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47.突撃取材

 窓が白く凍り、雪のちらつく時期となった。

 今朝も館中で火を焚いてやっと少しばかりの暖を取ることができる。

 嵐が過ぎて一週間。いまだ瓦礫の片付けは終わらない。

 まずは領民たちの住居を修復することが最優先だが、如何せん怪我人が多く労働力が不足しており、また重機の修復も済んでいない。

 少しでも早く作業を進めるため、アニエスも自ら現場へ赴き、片付けを行った。紋章術を使えば小型重機のかわりくらいにはなれる。

 新たな人や資材の手配等の事務も当然あるため、レーヴェと協力し同時並行で各種仕事を進めていた。

「アニエス様、そろそろまたお休みください」

 首にマフラーがわりの魔物を巻き、現場で黙々と柱を持ち上げていれば、ジークが折に触れて声をかけてくる。

「・・・もう少し大丈夫ですが」

「余力のあるうちに手を止めるくらいがちょうど良いんですよ」

 共に現場で力仕事に勤しんでくれている従士はここ数日で、主の残り体力を正確に推し量る能力をいつの間にか身に付け、絶妙なタイミングで休息を提案してくる。

 そしてアニエスの反応にかかわらず、廃材で組まれた簡易ベンチにハンカチを敷き、甘い菓子や淹れ立ての茶をさっさと用意してしまうのだから、腰を下ろさざるを得ない。

 今日の茶請けは、ローレン領の避難所から応援に駆けつけてくれた、エインタートの女たち手製の干しクムクムのケーキである。もそもそとして喉に詰まりやすい生地は手早く食べるのには向かず、必ずひと切れを片付けるまでアニエスは立つことを許してもらえない。よって、時にはこっそりケーキの端を千切り、肩の上で半分寝惚けているリウに食べさせ消費に努めた。

 茶もケーキもあまり好きではない。しかし体のほうは、糖分とこまめな休息に喜んでいるようではあった。

「体調はいかがですか?」

 ジークは傍に跪き、休憩のたびに問診する。どうやら働き詰めの領主を案じるエッカルト医師から、よく言い含められているらしい。

 アニエスは茶で口の中の物を流し込んでから応じた。

「平気です。まだ」

「少しでもご気分が優れない時はおっしゃってくださいよ?」

「あまり、疲れを感じないのです。気を張っているせいかもしれませんが」

 正直に申告すると、ジークは苦笑した。

「それ、後から倍になってくるやつじゃありませんかね」

「そうかもしれません。今のうちに、動けるだけ動いておこうと思います」

「休憩は取ってくださいね」

「はい。気をつけます」

 アニエスだけでなく、現状では誰もが多少の無理をおして働いている。ゆえにジークもそれ以上、小うるさく言い募ることはなかった。

 もうすぐ年の暮れである。スヴァニルでは太陽の生まれ変わる日、すなわち日長が変化する時を一つの節目としている。アニエスも嵐の前には、皆を集めて何かしら新年の祝いでも催すかと頭の片隅で考えていたが、水泡に帰してしまった。

 祝い事の前に、まずは明日の安定した生活を取り戻さねばならない。

「アニエス様ーっ」

 休憩中に、伝令係のクルツが走ってきた。

 アニエスは現場の作業へ赴く時、必ずレーヴェに何かあれば知らせてくれるよう頼んでいたのである。

「どうしました?」

「アニエス様のおねーさまの使者が来ました」

 即座に浮かぶのは商品開発を依頼しているエリノアだが、姉は他にも八人いる。

「どの姉でしょう」

「えっと、クリスタ様とかって言ったかな?」

 アニエスはぎくりとしてしまった。

 一番上の姉とは先日の結婚式でじっくり話したおかげで、以前より親交を深めたところであるが、長年体に染み付いた苦手意識はなかなか消えない。

「・・・クリスタ姉様の使者がいらしたのですか」

「そーです。なんか援助の申し出みたいっすよ。よく知んないけど」

 エインタートを襲った悲劇をニーナに急ぎ記事にしてもらってから、まだ数日しか経っていない。そこから地方の領地にいる姉まで伝わるには、いくらなんでも早過ぎた。

(まさか雑誌を定期購読してるわけでは)

 女性の社会進出を促す雑誌など、彼女は唾棄しそうなものである。

(いや、普通に夫のグラウン公か兄様の誰かに聞いたのかな)

 情報の入手経路は不明にせよ、おそらくエインタートの情勢を普段より気にかけてくれているのだろう。でなければ、これほど素早い反応はできない。

「伝令ご苦労様です。すぐに戻ります」

 姉の使者が来たとあれば、休憩している場合ではない。

 飲みかけの茶を置き立ち上がったところで、しかし、今度は他方向から呼ぶ声が聞こえた。

「アニエス様ぁ! 新聞屋が来てますよー!」

「え」

 思わず固まった。

 作業をしていた領民に伴われ、コートを着込んだ男性が二人やって来る。うち一人には見覚えがあった。

 結婚式で嫌味な質問を浴びせてきた記者、エリノアやアニエスのような類の女性を目の敵にするアトリック誌の男だ。

(取材? よりによって今?)

 事前の連絡などもない。エインタートの不幸を聞き付け、急きょ取材を決めたのか。

 その時、はたとアニエスは己の格好を顧みた。

 足にぴたり沿うズボンを穿き、コートは砂埃にまみれ、作業の邪魔にならぬよう長い髪はやぼったくも紐で一つ結びにし、手や顔には泥を拭った跡がある。

 辺境伯の威勢の欠片もない姿だ。

 到底メディアに晒せる状態ではなかったが、もはや目前に迫っている者から姿を隠す術はなかった。

(来るなら来ると先に手紙をくれれば・・・いや、不意打ちでないと、この人たちにとっては意味がないのか)

 逃げるわけにもゆかず、観念して記者たちを出迎える。

 にこやかな顔を作ってやって来た彼らは、従士の影からおずおずと現れた辺境伯に目を瞬いた。

「・・・お久しぶりです、閣下。アトリック誌のウェルナーです。突然お訪ねしました非礼をどうぞお許しくださいますよう」

 おそらく相手は気の利いた挨拶を用意していたのであろうが、アニエスの姿を見て忘れたのか、ごく平凡な再会となった。

 呆気に取られている記者たちの目が、アニエスは非常に気まずい。

「・・・姉の結婚式でお会いした方ですね。ようこそ、エインタートへ」

「ありがとうございます。この度の不幸には心よりお見舞い申し上げます」

 二言三言を交わすうちに、ウェルナーのほうは結婚式の時のような調子を取り戻してきた。だがもう一人の、大きなカメラを首から下げている若い記者のほうは、まだ領主をしげしげと眺めている。

「その肩のものは・・・?」

「なんでもありません。気にしないでください」

 寝ているリウの頭だけ片手で隠す。魔物であるとはまさか言えない。

「閣下はこちらで何をされているんですか?」

 ウェルナーは後輩らしき記者を後ろ手に小突いて黙らせ、さっそく取材を始めた。

「瓦礫の、片付けをしていました」

「御自らでそのようなことを? それほどに人手が足りていないということでしょうか?」

「怪我人が多いもので。追加の作業員は現在手配していますが、待ってる間に何もしないわけにはいきません。――あの、申し訳ないのですが」

 アニエスは片手を挙げ、話を止めた。

「実は使者を館で待たせているのです。取材はその後でもよろしいでしょうか」

「使者? 失礼ですがどちらの」

「グラウン公に嫁いだ姉です」

 そう言えば彼らは目を瞠る。エリノアを憎む彼らは、模範的な妻であるクリスタを崇拝している節があった。

 記者と姉の使いのどちらを優先させるかと言えば、考えるまでもなく後者である。

「お待ちの間、領内のいかなる場所も自由に取材してくださって構いません。怪我だけはなさらないよう、お気をつけください。ジークさん、すみませんが後のことを頼みます」

「御意のままに」

 ジークはいつもよりも畏まって応じた。

 気の利く従士にまかせておけば問題はない。アニエスはやはり呆気に取られている記者たちへ軽く一礼し、急ぎ館へ戻った。



 ◆◇



 クリスタの使者が持って来た手紙には、援助の申し出というより、何日に何をどの程度送るという輸送計画が書かれており、受け取る以外の選択肢がはじめからなかった。

 長年さすがに夫の領地経営を代行しているだけあり、クリスタの用意してくれた物資はいずれも現在まさに必要としているものばかりであり、また一度に大量に送るのでなく、保管場所の容量との兼ね合いを見た上で数回に分けて輸送し、物資を配布するための人数もよこしてくれるという、なるべく現地の負担を減らすような工夫がされた計画となっていた。

 これをわずか数日で手配したのだから、長姉の手腕も財力も並ならぬものである。決して領地を子供らと散歩しているだけの妻ではない。あるいはクリスタもほんの少し思想が違えば、エリノアのような女傑として名を馳せたのかもしれなかった。

 さらに、クリスタはお抱えの工人たちも送ってくれるという。

 手紙に書かれていた《ビーレル一家》とは、確か父の遺言により姉に贈られた人々であったことをアニエスは覚えていた。

『人語を解す物珍しき猿かと思えど腕は良い』

 皮肉めいて書かれていたが、要するに父と姉の認めた職人たちを貸してくれるというわけである。クリスタからすれば、アニエスのもとにいるギルドの人間たちもおそらく猿の類となろう。

 大いなる援助に対し何度も礼を述べて使者を見送った後、アニエスはクルツを呼び、記者たちへ取材に対応できる旨を伝えに行ってもらった。

 服を着替えたり、礼状をしたためたり、クリスタに色々と言付かってきた使者と話しこんでしまったおかげで、だいぶ時が経っている。

 今頃、彼らは領民などに取材をして回っている最中であろうから、アニエスのもとへ来るのは区切りがついてからで良いと伝言に付け加えた。

 その間に事務仕事に取りかかる。

 館の中はまだ怪我人で満員であるが、かろうじて執務室にスペースを確保してあり、そこでレーヴェやトリーネが予算の組み立てや書類整理を行っていた。

 正直に言えば、新聞社に構っている時間はあまりない。

(どうせ彼らは私の失態を書きたいだけだろう)

 領地を見て、領民たちの話を聞けば、その不甲斐なさは十分に伝えられる。ごまかそうにも弁解の余地はない。

 無意識下に疲労が蓄積しているためか、よけいなことまで考える気力が湧かず、ある意味で開き直りアニエスは淡々と仕事をこなした。

 記者らがようやくやって来たのは、日暮れも近くなった頃である。

 暗くなる前に、館の庭で煮炊きが行われている。その炊煙を眺めながら、支度の邪魔にならない門柱の陰でアニエスはウェルナー記者と話をした。

 館の中でゆっくり、と一応誘いはしたのだが、彼が外で良いと言ったのである。

「怪我人に障ってはいけませんので」

 心なし、記者の顔付きは最初に会った時から変わっているように思えた。

「この度は自由な取材を許可していただき誠にありがとうございます。閣下の寛大なるお心に最大の敬意を」

「いえ、ろくにお構いもできず申し訳ありません」

 少し離れた場所に馬車を付け、彼らはもう撤退する様子でいた。さすがに避難民で溢れるエインタートに泊まる気はないのだろう。

 ローレン領で一夜を過ごし明日もやって来るのか、それとも満足して王都へ帰るのかはまだ聞いていない。

 できれば帰ってほしいと心の片隅でアニエスが願っていると、ウェルナーは鼻下の髭を揺らした。

「我々は、これまで御身をいじめ過ぎたようです」

 笑みを浮かべ、急に砕けた態度になる。

 アニエスは面食らってしまった。

「御身には過ぎたる財産と地位を得られ、さてと思っておりましたが、なるほど、かような荒地では堕落する暇もございませんね」

 すれば、あっという間に得たものをすべて失ってしまう。

「とんだ貧乏くじを引かれましたな」

 それは嘲笑しているようではなかった。どちらかと言えば憐れみの込められた、あるいは労わるような響きさえ感じられる。

 相手の瞳から蔑みの色が消えていることに気づき、アニエスはいささか拍子抜けした。

(皆は私のことをなんと話したんだろう)

 ふと気になったが、それはここで聞かずとも遠からず記事にしたためられるだろう。この記者はきっと遠慮のない言葉で、見聞きしたことを容赦なく書き立てるはずだ。王都にいた頃アニエスはいつも彼の記事に震え上がっていた。

 だが活字と違い、目の前にいる本人は不思議とあまり怖くない。

 よって少しだけ緊張を解き、アニエスは肩の上の魔物を落とさぬよう、先の彼の言葉に対してゆるく首を横に振った。

「――ここは私の故郷です。私という人間の始まりにある場所を、この手で創り、守ってゆける幸運を得たのだと、今は思っています」

 己の生まれ、母のこと、領民たちの存在を知れたことで、それまで不安定だった自己をいくらか確立できた自覚がある。

 背負った荷は重い。だが、それがアニエスの足を地につけてくれている。

 居場所を与えてくれた亡き父に、心から感謝していた。

「殊勝なお考えで」

 あくまでも茶化しつつ、しかし帰り際には跪いて辞儀し、皮肉屋の記者は去っていった。




 それから数日後のことである。

 王都に出回る新聞に、こんな見出しが載った。


『紳士諸君。スコップを持ちてアナグマの巣を直しにゆこう』


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