閑話 魔物といっしょ
アニエスは生き物が嫌いではない。しかし特別好きでもない。それらの生理生態を本で読み、実物を観察する等のことは好むが、例えば実際に触れ合ったりというようなことは遠慮したいと思う。
ましてや相手が魔物となればなおさらだ。
「おぉ・・・ふかふかぁ」
「ふわわぁ・・・」
ひととき人語を忘れ、クルツとルーが青白い毛の魔物の腹をなでくり回している。
魔物はギャッギャと鳴き大いに抗議している様子だが、採血のため台の上に鎖で四肢を拘束されており、少年少女らの無邪気な手を防ぐことができなかった。
北の森から帰還し、さっそくリンケの部屋でアニエスともども体液や毛髪などを提供させられていた折、心配と好奇心から二人で様子を見にやって来て、もふもふの誘惑に耐え切れず触り始めた。リウはまだ魔力が十分に補給されていないらしく、先に庭でやってみせたような爆発を起こせず、針の先がぱちぱち光る程度の抵抗しかできていない。
爪も牙も小さい生き物に、もはや大した脅威は残っていなかった。
「――こんなものですかね。ご協力ありがとうございます」
リンケが満足し、アニエスもリウも解放される。
リウは鎖を解かれた途端、待ってましたとばかりに台から大きく飛び上がり、アニエスの顔面へ張り付いた。
「うっ」
鼻と口に入りこむ柔らかい毛、襲い来る獣臭さにむせかけた。
「めっちゃ懐かれてますね」
クルツはわずかに羨ましそうな気配を声音に滲ませている。リウが肩に移動したところでやっとアニエスは息を吐いた。
「懐かれたと言いますか、憑りつかれたと言いますか」
「でも、でも、魔物を従わせてるみたいでアニエス様かっこいいです!」
「はあ」
ルーのきらきらとした眼差しがアニエスには少しまぶしい。いずれニーナに知られ、また誇張された記事を書かれることになるのだろう。
「・・・それでは私は執務に戻りますので。先生、あとはお願いします」
「はいはい」
分厚い革の手袋をしたリンケに、抵抗するリウを引き剥がしてもらい、アニエスはそそくさと逃げるように二階へ行った。
出張の間に、決裁の必要な書類は溜まりに溜まっている。それを黙々と片付けていくアニエスだったが、ふと気づけば、
「・・・」
書類の山の影から魔物の小さな頭が覗いていた。
「あら? 今、何か入りました?」
ちょうど整理した書類を抱えて別室に持って行こうとしたトリーネと、入室しようとしたレーヴェがかち合ったその足元を縫い、入り込んでいた。どうやらリンケの手から抜け出してきたらしい。
しばし固まっていたアニエスだったが、リウが書類をしきりに嗅いで、その爪で触れたところで我に返った。
「だ、だめです、これはっ」
わたわたと前足を追いやり、魔物と書類との間に腕を差しこむ。するとそれを伝って、リウはやすやすと肩の上に来た。
(どうしても、ここじゃなきゃいけないのか)
細長い体でマフラーのように巻き付き、両肩に足を乗せてくる。小動物でもそれなりの重さがある。このように常に負荷がかかれば執務もやりにくい。
「そんなもの捨てて来られてはいかがですか」
案の定、レーヴェには容赦ない忠言をされた。
一方、トリーネは「でも、あったかそうですよね」と暢気な感想を漏らす。確かに防寒具としてはこの上なく温かいが、獣臭さが髪にも服にも移りそうなことはいただけない。
捨てて来れるものならばそうしたかったが、それも無駄な気がして、結局アニエスは魔物を首に巻いたまま午後も執務を続けていた。
◆◇
(疲れた)
一日の業務を終え、凝った肩をほぐしつつアニエスは寝室に向かう。
リウは今度こそリンケに逃がさぬよう念を押して預けて来た。おかげで夕飯時には負荷から解放され、普通に食事を済ませられた。
まだ出張の疲れが体に残り、夜更かしをする気分でもない。近頃は夜がめっきり寒くなった。
寝室の暖炉には先ほどまで火を焚いてもらっており、さらに作りたての温石を抱え、温い寝床で早く休もうと思っていると、アニエスは寝室のドアが少し開いていることに気がついた。
「・・・?」
ランプを持ち上げ、ベッドを照らせばそこに、リウが丸くなって寝ている。
しかも、よりにもよって真ん中に陣取っている。頭と防御の薄い腹を完全に隠しており、素手で持ち上げどかすには注意を要する寝姿だ。
(なぜ・・・)
アニエスはしばし悩んだ。
悩んだ末、予備の毛布をこっそり調達し、執務室に未だ片付けられずにあるファルコのハンモックで寝ることにした。
小動物をどかすのにわざわざ人を呼ぶのもはばかられ、かといって同じベッドで休むのも嫌で、結局は寝室を明け渡す形となった。
温石を抱え込み、毛布に包まる。ところが、それでどうにかまどろんでいると、急に軽い衝撃があり目が覚めた。
暗闇でほとんど何も見えなかったが、耳の辺りに触る毛の感触からして、例の魔物であるとわかる。
(・・・人恋しいわけでもあるまいに)
そう思いつつも小さな重みを振り払うことができず、うつうつとハンモックに揺られるうちに、朝を迎えた。




