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40.理不尽な人々

 結婚式の会場には舞台があり、演劇の鑑賞などができるよう二階はボックス状の観覧席となっている。それがそのまま、王族たちの席として使用されていた。

 上り口は東西と中央に分かれており、最も音がよく届く舞台正面のボックス席に王と今日の主役の花嫁たちが座る。そこへ行くための道は階段一つしかなく、護衛しやすい造りとなっている。

 すなわち、東西にある席は中央で通路が分断されているため、互いに行き来ができない。東から西へ行くにはいったん一階へ降りねばならないのだ。

 その構造を利用し、王家の兄弟姉妹たちのうちで一緒にしておくと問題が起きそうな者は東西にあらかじめ分けられ配置されていた。例のごとく長女クリスタと次女エリノア、さらに今回はアニエスとレギナルトの二組が意図的に離されている。

 アニエスは気を使わせてしまっていることが心苦しくもあったが、おかげでむやみにレギナルトにからまれる心配をしなくて良いことは助かった。

 またボックス席は人目につきにくいため、ファニたちに気兼ねなく食事を摂らせられることも利点だ。

(・・・でも引き籠ってちゃだめか)

 やや気力が回復し、アニエスはうつむきの体勢から身を起こした。

 記者への対応だけが仕事ではない。これからのことを考え、王都の貴族たちに顔を売っておかねばならない。

 叙爵は密やかに行われたため、アニエスは辺境伯としてまだ自身をお披露目していないのだ。王都の貴族らと直接的な関わりは薄いにしろ、どこで何が繋がるかわからない。社交はどうしても必要だ。

 向かいにある西側の席を見渡しても、エリノアなど兄姉たちの姿はない。ちょうど催し物がいくつか終わり、歓談の時間になったため下に降りているのだろう。

 だが挨拶をするにも一つ大きな問題がある。誰に話しかければ良いのかわからないということだ。

 王女時代に社交の場を避けに避け、貴族の子女もいた学院で友達すら作らなかったアニエスにまともな知り合いは皆無だ。

 ではどうしようかとぼんやり悩んでいれば、背後の通路から不意に四番目の兄、イェルクが現れた。

「アニエス、ちょっとおいで」

 来い来いと手振りでも誘われ、アニエスは急いで席を立つ。ネリーらもデザートを掻きこみ主に付いて行った。

「皆に紹介してやるよ。どうせ知り合いの一人もいないんだろ?」

「・・・すみません。ありがとうございます」

 よく気の回る外交官の兄は、わざわざ迎えに来てくれたらしい。アニエスはひたすら恐縮した。

 イェルクの助けを借り、主要な貴族たちと挨拶を済ませる。特段何も問題は起きなかったが一人だけ、アニエスが顔を引きつらせてしまった相手がいた。

「ジギス・コーハンと申します」

 茶がかった黒髪を品よくまとめた細身の中年貴族男性。

 物腰柔らかなその男に、まさか彼のかつての愛人の子を会計士にしているとは言えるはずもなく、ただ鼻の形が似ている親子だと心の中で思っていた。

「どうした?」

 コーハン伯爵との挨拶を終え、一気に疲労の色の濃くなった妹の様子に、事情を知らないイェルクが怪訝な顔をする。

「あの伯爵と何かあったのか?」

「・・・直接的には何もありませんが、間接的に少々気まずいことが」

「ふうん? 深くは聞かないでおくが、お前も気苦労が多いねえ」

 何事においても察しの良い兄は労わるように妹の肩に手を置いた。

 仕事上では国どうしの関係を保ち、家族内でもエリノアとクリスタとの喧嘩の仲裁役を率先して買うことの多い彼だからこその同情だろう。

「アニエス様、アニエス様」

 ふと、ネリーに反対側の肩を叩かれた。

「あのお兄様がこちらに気づかれたようです」

 つい振り返ってしまったアニエスは、人ごみを越えて当人と目が合った。

(まずい。来る)

 ファルコのことを問い詰められても困る。

 おそらく祝い酒を飲み、いくらか冷静さが失われてきている頃だろう。レギナルトは潰れるまでが異常に長く、しかし酔っぱらうのは極めて早い。尋問が拷問に変わる可能性もゼロではなかった。

 何をされようが、口止めされているアニエスに答えられることは一つもない。ならばここは逃げるしかない。

「イェルク兄様、すみません化粧を直して参ります」

「ん? ああ」

 さっそく二階へ逃げようとしたアニエスだったが、階段のほうはすでにレギナルトに回り込まれていた。

 そこで仕方なく会場を出る。さすがにこれは逃げ過ぎかとも一瞬思ったが、それだけ今のアニエスには酔っぱらった兄を相手取るだけの精神力が残っていなかった。

 しかし、

「アーナーグーマーっ!」

 かえってあからさまに逃げたことで火がついたのか、怒声が追って来る。壁として彼を穏便に留めようとしたファニらのことも押しやり、進んでいるようだ。

 王城内の廊下であるためアニエスは走り出さないまでも、いっそう足を早めた。

「おーい聞こえてんだよなあ? なんっで逃げんだおいコラっ!」

 口調はほとんどギルドの連中と変わりない。なぜこの兄は言葉遣いがここまで乱暴になってしまったのかと、逃げながら考える。

(この分だと捕まるだろうな)

 一向に離れない怒声に、アニエスのほうが徐々に諦めてきた。

 せめて人目に付かない場所はないか頭に王城の地図を思い浮かべていると、その時、横の扉が突如開いた。

 危うくぶつかりそうになり、足を止める。

 すると冷たい青の瞳に晒された。

「おいアナグっ、マ・・・」

 追いついたレギナルトも凍り付いてしまう。

 どんな乱暴者も、この双眸の前では天敵に睨まれたように動けなくなる。

 事実、レギナルトにとって一番目の姉、クリスタは天敵そのものだった。

 本日も格式高いクラシックドレスに身を包み、扇子で口元を隠す姉は、目の前に固まる妹を一瞥し、非常に苦い顔をしている弟を冷徹に見据える。

「金輪際、その下賤な口を開くでない」

 型破りな弟の存在そのものを憎悪している彼女には、ひとかけらの慈悲もない。

 そしてアニエスのことは「お入りなさい」と部屋の中へ促す。

「は、あの」

「おい、ちょっ」

 一歩、追いすがったレギナルトを再び睨みつけ、戸惑うアニエスをやや強引に押し入れた。

 アニエスの従者たちにも入室の許可は下りず、誰もいない空き部屋でアニエスはクリスタと二人きりになってしまった。

「お座りなさい」

 窓際に設置されたティーテーブルに導かれる。そこには姉の分のカップしかない。結婚式には子供を連れて来ていたようだが、今は一人で休憩していたところだったのだろう。

 アニエスは勧められた椅子に座る前に、念のため確認した。

「あの・・・レギナルト兄様から庇ってくださりありがとうございます。ですが、ご休憩中のところに私がいてはお邪魔なのでは」

「いいからお座りなさい」

「はい・・・」

 一切の抵抗を諦め、姉と向かい合わせに座る。

 はっきり言ってしまえば、クリスタのことはアニエスもまた苦手としている。なぜならアニエスは大いにエリノア側の人間であるからだ。

 クリスタの推奨する伝統的な王女らしい人生を歩まず、アナグマ姫と揶揄され書庫に籠っていたばかりでなく、女には前例のない叙爵までしてしまった。クリスタに憎まれていないほうがむしろ不思議な立場にいる。

 よってこの姉と二人向かい合っていることは、ある意味でレギナルトにからまれるよりも拷問に近い。すでに悪寒が止まらなかった。

 処刑台にのぼった囚人のような気持ちで、ひたすらにクリスタの言葉を待つ。

 うつむくばかりの妹の様子を無表情に眺めていたクリスタは、やがて、

「諸侯へ挨拶は済ませたのですか」

 扇子越しに、ぽつりと尋ねた。

「・・・は、い。先ほど、イェルク兄様に、ご紹介を、受けまして」

 一つ一つ、己の言葉が姉の機嫌を損ねないかを注意しつつ、アニエスは答えた。

「そうですか。・・・アードラー候やバール伯にも?」

「はい」

「そうですか」

 クリスタの態度はそっけない。

 機嫌が悪いのか、そういうわけでもないのか、アニエスにはまだ判断がつけられない。

「エインタートで困り事はないのですか」

 少しの間をあけ、さらに尋問が続く。

「・・・山ほどございます、が、一つずつ解決してきているところです。先日、ようやく工事のほうも、本格的に始めることができまして」

 アニエスの内心は恐々としている。領主として己の不甲斐なさを露呈すれば、激しく糾弾されるのかもしれない。

「工事の人手は足りているのですか」

「それは、ええと」

「場所によっては専門の工人が必要となるでしょう。私のもとにも治水工事に長けた者がいます。こちらでの作業は先日終わったところですから、お前のほうで必要とあらば貸し出しましょう」

「あ、ありがとうございます。ですが、私のほうでも、工人ギルドという元工兵の方々を雇い入れておりますので、今はまだ、姉様のお手を煩わせる状況では」

「ギルド? 工兵? そのようなならず者を雇っているのですか」

 クリスタが金色の眉を不愉快そうにひそめたことに、アニエスは大げさに慌てた。

「いえっ、彼らはその、確かに少々気の荒いところはありますが、とてもよく働いてくれています。蒸気重機の扱いにも長けておりますし」

「重機を買ったのですか。エインタートまでどうやって運んだのです」

「いえ、買ったのではなく、ユーリエ姉様に少し前の型のものをお譲りいただきました。貿易船で港まで運んでいただけて、本当に助かりました」

「・・・そうですか」

 先ほどよりもワントーン、姉の声が低くなった。

(何かまずいこと言った?)

 すばやく自身の発言を頭中で見直すアニエスだが、その間にも尋問は続いている。

「・・・それで? 資金にはまだ余裕があるのですか。税収は当分見込めないのでしょうから、何かしら金策が必要なのでしょう」

「はい。ただいまエリノア姉様の会社で、エインタートの特産品を使った新商品の開発をしております」

 過去を思い返すばかりに、アニエスは次の発言を熟慮する余裕を失っていた。

 よって口にしてから気がついた。どんな話題であれ、クリスタの前でエリノアの名を出してはいけなかったのだ。

 結果、クリスタは大いに機嫌を損ねた。上体ごとそっぽを向き、アニエスを視界に入れることさえ拒絶する。

 アニエスの頭中は戸惑うばかりで、フォローの言葉は一つも出て来ない。しかし立ち去ることもできない。

(誰か助けて・・・)

 願ったところで、都合よく現れてくれる神はいない。

「お前はつくづく恩知らずですね」

 ややあって、クリスタが刺々しく言い放った。

 胃痛で危うく泣き出しそうになっていたアニエスは、一瞬痛みを忘れて首を傾げる。

「まったく、誰がお前のおしめを換えてやったと思っているのだか」

「え・・・?」

「お前が赤子の頃です。ファルコとレギナルトの痴れ者どもに、殺されかけていたところを救ってやったのも私だというのに」

「え」

 何一つアニエスは意味がわからなかった。

 赤子の時に王城に預けられたアニエスを、責任もって養育したのは今や侍女長のヒルデという、カイザーらの元乳母だ。また、王太后のディートリンデも折に触れて細やかに世話を焼いてくれていた。

 おしめを換えるなどの実際の雑務は侍女らの仕事であっただろう。まさか第一王女たるクリスタにやらせていたはずがない。

 大体にして、クリスタはアニエスが二歳になる頃には今の夫のもとへ嫁いでおり、滅多に王城へは帰って来なかったのだから、アニエスはこの姉との思い出がほとんどない。その中にも命を救われた記憶はなかった。

 しかしクリスタのほうはそれを主張し、憤慨している。

「なぜ真っ先に私を頼らぬのです」

「は・・・」

「領主ではなくとも、領地経営の経験ならば私が最も長いことは明らかでしょう。なのになぜ、お前は先人に意見を伺おうとせぬのですか。ユーリエよりも我がグラウン領のほうがよほど近いというのに」

 扇子の裏側で、愚痴はまだ続く。

「ましてやあの毒婦にまで頼るとは。あの女がまともな物を作れるはずがないでしょう。お前の物事を見抜けぬ愚鈍さには呆れ果てました。もう勝手になさい。私は知りません」

 まるで言うことを聞かぬ子を突き放す、母親のような言い方をする。

(・・・もしかして、頼られなかったことに拗ねている?)

 まさかとは思う。まさか、厳格なこの姉が、そんな幼い反応をするはずがないと思う。

 しかも先に恩知らずとなじられたが、仮に本当にクリスタの言う通り赤子の時に恩を受けていたのだとしても、だからこそ頼れというのはおかしな話だ。恩返しを受けるどころか、さらに恩を売ることになってしまう。

 であればもはやそれは、単に世話を焼きたいという願望になるのではないか。

「えっと・・・思慮が足らず、申し訳ございませんでした」

 姉の真意はよくわからなかったが、アニエスはともかくも謝罪だけはしておいた。しかし無論、それだけで姉の機嫌は直らない。アニエスは必死に言い訳を頭の中に探した。

「本当に、申し訳ございません。クリスタ姉様がそこまでご心配くださっているとは思わず・・・その、私は、姉様に嫌われていると、思い込んでいたものですから」

「は?」

 格別に低く、冷たい声音が姉の口から飛び出し、アニエスは思わず身震いした。

「お、女の身で、領主になることを、きっと姉様は反対なさっていると、思っていたのです」

「私がいつそのようなことを言いました」

 問い返され、そういえば姉は叙爵について何も言っていなかったことをアニエスは思い出した。

 父の遺言を受け、カイザーに領主になるのかを迫られた夜、クリスタには己で考えなさいと叱られた。思えば姉に言われたことはそれだけだ。

「・・・共に育ったわけでなくとも、妹の性格くらいは知っています」

 クリスタはぱたんと扇子を閉じる。

「確かに未婚の女領主などはしたない存在ですが、エインタートの事情を踏まえればその限りではないでしょう。もとより責任感だけは強いお前が、迷いの果てに下した決断を否定する気はありません」

 それに、とクリスタは付け加えた。

「修復士などと申して、書庫に男どもと籠っているよりはよほど健全です」

「いえ、それは・・・」

 アニエスはつい気が抜けてしまった。そんな心配をされていたことも、今まで知りもしなかった。

(嫌われていなかったのか)

 おそらく物申したいことはいくらでもあるのだろうが、それらが憎しみには繋がっていないのだ。

 他の姉たちと同様に、クリスタもアニエスを想ってくれている。それがわかれば、やっと、アニエスもこの姉を氷の女王のように恐れずに済む。

「・・・クリスタ姉様。もし、まだ姉様が許してくださるのであれば、私に領主としての心構えなど、ご教示願えませんでしょうか」

 おずおずと言い出してみれば、クリスタは再び眉をひそめた。

「心構えですか」

「はい。恥ずかしながら、どうにもうまく人を御せない場面が多々ありまして。そういう時、領主とはどのようにして在るべきなのかと」

「・・・そうですね」

 その後、アニエスは長時間に渡りクリスタから教えを授かった。

 姉の自尊心を回復させるための質問ではあったが、彼女の経験を元にした実際ためになる話も多く、お互いに満足して部屋を出た頃には、結婚式が終了していたのだった。

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