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閑話 クリスタの思い出

 十八年前のその日、二十歳のクリスタは大いに憤慨していた。

 彼女の父の言動には腹立たしいところ以外存在しなかったが、その時は輪をかけて怒りに満ちていた。

 なぜなら彼女が長年望み続けていた結婚に、またしても待ったをかけてきたのだ。

 最初に結婚を邪魔されたのは十六歳の時。当時、スヴァニル王国には結婚の年齢に制限がなかったため、クリスタは九つ年上の貴族の男を相手に定め、さっさと嫁いで王城を出て行く腹づもりでいた。

 しかしその年、突如彼女の父が国中の者に例外なく、十八歳以上でなければ婚姻を取り交わせないようにしてしまったのだ。挙句、わざわざ娘たちを部屋に集め、お前たちについては二十歳まで絶対に結婚は認めないと宣告した。

 女とあらば見境なく手を出す父をクリスタはもともと憎んでいたが、その時には殺意すら抱いた。

 それでも仕方なく四年間待ち続け、とうとう二十歳を迎えた時、なぜかまたしても父が渋った。

 クリスタは殺すためのナイフすら用意した。しかし決行前に母に見つかり没収された。

「お父様はあなたと離れたくないのよ」

 母はそんな言葉で諭してきたが、クリスタからすれば身勝手極まりない。

 彼女を、母を、常日頃からないがしろにしているのは父のほうだ。腹違いの妹や弟が増えるたび、礼儀もろくに知らない側妃の笑い声が後宮に響くたび、クリスタはたまらなく腹が立った。

 クリスタは何も、側妃や異母兄弟のいるのが嫌なのではない。子が必ず健やかに育つ保証がない以上、王はなるべく多く子を成す義務がある。そのことは理解している。

 だが、クリスタが二十歳になった時点で男子は六人、女子は九人もおり、彼女の兄のカイザーやデュオニスは極めて健康体で成人もしている。長兄には昨年、息子まで生まれた。

 もう子を増やす必要はないはずなのに、なぜか後宮の女が増え続けていることがクリスタは納得できない。こうなれば単なる浮気としか見なせない。

 その夫の裏切りを、いつもにこにこしながら受け入れ、新しい側妃やその子の面倒をみている母のことも、クリスタは理解しがたかった。ただただ母が憐れに思えてならず、彼女が声を荒げないかわり、クリスタが父へ憎しみをぶつけねば仕方がなかった。

 これ以上、王城にいることは苦痛であり、ここにいれば夫婦というものに絶望しそうになる。

 早く外に出て己の理想する家庭を築きたい。なのに、結婚の許可はまだ下りない。

 普段は冷徹な青い瞳に涙さえ浮かべ、クリスタはその日、母の部屋へ再び訴えに出向いた。

 ところがそこで、男児二人によって激しくシーソーされている揺りかごを発見したのだ。

「何をしているの!」

 咄嗟に怒鳴りつけたクリスタの声に驚き、ファルコとレギナルトの両名は慌てて窓から飛び出して行く。

 どうやら下の階の庇を猿のように伝い、王妃の部屋へ忍び込んだらしい。

 十歳と七歳の悪童二匹のいたずら癖は、王城内で常々問題となっている。

 今日はどんないたずらをしていたのか。手を離されてもぐわんぐわん揺れている揺りかごを止めてみれば、そこにはしっかり中身があった。

「っ・・・!」

 クリスタは一瞬で血の気が引いた。すぐさま赤子に触れ、その体に異常がないことを確かめる。

 幸いどこにも怪我らしきものはなく、赤子は自分が何をされていたのかも気づいていないようで、眠たげな灰色の瞳が、ぼうっと虚空を眺めている。

 クリスタは大きく息を吐いた。

「お前・・・もう少しであの悪童どもに殺されるところだったのですよ。泣くなりなんなりして助けをお呼びなさいな」

 柔らかい頬をつつけば、赤子はあくびしてみせた。どうも、ぼあっとしている。いかにも愚鈍な者になりそうだ。

「あらクリスタ」

 部屋の主は侍女のヒルデを連れて戻ってきた。赤子から目を離していたのはほんのわずかな間ではあったのだろうが、悪童たちは油断も隙もない。

 しかし、そのことをクリスタが口を尖らせて訴えても、ディートリンデは「あらまあ」と微笑むだけだ。

「ファルコもレギナルトも、新しい妹と遊びたかったのね。素直にドアから入って来れば良いものを」

 妹という単語が出た途端、クリスタはやはりそうかと思った。同時に嫌悪が湧き上がる。

「今度はどこの女ですか」

「さあ? お話しする前に帰ってしまったから、よくわからないわ」

 意外な返答にクリスタは思わず瞬いた。

「・・・母親は後宮に入らなかったのですか?」

「ええ。彼女は彼女の場所で成さねばならないことがあるみたい。ただ、娘だけは安全なところで育ててほしいのですって。せめて希望を絶やさぬように」

 母の説明では何もわからない。ただ疑念だけが浮き上がる。

「・・・本当に父様の子なのですか」

「そうでなければ、ここには預けないでしょう」

 その時、あ、あ、と急に何かを呼ぶように子が啼き出した。ディートリンデは揺りかごから優しく娘を抱き上げる。

「ご安心なさい。お母様はきっといつか、あなたを迎えに来てくださいますよ」

 あやされて、しかしうまく眠れないのか、赤子は次第にぐずり始める。

 悪童たちにひどい目に遭わされていた時はぼうっとしていたくせに、母の話題になった途端に泣き出してしまった。

 言葉などまだよくはわからないだろう。だが、もしかしたら、母に置き去りにされた状況だけは理解しているのかもしれない。

「クリスタ、あなたも抱いてみなさいな」

 じっと赤子を見つめていたクリスタは、いきなり母にそれを突き付けられ狼狽えた。

「ほら、あなただって結婚すれば子を育てねばならないのよ」

「・・・どのように持てば良いのです」

「怖がらなくて良いのよ。首はもう据わっていますからね」

 母に指導され、おそるおそる抱いた子の体は予想以上に頼りない。骨らしい骨が身に入っていないのか、これでは自分のことも満足に支えられそうにない。

(・・・こんな弱々しいうちに、お前は母の手を離れて生きてゆかねばならないの)

 事情はよくわからない。おそらく母も父も時が来るまで話す気がないのだろう。

 母以外の女の産んだ子であることを忘れたわけではないが、今のクリスタはそれよりも、この孤独な子が憐れでならなかった。

 背をゆっくり叩き続けてやると、やがて赤子は眠りに落ちた。

(私の胸でもお前は眠れるのね)

 全身で寄りかかってくる熱が、息の音が、心臓を締め付けるようだ。その出自にかかわらず、これは愛すべき存在なのだと肌で感じる。

「・・・母様。私は、やはりあの方と結婚したい」

 柔らかな黒髪を撫でながら、泣きそうな声で呟く。

「こんなふうにあの方の子を抱きたいの」

 これまでのように、早く城を出たいのだと怒りのままに訴えることはせず、心の底から浮かぶ言葉を口にした。

「そう」

 母は満足げに頷いていた。

 そして赤子を揺りかごに寝かせたクリスタは、顔を上げた時にはもう、もとの頑固であまり素直ではない彼女に戻った。

「結婚が決まるまで、この子のお世話は私がいたします。予行演習として」

「あらそう。だったらこの子にはいつか、演習に使わせてもらったお礼をしなくてはいけないわねえ」

 そんな勝手なやり取りが頭上で交わされているとも知らず、赤子は安らかに眠りこけていた。

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