37.準備中
試作品分の魔物の乳の提供について大まかな段取りを決めたところで、その日の商談は終了となった。
エリノアは日にいくつもの予定を抱えている。忙しい女社長に厚く感謝し退室したアニエスは、とりあえずシャルロッテたちのもとへ向かった。
秘書の案内で試着室となっている部屋に入ると、そこではまだ衣装選びが行われていた。
服、靴、アクセサリーのそれぞれの店が来ており、自慢の商品を部屋中に広げ、それらをシャルロッテが床にしゃがみこんで吟味し、その後ろで従者たちがぐったりしている。
さんざん着せ替え人形にされたのだろう。こういう時のシャルロッテは人並み以上の集中力と持久力を発揮する。アニエスはまだ王城にいた頃、妹に街での買い物に付き合わされる時には必ず本を十数冊持って行っていた。
まだシャルロッテの吟味は終わらないが、おおよその格好は決まってきたようである。
「シャル、ほどほどに」
集中し過ぎて、アニエスが入って来たことにも気づかない妹の肩を叩く。
「あら姉様」
シャルロッテの意識がアニエスのほうへ移ると、イヤリングを付けては外しを繰り返されていたルーが息を吐く。元気なメイドもさすがに辟易していたようだ。
そんなルーの衣装は黒のワンピースドレス。細い肩が露出し、首に大きめのリボンの付いたチョーカーを巻いている。丈は少女らしく膝までで、裾に白いフリルがたっぷりあしらわれている。
ルーより二つ年上のネリーのほうは、胸元の開いた黒のドレス。丈は前方が膝丈で、後方が足元まであり、レースに透けてふくらはぎが見える。デコルテの周りには花のような白い装飾が付けられていた。
そして、すでに飽きてソファに体を投げ出しているファニは、縦に白いラインの入った黒のシンプルなロングドレスに身を包み、大人の女性らしく仕立てられていた。スリットが深く入っているために、寝転がる彼女の健康的な太腿が、際どいところまで露わとなっており、アニエスはすぐ目を逸らす。たとえ同性だろうが見てはならない場所がある。
いずれにしても、三人の従者たちは徹底的に黒いドレスと白い装飾でそろえられていた。
「黒にそろえなくても良かったのに」
「ご主人様が喪服なのに従者だけ他の色にするわけにいきませんわ。皆でそろえたほうが目立ちますし、映えるはずです」
シャルロッテは自信満々に言う。確かにその通りだろうが、姉の結婚式で悪目立ちして良いものか悩ましい。
(まあ、目立たないようにするのは無理なんだろうけど)
披露宴会場となる城にも許可を得て参加する記者がいる。彼らは発着場にいた記者たちほど無遠慮ではないにせよ、アニエスに話しかけて来ないことはないだろう。
当日を想像し憂鬱になるアニエスだったが、その表情をシャルロッテは姉が従者たちの衣装に納得していないものと感じたらしい。
「そんなにご心配なさらずとも、装飾をたくさん足しましたから喪服には見えませんし、陰気な印象にはなりませんわ。なんたって白と黒がアニエス姉様のシンボルカラーですもの、そこは外せません」
(それはアナグマの色だろうに)
思ったが、口に出すのはやめた。そもそもアニエスが黒い衣装で披露宴に参加するのも、すでにマスコミに付いてしまったイメージに合わせるためでもある。
ただ、一つだけ確認しなければならない。
「あとどのくらいかかるの」
「もう少々お待ちください」
(一時間はかかるな)
また別の商品を手に取った妹に、アニエスは諦めて待ちの姿勢に入る。ソファではファニがとうとう寝息を立て始めていた。
「皆さん、すみません」
起きている従者二人と、商品を持って来てくれた店員たちにも目配せで詫びた。
ネリーとルーは疲労を顔に滲ませながらも、さすがに主へ不満は言わない。
「いえ、とても真剣に選んでいただいて、感謝しています」
「そうですよ。こんな素敵なドレス、もう一生着れないですしっ」
取りなすように二人に交互に言われたが、それでもアニエスは気まずい。
「もっと華やかなものを用意できれば良かったのですが・・・すみません。私のせいで」
「大丈夫ですよっ。それよりも、あの、これ、買われるのですよね?」
ルーがこそこそと耳打ちしてくる。水色の大きな瞳は不安げだ。
「お金・・・大丈夫です?」
主とレーヴェが日々頭を悩ませている様子を間近で見ているメイドは、家計のことが心配で手放しに喜べないらしい。
しかしアニエスらが悩んでいるのはもっと大きな桁の話であって、既製品にやや手を加える程度のドレスが大勢に影響することはない。何よりもこれは必要経費であり、きちんと計算して上限を定めている。
(そこまで困窮してると思われてたか)
経済状況にまったく無頓着でいられるよりはましだが、服を一着買うだけで少女を不安にさせるほどの不景気面を晒してしまっていたのならば、領主としては反省が必要だ。
「どうかご心配なく。衣装代は今回の出張の予算として計上しています。式が終われば、ドレスはお好きなように直していただいて構いませんので」
「え? ってことはこの服、もらえるんですか?」
ネリーが目を丸くしている。
「はい、もちろん」
ルーとも顔を見合わせ二人で動揺しているあたり、自分の所有物になるとはなぜか考えていなかったらしい。彼女らの体型に合うよう直したドレスをアニエスが持っていたとて仕方がない。
「わー・・・なんか、今回来れてほんと良かったわー」
自分のものになると思えば、また嬉しい実感が湧いたのか、ネリーはくるりと回ってみせる。
「い、いただいて大丈夫なのですか? あとで売らなくても?」
「大丈夫です、大丈夫です」
念入りに肯定してやると、ルーはやっと頬を染め、胸の前で両手を握り締めた。
「ありがとうございます!」
「いえ」
内心では、そこまで喜んでもらえるほどのものではないのに、と思ってしまう。だがそれは、アニエスの根本にある王族の感覚からすれば安物というだけで、ルーたちからすれば十分過ぎるほどのボーナスだ。
結局、衣装選びは日暮れまでかかった。ドレスは補正に出して式の前日に受け取れるようにし、エリノアの秘書のシュミットが手配してくれていたホテルでシャルロッテらと共に夕飯を済ませると、その日の予定は終了となった。
◆◇
商談が思いのほか早く済み、衣装選びもなんとか順調にこなせたアニエスは少し余裕ができた。
そこで、王城へ行く前に五番目の姉、フィーネが勤める植物園を訪ねることにした。
小さな町ならすっぽり収まってしまうほどの広大な植物園は王都の郊外に位置する。もとは貴重な薬草を収集し、保存するための薬草園であったが、今では他国から渡って来る穀物、樹木などの試験栽培も行われており、施設内部はエリアを限定して一般公開されている。
フィーネはそんな植物園を管理する研究者の一人。アニエスが訪れるのは久しぶりのことだったが、受付の者に顔を覚えられており、すぐに姉の担当する試験栽培エリアに通された。
様々な野菜が植えられている畑で、姉はちょうど生育調査を行っていた。急な訪問にも嫌な顔一つせず、緑晶の瞳を明るめる。
「やあ! 帰って来たのか!」
いつにも増して姉が溌剌としており、アニエスは少し驚いた。何か良いことでもあったかのようだ。
「はい。昨日着きまして、エリノア姉様のところにお世話になっておりました」
「売り込みは成功したのかい?」
フィーネも魔物の乳のことを知っている。というのも、アニエスが念のため依頼した成分調査が、学院を通して植物園に紹介が行っているためだ。それができる技術者がこちらにいるのである。本日はフィーネに顔を見せるついでに、そちらにも進捗を確認に行く予定だ。
「試作品を作って検討していただけることにはなりました」
「それは良かった。そちらは君の従者たち?」
フィーネは、アニエスの後ろできょろきょろしているルーたちを見る。するとファニが、ある植物を指し、声を上げた。
「ワンスワー!」
アニエスらには意味不明な叫びを、フィーネだけが理解していた。
「あなたはアウラ国の出身かな?」
「そうっ。ワンスワー、ファニの故郷のおいしいもの! スヴァニルにあったか!」
「以前アウラへ行って種をもらって来たんだよ。ここで試験栽培しているんだ」
その植物は一見すると、食べられるようには見えない。まるで灰をかけたような色をしており、密集している葉が紙を十枚重ねたくらいとても分厚い。
「どうやって食べるの?」
ネリーが尋ねると、ファニは葉を一枚ちぎり齧ってみせた。
「ファニさんっ」
アニエスは慌てたが、フィーネが「いいよいいよ」とアニエスらの分まで葉を取って渡す。ファニがしたように齧ってみると、果実のような甘く爽やかな味がした。
「おいしいだろう?」
「・・・はい。とても、瑞々しいですね」
「だろ? 火を通すともっと甘くなるよ」
フィーネは満足そうな顔をしている。
「これはほとんど水がなくとも育つんだ。暑さにも寒さにも強いから、色んな場所に普及できると思ってね、今一番力を入れて研究してる。――そうだ、気に入ったなら種を持って行ってくれないか?」
「良いのですか?」
「今スヴァニルのあちこちに種を配って現地適応できるか試験してるんだよ。協力してくれると私が助かる。栽培の手引き書もあげるから是非」
そこまで言われては、断る理由がない。エインタートでは農地づくりも徐々に行っている。まさしく飯の種になるものはどんなものでも嬉しい。
フィーネは場にいた若い助手に用意を頼み、畑の隅にある四阿へアニエスを誘った。
そこのベンチに座り、園内で採れたハーブで茶を淹れてくれるのが、アニエスが遊びに来た時の定番だ。話の間、従者たちはせっかくだからということで、園内の見学に行かせた。
「少し、日に焼けましたか?」
フィーネの白い肌が、以前よりやや色が濃くなっている。彼女はアニエスと同じく日に焼けにくい体質だが、仕事柄、外に出ている時間は長い。
「先週までエリノア姉様の貿易船に乗せてもらって、植物採集に行っていたからね」
外国に出向き、食用、薬用、観賞用、あるいは繊維や香料などに使える有用な植物を収集すること。それも植物園に勤める者の仕事の一つだ。
遺言で、フィーネは父からある国の植物採集の許可証を贈られていた。植物も立派な国の資源であり、特に貴重なものについては勝手に種や苗を持ち出すことが禁じられているのだ。
「とても楽しかったよ」
フィーネは活き活きと外国でのことを話した。どうやら、それが上機嫌の理由であったらしい。
フィーネは性根が冒険家であり、未知との遭遇を生きがいとしている。試験栽培よりも植物採集のほうを好んでおり、ゆくゆくはそちらの業務を専任したいと考えていることを、アニエスは本人から聞いて知っていた。
同い年であることも関係しているのか、遠くに行きたがるところは放蕩者のファルコと似通っている。
「――で、そっちはどうなんだい?」
ひとしきりフィーネが話を終えると、アニエスの番が来た。
「そういえばコルドゥラから、リンケがそちらにいると聞いたんだけど」
思ってもみなかった話題に目を瞬く。
「お知り合いでしたか」
「言ってなかったっけ、学院の同期なんだよ。おもしろい奴だろう?」
「・・・そう、ですね」
それ以上はなんとも言い様がない。そんなアニエスの心を察し、フィーネはくすくす笑い出す。
「彼女は素晴らしい研究者だよ。人としては何かと欠けているけどね、そこは可愛げと思ってやるしかない。あれは治らないから」
実際、リンケはいくらレーヴェに事務のずぼらさを責められても、あまり改善しない。定期報告の提出がしょっちゅう遅れる。
アニエスもその辺りのことは、彼女の特性としてすでに許容している。同じ場所に生きていても、人によって流れる時間の速さは異なるものだ。
「そういえば学院のほうへは顔を出したのかい? 君の師匠たちのところとか」
次に振られた話題には、目を逸らす。
「なに? 行かないの?」
「・・・はい。今は、遠慮しようかと」
「戻りたくなるから?」
図星だった。
素直にアニエスは頷く。
「手紙は出しました。師匠方に会うのは、ある程度状況が落ち着いてからにしたいと思っています。特に、今回は忙しないので」
「そう。君が決めたことなら良いと思うよ」
フィーネはアニエスの考えを否定しない。幼い頃からずっとそうだ。アニエスのどんなに陰気な思考も遮らずに聞いてくれる。
彼女は、人間のことも自然界の動植物のように捉えている節があり、個々の在り方へあまり干渉したがらない。
彼女自身の意見と食い違う時でさえ、決して声を荒らげず、論理的な言葉でそれを説明してくれる。相手が納得しなければ、二度は言わない。
だからこそ、アニエスはこの姉の傍にいるのが心地よかった。
「今も古書の修復は時々してるの?」
その尋ねには首を横に振る。
「館の地下に書庫があり、修復の必要なものばかりなのですが、なかなか時間が作れず」
「ってことは君、もしかしてまだ一度も休みを取ってないのかい?」
「一度もということはありませんが」
ギギとの戦いの後は激しい筋肉痛もあり、さすがに休んだ。風邪を引いた時もそうだ。
ただ、それ以外ではなんだかんだと仕事をしてしまう。館の人間には交代で休日を与えているが、自分だけはどうも休めない。考えるべきことが山積みで、何もしないでいると気が気ではないのだ。
「それは見直したほうが良いかもしれないね。アニエス、エインタートの復興は数年で終わるものじゃないだろう?」
フィーネは優しく忠告する。
「領主業もこれから一生続けるのなら、息が続くように心も体も労わってやるべきだ。人に求められる仕事というのは、とてもやりがいがあるけれど、求められてばかりでは辛くなるだろう? 定期的に自分の心を叶えることをしたほうがいい。休息は体を休めることだけじゃないんだよ。君が潰れたらエインタートは終わる。そのことは忘れないで」
いつしか笑みを消し、フィーネは真剣な顔になっていた。
エインタートの復興事業は、アニエスが父の遺産を相続したことから始まっている。どんなに新事業がうまく行こうとも、アニエス一人がいなくなるだけで計画は頓挫してしまう。他に後継者がいないというのはそういうことだ。
それを思えば、自身を労わることもまた必要なことだと思える。
「――はい」
相手の真剣さに負けず、真摯にアニエスが答えると、姉はまた屈託のない笑顔に戻った。
その時にちょうど、彼女の助手が種を持って戻って来た。
「じゃあ生育に何か問題があれば知らせて。調査に行くから。うまく収穫できることを期待してるよ」
「はい。ありがとうございます」
そして最後にフィーネは意地悪そうに言う。
「明後日の君の晴れ姿も楽しみにしてるよ」
「・・・主役はグレーテ姉様です。そちらにだけ注目してください」
やはり出席しないほうが迷惑でなかっただろうかと、思ったがすでに手遅れだった。




