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43.魔物の謎

 領主館を騒がせた小さな侵入者は、魔物除けの茨を外側に巻き付けた檻に入れられ、狂喜するリンケにひとまず預けられた。

 彼女の調査が終了次第、駆除か放逐かを選択することになるが、アニエスは生き物を殺すことにむやみに罪悪感を覚える性質であるため、状況が許すのであれば北の森にそっと放してやりたいと、すでに考えていた。

 それよりも調査中にリンケがうっかり魔物を逃がさないかが心配で、騒ぎの翌朝にアニエスは彼女の部屋を訪ねた。するとまだ魔物は床で伸びたままでいた。

 茨で囲った中に横たえられている姿は、どこぞの童話の眠り姫のようだ。あいにく、背に針千本の生えた毛むくじゃらを迎えに来る者は皆無であろうが。

「死んでいるわけではないのですか?」

「かろうじて」

 リンケは記録ノートを見せる。そこに書かれている数値は背後の魔力量測定機で算出したものだ。機械に嵌め込まれた七色の液体瓶の中にはリウの長い針のような毛が二、三本漂っていた。

「ご覧の通り魔力が尽きかけ、呼吸は浅く、体温が低下。仮死状態に入っています。触ってみます?」

「いえ、結構です」

 わざわざ触れなくとも、死んだように動かない状態は見てわかった。

「なぜこのようなことに?」

「これまで何度も魔力を消費するような場面があり、その上でしばらく魔力を補給できない状況にあったのではないでしょうか。昨日、庭で放出した魔力が限界まで振り絞ったものだったのでしょうね。彼らにとって魔力は活動エネルギーでもあります。ただ、尽きても死にはしないのです。長く深い眠りに入り、百年後に目覚めたという調査結果もあります。まあその年数については諸説ありますが」

「では、つまり、この魔物はあと百年ほど眠ったままかもしれないということですか?」

「はい。寝ている間に彼らは魔力をどこからか補給します。その補給源がなんなのかは判明していません。自らの体で生成しているとしても、原料が必要なはずですが、もちろん寝ている間に物を食べることはできません。しかし彼らは時間経過によって活動を再開するのです」

 リンケはノートを眺め、難しい顔をする。

「今朝の数値は昨日よりも若干増えているのですよねえ・・・ただ誤差の範囲を出ないので、まだなんとも言えないのですが。明日以降も様子を見ていくしか・・・もしくは近縁種である魔人に意見を伺うという手も」

 ぱっとリンケは顔を上げ、菫色の双眸をアニエスへ向けた。

「少々お時間をいただけませんか?」

「北の森へ行くのですか?」

「もしよろしければ。紋章術で運んでくだされば、なおありがたく」

 堂々と主を足に使うつもりの雇われ研究員である。

 アニエスは頭の中で本日の予定を組み直し、了承した。



 ◆◇



 冬を間近に控え、魔物の森にはもやがかかっていた。

 秋には色づいていた落葉樹がほとんど裸となり、上空から見ると霞の間に常緑樹の黒い群影が飛び石のようにある。

 夏から大きく様子の変わった森では、ギギのいつもの寝床も少々わかりにくかった。

 一度素通りしそうになってから慌てて戻り、アニエスはリンケとともに木々の薙ぎ倒された場所に降りる。灰色の枯葉がブーツの下で小気味良い音を立てた。

 それに反応し、靄の中でまどろんでいた魔王が薄目を開ける。

「お邪魔しますよ」

 魔物入りの籠を片手にぶら下げ近づいて来るリンケを、ギギは湾曲させた皮膜の翼に深く腰掛けたまま、身じろぎもせずに眺めていた。

「・・・なんだそれは」

 ギギはまだ眠そうだった。それでも白い瞳に籠の中身を映し、怪訝そうな顔をする。

「魔物です。おそらく魔力が尽きて動けなくなっているのだと思うのですが、魔力供給の具体的な方法を教えていただけませんか?」

 ギギはすぐには何も答えなかった。再び目を閉じ、そのまま寝てしまうのかと思うと、細く息を吐き出した。

「・・・なぜ、我がそんな小物に煩わされねばならん」

「そうおっしゃらずに。これも暇潰しと思い調査にご協力ください」

「・・・」

 おもむろにギギは己の指を噛んだ。すると、これまでどんな攻撃でも傷つけることのできなかった、硬い鱗に覆われている肌が牙に破られ、赤い血が滴る。

 ギギはリンケに籠から魔物を出すよう指示し、仮死状態の魔物の口もとへ一滴、垂らした。

 青い毛の上を滑り、血液がリウの牙の隙間に入り込む。

 そのわずかの後。

 突如、リウが大きく身を捩った。反射的にリンケが手を引っ込めたことで地面に落ち、枯葉の上を悶えながら咳き込む。それとともに飛散する血液は、先ほど飲まされた魔人の血よりも多いようだ。

 苦しげな様を見下ろし、ギギは薄ら笑いを浮かべていた。

「――はっ、我が血は下等種には濃過ぎたな」

 すでに彼女の流血は止まっている。

 やがてリウはよろよろ起き上がると、四肢を踏ん張りさっそく精一杯の威嚇を始めた。

 背中の針山を逆立てて睨む相手はギギだ。しかし、

「――ォォ――」

 彼女が人には聞き取れない声をかすかに漏らすと、途端に針が畳まれた。

 黒々とした瞳を不安げに揺らし、不意に身を翻した。

 一歩下がったところにいたアニエスには想定外の動きだった。その慌てぶりを知ってか知らずか、リウはちょうど良い隠れ場所を見つけたかのように、アニエスのローブの影に入り込む。

 そこからは威嚇するでもない。慎重に事態を窺っているようであった。

「それで良い」

 魔王は満足げに腕を組む。

 そこへすかさず目を鋭く光らせる学者が問い詰めた。

「今のは? 血液を介して魔力を供給したのですか? それとも血液を原料として魔力への変換がなされた?」

 勢いよくまくし立てる声に、ギギはうるさそうに瞼を閉じた。

「魔王、教えてくださいっ」

「黙れ」

 そんなやり取りの間に、アニエスのほうは魔物にローブを伝ってよじ登られていた。どうやら肩の上まで行きたいらしい。

 振り払って良いのかわからず、動くに動けなかった。

「・・・あの」

 とうとう耐え切れずに、リンケの質問責めを遮り、アニエスはギギへ懇願した。

「取っていただけませんか」

 無理に振り払い、危害を加えられるのは嫌だった。

 なるべく魔物を刺激しないよう、ゆっくりギギへ接近するアニエスだったが、この魔王が素直に願い事を聞いてくれることはまずない。

 案の定、彼女は腕組みしたまま動かなかった。

「そいつを回復させたいのであれば傍に置いておけ」

 アニエスのほうを見もせずにそんなことを言う。

「え・・・血を飲ませれば、魔力を回復できるのでは」

「外から注いだところで、大方は受け止めきれずに吐くだけだ。少しずつ、己で作らせるほうが良い。お前の近くにあれば、はかどる・・・そいつも、わかっているから、お前に、寄りつく」

 寝入るように、徐々に呼吸が深くなってゆく。

 そろそろ限界なのだろう。アニエスは急いで問いかけた。

「なぜ私なのですか」

「そんなもの・・・この地の主を、自称しているせいであろうが・・・」

「え?」

「この地はよく満ちている・・・我らの――」

 最後はまた言語ではない呻きに変わってしまった。

 ギギは寝入り、声をかけても今度は目を開けなかった。こうなれば、しばらくは起きてくれない。

 アニエスが隣を見れば、リンケも魔王と同じように腕を組み、ぶつぶつ考え込んでいる。

「魔力は己で作らせるか・・・やはり魔物自身がその体内で生成するものなのでしょうか」

 意見を求められているのか独り言なのか微妙な呟きだった。

 アニエスも、ついに肩まで登ってきた魔物を気にしつつ、ギギの言葉が当然気になっている。

「この地に満ちるものとは、魔力のことなのでしょうか」

「・・・どうでしょう。そうであれば、はっきり言いそうなものです。魔力そのものがあるというより、魔物たちが魔力を生成するための原料がこの地に豊富にあると言っていたのではないでしょうか。しかも魔力の補給にアニエス様の傍が良いとは一体」

 不意に、ギギに向けられていたものと同じ目がアニエスに向けられた。

「後ほどサンプルをいただいても?」

「え」

「御身に魔力に関わる何かしらの特性があるのか検証いたしたく」

「・・・何もないと思いますが」

 言いながら警戒して後ずさる。

 まさか己が彼女の研究対象にされるとは予想だにしない事態だ。

(確かに意味は気になるけど)

 首元を腹毛でなでてくるリウは一向に離れる気配がない。ギギによく言い聞かせられたのか、それともアニエスのことなど警戒する気もないのか、もう威嚇などはしてこない。しかしその爪と針はやはり怖い。

「・・・結局このリウは館に連れ帰らねばならないのでしょうか。というか、連れ帰って大丈夫なのでしょうか」

「まあ、離れませんし、仕方ないのではないですか。――あぁ本当になぜなのでしょうね。早く館に戻って魔力量を測定してみましょう。アニエス様も毛髪と血液を採取させてくださいね」

(嫌だ・・・)

 戻るのが憂鬱であったが、リンケの言う通り仕方がない。

 来た時と同様に紋章術を発動させ、二人まとめて宙に浮かび上がる。

 肩の上の魔物が騒ぎはしないか少々不安だったが、特にそんなこともなく、上空では行き過ぎる風に鼻を突っ込んでいた。

「――そういえば、こんな言い伝えをご存知ですか?」

 風の中で、リンケが何気なく言った。

「魔物は人の死体を喰らって魔力を蓄えるのだと」

「・・・聞いたことはあります。迷信ですよね」

 それはおとぎ話の中の魔物の話であり、現実の魔物に特に人を好んで喰らう性質はない。ニュクレのように草ばかり食べているものもいれば、中にはほとんど何も口にしないものすらある。ギギとて食べるのはケーキばかりで、真の食性は謎に包まれている。

 魔力が魔物にとってなくてはならない活動エネルギーで、その源が人間だとすれば、何も口にしない魔物は動けなくなるはずである。

 しかし現実にはそうなっていない。ゆえに人を喰らって魔力を増幅させるというのは、かつての人々の魔物に対する畏怖から作られたイメージに過ぎない。

 リンケもそのことには頷いていた。

「ですが迷信にも生まれる理由があります。現在の魔物の分布地と過去の事象とを照らし合わせると興味深い符号がある。かつて大規模な戦場となった場所、疫病による死者を大量に出した場所、そんなところにも彼らは集まっているのです」

「・・・人の死に引き寄せられている?」

「過去の魔物の目撃談も戦地や墓地などが多いことは確かです。むろん例外はありますし、人の死んでいない場所など地上にほとんどありませんから、やはり迷信と言うべきです。きっと、戦場で大量の死体の中をうろつく異形の者がよほどおぞましく、人々は魔物たちが死体を漁り貪っていると思い込んだのでしょうね」

 リンケの見解を聞きながら、アニエスもまた考えていた。

(迷信は迷信なんだろうけど)

 死者ならば、かつてこのエインタートの地にも大量に出た。

 過去が現在にもたらすものとは何か。

 肩に取りつく魔物の体臭が、どこか血生臭く思えた。

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