49.異世界審問
異世界人と無事に意思疎通を図れたアニエスは、対応マニュアルに沿い、少女をまず風呂に入らせた。
稀に、異世界から病気を持ち込まれる場合がある。よって着ていた服もすべて洗濯し、少女が風呂に入っている間に荷物検査を行う。
少女の持ち物は、背負っていたリュック一つと、頑なに握り締めていた金属製の板が一枚である。リュックの中身は本やノートや筆記用具、また弁当と水筒が入っているだけで、危険物は特になかった。
「ずいぶん良い紙が使われていますね」
アニエスが興味を示すのは当然、本である。なめらかな紙質もそうだが、ほぼ乱丁のない印刷技術や、コンパクトに仕上げる製本技術も高度なものであることがわかる。
本来は食事を運ぶためのカートの上に荷物を並べ、ともに検査をしているレーヴェは小さく鼻を鳴らした。
「元の世界では良いところの子供なのでしょうかね。着ていた服も仕立てのしっかりしたものでしたから」
「そうですね・・・本にはところどころ書き込みがありますし、学生なのかもしれませんね」
他にもノートの後ろのほうに人物の落書きなどがされており、いかにも退屈な学生らしい。
(文化レベルの高そうな世界だな)
読めない本を最後までめくり、紙をなで、不可解な文字を一つ一つ指でなぞり、どんなことが書かれているのか想像を巡らせるだけでもアニエスは楽しかった。
いい加減、厄介事は勘弁願いたいところであるが、数十年ぶりにスヴァニルへやって来た異世界人に対面できたことは幸運に数えても良い。
やがて、異界の少女は世話を頼んだネリーと、念のための見張り役であるジークの二人に伴われ、ゲストルームにやって来た。
服は最も背格好の近いルーのメイド服をかわりに着てもらっている。エプロンを付けなければ、紺色の地味なワンピースでしかない。
全身に打ち身や擦り傷が多かったが、最も大きな怪我は捻った右足であり、足首を包帯で固定されネリーに肩を借りひょこひょこ歩いている。
少女を対面のソファに座らせ、アニエスは改めて向き直った。
「ご気分は悪くありませんか?」
少女は首を横に振る。多少びくびくしてはいるものの、意思疎通には引き続き問題なかった。
まだ互いに自己紹介も満足にできていない。おそらく状況がまったくわからないでいるだろう相手に何から説明すべきか、悩みながらアニエスはともかくも話し出す。
「この度は――大変なことでした。先に、怖い思いをさせてしまったことをお詫びさせてください」
魔人に拉致され、銃や剣を持った者に囲まれ、さぞ恐ろしかったことだろう。
少女を威嚇していたリウのことも今はリンケに預け、ネリーも下がらせ、あまりプレッシャーを与えぬよう立ち会う人間をレーヴェとジークだけの最小限に抑えた。
様々な気遣いが少しは功を奏したのか、それまで首を振ることしかしなかった少女は慌てたように口を開いた。
「わ、わたしも、さっきは大声出しちゃってごめんなさいっ。何言ってるかわかんなかったから・・・」
「言葉は、そのイヤリングを付けていていただければ今後も通じます」
「そ・・・なの? こ、このイヤリングもだけど、全体的になんなのここ? へ、変な化け物いるしっ」
喋り出すと、少女は溺れる者のように息が浅くなっていった。
「あの人、いや、人なのかわかんないですけど、なんなんですか? というか、ここ、どこ? わたし、落とし穴みたいなのに落ちたと思ったら、光がいっぱいばーってなって、森みたいなところで変な生き物にいっぱい囲まれるし、な、なにがなんなんだか」
「落ち着いてください」
混乱はいまだ続いているらしい。
冷静になってもらうためには、自己紹介より先に彼女の疑問をいくらか解消したほうが良さそうだった。
「ここは、あなたのいた世界とは別の世界です。私たちの国はスヴァニル王国と言います」
「異世界! やっぱそんな気ぃした!」
冷静にさせるためにアニエスは説明しているのだが、少女はより興奮し、ソファの上で跳ねたかと思うと、片手を前に突き出した。
「いやいやいや待った待った! その――なんで!? わたし異世界に来ちゃったの!?」
どうやら異世界の概念はあるらしい。一見取り乱しているようでいて、意外とすんなり状況を飲み込んでいる。
「・・・私も詳しいことは存じませんが、かつてあなたのように異世界から来た人々のことをまとめた本によると、彼らはいずれも『穴に落ちた』と証言しています」
「そう! それ!」
勢いよく少女は同意を示した。
「歩いてただけなの。そしたら急に地面がなくなって、真っ暗なところに、光がいっぱいあって、それで――いつの間にか、落ちてた」
「森に落ちたのですね」
以前、異界の大魚のヘウズギットが落ちてきたのは館の傍であったが、異界の門はいつも同じ場所で開くとは限らない。
「あれ? でも、それってつまり、偶然ってことなんですか? 召喚されたとかそういうことじゃなく?」
「・・・召喚?」
アニエスは小さく首を傾げた。
「いわゆる異世界召喚ってやつ。お前は伝説の勇者だとか聖女だとか言われて世界の命運を託す的な・・・うん、違うんですね。わかりました」
ぽかんとするアニエスやその他を見回し、少女は口を閉じて縮こまった。
(なんの話だろうか)
と思ったが、それを掘り下げるより、聞き出さねばならないことは他に山ほどある。
「――ここはスヴァニル王国の、エインタート領という場所です。私は領主のアニエス・スヴァニルと申します」
いったん仕切り直し、だいぶ遅ればせた自己紹介から始めた。
「あなたのお名前を教えてください」
「・・・オオノ、ユカリと言います」
さすがに耳慣れない音である。オオノで一度区切ったため、アニエスはそこが名前と苗字の境だろうと推測した。
「ユカリさんとお呼びしても?」
「えっ・・・はい」
確認すると、若干の戸惑いを見せつつ、異界の少女は了承した。
「ユカリさん、この国で異世界人は法律により保護されます。私には領主として、あなたの身の安全を保障する義務があります。突然違う世界に来られて混乱されていることと思いますが、どうか悲観せずに、私どもを信用していただければ幸いです」
マニュアルにはともかく異世界人に安心を与えることと書いてあったため、殊更に強調して言ったのだが、当人は「あ、はい」と反応が薄い。
「あの、それよりもわたし、元の世界に帰れるんでしょうか・・・?」
おそるおそる、といった尋ね方である。
最悪の結論を想像しているのだろうが、アニエスは明確な答えを持っていなかった。
「申し訳ありませんが、私にはわかりません。かつてスヴァニルに来た異世界人の中には、元の世界に帰れた人も帰れなかった人もいます」
「・・・」
黙り込んでしまった相手に、淡々と説明を続ける。
「この後、少し落ち着きましたら王都へお連れすることになると思います。異世界人を保護した際には、国王へ報告する決まりとなっているのです。王都ではおそらく、あなたがどんな世界から来たのかを調べられることになります。もし、あなたの世界からかつて誰かしら来ていた記録があれば、元の世界に帰る方法もわかるかもしれません」
逆に、帰れないことがわかる場合もある。だが、かすかに希望を取り戻した様子の少女には、あえて言わずにおいた。
いずれにせよ、詳細を聞き取りしなければ断定できる事柄はない。
詳しくは王都で調べられるとはいえ、長兄へ報告するためにここでも軽く聞き取りをしておく必要がある。また、新しい文化や技術をもたらしてくれる異世界人に対し、個人的にアニエスも興味があった。
「あなたのことと、あなたの世界のことを教えていただけますか?」
さっそくメモと鉛筆をローブのポケットから取り出す。
「・・・い、いいですけど、何を話せば」
「そう、ですね。まずは、あなた自身のことをもう少し教えてください」
アニエスは、当たり障りのなさそうなところから聞き取りを始めることとした。
「年はおいくつですか?」
「十六歳です」
「え」
思わず声を上げたのはアニエスと、レーヴェと、部屋の隅に控えるジークの全員である。
「な、なに?」
つられて驚くユカリへ「なんでもありません」とアニエスは咄嗟にごまかす。
「十二くらいかと思った」
背後のレーヴェが小声で呟いた。
アニエスも、彼女がルーやクルツより年上だとは思わなかった。扁平な顔立ちのせいか、ユカリはとても幼く見える。
「ユカリさんは元の世界で何をされていたのですか?」
「・・・コーコーセーやってましたけど」
一部、翻訳がなされず、彼女の世界の言葉がそのままの音で聞こえた。
「コーコー・・・? とは、なんですか?」
「何って言われても、コーコーはコーコーです」
「・・・」
アニエスは少し考え、そういえば精霊のイヤリングについて、詳しい機能を説明していなかったことを思い出した。
「そのイヤリングは、あなたの世界の言葉を我々の国の言葉に変換する機能がありますが、あなたの世界にしかない独自の言葉については、そのままの音で聞こえてしまいます。『コーコー』という言葉にあたるふさわしい言葉が、おそらく我々の国にはないのです。ユカリさんほうで、意味の近い別の言葉に言い換えることはできませんか?」
「コーコーセーを言い換える・・・? えー・・・が、学生、とか?」
「学生ですね。理解しました、ありがとうございます」
少女の素性は予想通りだった。
スヴァニルにも学校はあるが、読み書きや計算等の一般常識を習う公営学校と、アニエスも通っていた高度な知識人を育てるための学院、他には仕官学校がある程度で、小中高と等級を付けて呼び分けるほどの種類はないのだった。
「何を勉強されているのですか?」
次に尋ねたのは、これまで大人しくしていたレーヴェである。実を言えば、彼女は尋問が始まるのをずっと待ちわびていた。
「べ、勉強してることですか? えっと・・・」
「どういった人間を作るための学校で、あなたはどんな知識または技術をお持ちなのですか」
異世界人に対してもレーヴェは通常運行である。詰まった返答を待つ時間は無駄とばかりに、次々と突っ込んでゆく。
「ち、知識? 技術? どんなって・・・」
「例えば、あなたは何かを作ることができますか?」
「な、何かって?」
「我々の世界にないものであればなお良いですが、すでにあるものでも、より良いものにできる知識なり技術なりがあれば」
「そんなこと急に言われても! こ、工業系とかの学校じゃないし! 普通のとこだし!」
「普通とは? 読み書きを習う程度のところですか?」
「そっ、れだけじゃなくて、国語とか歴史とか、いろいろ習いますっ」
「それらはなんの役に立ちますか」
「ぅぐぁっ」
なぜかユカリは刺されたかのような呻き声を漏らし、うんともすんとも言わなくなってしまった。
レーヴェはどうやら異界の少女がエインタートにとって有益な人材となるかを知りたいらしく、普段通りの強い口調も相まって、あたかも圧迫面接のようになっている。
(具体的な役に立つかだけが学問の価値ではないと思うけれど)
学者の巣窟に長くいたアニエスはそう考えるが、実務主義のレーヴェにそんな理屈は通じない。通じるのであれば、好奇心のままに散財するリンケが害虫以下に見なされることはないのである。
とはいえ、もともとユカリは偶発的にこちらの世界に来てしまっただけで、特に役立つことがなかったとしても責められる謂れはない。
「レーヴェさん、その辺りでもう・・・」
意図せず始まってしまった面接を止めるべく、口を挟もうとしたアニエスだったが、勝手に追い詰められたユカリが突然、起死回生の策を思いついたかのように「スマホ!」と謎の単語を叫んだ。
「それ! その四角の! スマホはたぶんこの世界にないでしょ!?」
示したのは、彼女が館に来た時ずっと握り締めていた薄い金属板である。
レーヴェが手渡してやると、彼女は板の脇に指を添え、急に光り出した表面を見せてきた。
「どう!? スマホ!」
と言われても、アニエスらにはその用途がさっぱりわからない。とても薄いランプか何かかとしか思えない。
「・・・これは、どういうものなのですか?」
「ネットできる! あ、ネットって、えーっと、言い換え難しいけどー、そのー、遠いところにいる人とメッセージのやり取りしたり、色んな情報を共有できたり、する、もの!」
「・・・はあ」
「あと写真も撮れるし! 写真はわかる? 知ってる?」
「はい、わかります」
「写真撮って保存したり、投稿したりできるっ。マンガや小説だって読めるし、ゲームできるし、それからー、絵描けるしー、財布にもなるしー、大抵のことはできる!」
人差し指を表面に滑らせ、ユカリは様々に操作してみせた。
指の動きに反応して映し出される絵や文字が変化するだけで、アニエスらは大いに驚く。ただこの世界には彼女の言うネットというものがないらしく、使用不可の機能も多く、本人は真価を発揮できないことをひどく残念がっていた。
だが、それらを差し引いても実に多機能であり、理屈が想像できないほど高度な技術が使われていることが察せられる。
(何か、これに似た道具が出てくる物語があったような)
ふとアニエスは子供の頃に読んだ本のことを思い出した。自国のものではない、他国から取り寄せた異世界人を主役とした創作物だったように記憶している。
確かそれは実話をもとに構成されていたはずであり、もしかすると彼女と同じ世界から来た人間がいたのかもしれなかった。
「どう!? これはなんかの役に立つでしょ!?」
勝ち誇る少女をアニエスは素直に認めた。
「はい、とても便利な道具ですね。どのような仕組みで動いているのですか?」
「え?」
自然な会話の流れとして質問しただけだったのだが、疑問符を返されアニエスのほうこそ戸惑った。
「・・・これはどのような材料を、どのように組み合わせて作るものなのですか?」
訊き方が難しかったかと思い言い直してみたが、それでもユカリの目は点になったままだった。
「ドノヨウニツクル・・・?」
言葉は通じているはずなのに、意味がわからないという顔をしている。
「つまりあなたは単なる使用者であって、仕組みや製作工程まではご存知ないと」
少女の表情が意味することを正確に読み取り、レーヴェはとうとう舌打ちした。
「使えねえ」
「~~だ、だってまだコーコーセーなんです! 十六歳なんです! 急に異世界で発揮できる知識なんか持ってないですぅぅっ!!」
「我々の国では十六歳ならもう働く年ですが。職人の弟子などはもっと小さいうちから手仕事を身に付けているものです」
「職人じゃないもんんっ!!」
鼓膜に刺さる絶叫に、アニエスはこっそり嘆息した。
「・・・ユカリさん、あの、気にしないでください」
自らの膝に突っ伏して泣く彼女へ、せめて取りなす。
「我々はこれまで異世界人に学ぶことが多かったため、つい、期待が大きくなってしまうだけなのです。これは我々の勝手です。どうかあまり気になさらず、ご自分のことをいちばんにお考えください」
「はい・・・役立たずの異世界人ですいません」
「そんなことは・・・」
結局、しばらく少女は顔を上げてくれなかった。
レーヴェが容赦なさ過ぎるとはいえ、少女はどうにも感情の起伏が激しく、若干扱いにくい印象をアニエスは持った。怯えていたかと思えば急に威勢がよくなり、喜んだかと思えばすぐに落ち込む。あまり深く考えて言葉を発しているようには見えない。
この年頃の娘らしい性格とも言える。機嫌を取るのがやや面倒であるが、言動に裏はなさそうだ。
レーヴェが希望するほど有用な人物ではなかったものの、無害な異世界人であることが判明し、領主としてアニエスはひとまず安堵できた。




