閑話 辺境伯と公爵②
(そう来たか)
目の前に見慣れぬ顔立ちの小娘を差し出された時、ラルスは思わず愛想笑いでなく笑ってしまった。
今朝方、トラブル発生により少々遅れるとの伝言をよこされた時点で怪しかったが、結果として彼は異世界人の少女を駅で迎え、晩餐会に出席することとなった。
いつもは領主の側近として、ラルスの訪問の際に顔を合わせることの多い従士のジークが言うには、また魔王が森から出て来たために主人はそちらの対応をしており来れなかったとのことだ。
「我が主は人外にも懐かれているもので。決して貴方様を軽んじているわけでないことは、我々とともにかの魔人と対峙されたローレン公であればご理解いただけることかと思われます。かわりに主は、異界からの客人であり、大切な友人でもあられる彼女に代役をお頼みした次第です」
澄まし顔でらしい理由を言ってのけるあたり、優秀な従士である。
アニエスが異世界人を王都に送って行ったことまではラルスも把握していたが、エインタートに連れ帰っていたことまでは知らなかった。
(異世界人ではなんとも言えない)
スヴァニルにおいて異世界人は歓迎すべき対象だ。こうしてよこされれば王族相手のように丁重にエスコートしなければならない。
このアイディアを出したのはアニエスの配下の誰かであろう。彼女自身に姑息な手段を思いつく素養はないとラルスは見ている。
おそらく、あの小賢しそうな会計士あたりの入れ知恵かと、目星も付けられるくらいに彼は辺境伯の周辺を把握しているだけに、先手を打てなかったことが悔やまれた。
白と黒を基調としたドレスを着せられているユカリを連れている様は、恋人どうしというよりか親子に近い。
しかし珍しい異世界人は話題の中心となり、また晩餐会の間はラルスが横で慣れない彼女の世話をしてやらねばならないせいで、他の相手を紹介される暇はなく、一応、縁談よけの役割は果たしてもらう結果とはなった。
とはいえ、ラルスはあまりおもしろくない。
エインタートの館ではできないことをするために、詭弁を弄して彼女を引きずり出そうとしたのだ。多少強引でもそうしなければ、アナグマ領主は巣から出て来ない。
予期せぬ災厄ばかりが襲う地で、おちおち留守にもできない状況はあるにせよ、何よりも生来の引きこもりがちな性格がラルスの誘いを退ける最も大きな原因であるのだろう。
「あのー、これ残したらダメ系ですか?」
晩餐会の間、ナイフを持っているだけで何やら危なっかしく思える異世界人が、時々小声で聞いてくる。
会も半ばを過ぎると、飽きたラルスの態度は徐々にぞんざいなものになっていった。
「好きなものだけ食べればいいですよ」
「良かった。まずくはないですけど、なんか肉が変な匂いしますよね。香草なのかな?」
この異世界人について、ラルスは中身も子供という印象しか受けなかった。年は十六と聞いても特にどうしたいとも思わない。彼女の生まれた世界に大した興味も湧かない。
ゴシップ誌はまるで彼を好色家のように書き立てるが、当人は先代の国王よりかは遥かに分別があるつもりだった。もしやすると、それも見越して彼女がよこされたのかもしれない。
そんな辺境伯の配慮が功を奏し、ラルスは実に健全で味気ない夜を過ごすこととなってしまった。
◆◇
翌朝、ラルスはユカリを送り届ける名目でエインタートの領主館を訪れた。
門の前に着くと、ちょうど空を飛んで自立式のハンモックを二階から運び出す者たちを見かけ、アニエスともそこで顔を合わせた。
ハンモックには角と羽の生えた魔人が寝ている。どうやら断りの言い訳は嘘ではなかったらしい。ラルスは少々意外な思いだった。
アニエスのほうはラルスの来訪に気がつくと、すぐに地上へ降りて挨拶をした。
日差しも温かくなってきたというのに、辺境伯は相も変わらず黒ずくめの姿で、首に青白い毛の魔物を巻いている。
眠そうにあくびを噛み殺しているユカリのことは早々に下がらせ、気まずげにラルスを窺っていた。
「ユカリさんをお送りいただきありがとうございました。昨晩は、出席できず申し訳ございません」
ラルスはつい、口元が緩んでしまう。
(そうして悪びれるから、こちらも付け込みたくなるのだが)
この気弱な様子から、あの嵐の時に領民の前で気丈に振る舞っていた姿は想像がつかない。
「謝られずとも結構ですよ。魔王の相手は骨であったことでしょう」
「いえ、まあ・・・昨日の朝に突然やって来て、ケーキを食べてすぐに寝てしまったのですが、放っておくとまた部屋をあくびで壊されてしまうので、眠りが深くなったところで森に運び出すことにしまして・・・それまでに被害が出たらと思うと、館を離れられず」
「ええ。ご事情はよく存じておりますよ」
ラルスは言い訳を適当なところで遮り、しかし、といかにも悲しそうな顔をしてみせた。
「昨夜はユカリ殿のお話をとても興味深く聞かせていただきましたが、私としては貴女様と共に星空のもとで語らうことを楽しみにしておりましたので、やはり残念です」
若干匂わせる言葉を織り交ぜただけで、相手の目線が下方へ落ちる。
(本当に色恋の類が苦手なのだなあ)
上手にあしらうこともできずに、かと言って強く拒絶するには気が優し過ぎる。もう少し生きやすい性格をしていれば困り事も少しは減るだろうに、とラルスは己で仕掛けていながら心の片隅で同情もしていた。
ところが、その日は少しだけいつもの流れと違うことが起きた。
「・・・麦畑を、ご覧になりますか?」
脈絡なくアニエスが誘った。
その反応の意味がラルスはよくわからなかった。
「麦畑?」
「昨年の秋の遅くに小さな畑を作り、試しに種を播いたのです。嵐の後も生き残り、無事に穂が出て参りました。もしお時間があれば、ぜひ」
意図は不明だが断る理由はない。
影のような彼女の案内で馬車を走らせると、工事の騒音からはやや離れた整地された場所に、件の麦畑はあった。
青い穂がそよ風に揺れている。播いた時期が遅かったせいか彼の領地に広がるものに比べると、生育が遅れているように見えた。たとえすべて収穫できたとしても、いくらにもならない程度の本当に小さな畑だった。
その横には灰をまぶしたような奇妙な葉の植物がたくさん植えられており、そちらは五番目の姉にもらった異国の野菜だという。
「大した収穫量にはなりませんが、エインタートで育てられた農作物は領民たちの希望になるはずです」
そういうことかと、ラルスは少し合点がいった。
「着実に復興が進んでいることを実感できますね。私にもそれを示すためにここへ?」
「・・・はい。貴公のご支援のおかげでもあります。収穫した暁には、証としてお渡しできればと」
「光栄です」
口先で言いつつ、ラルスはまだアニエスの狙いを考える。夜の星空のかわりに、昼の麦畑を見せた意図は他にもあるはずだ。
待っていると、ややあって、アニエスは重い口を開く。
「すでにお察しのこととは思いますが・・・私は、その、いわゆる、男女の間で行われるやり取りをとても苦手としています。なので申し訳ないのですが、私に貴公の望まれているようなことは、できません」
非常に言いにくそうに、言い切った。
意外ではあったが、相手が本心を晒すのであれば、ラルスも回りくどいことをしなくて良い。特に落胆するでもなく、話を続けた。
「どうしてもこの身がお気に召しませんか? 我ながら悪い条件は一つもないと思うのですが」
自惚れでなく、客観的な視点からもラルス自身はその認識でいる。地位も見目も能力も、領地の立地からしても互いに最適な相手であると思える。それをアニエスもわかっていないとは言わせない。
「確かに過去には若気の至りなどもありましたが、貴女様に求婚してからはわきまえておりますよ。無論、結婚後も御身に忠誠を誓いますとも」
「いえ、それが問題というわけでは・・・」
目を逸らしながら否定する。ラルスも、あの稀代の好色家を父とする彼女が、そこを特別気にかけてはいないだろうとは思っていたが、念のためだ。
単なる方便でなく、ラルスはアニエスを純粋に愛せる自信がある。それだけの魅力は十分感じている。
特にこの一年で彼女はよく成長した。周りを窺い怯える小動物のような娘が、ここぞという時は統治者らしい顔をし、人目を惹くようになった。
年中暑苦しい黒い衣服を剥いで、別の色を着せてみたいとも思う。その眠たそうな目を思いきり開かせるにはどうすれば良いかと考えるのは、ラルスの中では愛である。
「では再度よくご検討いただけないでしょうか。いずれ、お互いに後継者は必要でしょう?」
とどめのつもりで最たる理由を突きつけた。その切実さは実際のところ、アニエス側のほうが大きいはずだ。
しかし、それを聞くと下方でさまよっていた灰色の瞳がふと止まり、一度ゆっくり瞬きをした。
「・・・私は、私の血を受け継ぐ者が、エインタートを治める必要はないと思っています」
ラルスは笑みを消し、静かに訊き返す。
「・・・養子を取られるということですか?」
「そういう選択肢も、あるかもしれません」
「どうでしょうか。エインタートの民はシェレンベルク家の血を崇拝しています。かつての母君がそうであったように、今のアニエス様にも信が集まれば集まるほど、民はその血以外の者を戴くことを拒絶するでしょう」
「そう、ですね。そうかもしれません。ですが、時代は変わってゆくので・・・奴隷が廃止され、女が職を持ち、あらゆる本や雑誌が生み出され、目まぐるしく日々が動いているのです。永遠のものは、ありません。きっと領主も、王も」
これは、とラルスは思った。
王族に生まれ領主となった者が、己の存在の根本を揺るがすことを許容しようとしている。それを口にする場と相手によっては、失言どころでは済まない。
だがここで発言したということは、ラルスは少なくとも、他で言えない本音を打ち明けられる相手と認められたということだ。
「――そう遠くない未来に国が変わると?」
「それはわかりませんが・・・結局は目の前のことに手いっぱいであることの言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが、後継者についてはもう少し経ってから考えたいと思っています。なので、今のところ、どなたとも結婚する気はありません。・・・しなくて済めば、理想的です」
「随分はっきりおっしゃる」
「すみません。どうしても、性格なのです。相手が貴公だからというわけではなく、本当に、こういうことが苦手なのです」
自身ではどうしようもなさそうに、心苦しそうに言い募る姿はいっそ気の毒ですらある。
おかげで、ラルスはすっかり余計な力が抜けた。
「あの、ですがそれとは関係なく、貴公のこれまでのご尽力には必ず報いたいと思います」
対して、アニエスのほうはより一層の力を込めて主張した。
「もしこれから先、御身やご領地に何事かが起きた時は、必ず駆けつけ、持ちうるすべてをもってお助けします。それだけは、誓います」
この時ばかりは目を合わせて言う。
すぐにまた伏せられたが、真実の言葉であることはよくわかる。
「大変心強いことです」
「・・・この領地のありさまでは信用がないかもしれませんが」
「そのようなことはございません。むしろこのご領地の様子が頼もしさの証明でしょう。何があろうとやり直せるということの」
麦畑は間もなく平原の向こうまで広がってゆき、その傍らに村々が立つ。一年前までは想像もできなかった光景が容易に浮かぶ。
魔王を手懐け、異界の巨大魚をいなし、烏合の衆をどうにかまとめ、無慈悲な嵐も乗り切り復興を続けている。
廃墟寸前の館の前で、まるで泣き出しそうだった王女に求婚した時、こうなることをラルスは予想できていなかった。
「――状況が変わるか、お気が変わられるか、どちらが先かはわかりませんが、その際はぜひお声がけください。私もいま少しは待てますので」
そう言えば、彼女は一瞬固まる。
「いえ・・・お待ちいただかなくとも結構です」
「まあそう気短におっしゃらず。これでもし貴女様が別の男のものとなった日には、私はその者に決闘を挑んでしまうやもしれません」
「は・・・」
「意外ですか? おそらく貴女様が想像されている以上に、利害とは別のところで私は御身をお慕いしているのですよ」
するとアニエスは眉間に深く皺を寄せ、痛みに耐えるように口元を引き結ぶ。
これまでよりもさらにあからさまに嫌そうな顔をされるようになったことが、かえって心許されたようで、ラルスはおおむね満足できた。




