閑話 新年の過ごし方
スヴァニル王国の新年は、パンを焼くところから始まる。
窯から前年の灰を掻き出し、新しい薪をくべて、八種類の様々な形に整えた生地を焼く。
パンの形は、王国の信仰する特に偉大な八種の精霊を模している。とはいえ人間の目に精霊は映らないため、象徴的なマークとして表現されているに過ぎない。例えば大地にある精霊は四角、天にあるものは丸などで、これは地方によって差異がある。
新年の祝い事が嵐でふいになってしまったエインタートでも、この窯焼きの行事だけは皆の希望で実施された。
エインタートで新年を迎える全員分を作るために、助っ人の女たちの総出で早朝から準備が行われ、アニエスも仕事の合間に彼女らに教わりながら、馴れない手つきで風の精霊を表す渦巻型のパンを作った。
窯は館にある一つだけでは到底間に合わず、男たちが石を組んだ小さな即席窯を複数作り、手分けすることで昼には焼き上がった。
それを領民やギルドの作業員たちに配り、昼食を兼ねて食す。
特段、何か特別な材料を加えているわけではない。さして味のない堅いパンであるが、生まれ変わった太陽のもとで食べると新鮮味を覚える。
アニエスも食堂でパンを齧り、温めただけの湯を飲み、ほっと息ついた。
「クムクム入ってました?」
騒がしい声が館の内外で響く中、スープの配膳が終わったルーが隣に来てアニエスを覗き込む。
「いえ・・・クムクムを入れたのですか?」
「クムクムの入っているパンは《当たり》なんですよ。当てた人はその年ずっと良いことがあるんです」
「そうなんですか」
王都では聞かない風習だった。この地方独特のものなのだろうが、しかし普段から隙あらばクムクムの実をあらゆる料理に混ぜ込んでおいて、それが入っていれば当たりと言われても、アニエスはあまりピンと来ない。
「ぜひアニエス様に召し上がっていただきたいんですけど・・・」
ルーはバスケットに山盛りに詰まれた中から、幸運のパンを探して目を凝らすものの、クムクムは内部に包み込まれているため、いくら外側を見てもわからない。
しかし、えいと気合を入れて一つ取り、割ってみると赤紫色が現れた。
「わ、当たり! アニエス様どうぞ!」
見事に引き当てたルーは喜び勇んでパンを押し付けてくる。
それをやんわりと押し戻し、アニエスは彼女を隣の席に座らせた。
「私は良いので、ルーさんが食べてください」
「え? でも」
「大丈夫です。幸運なルーさんが館にいてくだされば、きっと私にも幸運が訪れるでしょうから」
アニエスはもう無邪気におまじないを信じられる年ではない。そういったものは信じる者にこそ効果があるものだ。
それならば少女にぜひ幸運を得てほしいと思う。何より、大きなパンを二つも食べられるほど腹に余裕はなかった。
「そう、ですか? では、今年もしっかりアニエス様のお傍に付いてがんばりますねっ」
「はい。よろしくお願いします」
思うように復興の進んでいない現状ではあるが、新年の歓びはアニエスの中にもある。
クリスタの使者が帰った後、他の姉や兄たち、また各地の貴族からも援助の申し出が続々届いた。さらには、宿敵であったはずのアトリック誌の宣伝のおかげで、外からの働き手がエインタートへ徐々に集まってきている。
ひと月後には、魔物の乳を使った化粧品が売り出される手筈も整った。
嵐で足踏みしてしまったものの、それがかえって、ここからの歩みを早めることになるのかもしれない。
家が吹き飛ばされても、パンがあり、希望がある。
ならばこの新年は明るいものである。
「王城じゃ新年にパーティーとかあるんすか?」
出し抜けに、クルツが横合いから話しかけてきた。彼は土の精霊を表す四角いパンを齧っている。
「ええ、はい、パーティーというか式典ですが。その中で、王都の人々には国王からパンが配られます。当たりは特にありませんが、誰でも無料でもらえるものです」
王都の人間は自分の家でパンを焼く習慣がない。窯のない家も多いため、普段も年明けの日も店で買うのが普通である。
「王様が配ってくれるんすか?」
「全部ではありませんが、一部はそうです。王妃や王子王女たちも一緒に配ります」
「ってことは、アニエス様も?」
「・・・一応、はい」
一種のパフォーマンスである。大聖堂でのセレモニーの後に、王家の者がパンをはじめに数個配り、その後は城の中でまた式典の続きが行われた。
「へえっ、なんかそれ聞くとアニエス様も王家の人だったんだなーって感じ」
「何を今さら」
クルツの背後からやって来たジークがその頭を叩く。今年も引き続き無礼な少年を躾けるのは彼とルーの二人の役目である。
「式典では他にどんなことをされるんです?」
興味の湧いたルーが掘り下げてくると、アニエスは若干気まずくなり、目をそらした。
「大聖堂で精霊に供物を捧げたり、色々、です。・・・その、すみません。私が式典に参加したのは幼い頃の数えるほどなので、あまり覚えてなくて」
「え?」
「出なくて良いもんなんですか?」
「父が寛容だったもので・・・」
基本的にどんな式典も強制参加ではなかった。役職のある兄たちはともかく、アニエスのような特別な役割のない者については己の都合を優先させても、父はとやかく言わなかった。
民衆やメディアも気にするのは長兄たちや王妃、強烈な姉たちのことであり、アナグマ王女は不在を気づかれることすらない。
人前に出ることが苦手なアニエスはそれを幸いとして、できる限り公の場から逃げていた。
「じゃあアニエス様は毎年どこで何してたんすか?」
また遠慮なくクルツが訊いてくる。
「・・・大抵は、部屋か書庫に籠っていました」
「一人で?」
「・・・はい」
「友達と過ごしたりとかでもなくて?」
「・・・はい」
するとクルツは不思議そうに首を傾げた。
「アニエス様って友達いないんすか?」
「・・・はい」
見栄を張る意味もない。アニエスは己の人望の薄さを素直に認めた。
「うわあ。でも予想通りっちゃ予想通り」
「こら」
ジークはすかさず少年をたしなめ、居心地の悪そうにしている主へ声をかける。
「高貴な身の上ですと、なかなか友人も気軽に作れないものですよね」
(そういうわけではないけど)
作ろうともせず、結果作れなかったに過ぎない。王女であることが最たる障害ではなかったことをアニエスは自覚している。
「かわりと言ってはなんですが、ここにはアニエス様を慕う者が大勢おります。もちろん王都にもいたことでしょう」
「そ、そうですよっ」
「出た出た、ジークさんの丸め込み」
懸命に主を励まそうとする従士とメイドがいる一方で、それをおちょくるクルツもいる。
「いい感じのこと言ってうやむやにするの得意だよねー。そうやって浮気とかもうまくごまかしそう」
「憶測で人聞きの悪いことを言うな」
当人は心外そうな顔をする。
仕事上ではありがたい彼のフォロー術だが、アニエスとしても今回ばかりはそっとしておいてほしかった。
しかし、
「ご安心くださいアニエス様」
両手にパンを持ち、頬袋を膨らませているレーヴェが、正面から自信に満ちた声を上げた。
「私も友はおりません」
「・・・そうですか」
「何も安心する要素はないと思いますが」
さらに、よせば良いのにリンケまでが口を出す。
「アニエス様はともかく、あなたのような狂暴な人間に友がないのは意外でもなんでもないですねえ」
どうやら日頃の仕返しにレーヴェを辱めたいようだったが、レーヴェのほうは冷静さを崩さない。
「そう言うあなたも友人がいそうに見えませんが」
「失礼な。友人くらいいましたとも。いつの間にかいなくなっただけで」
「結局いねえじゃねえか」
ひたすらに虚しいやり取りを見ていたクルツが、また首を傾げる。
「眼鏡かけてる人は友達いない?」
「眼鏡は関係ありません」
そのことだけ辛うじて弁明するが、いずれにせよ領地の運営に深く携わる者に友の一人もいないことは事実である。
アニエスは領民たちになんとなく申し訳ない気分になった。
「あの、アニエス様、落ち込まないでくださいね」
不毛な口論が正面で続けられているのを尻目に、ルーが再度励ましてきた。
「これから素敵なお友達ができるかもしれませんしっ」
「・・・そうですね」
もはや余計なことは言わず、頷いておいた。
(友はできなくてもいいけど、友にしたいような相手と出会えればいいな)
具体的には、優秀な人材との出会いである。
残りのパンを齧りつつ、今年が良い年になってくれることをアニエスは胸中で祈った。




