僕の問いにゆったりと答える。


「うん大丈夫ー、調理の方はなんとか進んでいるからそろそろだせるよー」


 彼女はのんびりとした調子でしゃべるため、今自分が忙しい状況下にいることを忘れてしまいそうだった。

「了解、頑張ってね。ていうか、急ぎすぎて無理はしないでよ」

「そっちこそ。頑張ってね、乃木くん」


 水瀬は慌てる僕に微笑む。それはまるで綺麗な花が咲くようだった。

 僕は赤らめる頬を隠すように、顔をそらした。

 彼女の笑顔はあまりに反則的だ。人の感情を震わせる力がこもっている。

 もう一度見ようと彼女に向けようとしたが、


「いつまでそこにいるんだよ?もうお客さん、今か今かとお待ちかねだぜ」


 背後からの声で僕は我に返った。

 僕は後ろへ振り返るとせわしない表情をした瀬尾がいた。どうやら、確認に言った僕の帰りが遅いから様子を見に来たのだろう。

 僕は、さっきの自分の浅ましかった考えに軽く自己嫌悪をして


「ああ、ごめんごめん。今戻るよ」


 彼に返答した。瀬尾はまったくと言わんばかりに両腰に手を当てる。


「注文を回すのに人手が足らないんだぜ。急いで戻ってくれよ」


 僕は了解の肯きをし、厨房から出ていこうとした。

 それと、と言いながら瀬尾は水瀬に目線を向けた。

 ――柔らかい眼差しに見えた。


「ヨナ……あんまり、無理すんなよ?」


 瀬尾は優しい声色で彼女に言う。

 そして――。


「うん、ありがとヨシヅミくん」


 彼女があの輝くような笑みを浮かべたのを、出る直前だがわずかに見えた。 ああそうだ、見た通りだ。あの2人は、もうとっくに……。

 僕の胸に何かが鋭く刺すのを感じた。

 その正体はすぐにわかったが、言語として表すのは、ためらった。

 だが、今は何もかも後回しだ。今は仕事に取り組むとそう決めたばかりだ。

 僕はエプロンのポケットにいれた注文票を取り出し、呼びかけるお客さんの席へ向かう。

 ……自分の胸に溜まる小さな(もや)を抱えながら。

 

 アルバイトを無事に終えた僕は家路に着くため、いまだ活気が絶えない居酒屋の通りを歩く。

 僕は、バイトを止める旨を店主に伝えた。僕だけでなく、瀬尾も水瀬も同様だ。

 だが店主は、

 ―――わかった。でもな、ほとぼりが冷めたら、いつでも戻ってきていいからな。

 僕たちの予想と反し、微笑みながら言った。

 僕たちは店主の配慮に心から感謝する。どうにか早く復帰できる時が来ることを祈るばかりだ。

 店から出た後、瀬尾と水瀬から一緒に帰ろうと誘われた。

 僕は思わずこのあと少し用があるといって断ってしまった。今日の予定はこのまま家に帰り、明日の学校に備えて眠るだけのことだ。

 しかし、向こうが一緒に帰るのを許可してくれていたから、それに甘えてもよかったのではないか?

 いや、それでも向こうとしては二人っきりの方が――――。

 僕は何だかキリキリ痛む頭を手で押さえ、深いため息を吐いた。

 まったくあれこれ浮かんだ理由を胸の内で何度も言い聞かせまくっている自分が情けなく思えてしまう。正解のないモノを自分の中から探索したところで、まったくの堂々めぐりだ。

 鈴の様に澄んだ声、汗を滲ませても輝きを損なわない白い肌、綺麗さと可憐さが混在しているような顔立ちをしていることもあるが、僕は彼女のどんな時も笑みを絶やさないところが良いところだと感じている。

 一緒に働いた時から、僕は彼女に憧れてしまっていた。

 しかし想いを伝えようとは思わなかった。

 僕は瀬尾の様に容姿が優れているわけでもなく、賢くもない。

 いうなれば、どこにでもいる平凡な高校生だ。

 そんな自分が彼女に相応しいとは思えない。

 彼女に想いを伝えたところで、無駄に自滅するだけだ。

 ならば瀬尾だったら問題はない。

 どちらも絵になるほどの美形で、学校でも公認の理想のカップルだ。

 そうだ。それでいい。

 届かないモノだと割り切って、ただ納得すればいいだけだ。

――それだというのに、どうしてこんなに胸が苦しいのだろう。


 僕は頭を振り一旦思考を止めた。

 気分転換も兼ねて、僕は周囲を眺める。

 時刻はとっくに一日を過ぎたというのに、泥酔しきってるお客さんの数が絶えない。

 電柱に寄り掛かって眠る男。肩を組んで、陽気に歩く二人組。赤らめた中年男をエスコートする女性。

 ふと思い返せば、今夜の居酒屋もなかなかの盛況ぶりだった。去年の正月に比べれば、結構お客さんが入ってきてくれたと店主が喜んでいた。

 居酒屋と連鎖してある事を思い出した。

――居酒屋でお客さんが妙な話をしていたな……。

 あれは客足が落ち着き始めた閉店間際のことだ。

 僕がテーブルの上を拭いていた時、カウンター席にいたお客さんの会話が耳に入って来たのだ。

 盗み聞きをするのは趣味ではないが、その内容は妙に興味のあるものだった。

――おい、お前知っているか?

――何だよ?お前の営業成績が下がり気味だってことは知っているよ。

――違うってえの。そんな事なんかじゃねえよ。

――わかった分かった。で、何が出るってんだよ?

――ここいらで、最近出るらしいんだよ。満月の夜にな……。

――だから、出るって何がだよ?露出狂か?

――それはな……



――()()()()()()、ってやつだよ。



「――ばかばかしい」


 僕は頭を横に振る。

 何を思い出しているというんだ。あんなの根も葉もない噂、酔っ払いたちの戯言に違いないというんだ。

 僕は紛らわしさのために歩くのを止め、夜空を見上げた。

 空には大きな月が浮かんでいる。孤独に浮かぶあの星は、今もこの街の営みを眺めているように高く遠い位置にいる。

 何の気もなしに僕は月に手を伸ばす。

 はるか先にある届かない月。僕の手は虚しく空を漂う。


「……ばかばかしい」


 そう言って、僕は空を見上げることを止め、歩き出した。

 今日は足取りが重く感じる憂鬱な日だった。


 夜空に浮かぶ月は、人々の営みを静かに眺めている。

 月が視点を変えていく度に、街に灯る明かりはゆっくりと消えていく。

 人も街も夜明けを待って、静かに眠っていく。

――しかし、漆黒の夜に巨大な影が舞う。

 月明かりに照らされたその姿は、異形だった。

 背中に鳥のような巨大な翼を生やし、両腕・両足を持った人の姿をしている。 

 高層ビルの屋上に足を止め、街の姿を観察する。まだにわかに喧騒が残っている通りに人が歩いている。


「ヒヒヒヒ……、さあて、今日も女の柔肉をいただきますかねえ。いやいや、いささか豪勢すぎますか。しばらく女ばかりでしたし。……仕方ありませんねぇ、今日は我慢して男の肉をいただくとしましょうか!」


 さあてと、男は辺り一体を俯瞰(ふかん)し、念入りに観察する。

 そして、血の様に赤い眼は鋭く定めた。同時に裂けるような笑みを浮かべる。


「ああ、いいですねえ……。丁度いい獲物が彷徨ってくれましたねえ。しかも()()()とは……では、頂かせてもらいましょうか、私の今夜のディナーを!」


 男はひとり声高々に宣言し、翼を大きく広げ、飛び立った。

 

 そして遠くからその様子を眺めるもう一つの人影があった。


「……はあ、やっぱりあいつか。まったくこの殺し合いに乗っかって、色々と性質に正直になるのは分かるけど、少しは自重というモノをしらないのかしら?

 ま、あたしはどうでもいいけど。そんなものとは縁はないし」


 そう呟くと、人影は空を見上げた。

 夜に浮かぶ月が見えた。欠けることを知らないような美しい姿をしている。


「……せめてこの退屈がなくなるイレギュラーみたいな展開は訪れるのかしら?」

 月に問いかける様に、再び呟いた。

 ただ、その声には一縷(いちる)の期待を感じない空虚なものだった。 

 

 ―――今、開催される。

    眠りにつく人々、夢を見る街で起こる祭典。

    そこに異形な者たちが無邪気に、無慈悲に楽しむ。

    夜が明ける時まで―――。


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