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48.落とし穴

 その日も、いつも通りの朝だった。

 薄い水色の空の下、制服のブレザーを着て、彼女は学校へ行くところだった。

 車通りの少ない通学路。高校入学から半年が経ち、もうすっかり慣れた道だ。スマホの画面を見ながら歩いていたとしても、事故に遭う心配はろくにない。

 近頃はまったソーシャルゲーム関連のイラストなどをSNSで漁りつつ、学校までのニ十分程度の時間を潰すのが彼女のしがない日課である。

「ブ、フフ・・・」

 時折、ツボにはまる投稿を見つけては忍び笑いを漏らし、辺りに人がいないことを確認して、また画面に目を戻す。

 そんなことを繰り返していると、不意に地面が消えた。

「へ?」

 一歩踏み出した先に何もなく、視界が暗転する。

(穴っ!?)

 まさかコンクリートの地面にそんなものが掘られているわけがない。

 マンホールの蓋でも開いていたのか、あるいは、地下工事をしていて突如道路が崩落したテレビの衝撃映像などが頭をよぎったが、事態は常識で推し量れる範囲を遥かに超えていた。

 視界の後方から前方へ無数の細い光が走っていく。もはや落下しているのか上昇しているのかもわからないまま、体は無軌道に振り回され、もみくちゃになりながら右手のスマホだけを強く握り締めていた。

「あああああああっ!?」

 絶叫も吸い込まれるように消えていく。

 光が走ってゆくその先へ。

 すると途中で急に視界が白く染まり、体重が戻った。

「えっ?」

 それまで上も下もわからなかったのが、今度は明確に落下していることがわかる。

 直後に、飛んでいた鳥のような生き物にぶつかった。

「ぅぐっ!?」

 弾かれ、次には木々の茂みに突っ込んだ。

「ぶっ、うぶっ!」

 顔や体を茂った枝葉が容赦なく鞭打ち、最後は湿った枯葉の上に落ちる。

 多少のクッションにはなったものの、はじめに着地した右足はおかしな向きに曲がり、彼女は全身を強く打ちつけてしまった。

 木々の上では、猿のようなけたたましい声が響いている。

「うぅ・・・」

 血のにじむ手、捻った右足、泥まみれの制服。何が起きたのか、まったくわからない。

 わからないまま、顔を上げた彼女は木々の隙間の向こうに人影を見つけた。

(なに? だれ?)

 落ちた衝撃のためなのか、視界は霞がかっていた。ただ、小さかった人影のようなものが立ち上がり、近づいて来るのが見える。

 混乱状態だった彼女は、それをぼうっと待ってしまった。

「ひっ――」

 結果、全身を鱗に覆われ背に羽を生やした化物に、悲鳴を上げるはめとなった。

「ぃやあああああっ!」

 立ち上がろうとして転げ、地面を這うようにして咄嗟に逃げ出す。

(クリーチャー!? 本物!? 変質者!?)

 見たこともない生き物なのか、それとも特殊メイクをした人間なのかはわからなかったが、後者だったとしても怖い。

 捻った足のことも忘れ、蛇のようにのたうつ木の根の間を必死に駆けた。

 だがその目前に突如、猿が現れた。

「ギャア!」

「っ、ぎゃあ!」

 歯を剥き出す獣に驚き、思わず後ろに転げた。

 それは先ほど彼女が上空でぶつかった相手である。頭は猿だが、体は黒い鳥の形をしている。翼は鷲のように大きく、鳴きながら傍の大木の周りを旋回していた。

 誰かが悪趣味な人形を糸で吊るして操っているわけではない。

 紛れもなく、生きているものに思えた。

「なになになになに!?」

 膝が震えてうまく立ち上がれず、懸命に地面を掻いて後退する。

 そうしてぐずぐずしているうち、猿鳥の後方の木陰に、赤い光が現れた。はじめは二つ。それが四つ、六つと増えてゆき、気づけば左右の陰の中にもそれらの光が複数ある。

 ゆっくりと、近づいて来るそれらは兎のような耳を生やし、牛よりも大きな体をしていた。

 猿鳥の鳴き声につられて来たのか、感情のない瞳で彼女を見下ろし、長い耳をしきりに動かしている。

「っ・・・」

 もはや声も出なかった。

 殺される。

 無感情な赤い双眸が死を宣告している。そう思えた。

「――」

 不意に、背後から何か声が聞こえ、襟首を掴まれた。

「ぐぇっ」

 喉がシャツの襟に瞬時に圧迫される。

 宙吊りの状態で、見開いた視界には先ほどの、全身鱗の化け物がいた。

「――」

 人であれば白いはずの部分が黒く、黒いはずの部分が白い、不思議な目を持つ化け物は、笑っていた。

 そして何かを言っているようだったが、彼女にはわからない。ひたすらに恐ろしく、また息苦しく、涙がぼろぼろ零れていた。

「ぐぅぅっ」

 なんとか指を襟と喉の間に差し入れ隙間を作り、息を繋ぐ。

 しばらくして、化け物は笑みを消した。何やらつまらなそうな、あるいは面倒そうにも見える表情を浮かべたかと思うと、彼女を片手で半回転し小脇に抱え直した。

 今度は鳩尾を圧迫され、吐きそうになる。

 だが、見る見るうちに地面が遠ざかってゆくことに気づき、吐き気に構っている場合ではなくなった。

「っ、ひあっ!?」

 混乱が続いている彼女は再び叫び出す。

 だが化け物は意にも介さず、南へ飛んで行ったのだった。



 ◆◇



「拾ってやったぞ」

 ギギが執務室の専用扉を開いて現れたのは、冬の寒さが徐々に和らいできた春先のことである。

 領主館に避難していた人々の住まいを再建設し、ようやく嵐の前の頃の生活に戻り、アニエスが一人で執務に取り掛かっていた時だ。

 ギギがぞんざいに床へ投げ落としたのは、髪も服もぼろぼろの少女だった。

「え・・・?」

 ペンを握ったまま、アニエスはしばし固まった。

 ギギはなんの説明もせず領主の横を通り過ぎ、部屋の隅に未だ片付けられずにあるハンモックに寝そべる。

 放置された少女は、顔面蒼白で震えていた。

「えっ?」

 ギギのほうを振り返るも、彼女はもう目を閉じていた。

 また寝に来たのだろうが、それよりも先に見慣れぬ少女の詳細を教えてもらわねばならない。

「ま、魔王様っ、こ、この方はなんですか?」

 ハンモックを揺すり、アニエスもいささか混乱気味に問い詰めるが、ギギは目も開けない。

「知らん。落ちてきた」

「落ちてきた?」

「空から、急にな」

 空から急に落ちてくるもの、と言えばアニエスには心当たりがある。

「・・・異世界人、ということですか?」

「知るか。討伐隊でないのならば用はない」

 魔人と短い問答を交わしている間に、背後で悲鳴が上がった。

 振り返れば、いつの間にか起き出したリウが背中の針を逆立て少女を威嚇している。

 左右交互に忙しく跳ね回る魔物に、少女は可哀想なほど慄き、床を必死に這って壁際まで逃げる。

 針を逆立てている状態のリウを素手で掴むことはできないため、アニエスは紋章術で魔物を宙に浮かせてどかし、少女の前に膝を突いた。

「驚かせてすみません。大丈夫ですから、落ち着いてください」

 だが少女は宙に浮く魔物に目を丸くし、やはり怯えている。

 肩口で切りそろえられている黒髪に、絡む枯葉を取ってやりたかったが、へたに手を出せばさらに怯えさせてしまいそうだった。

(そうか、そもそも言葉が通じてないのか)

 思い出したアニエスは、引継ぎ時に受け取った道具を取りに立ち上がる。その動作にまた少女が震えたが、なだめるのは後にする。

 だがそこへ、ノックの音が響いた。

「失礼しますっ。先ほど悲鳴が――」

 入室の許可を得る前に扉が開く。

 少女の悲鳴を主のものと勘違いしたらしいレーヴェとトリーネが現れ、さらに、息つく間もなくセリムやファニらが駆け込んできた。

「魔王来たな!?」

「アニエス様ご無事で!?」

 物騒な武器を携える者たちは、見回り中に異形の姿を見かけたらしい。領民たちはもはやあまり反応しなくなっているが、セリムらは以前に挑んで負けた経験から、まだ警戒を解いていないのである。

 しかし、銃と白刃を目にした異界の少女が悲鳴を上げ、彼らはまずそちらに意識を奪われた。

「・・・誰?」

 主の部屋に魔王がいることより、見知らぬ人間がいることのほうがエインタートの者にとっては奇異に思える。

 武器を持ったまま何気なく彼らが近づいていくと、なお混乱した少女が泣きながら喚き散らす。

 言葉はわからなかったが、なんとなく何かを必死に謝っているような雰囲気をアニエスは感じた。

「皆さんその場から動かないください」

 急ぎ机の引き出しから小さな箱とマニュアルを取り、少女の傍へ再び膝を突く。

「どうか落ち着いてください。私は、あなたの助けになりたいと思っています」

 焦らず、ゆっくり、低い声で言い聞かせる。幼い頃、ぐずる妹はこうすれば徐々に落ち着いた。

 何を言っているのかはわからなくとも、同じ人間ならば通じるものはあるだろう。

 やがて、少女のしゃくり上げる声は小さくなっていった。

 アニエスは小箱を開いて、透明な石の付いたイヤリングを示し、それを耳に付ける動作をしてみせた。

 霊山ダラムタルの希少な鉱石から作られた《精霊の耳飾り》を付けてもらえば、異世界人と言葉が通じるようになる。

 何度かジェスチャーを繰り返すことで意図が伝わり、少女はおそるおそるイヤリングに手を伸ばし、両耳にそれらを付けた。

「私の言葉がわかりますか?」

 試しに訊いてみれば、少女は驚いた顔をする。

 そしてかすかに、頷きを返してくれたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公じゃなくて、途中で異世界人が落ちてくるとはーこれはこれでワクワク! ギギに拾われて良かったですねえ。
[気になる点] スマホ見ながら歩くク って 事故に遭う側じゃなくて 事故を起こす側なんだよなあ…
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